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てくむ 2009年6月号

司祭のお話 てくむ 2009年6月号

「まァ、ええやんか。どうでも ええやんか」

主任司祭 小林敬三

 私はいま三つの幼稚園に関係している。そのため三月は三日連続の卒園式、三日連続の謝恩会に出席する機会をもった。
  そのうちの一つの幼稚園では、お母さん方が謝恩会のために大変はりきっていて、二ヶ月も前から私のところに挨拶にみえた。大変企画力のある方たちで、
  「私はなにをするんですか?」
と訊くと、謝恩会をやるホテルの舞台には天井にゴンドラがあるので、「それに乗って下さい」と言う。七十歳にして、司祭が結婚式場のゴンドラに!? しかも、「ミサの時に着る祭服を着て、歌を歌いながら降りてきて下さい」と言うのだ。
  ハアー、これは困った。実行委員は信者でない方が多い。司祭がそういうところでミサの格好をして、歌を歌って降りて来るなんて前例がない。「らしくない」と思い、「ええ?」と、考え込んでしまった。
  すると、たまたま横にいた人が、私たちのやりとりを聞いていて、関西弁でひとこと、こう言った。
  「まァ、ええやんか。どうでも ええやんか」
  それを聞いたとたん、私は「あ、そうだ! 私は今まで、自分で作った物差しで物事を計ってきた」と、思った。自分の作った価値観や、「らしくない」という世の中の価値観に囚われている自分にハッとした。
  「前例がないから、それをすることはできない」とか、「そういうことをやった試しがない」とか、これらはみんな律法学者の特徴だ。
  いままでの価値観でがんじがらめになってしまって、応用が利かない。私たちはこれをしょっちゅう、ふだんの生活でやってしまっていると思う。
  「まァ、ええやんか、どうでも ええやんか」
  これは人生を楽しく生きられる秘訣だ。これが言えないから、私たちは毎日の生活で一つのことに囚われ、つまらないことにこだわり、そしていつまでもジクジクしてしまうのではないか。
  さて、当日。私は2階の会場の上、3階の屋根裏部屋に連れて行かれた。細い暗い階段をよじ登って行くと、大きな鉄製のゴンドラがデンと置かれていた。ゴンドラの脇には黒いジャンパー姿の定年過ぎらしい男の人がうずくまっていた。ゴンドラに乗って私が坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」を歌い出すと、鎖がガラガラガラ。彼が手動式でゴンドラを降ろすのである。「上をむ~いて」、ガラガラガラ。「あ~るこ~おおお」、ガラガラガラ。
  無事着地したあとは、ご家族のいる各テーブルを歌いながら回った。下で待っている先生方は、なにも知らされていなかったから、ビックリ!
  「えー?」
  度肝を抜かれた先生方は、それから理事長と先生という壁が取れたようで、なにか気持ちがお互いに通うようになったようだ。
  私たちは小さいことにこだわらず、世間の物差しに振り回されず、明るい自由の精神で、
  「まァ ええやんか、どうでも ええやんか」
  この余裕ある気持ちで進んで行きたい。