訪問日:2006/03/19
歩くことに関しては天才的なセンスを持っていた父とは違い、歩くことがまるで嫌いな僕。体が弱いせいもあるのですが、少し歩いただけですぐにへばって座り込んでしまいます。だから普段の寺社巡りでは、なるべく門前までバスで行くのが常になっています。
けれども、この日は違いました。どこまでも気持ちよく歩いていけました。美しい田園風景、のどかな集落。てくてく、てくてく。時折追い抜いていく車の音さえも爽快です。
JR棚倉駅から神童寺。結構な距離はあったと思うのですが、お寺に着いてもなお、“もっと歩きたい!”と思うほどでした。歩くことが好きになってきているのかな。そう思うと、なんだか嬉しくなってきました。
本堂の中では、大きなご本尊・蔵王権現さまが口をくわっと開けて、右手を大きく振りかざし、どっしりと構えて立っていらっしゃいました。薄暗い堂内にぼんやりと浮かび上がるその姿には、引き擦り込まれるような妖しい魅力が感じられました。
彩色がきれいに残っているのですが、仏像の色というのは不思議ですね。明るい堂内で見れば鮮やかさに心ときめくものかも知れませんが、薄暗い空間で見るとその色が“薄気味悪さ”といってもいい位の不気味な迫力を生み出しているのです。色彩の魔の存在を思わざるを得ませんでした。
“見る”というよりも“感じ取る”仏さまです。時折、こういう不思議な仏さまに出会うことがあります。
小さな宝物館の中には、たくさんの仏さまが並んでいました。なんでも昔は塔頭寺院もたくさんあり、もっと広い寺域を誇っていたそうです。様々なところから集められた仏さまたちなので、大きさもばらばらなら作られた時代もばらばら。まるで、統一感がありません。
このばらばらの仏さまたちの姿に、神童寺の歴史の曲折を思い、物悲しい気持ちになってきました。こんなちょっとした出来事が、小寺の寂びた味わいを深めてくれます。
お寺の方はつっかえつっかえながらも、とっても丁寧に説明をしてくださいました。不器用な説明が、かえってこんな山中の素朴な小寺には似つかわしく、そこはかとなく嬉しくなってきます。
帰り道も、てくてく、てくてく。気持ちのいいさんぽ。いいお寺にめぐり会い、いい町を歩く。こんな素晴らしい一日はありません。