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■ 片々集(ぺんぺんぐさ)
第48回 松原岩五郎の業績、初めて鳥取で披露

 我が国のルポルタージュの先覚者である松原岩五郎の業績が、出身の鳥取県で初めて公開された。10月17日から12月13日まで、鳥取市歴史博物館で開かれた『日清・日露戦争と鳥取』においてである。
 同展は若き学芸員が、独自の視点で全国、地元の史資料を収集し、展覧させた有意義な試みであった。
 この一文は、そのときに寄せたものである。


 明治27年におきた日清戦争は、近代日本における初めての対外戦争だった。新聞社はこぞって従軍記者を派遣、速報をしのぎあった。戦争の是非を問うのがメディアの役割だが、販売部数を伸ばして経営規模を成長させて「マスメディア」とするのも、戦争である。それだけに「いかに読ませて売るか」社運をかける。
 明治23年に徳富蘇峰が既存の政治党派とは一定の距離をおく「独立」新聞として創刊した『国民新聞』は、この戦争に30人もの記者を送りこんだ。
 読者の血をわかせたのが、国木田独歩の『愛弟通信』である。日本軍の快進撃に「愛弟、愛弟!」とルポの冒頭から連呼。「全編愛国の熱情・憂国の憤慨に満ち」(佐々木基一)て「戦争場裡を冷静に報じたルポというよりは、アジテーションの先行したルポであったことは歪めない。客観を報じる冷静なルポルタージュではない」(立花雄一)と定評される。至言である。
 それとは対局をなす戦争報道をしたのが、松原岩五郎であった。地味ともいえる筆鋒で綴った『征塵余禄』(以下、余禄)が、それである。独歩も岩五郎もともに『国民新聞』の派遣従軍記者だった。独歩は海軍、かたや岩五郎は陸軍に従軍した。
 『余禄』は前後2編からなる。前編は、戦地におもむく途中に立ち寄った釜山から大邱を経て仁川までの朝鮮半島単独旅行記である。スタンレーのアフリカ探検記を念頭に置きながら、地理・民俗から民衆の暮らしまで観察、記録している。
 後半が鴨緑江を渡って、最前線の海城にたどりつき、そこにろう城する。海城は大連と瀋陽の中間で、まわりの町はすべて清国軍の拠点であった。敵は冬将軍と清国軍。悲壮感も愛国的偏狭さもなく、戦場の実態をさめた眼でみつめている。兵士と一緒に前線に立って砲弾がふりそそぐなかで見たありさまが収録されている。独歩のルポと比べると、きわめて平板であるが「出色の日清戦争従軍記録といってよい」(山田博光)と評価される。
 さらに「松原の紀行文がベストセラーになったのは、それが日本人の自意識を満足させる内容だったから、ともいえよう。そこには客観性を装った記事への政治性の混入という、新聞というメディアのもつ問題点がすでに露見している」(佐谷眞木人)からだ。
 岩五郎はわが国の探訪記者の先覚者だが、鳥取県生まれであることは忘れられていた。没後53年たった昭和63年、岩波文庫から出された『最暗黒の東京』でようやく広まる。
 追加 その後、広島城天守閣で開かれている『日清戦争と広島城』展も見てきた。
 同戦争のとき、大本営が広島に移された経緯や、メディアと戦争のかかわりなどが紹介されていた。
 


                

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中山 昇治
(なかやま しょうじ)
 編集工房炬火(たいまつ)舎主宰。★情報雑誌、自治体誌の取材編集と併行し、むのたけじ、松原岩五郎、則武三雄、本多秋五を研究。★「労働経済」と「手仕事」をリンクさせたテーマが、主な活動である。「日本キャリアデザイン学会」会員。


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