金地院<南禅寺塔頭>(京都市左京区)

訪問日:2005/05/15

南禅寺のはぐれ者

金地院は南禅寺のはぐれ者。広い広い南禅寺の境内のはじっこで、身を潜めるように佇む塔頭寺院です。
ほら、子供の頃みんなが遊んでいるのを遠くでぽつんと眺めている子とかいたじゃないですか。ちょうど、そんな感じ。
“孤高”と言えば聞こえがいいけれども、僕は金地院の孤独を思い、寂しい気持ちになります。
なにしろ一歩外へ出れば、そこはあの賑やかな南禅寺なのだから。

いつも以上に寂しげだった

中はいつも静かです。ここにいると、巨大観光寺院・南禅寺の一画だということを忘れてしまいそう。
特にこの日の金地院は、いつも以上に静かでした。境内をぐるりと一周する間、人に会うこともほとんどなければ、音という音もほとんど聞こえてきません。
なんだか、「できれば、そっとしておいてほしい」と言われているような気がしました。やはり僕はその静寂に、心地良さよりも、寂しさやもの悲しさを感じてしまうのです。

こつこつと石畳を打つ僕の靴音が、場違いに元気よく境内にリズムを刻んでいました。

地味な東照宮

東照宮というと、お馴染みの日光東照宮を初め全国津々浦々に散在していますが、どれも煌びやかで派手な装飾をまとっているイメージがあります。
けれども、金地院の東照宮はご覧の通り地味街道をまっしぐら。それは、まるで喪に服しているかのようです。
もっとも、元はもっと派手な装飾があって、時代と共に今の寂びた東照宮に変化していったのかもしれません。だとしたら、東照宮が金地院という閑寂の空間に馴染んでいく過程の中で、こうなっていったのはごく自然な流れだったのでしょう。
パッと見た限りでは、とても地味な建物です。けれども、よくよく見てみれば周囲の風景や雰囲気に見事にマッチしています。僕には、金地院の東照宮がとても誇らしげに建っているように見えます。

精一杯の笑顔

金地院といえば誰もが真っ先に思い出すのが、でっかい鶴亀の庭です。なにしろスケールが大きくて、石や植栽がダイナミックに配置された力強い庭です。
僕はいつも最後にこの鶴亀の庭を眺めます。この庭が、寂しげな金地院の精一杯の笑顔だと思うからです。
最後にこの“笑顔”を見ると、ホッとします。僕は安心して、そこからはいつものように読書の時間。静かな金地院は、僕の最高の図書館です。

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