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1. INTRODUCTION
〜 STATE OF GRACE
2. THE TIME
3. WALKING AWAY FROM THE EDGE
4. I CAN BREATHE
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JOURNEY are...
Neal Schon (g,vo)
Ross Valory (b,vo)
Jonathan Cain (key,vo)
Deen Castronovo (d,vo)
Steve Augeri (vo)
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日本国内販売元:キングレコード(KICP910)
発売中
(P)&(C)2002 Nomota LLC. Sublicensed by Frontiers Records S.r.l.
2002 King Records Co.,Ltd.
”産業ロック”という言葉が潰えた日
(初出:2003年1月24日)
(増補:2003年7月6日)
「サンフランシスコに於いて、ジャーニーはおそらくこの街出身のどのグループやアーティストよりも多くのレコードを売ってきた。だがシーンの背後にいる名士たちは彼らを決して心から受け入れてはいなかった。ジャーニーは過ちを犯していたのだ。彼らは成功しすぎていた。あまりにも正直すぎた。そして負け犬や先進的な人間や変わり者を賛美するこの街においてはあまりにも気取りがなさすぎたのだ」
(ボックス・セット「TIME3」解説書より)
ジャーニーを”産業ロックバンド”と定義するのは誤りである。
かれこれ20年近くの長きに渡り、ジャーニーは口さがない一部のマスコミが吹聴して回った「金儲けのために音楽を利用する者たちの代表格」という誹謗中傷に、そしてその存在を「産業ロック」または「コマーシャル・バンド」という単語に侮蔑の念を込めつつ規定せんとする人々の悪意に耐え抜いてきた。
記者の中には、著名人の功績を逆用する事で飯の種を手に入れているような低俗な手合もいる。そうしたスキャンダルの亡者ども(ゴシップ記者とも呼ぶ)は、常に槍玉に挙げる対象を欲している。そして、彼らは選んだ「対象」におのれらの食扶持稼ぎ以外の確信的理由を見出すことはない。
つまるところ、ジャーニーはゴシップ記者どもの犠牲にされていたのだ。しかし、その因習も遂に終わろうとしている。
西暦2000年、ジャーニーは通算12作目のオリジナル・アルバム「ARRIVAL」を日本で先行リリースし、その翌年には3年ぶり7度目となる日本公演も行った。健康上の理由からリタイアせざるを得なくなったスティーヴ・ペリー(vo)と、そしてジャズ・プレイヤーとしての挑戦を続けたいとするスティーヴ・スミス(d)の両名を失い、新たにスティーヴ・オウジェリー(vo)とディーン・カストロノヴォ(d)を迎え入れる事となったバンドに対しては人気低下を危惧する向きが当初はあったが、しかし実際には初来日公演の年(1979年)以来一貫して彼らが示してきた親日家としての誠意を感じ取ったファンの熱意に後押しされてか、日本において「ARRIVAL」の人気はこれまでのアルバムに引けを取らないものとなった。むしろ問題となったのはそうした日本国内の動向が本国のそれとの間に生じさせた温度差のほうで、巷では「ARRIVAL」のリリース前からジャーニーとソニーレコードとの間でのプロモーション計画をめぐる確執が噂されていた。それが直接の原因であるか否かについては明らかにされていないが、ジャーニーはデビュー以来20数年のつながりを持ってきたソニーとの契約を解消した。2002年春の事だった。
そして、ジャーニーは独自に設立したレーベル「JOURNEY MUSIC」から作品を流通させてゆく道を選んだ。産業化社会の申し子としてメディアに参画するレコード業界との関わり方を根本的に見直したこの選択は、彼らが1996年に活動を再開するにあたって示した意図が揺るぎないものである事を明示してもいた。彼らが演奏家として望むもの、そして彼らに力を与え続けているもの……それが「求道心」であろう事は、想像に難くない。
あらためて言おう。
