
(初版:2002年11月24日)
(第2版:2003年7月18日)
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■ 曲目 ■
1.Lights
2.Feeling that way
3.Anytime
4.La do da
5.Patiently
6.Wheel in the sky
7.Somethin' to hide
8.Winds of march
9.Can do
10.Opened the door
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■ メンバー ■
(Sep,1977〜Nov,1978)
Neal Schon (guitar)
Gregg Rolie (keyboard,vocals)
Ross Valory (bass,vocals)
Aynsley Dunber (drums)
Steve Perry (vocals)
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○ソニーレコード(SRCS-9078)
○発売中
(c)1978 1979 1980 Sony Music Entertainment Inc.
Manufactured by CBS/Sony Group Inc.
■ さいしょに
今回はアルバム「INFINITY」のよいしょをさせて頂きます。新たに専任ヴォーカリストとしてスティーヴ・ペリー氏を加え、バンドが栄光の道へと進む分水嶺となった1978年の作品です。
方向性としては……まあ、概ね今まで通りなのですが、
「こういう切り口で楽しむのは如何でしょう?」
という具合で、今回は特にアルバム「ESCAPE」以降からジャーニーに興味をお持ちになったすべての皆さんに役立てて頂けるものを目指しつつ、ちょいと料理人気取りな按配でお送りします。
でも……
『この曲を聴かないのは邪道だ!』
とか、あまつさえ
『○○○(特定の曲名など)を知らなければジャーニーを語る資格はない』
てな原理主義者的論法を振りかざすような真似は生理的にすっげえイヤなのです。
だから、あくまでも私自身としては
『自称ジャーニー・フリーク歴およそ20年そこらの消費者約一名による楽しみ方の一例』
という位置付けで参る所存であります。
そんなこんなのユルい主旨で書いておりますので、「まあ、そういう解釈もあるかもしれないね」と参考程度に読んで頂ければ無上の幸いです。
説教じみてますか? だとしたらすんまへん。
では、とっとと行きます。
■ 背景
まずはバンドの生い立ちについて、事実に基づいて簡潔明瞭に解説をば……。
カルロス・サンタナ氏のバンドで演奏するニール・ショーン氏を見てその才能に惚れ込んだクルーのハービー・ハーバート氏は、「ショーンを中心としたバンドを作ろう」と決意し、その話に乗ったショーン氏はハーバート氏と共にサンタナ氏のバンドから離脱。ショーン氏と同じく元サンタナ・ブルース・バンドのメンバーで、一足先に隠居してレストランを経営していたグレッグ・ロウリー氏を呼び戻しつつ、ハーバート氏の人脈により他のメンバーが選び出され1973年にサンフランシスコで結成されました。
結成当時のメンバーは以下の皆さん。
Neal Schon (lead guitar,vocal)
Gregg Rolie (organ,pf,vocal)
Ross Valory (bass,vocal)
Aynsley Dunber (drums)
George Tickner (rythm guitar)
デビューアルバムの名はバンドのそれと同じ”JOURNEY”(邦題「宇宙への旅立ち」)。リズムギターのティックナー氏が進学のため引退し4人編成となった翌年にリリースされたのが”LOOK INTO THE FUTURE”(邦題「未来への招待状」)、さらに翌年3作目の”NEXT”(邦題「限りなき挑戦」)とコンスタントにアルバムを発表したもののシングルヒットに恵まれず、「強化策」として専任ヴォーカリストの補強が行われました。
コロラドのある興行人の紹介でバンドへ招集されたロバート・フライシュマン氏がジャーニーの初代専任ヴォーカリストとしてステージに立って歌い始めた頃、ほどなくそのポストを継ぐ事となるスティーヴ・ペリー氏は THE ALIENS PROJECT というバンドに所属していました。彼らのバンドもまた活動を進め、メジャーデビューを間近に控えていましたが、そんなある日にベーシストのリチャード・マイケルス氏が交通事故に遭い急逝。彼を失ったバンドは活動不能の状態に陥ってしまいます。
