訪問日:2004/08/06
宇治の町は、いつものどか。お寺や神社を訪れなくても、街中をのんびりと歩いているだけで、気持ちの良い一日が過ごせそうです。
僕はいつも京阪の宇治駅から平等院に行くのですが、毎回宇治橋で立ち止まって宇治川をしばらく眺めることにしています。その絶景に、山でもないのに「やっほー」と叫びたくなってきます。
宇治川は汚い川だと言われているけれども、僕にとっては向こうに見える愛宕山のなだらか曲線と相まって、優しくも美しい景色を見せてくれるなんとも愛すべき川なのです。
鳳凰堂のデザイナーはいったい誰だろう? それが誰にせよ、相当アバンギャルドな感性の持ち主だと思います。建物って普通上に上に伸びていくもののような気がするんだけど、鳳凰堂は横へ横へと伸びていきます。しかも、その長大な建物を下で支える柱の細さといったら!
この建物は、もうはなっからデザイン重視なんだと思います。なんせ鳳凰堂は地上に出現した極楽浄土なのだから、地上の誰もが思いもつかないようなデザインを考えなきゃ!
その結果、できあがった建物は大胆で優雅で他の誰もマネ出来ないようなone and onlyの世界。なるほど、これは極楽浄土以外の何物でもないですね。
子供の頃、父に連れられて平等院を訪れた際に、雲中供養菩薩の絵葉書セットを買ってもらったことがあります。
今もその絵葉書セットは家に置いてあるのですが、これを見ると当時穴が開くほど熱心にこの絵葉書を眺めていたのを思い出します。当時もう一つ熱心だったのが、奈良・新薬師寺の十二神将の絵葉書セット。僕は仏像を見ることの楽しさを、この二つの絵葉書セットに教わったような気がします。
子供の僕が雲中供養菩薩に夢中になったのは、その生き生きとした動きに魅せられたからです。空を舞ったり踊ったり楽器を演奏したり、全52体のどれもが全身をめいいっぱい使って、極楽浄土の楽しさを謳っています。
今改めて見ても、その素晴らしさは不変です。心の底から幸せそうなその表情を見ていると、雲中供養菩薩は人を幸せな気持ちにするために生まれてきた“幸せの使徒”であることがよくわかるのです。
鳳翔館ミュージアムの登場は、僕の平等院に対する見方を一変してしまいました。
鳳凰や鐘楼、雲中供養菩薩など平等院に伝わる寺宝の数々を考えられる最も美しい形で展示した奇跡的な博物館です。初めてこの博物館を訪れた時、寺宝そのものよりも見せ方に感動したくらいです。
なぜ鳳翔館ミュージアムの見せ方が素晴らしいかと言うと、歴史的な遺産を極めて近代的なアプローチ(雲中供養菩薩などはその配置が一つの芸術作品になっている)で見せることによって、新たな輝きを与えることに成功しているからです。
展示室の中央で今まさに闘いを始めんとばかりに向かい合っている鳳凰だとか、モダンアート作品のような洗練された配置になっている雲中供養菩薩だとか、見せ方のセンスがとってもクール。言わば、鳳翔館ミュージアムの展示は、過去と現代のセンスががっちりスクラムを組んだ美術作品のようなのです。