訪問日:2005/03/19
「ほんの少し前までは荒れ寺だったみたいですけどね」
浄土寺に向かうタクシーの中で、運転手さんが教えてくれました。アクセスの悪さも手伝ってか、今でも訪れる人は数多くないそうです。
車を降りると、まず僕の目に飛び込んできたのが、抜けるような青空。境内もきれいに整備されていて、荒れ寺の面影はもうどこにも残っていません。
もう、この爽やかな境内を見ているだけで、僕はとっても幸せでした。見上げた空も青空ならば、心の中にも雲ひとつない青空が広がっているような気がしました。
浄土堂は、このお寺のメインスポットとなる国宝のお堂です。
それは、見るからに清々しい建物でした。
ことに印象的だったのが、日光を浴びてきらきらと光る屋根。僕は、建築の生命をそこに感じました。
明るい赤で彩られた柱も、青空に映えてとっても鮮やかでした。お堂全体でにこにこと笑っているような、そんな印象なのです。
そんな浄土堂を見て、「青空が産み落としたお堂だ」と思いました。陰のない、天真爛漫なお堂です。
浄土堂の中には、ビックリするくらい大きな仏像が三体、並んで立っていました。国宝の阿弥陀三尊立像です。だけど、堂内はそれだけ。他には何もありません。
しかし、このお堂は凄かったのです。背面の窓から日光が差し込むようになっていて、その光が床にうまく反射して仏像の背後からこちらを照らすようになっています。これが、いわゆる後光のような効果を生み出しているのです。
この光景は、実に感動的でした。最近、“見とれる”ということがすっかりなくなってしまった僕でしたが、この時は間違いなくこの光景に見とれていました。そうか、“尊さ”ってこういう時に生まれる感情なんだな、と思いました。
帰りのことです。
バスがなかなか来そうになかったので電話してタクシーに来てもらいました。行きと同じ運転手さんでした。
「よかったですよ、浄土寺」
気分の乗っていた僕は、運転手さんに浄土寺がいかに素晴らしかったかをとくと話しました。人と話すのが苦手な僕にしては珍しいことです。
すると運転手さんも嬉しそうに、
「それだったら、加古川の鶴林寺も行ってみるといいですよ」
としきり薦めてくださいました。
実は鶴林寺へは午前中にもう行ってきたのですが、あえて僕は黙っていました。おかげで、運転手さんの語る楽しい鶴林寺のお話は、僕の降りる駅まで延々と続いたのでした。