そんな中、ペリー氏の歌声はデモテープを通じてハーバート氏の耳へと届いていました。
さて、そこからが今回の本文……。
■ 曲解説
新しい「風」を簡潔明瞭単刀直入に明示し得た記念すべき1曲目。
歌詞で言うと"♪ I wanna be there in my city 〜"のあたりでのびのびと響きわたるペリー氏の歌声に度肝を抜かれた方も少なくなかろうと推察します。バンドの故郷であるところのアメリカ西海岸の街サンフランシスコへ寄せる望郷の念も含めたとおぼしき、思人への敬意を綴った優しげなラヴ・ソング。12/8拍子によるシャッフル風味の基幹リズムをなめらかに駆け抜けてソロを演じるショーン隊長のギターも絶妙。
このアルバムでジャーニーが示した「もうひとつの新しい”お楽しみ”」……ロウリー氏とペリー氏による歌の共演……が初披露された1曲。
当時のペリー氏(20代後半?)は、その甘美な歌声もさることながら、物腰にどことなく中性的なしなやかさを覗かせる美青年でありました。それは、みっちりくっきりタフガイの魅力を振りまいていたロウリー氏と比べて健全かつ良い意味で対照的な姿であり、おそらくはそのあたりで新しい女性ファンをも開拓し得たのではないかと推察されます。
先日この曲をライヴで演奏し始めた当時の映像をさるルートで入手しまして、その中、この曲と”Anytime”(後述)とのメドレー演奏の後半あたりで、両名が観客席の女性ファンを誘惑するようなフリのパフォーマンスをアドリブ演奏交じりに繰り広げている様子を拝見してました。上に書いた文章はその時の所感を元にしています。その映像観てなかったらここに書く内容は間違った方向へ行ってたかも知れないなあ。あー危ね(^-^;)。それにつけても、かの全盛時代を生で観られなかった事は返すがえすも口惜しいです。
日本的表現で言うと「不惑の歳」を経て、その円熟に磨きをかけた「大人の男性シンガー」としての魅力が高まっている近年のペリー氏も個人的には好きですが、どこまでも突き抜けて行きそうなハイ・トーンを多用していた若き日のペリー氏の魅力もまた忘れがたいものであります。
甘く穏やかに語りかけるようなペリー氏の歌声とは正反対に、いささかならず悲哀めいた結果を予感させるような状況を歌詞に綴ったバラード。後半、ギターの奏でるメロディに沿いつつ、それをも飛び越えて轟くペリー氏のシャウトが曲を締めくくります。そのハミングが漂わせる悲しげな余韻は絶品。
ショーン隊長のギターを中心に繰り広げられる、当時のジャーニーらしい勇猛果敢な曲。がががががが、とノイズっぽく掻き鳴らすイントロが印象的。ペリー氏はこの曲ではやや低めの声で演奏しており、後の”Line of fire”や”Backtalk”、はてまた”Castles burning”にも通じるであろうワイルドな演奏を鑑賞できます。
これもショーン氏が全編ギター弾きまくりのワイルドなナンバー。ペリー氏が歌う最中もバックでパワフルな裏メロを奏でて曲全体のテンションを高めています。AOR志向の曲が多い80年代のジャーニーとはかなり趣が違いますが、デビューアルバム〜3作目あたりのパッションを踏襲したその展開は、上述”La do da”と共にジャーニーが本来持っていた姿のひとつ……過激なロック・バンドとしての姿……を十二分に堪能できるものと見受けます。
私自身はギターの勉強はしてないんだけど、聴いてて思わず体が動き出しそうな気持ち良さがあるので、このアルバムの中では特に好きです。
この際、ドラムだけじゃなくギターも……いんや、欲張ってはいけませんね。
んでは、こぼれ話。
「ジャーニーというバンドをカテゴリー分けするとどのへんになるの?」という問いを、かつて誰かから受けた事がありました。私は「特定できない」と答えたのですが、それはジャーニーと同様に日本での活動を重要視しファンの開拓を積極的に進めていたボン・ジョヴィが、かつての洋楽専門番組「ベストヒットUSA」(テレビ朝日系列)に出演して司会の小林克也氏と会談を行った時のコメントを想起してのものでした。
確かジョン・ボン・ジョヴィ氏が残したコメントだったと記憶していますが、バンドの方向性はいかなるものかという旨の質問に応じて、氏は「ボン・ジョヴィはボン・ジョヴィなんだよ」(意訳)と答えていました。
