祇王寺(京都市右京区)

訪問日:2006/09/10

幻想の緑の海

祇王寺と滝口寺。奥嵯峨の片隅に仲良く並ぶ二つの小寺は、共に近代になって作られた新しいお寺です。でも、どちらも古寺に負けない奥ゆかしさと、風格を携えています。この日は、この二寺を訪ねました。
祇王寺の門前に立つと、もう辺りは薄暗く、見上げると空を緑が覆い隠しています。そう、祇王寺と言えば、まずこの緑に閉ざされた空間なんですよね。
境内の中は、まるで緑のカーテンで仕切られた室内のよう。上を見ても下を見ても、緑、緑の緑尽くし。緑の海に浸る幻想の世界なのです。

思索的な緑

庭園は濃い緑の苔に覆われていて、そこからにょきにょきと何本か背の高い木が伸びています。
まるで深海だな、と思います。じっと見つめていると、緑の中に吸い込まれていきそうになります。さながら“思索的な緑”とでも言うのでしょうか、それは靄がかかったようにどんよりと重たく、深い水底に沈殿しているかのように見えます。
僕が境内にいる間、じっと同じところに座ってこの庭を眺めている外国人の方がいらっしゃいました。この緑の深海に何を見つめ続けていたのか、とても気になりました。

祇王寺という美しい名前

“祇王寺”という名前は、嵯峨野にあるお寺の中でもとびっきりの美しさを持っていると思います。格式が感じられる上に優雅で、意味はよくわからないけどとても魅力的な寺名だと思う人は多いはず。僕は、この寺名に心惹かれてお寺を訪ねる人も多いのではないかと思っています。
実はこの“祇王”というのは人の名前で、このお寺はもともと彼女にまつわる悲しいお話をベースに建てられたお寺です。本堂に入ると、真ん中に大日如来を配して、左右にこの悲話の登場人物の木像がずらっと並んでいます。祇王、祇女、祇王の母、そして平清盛…
カーテンコールよろしく勢ぞろいしたこれらの像の哀しげな表情を眺めていると、このお寺全体に漂う沈み込むような雰囲気もむべなるかなという気持ちになってきます。

古寺以上の深みがある

よくよく考えてみれば、祇王寺のお堂って本堂しかないことに気がつきます。でも緑の隙間をぬってどこからでも見える本堂は趣があってことさら美しく、なるほど他には何もいらない、この本堂だけで充分だなと思わせるだけのものがあります。
思索的な緑の海底で、じっと物思いに耽るような本堂。その光景には、古寺でもなかなか出せないような深みがあるように思えます。いつも人で賑わっているような嵯峨野だからこそ余計に、その静かな深みは強さを増しているような気がするのかもしれません。

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