トップ >  信者の方へ >  司祭のお話 > 

てくむ 2008年9月号

司祭のお話 てくむ 2008年9月号

イエス様がいちばん
    -- オリンピック競技を見ながら --

主任司祭 小林敬三

 みなさん、聖母の被昇天、心からおめでとうございます。被昇天の聖母を保護の聖人と仰ぐ私たちの教会がいつも聖母のご加護の下、みなさんがいっそう日々神様に近づき、神様に信頼を寄せて歩んで行かれますように。

 ときあたかも、お隣りの中国では北京オリンピック大会が行なわれている。わが日本の選手も、その活躍ぶりがTV新聞等に大きく報道され、うれしいことだ。特に水泳の北島康介選手の活躍がすごく、100m平泳ぎ、200m平泳ぎ、2大会連続金メダルということで、日本から来た応援団も大歓声にわいていた。優勝直後、北島選手は自分のいまの気持ちを、記者団の質問に答えて叫んだ。
「チョーうれしい!」
日頃の練習の成果、努力の結果が報われたので、実感のこもった当然の声であろう。
丁度この歓喜の声がTVで報道されている時、私の回りでちょっと妙なことが起きた。それは司祭館にいる私のところに、御聖堂から歌声が聞こえてきたのである。誰か分からないが、とても美しいソロで女性が歌っていた。みなさん、ご存知のあの歌だ。

 「どんなにさびしい時にも、どんなにかなしい時にも、イエス様がいちばん、イエス様がいちばん。たとえそれが、どんな場合でも、イエス様がいちばん、イエス様がいちばん。なぜ? だーってイエス様は神様だもの。だーってイエス様は神様だもの♪」(別冊聖歌集 530番)

 オリンピック大会で世界一になった、勝利の雄叫びの声がTV画面からあふれている時、まさに北島選手の歓喜の気持ちに水を差すかのように、「イエス様がいちばん」を歌っている人がいた。私はそれを聞いて、思わずジーンとしてしまった。
なぜなら、オリンピックで優勝するということは、とてもすばらしいことであり、我々日本人にとって嬉しいことだ。でも、オリンピックの優勝というそのよろこび、その名誉は、やがて世の移り変わりと共に消え、いつの間にか人の記憶からも消え去って行く儚(はかな)いものだ。
実は人間たる私たちにとっていちばん嬉しいこと、それは神様を信じること、イエス様を救い主として信じること--「イエス様はいちばん」の歌は、まさにそのことを語っているように聞こえたのである。

 神の御独子をお生みになった聖母マリアは、一人の身分の低いはしためとして、ユダヤの片田舎にお生まれになった。おとめマリアは神の恵みにより、やがて御子イエスを生み、地上での御子の救いの業に生涯協力した。そして御子イエスの十字架と復活のあと、やがてマリアも天に引き上げられた。
いつもマリアが心がけていたこと。それは自分の意志ではなく、人となった神イエス様を尊重すること、すなわち神様を尊重することだった。神様の意志こそ一番といつも尊重し、そのように心がけ、そのように行動されていた日々の積み重なりが、この被昇天というすばらしい出来事を、真によろこび讃えるべき事実を、マリアにもたらしたのである。
私たちはとかく日頃、なにかと自分がいちばんになりたがる。自分こそいちばん大事と思いがちだ。
「イエス様がいちばん」
この言葉通りの生涯を送られたマリアの被昇天を祝いたい。そして私たちもマリアに支えられ、マリアに祈りの取り次ぎを願いながら歩んで行きたい。