ハード・ロック、ヘヴィ・メタル、ポップス、R&Bなどなど……「ジャンル」というくくり方はそれぞれのバンドの作風を手早く理解するためには便利な概念なのかも知れませんが、それは同時に「可能性」に対して箍をあてがう事にもなりかねず、それはややもすると「○○○と言えばやっぱりバラードでしょ」とか、あるいは「サントラあっての○○○」といった風に、そのバンドのプロパティに対して不均等な先入観を流布してしまう危険があります。聴く側が何を求めているかは十人十色であるがゆえ、思想統一事業を繰り広げる気などは毛頭ありませんが、でも消費者側には聴衆としてある程度の責務が必要とされるのではないか、と考え始めた発端として、ジョヴィ氏のコメントはとりわけ印象深いものでありました。
”Patiently”
”Opened the door”
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ライヴではアンコールにて2曲1組に演奏されていたようです。”Patiently”は、ペリー氏がこのバンドに加わって最初に書いた曲とされています。「懇親の念を込めて書いたんだ。それはみんなに対しても同じだよ」といった旨のメッセージを観客へ投げかけるペリー氏の様子が、当時のライヴでは度々拝聴できます。
巷の軽音楽情報誌などでは、時としてペリー氏のことを「エゴの権化」とばかりに中傷している記者もいるようですが、その「エゴ」とかいうたった一言で思考停止してしまう事が明らかに馬鹿げていると確信するに足る功績を、彼は幾つも残しています。ジャーニーではこの曲、そしてそれ以後に生み出した数々のヒット曲、さらにはソロ・アルバムの中で示した恋愛賛歌”Oh,Sherrie”や”Foolish Heart”等がそれです。厳正な批評を行う上で、その事を忘れてはなりません。
”Anytime”
”Wheel in the sky”
”Winds of march”
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ジャーニーの歴代リードヴォーカリスト各位が残してきた功績について論ずる場合、スティーヴ・ペリー氏によってもたらされた好影響がバンドを今日の栄光へと導く原動力となった、とする説は概ね衆目の見解が一致するところかと存じます。私としてはこれまで通りその説を支持しつつ、でもロバート・フライシュマン氏(前述)の存在も実はペリー氏のそれに匹敵するほど大きかったのではなかろうか、と近ごろ考えているのです。
と言いますのも、この3曲はいずれもフライシュマン氏が正式メンバーとして曲作りに参加しオリジナル・アルバムに名を残した作品であり、特に”Wheel in the sky”はこのバンドに初めてのシングル・ヒットをもたらし、今日もなおライヴでは聴衆がその演奏を待ちわびる人気曲のひとつとして広く知られるに至っています。
記録によるとフライシュマン氏は”INFINITY”完成前の約3ヶ月だけ在籍していた事になっており、ペリー氏の加入に伴って事実上更迭という形でバンドを去ったようです。もしかすると、そうなった経緯にはマネージメント側の政略的判断も含まれているのかも知れません。
だとしても、聴衆の心に曲は残ります。私としては、ジャーニーのヒット曲を生み出したメンバーの一人としてフライシュマン氏の功績を再評価する必要性を感じずにはいられないのであります。
”Wheel In The Sky”
1998年と2001年に行われた東京公演にてジャーニーがこの曲を演奏した折、あにはからんやショーン隊長はソロパートにて80年代初頭のツアー時に好んでプレイしていたフレーズを再現して見せて観客からやんやの喝采を贈られていました。活動を再開したバンドの存在感を喧伝しつつのファンサービス、てなところでしょうか。
それを聴きつつ、私はある別の事を考えていました。
「この曲は、もしかして歴代ヴォーカリスト3人ともがステージで演奏した経験のある唯一の曲なのでは?」
生みの親であるところの初代(フライシュマン氏)から2代目(ペリー氏)へ委ねられて熟成され、そして3代目(オウジェリー氏)へと引き継がれて……という具合に、バンドの歴史と共に生き続ける曲が在るというのは美しいなあ、と感じてみました。むやみやたらと象徴的な意味合いを見出したがってる訳ではないのだけれど、30年近くも活動を続けてメンバーの移り変わりもある中で、バンドの歴史を物語るのは全てのメンバーによって引き継がれてきた楽曲そのものであるまいか、とは考えています。如何でしょう?
