訪問日:2004/08/29
子供の頃、父に連れられてよく奈良や京都のお寺をめぐり歩いたものですが、千本釈迦堂もそんな中の一つでした。
その時の記憶で強く残っているのが、本堂がとても怖かったことです。本堂の真ん中には、すべてを飲み込んでしまいそうな大きな口が開いています。もちろん、それは本堂の入り口なのですが、外から中をのぞき込んでも真っ暗闇で何も見えません。なるほど、今見てもブラックホールみたいでちょっと怖いかなぁと思います。
今でもその時の恐怖心を覚えているのだから、当時はよっぽど怖かったんだろうなぁと思います。
子供の頃はとても怖かった千本釈迦堂も、今では大好きなお寺。下町らしい気取りのなさが心地よい愛すべきお寺です。
そして、あの真っ黒な口をあけた本堂も今では大のお気に入りです。何がいいのかというと、ズバリ不恰好なところです。ただの四角い囲いにポンと屋根を乗せたような無造作感。全体的に平べったくて「ふにゃ〜」とした無力感。
この本堂のダメさ加減がなんだか大好きなのです。それなのに堂々と立っているところが、またいいなぁと思います。
不恰好は恥ずかしいことじゃない、堂々としていればいいんだ、と教えてくれているような気がします。
千本釈迦堂は仏像の宝庫です。霊宝館に入ると、ずらりと仏像が並んでいます。僕は他の仏像には失礼して、真っ先に聖観音像の前に立ちます。そして、腕に注目します。
この仏像の腕が描いているのは、世の中で最も美しい曲線です。付け根辺りの緩やかさから指先の研ぎ澄まされた緊張感へとスムーズに移行していく様は、“曲線物語”とでも名づけたいくらいの素晴らしさです。いつもこの曲線だけを持って帰って部屋に飾っておきたいと思います。
本堂を作ったのは長井高次という大工の棟梁ですが、建設中に柱の寸法を切り誤ってにっちもさっちもいかなくなります。大失敗をやらかしてしまったわけです。けれども、奥さんの助言でこのピンチを切り抜けます。それで、あの不恰好な本堂が無事に出来上がったわけです。
けど、奥さんは自分が助言したことが世間にばれたら夫が笑いものになると考えて自殺しちゃうんですね。この奥さんというのが、いわゆる“おかめさん”なんだけど、立派というよりもただただ切ないお話だなぁと思います。
僕はおかめさんよりも、その後の棟梁がどういう生き方をしたのかがとっても気になります。