訪問日:2006/03/12
山門をくぐると、そこから先は水を打ったような静けさの中。このお寺を訪ねるといつもそう。人の声や街の音はもちろんのこと、鳥の声や水の音、風の音といった自然の声さえもほとんど聞こえてきません。
どこかに盧山寺の音量を調節するつまみがあって、ボリュームをゼロにしたまんま忘れちゃってるんじゃないだろうか。そんなことを思いつつ境内を歩くと、ざくざくと砂利を踏みしめる音がちゃんと鳴ります。大丈夫、ボリュームはちゃんと合ってる。
となると、この静けさは、やはり極力静かにお寺を楽しんでもらおうという盧山寺の優しさなのでしょう。鳥も水も風も、口元に人差し指を当てて、“お互いおとなしくしてような”と注意を促しあっているのかもしれません。
鐘楼の縁に腰掛けて、のんびりと境内を見渡します。僕が動かなければ、動くものは何もありません。何もかもが休憩時間。静かな時が、緩やかに流れていきます。
いつものように、文庫本を取り出して読み始めます。ページをめくるたびに、そのささいな音が静寂を壊してしまうような気がして、なんだか申し訳ないような気持ちになってきます。ページをめくる音がこんなに目立つものだったなんて、このお寺に来ない限り気がつかなかったことでしょうね。
盧山寺には、源氏の庭と名づけられた清楚な雰囲気の庭があります。桔梗で名高い庭らしいのですが、僕はまだ花をつけているところを見たことがありません。
でもこの庭、とっても面白いんですよ。写真を見てください。敷地いっぱいの白砂の海の上を、アメーバみたいなぐにゃっとした苔島がたくさん浮かんでいます。指でちょんとつついてやったら、不規則に形を変えながら、つつつーと前に漂い流れていきそう。
愉快な想像がたくさん楽しめる、面白い庭です。なんだか、水に浮かべた油をそのまま写し取ったようにも見えるんですよ。
盧山寺でいただいた拝観の栞を手に取ると、表紙のど真ん中に大きく“紫式部邸宅遺跡”なんて書かれていたりします。逆に“盧山寺”の文字はどこにもないんですよ、盧山寺の栞だというのに!
栞によると、かの源氏物語もここで執筆されたものだそうです。きっと、この澄みきった静けさが紫式部のイマジネーションを高め、そして世界にも類を見ないあの名作が生み出されたということなのでしょう。
方丈に腰掛けて、じっと源氏の庭を眺めていると、静けさが遠い昔と現代を一つに結びつけてくれます。
紫式部と僕。時間を越えて、同じ場所で、ふたり。