プチ・フォワイエ
まだまだ寒さが続きますが、ミサの温かみ、感じていますか?
この原稿がみなさんの手元に届く頃、わたしも試験やレポートを終え、一息ついた頃です。
先日、司牧実習先の高円寺教会で、「 日常生活の中での祈り 」について話をする機会をいただきました。その準備を進めているときに感じたことをこの場でも分かち合わせていただきたいと思います。
生活の中で祈っていますか?と伺うと、ほとんどの方は、「 祈っていません 」と仰います。多分に謙遜が含まれているように思いますが、あまり良い答えだと思えずにいました。
みなさんにお願いがあります。「 わたしは祈っていない 」なんて言わないでください。そんなことは、不可能です。わたしたちが生きている。この奇跡は、父なる神が、「 生きるものとなれ 」と命じたところから始まります。胸の真ん中に感じる温かみ、心の闇の奥底に垣間見える光。これがわたしのいのち。そのいのちは何を糧にしているのでしょうか。主の祈りで言う、日毎の糧。それは、食物のことでもあるし、霊的な糧、祈りのことも含みます。祈りとは呼吸です。あたりを見渡せば、神さまの祝福が満ちている。美しいものを見たとき、神を感じれば、それは祈り。深呼吸をする時、神を探す時、ふと自身を見つめる時、あなたは祈っている。深く、深くいのちの息を吸い込んでいる。このいのちの呼吸である祈り、祈りがなくて、生きていられるわけがない。あなたは祈っている。ただ、祈り続けることは、なかなか困難です。つい、自分の望みに捉われ、祈りから離れてしまいます。できるならば、長く神に意識をとめ続け、留まり続けたい。世の煩いに、悩むことなく、あなたの光で照らされ、祝福された日々を味わっていたい。
「 主なる神よ、わたしたちは、あなたから祝福された者だということを、信じたいと願いながらも、あなたよりも、目先のことに捉われる弱さをもっています。けれども、あなたと共にいたい。 」
今この一瞬、神さまに心を向けられたから、この一日を味わえる。今日というこの日は、わるくない。むしろ、素晴らしい一日でしたよ。わたしという人間は、わるくない。むしろ、素晴らしい人間ですよね。
「 かみさま、ありがとうございます 」
☆☆☆~続いて倉田さんからのお便り~☆☆☆†主の平和日に日に冬らしい寒さが、厳しさを帯びてまいりました。
皆様、風邪などひかずにおられますでしょうか。
さてさて、原稿の方が早めに欠けました。レポートの合間を縫っていたら、早くかけました(現実逃避のような・・・笑)現在お世話になっている高円寺教会の、信者さんが、「 てくむ 」を読んで、いることが発覚しました。広報活動は。予想もしないところまでも拡がってる。福音として響いていけるよう、これからもよろしくお願いします。
個人的なことですが、今度の聖香油ミサ(4月13日の聖木曜日・東京カテドラルにて)、司祭・助祭候補者認定の恵みに与ることが決まりました。これで、「 神学生見習い 」から、「 神学生 」になります。とても大きなステップです。西千葉教会のみなさんからのお祈りに支えられ、準備を進めて行きたいとおもっています。