スキャンダルの亡者どもは、常に槍玉に挙げる対象を欲している。そして、彼らは選んだ「対象」におのれらの食扶持稼ぎ以外の確信的理由を見出すことはない。もしジャーニーを「金儲け狙いのバンドだ」と規定するならば、ジャーニーのみならずこの世でミュージシャンとして生計を立てている者は1人の例外もなく同等の評価を受けなければならない筈である。だが、幸いにも現実世界はそのような選択をしていない。少なくとも、上述のごときジャーナリストのふりをしたごく一握りの馬鹿どもが、単に成功者を揶揄するためにおのれらだけが後生大事に守り続けている常套句をさも事実であるかのように……それがもはや陳腐なものでしかない事に気付かぬまま、そして聴衆の賢明さを侮ったまま……振りまいて一般社会と世論を部分的に汚染しているに過ぎないのだ。
故に、ジャーニーを”産業ロックバンド”と定義するのは誤りである。
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概ねいつもの調子によるアルバム解説
(初出:2003年7月6日)
リリースされてからさほど時間の経っていないアルバムをよいしょするというのは、どうにも妄信的かつ感情論主体の寒々しく、痛く、そして悲惨な展開を予測されてしまいそうで空恐ろしいですけど、こと今回に関してはアルバムリリース前後の背景についての自分なりの考察をなるべく早めに記しておきたかったので、そういう理由から順番を前倒しした次第です。
「ジャーニーがソニーレコードとの契約を解消した」という報を知ったのは、たしか2002年の夏前でした。
アルバム「ARRIVAL」が日本でリリースされた頃に、
「レコード会社側が”他のもっと売れそうなアーティストを売り込みたい”と言ってショーン氏を激怒させた」
という噂を聞いた事があったので、もしかしてそれが原因かなと思いつつ「BURRN!」誌のインタビュー記事でショーン氏のコメントを確認してみた。……あながち外れてもいなかった模様。
そこで、ふと考えてみた。
「世の中には”産業ロック”だの”最大公約数狙い”だのと様々な揶揄の言葉があるが、それらはすべてレコード会社や所属事務所やスポンサーの都合に合わせて仕立て上げられた者たちを指している訳で、だとすると本来はミュージシャン本人たちではなくその取り巻きに非難の矛先を向けるべきなのでは? ……”彼らを変えさせた者たち”に」
私は、売れ線狙いだから良くないとか営利主義が良くないとかいう考え方は努めて持たないようにしています。「エンタテインメント」という言葉が広く知れ渡って久しい昨今、その言葉の意味を鑑みると、観衆(or聴衆)のはしくれとしての私は演奏以外の技術やアイディアも駆使したトータルな視点でショウを行う人々の存在も際立って重要に見えている訳で、時流によってその表現方法に違いはあれど、各自がおのおのの確信に基づいてシーンへの訴求を行う姿そのものが逞しく感じられます。……まあ、多分、自分がアマチュアなれどロック系のバンドに加わってあれこれ試し始めた最近だから気付くようになった事なのかも知れませんけど。
時代と人によって、様々な可能性を予感させる様々なアイディアが散見されます。いち消費者として私は、今後それらがどの方向へ向かおうとも、それらすべてを記憶の片隅にとどめておこうと考えています。……ねっからドン臭い知覚を持つ私としては、忘れた頃に「あっ! そうか! そういうことだったのかっ」てなケースが多いので(^-^;)。まあ、ただそれだけの理由。
閑話休題。
前々から気になっていた事がひとつ。
「巷の媒体は何故ジャーニーばかりを槍玉に挙げて非難するのだろう?」
というあたり。これが、今回どうしても論じておきたかった事の主題です。
被害妄想入ってる? 他のバンドも多かれ少なかれ「出る杭は打たれる」的理論でバッシングされる事はあるんだろうけど、いずれにせよ前項「”産業ロック”という言葉が潰えた日」は、「せめて一回だけでもいいからこのへんの件について思いのたけ一気にぶちまけたものを書きたい」という個人的な興味を元にして書きました。
「てめぇ、常日頃感情論の類を嫌悪するような論陣張っといてそれかよっ?」と呆れた方、ウィンドウ消す前にちょっとだけ待ったなのです。確かに、他のコーナーに載せてるようなバカ文章なノリとはかなり違ったドキュンな調子で書いちゃいましたけど、本意としてはあのまんまです。……あ、いや、フォローになってないな。もちょっとタンマ。さ、さすがに私自身もああいう見解が「地球全人類唯一絶対の正義なりぃぃっ!」とかほざくほど面の皮厚くないので、いわゆる産業ロックうんぬんの件は今後も引き続き考えてみる事にします。そういう一過程なのでどうか悪しからず。