”Anytime”
当時のライヴではアルバムと同様に必ず”Feeling that way”とペアで演奏されていた模様。どちらの曲もグレッグ・ロウリー氏がリードヴォーカルを担当しており、この時代のジャーニーを顧みるにあたって欠かせない雰囲気を漂わす、緩やかなメロディと合唱と、そしてショーン氏のブルージーなギター演奏とが渾然一体に流れて行く心地よさ満点の逸品。ロウリー氏の「艶」と「深み」とが効いた歌声は常人を超えたハイトーンで駆け上がるペリー氏の声と好対照を成しており、両氏の掛け合いを中心に奏でられるハーモニーはロックバンドにおけるコーラスの有用性を実証した一例であると言えましょう。
”Winds Of March”
パワー・バラード(あるいは、メロディアス・ハード)と称されて今日広く市民権を得るに至った作風を開拓したバンドのひとつとして、ジャーニーの銘はアメリカをはじめとする多くの国のロックの歴史の中で永く知られる事でしょう。きっと。
有名なジャーニーの曲というと、巷ではよく”Open arms”が挙げられます。ヒットチャート上での人気もさることながら、どんなに邦楽どっぷりべっとりなカラオケ屋さんでもこの曲だけはほぼ間違いなく入っているという市場の様子からも窺い知れるように、彼らの楽曲の中で一番の知名度を有していると考えるに如くはなさそうです。いささか端的な例ではありますが。
かの曲をはじめとして”Who’s crying now”や”Still they ride”、はてまた”After the fall”や”When you love a woman”など幾つものパワー・バラードをヒットチャートへ送り込んできたジャーニーの「源泉」を辿る事に興味をお持ちの方に、私は”Winds of march”を最初の1曲としてお勧めします。
この曲はペリー氏の穏やかな歌声によるバラード調で始まるのですが、中盤からムードが突如一変、ショーン隊長を中心にヴォーカル以外のパートが揃って大暴れしつつそのままエンディングへなだれ込むという、まるで当時の彼らが迎えた転機を逆の順序で体現したかのような極端さを特徴としています。
前半のヴォーカルパートでは切々と謳うペリー氏の歌声が、そして後半ではダンバー氏&ヴァロリー氏の強力なリズム隊をバックにロウリー氏のオルガンとショーン氏のギターによるバトル演奏が堪能できるという、各パートの持ち味と魅力を余すところなく発揮したその展開は後年の”Mother,Father”へ、あるいはバラード以外でも”Separate ways”や”Be good to yourself”などの曲で、そして、もっと言うならメンバーがあらかた入れ替わった状態で行われた2001年ラスヴェガス公演のDVD版で視聴できる”La raza del sol”あたりでも踏襲されている、ジャーニー独自の解釈と技術論に基づいたハード・ロックの妙味と言えましょう。シングルカットされなかったため一般にはあまり知られていない曲ですが、アルバム”DEPARTURE”をリリースした年のツアーまではライヴの「中押し」として頻繁に演奏されていたようです。
なお、別枠扱いで紹介した3曲のうち、この曲だけはペリー氏も作者のひとりとしてクレジットされています(一際ビビッドなメロウさは、やはりそれ故か?)。
そういえば、”Eye of the tiger”を映画「ロッキーV」の主題歌としてヒットさせた事で特に有名なサヴァイヴァーは、その曲を収めた同名のオリジナルアルバム(1982年作)の中の1曲”I’m not that man anymore”で、当該”Winds of march”と似通った展開を用いています。あるいは、もちょい後の年代になりますけど、クイーンがアルバム”A kind of magic”(1986年作)に収めていた、映画「ハイランダー」への挿入歌”Who wants to live forever”とか。興味のある方は是非ご参照下さい。
……て言うか、さらに系譜を遡って行った先にあるのはレッド・ツェッペリンの”Stairway to heaven”なのかなーと今更になって気付いている私。勉強不足ですいません。ああ恥ずかしい。
■ その後……。
アルバム”NEXT”までのジャーニーを好んでいた人々の中には、フライシュマン氏、あるいはペリー氏の参加とそれに伴う変化に対しては懐疑的な印象を抱く人が少なからず居たようです。ですが、ジャーニーの存在は当該アルバム”INFINITY”のヒットによって世の聴衆に一際激しく認知されるに至った訳で、この年のツアーではカナダとオランダへの遠征も含めて約8ヶ月間に100回をゆうに超えるほどの過密スケジュールでコンサートが行われました。以後、彼らは年間のおよそ半分以上をライヴツアーに費やす数年間の長旅を始めます。あたかもバンド名が意味する言葉の通りに……。
(了)
*追伸*
最後に、本音を白状しておきます。
ジャーニーが2001年に行なったラスヴェガス公演のDVD版を観ていた折……。
アンコール中にスティーヴ・オウジェリー氏が”Faithfully”の前フリとしてバンドの昨今を顧みるようなメッセージを観客に投げかけているのを観ていて、人によってはペリー氏の存在をさっぱりすっかりないがしろにしていると誤解されかねないようなそのメッセージ内容を租借してみて「そりゃないんじゃないの?」と感じたのが、本稿を書こうと決めたそもそものきっかけ。
*参考にしたもの*
日刊スポーツ(都内で売ってた版)2000年10月25日号の記事稿
ボックス・セット「TIME3」の解説書、および付属のファミリーツリー
アルバム「グレイテスト・ヒッツ・ライヴ」の解説書
和田誠氏の著書「ジャーニー 永遠の旅」
山野楽器で配っていた販促チラシ
昔録音したラジオの番組
記憶
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