part5
小さな手水鉢の周りに、今日もわらわらといろんなものが集まってきました。
太い水口、細い水口、石燈篭、手のひら広げたような葉っぱの植物。井戸端会議ならぬ手水鉢端会議の始まりです。
いったいそんなに楽しげに何を話しているのかなと思いもしますが、そこは井戸端会議、いや手水鉢端会議だもの。たわいもないおしゃべりを止め処なく繰り広げているのに違いありません。
毎日毎日、いったい何をそんなに話すことあるんでしょうね。
【奈良:吉水神社にて】
シンプルながらも、重厚な存在感が目を引く名作です。
なによりも素晴らしいのは、てこでも動きそうにないどっしりとした佇まいです。大変美しい安定感だと思います。動かざること山の如しです。
その昔、不世出の横綱と言われた双葉山は、69連勝の大記録が破れたときに「われ未だ木鶏たりえず」という言葉を残しましたが、彼が言いたかった木鶏というのはおそらくこの手水鉢のようなことだったと思うのです。心を無にして微動だにせず、静かに瞑想の中に浸るような名手水鉢です。
【京都:正法寺にて】
冴えない手水鉢だなぁと思われるかもしれませんが、実はこれ、足利八代将軍義政が愛用したという大変由緒あるものです。富士形手水鉢というシャレた名前までつけてもらっています。
けれども、普段は地味ななりをして、いかにもなんでもない手水鉢のフリをしています。たぶん、周囲から持ち上げられるのが嫌いなんでしょう。その由緒を決して鼻にかけない、出来た性格なんですよ。
どうやら格のある手水鉢ともなると、その生き様までカッコいいということのようです。
【京都:金閣寺にて】
水口や水穴、柄杓は普通の大きさなのに、図体だけが不自然にでかくないですか。見るからにアンバランスな手水鉢です。
もう、間違いなく食べ過ぎです。もともとはスマートな好青年だったに違いないのです。運動不足なのか、あるいは油モノ摂り過ぎなのか、恐ろしい結果になってしまいました。
さっそく、今日からダイエットを始めよう!
【奈良:大安寺にて】
その昔“グラスの底に顔があってもいいじゃないか”と言った人がいましたが、“手水鉢が陶器で出来ていたっていいじゃないか!”と登場したのが今回の手水鉢です。
シンプルで素っ気なくて、一見とっても地味。だけど凝った装飾がない分すっきりとして見飽きない。
つまり、この手水鉢はゴテゴテと化粧を施さないスッピン美人なのです。
そこには素焼きの素朴な味わいが、うまく活かされているような気がします。
庭の端っこに地味に置かれた小さな手水鉢ですが、妙に印象に残る名作だと思います。
【京都:本法寺にて】