#誰に言っているのやら。
以前「インフィニティ」の話を書いた時のスタンスと変わりなく、あくまでも私自身は「自称ジャーニー・マニアな消費者約1名の希望的観測あるいは推察」として前向きな観察なり批評なりを続けてゆきたいと思います。
以上、初心再表明でした。おほん。
■各曲解説
ひとまず曲解説。もっと聴いてみる内に新しい見方が出来るようになるかも知れないので、今のところはファースト・インプレッションに基づいて簡潔なメモ。不定期更新します、うい。
#1 Introduction 〜 State of grace
近頃のライヴではオープニングに演奏されているらしき、開演直前のBGMに乗せてローリングスタートしたかのような曲。
先頭約2分が”introduction”に相当するのかしら? 市販のライヴ映像などでたまに見られるメカっぽい感じの開演直前BGMの系譜を想起させるそのイントロに、突如としてギターの勇壮なフレーズを中心にバンドの音が殴り込んできて主旋律が始まるあたりが印象的。
#2 The time
久々に12/8な感じの曲。
3代目専任ヴォーカリストのスティーヴ・オウジェリー氏が”ARRIVAL”アルバム完成前にバンドが行ったツアーで歌い始めた1990年代末ごろ、一部のゴシップ記者どもは「ジャーニーはペリーそっくりに歌えるシンガーを後任に連れて来た」などというナマの感情丸出しな煽り文句を掲げていたようです。
それはともかく、個人的には当該”The time”は、バンドそれぞれが持っている「様式」の存在を再認識させてくれた曲として印象深いです。
「似てる」とか「似ていない」とかいう評価軸は、ある程度の段階までは必要でしょう。つまり、それに留まる議論は必要ないという事です。これは世で成功を収めた曲を持つバンド全てについて言える事ですが「かつて支持された曲や作風を継承してゆく事に何の異存があろうか?」という問いへとつながります。このあたりでゴシップ記者最大の弱点……「じゃ、あんたはどうしてもらいたい訳?」という問いに対して、自分の利益についてのみ妥当な回答しか示せない……が見えてきますね。この一件から分かるのは、右でもなければ左でもない、上でも下でも斜め45度ですらもない、単に「飯のタネ」だけが欲しいとする馬鹿な記者どもの存在と、そしてメンバーが入れ替わっても引き継がれてゆく「可能性の記憶」の存在でしょう。
……まだ毒が残ってるなあ。まあ、本音だから気にしないけど。
#3 Walkin’ away from the edge
バンドのメンバーチェンジにあたっては、その理由にはメンバー間の不和や契約上の都合あるいは事故による不可抗力など様々なものがあるけれど、いずれの場合も発展的効果を目指した選択が行われている筈である、と私は考えるようにしています。「普通、失敗するための選択なんて誰もしないでしょ?」と思うので。
思うのは勝手だし、後の世で「結果的には失敗だった」みたいに言われちゃう可能性は相変わらずそこらへんに転がっているんだけど、ファンの端くれとして私はバンドが「今」選択した道を支持してあげたい……今回の件に関しては特にそう望んでいる昨今です。いんやエラそうなこと言うつもりじゃないけど。そもそも、何を指して失敗とするかの判定なんて本人たち以外の誰が出来るの? って気もするし。
長年培ってきたバラード曲における技術と、結成当時のフィーリング(例:"Of a lifetime")に立ち返ったかのようなショーン氏のソロ・プレイとをブリッジしつつ繰り広げられるこの曲を聴きつつ、今のジャーニーに対する所感をまとめてみました。
……アルバムの襷には「原点回帰」とのキャッチコピーが記されていたけれど、もし私の見立てがそれと同じ方向に向いているとしたら嬉しいかも。いんやエラそうなこと言うつもりじゃないけど、本当。
#4 I can breathe
珍しくホーン・セクションが入っている。て言うかオリジナル・アルバムでは”Positive touch”以来2曲目?
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*参考にしたもの*
ボックス・セット「TIME3」解説書
記憶
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