プチ・フォワイエ
ご復活おめでとうございます。
イエスはキリストである。このただ一言が福音の根本なのかもしれません。
イエスこそがまことの救い主キリストである。
イエスが十字架に死んで復活された。これは、わたしを父と子と聖霊の交わりのいのち、神を父と呼ぶイエスに結ばれ、父のもとから送られる聖霊に導かれる。
肉の体にありながらも、霊に生きる。この祝福のうちに与えられたいのちを本当に生きる。放蕩息子のように、父の無償の愛に立ち帰るためです。聖木曜日に、助祭司祭候補者認定を戴きました。簡単に言うと、「正式な神学生としてカトリック教会が認める」ということです。認定式の中で、2つの事柄が司教様から問われます。
聖なる叙階を受けて、教会において奉仕の務めを果たすにふさわしい者となるよう準備することを望みますか?主キリストとそのからだである教会に忠実に仕えることが出来るよう、自分の心を整えていくことを望みますか?認定を受けるとは、この2つの望みを「わたしが」決意し、「教会が」この決意を受け入れる。ということに他なりません。
この応答をするにあたり、正直な話、いよいよ大事だな、本当に大丈夫なのか?緊張し、肩に力が入っていました。ミサの第2朗読の奉仕をさせていただきましたが、緊張で聞き苦しかったと思います。けれども、「望みます」と応答し、大司教様から祝福をしていただくうちに、肩の力が抜けていったのです。
「あなたがたのうちに神が始めてくださったことを、神ご自身が完成してくださいますように」この祝福の祈りが、まさに召命の姿であることが、魂に響きわたりました。
この召命は司祭職に限りません、すべての信じる者のうちに神が始めてくださったことを、自らが認めた。これが洗礼の本質です。
わたしのつたない歩みを見てください。まったく誇れません。けれども徐々に神は何かをはぐくんでくださっている。だから胸を張って生きていたい。みなさんも、神が初めてくださったことに胸を張って生きてください。

