プチ・フォワイエ
徐々に寒さがきびしくなってきましたが、朝の聖堂の空気が透き通るような、身に染みるようにも感じ、心地よさと起きにくさとを味わっています。
先月、体調を崩し病院へいきました。夏の疲れが出たのではないかとのことでしたが、何がそこまで自分を疲れさせたのか?そこのことすら分かっていませんでした。さすがに色々と思いを巡らしているうちに見えて来たことを分かち合わせていただきます。
神学生の夏休みは、小教区に住み込んで、主任司祭や小教区、キャンプのお手伝いをすることが多いです。これはどの環境でもいえることでしょうが、自分の果たすべき事がはっきりすることが、疲れない秘訣です。
〝神から与えられたわたしである〟ならば、わたしたちは環境によらず、本当に自由です。神の子である安心に身を委ねている。 わたしが何者かでありたい〟役立つ者でありたい欲求に支配されるとき、わたしたち人間は、不自由になります。
本当に不自由で、疲れる。
主はパウロにこう語りかけました
「 私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ 」
(コリントの信徒への手紙2 12:9)わたしたちキリスト信者もまた、この声を、イエス・キリストのいのちに与る道として示していただいているのです。〝有能〟でありたい誘惑、これを、聖パウロは思い上がりを防ぐためにサタンから送られた使い、と呼びました。まさしく魔がさすとはこの事でしょうが、その前に、あらかじめ福音が与えられ、いのちの交わりミサが与えられています。
祈りを、聖書を、ミサを生活の中心の出来事にし続けていたい。わたしたちのいのちはそこから与えられ、そこで養われるから。これらを源泉とする共同体の交わりがあるからこそ、わたしは今こうやって生きている。
10月は神学生にとって、自分の歩みを振り返りながら、次の段階へ進むことを司教様へ願う時期です。そのときにこうやって〝わたしがわたしである〟ことの本質を省察することが出来たこと、それをさせて頂く祈りを下さった皆様に心から感謝します。
お知らせ神学院ザビエル祭が11月23日に行われます。今年のテーマは日ごろ支えてくださる方々への感謝の心です。わたしの部屋にもお越しになってください。

