訪問日:2005/03/26
静かなお寺だとは思っていたのですが、この日の真如堂はことのほか静寂に包まれていました。砂利道を歩くざくざくっという音が、静かな境内に心地よく響きます。あと、聞こえるのはどこかで鳴いている鳥の声。
だけど、それは寂しい静けさではなくて、心の隅々にまで染み渡るような気持ちのいい静けさ。
それでしばらくの間、僕はお堂にも入らず砂利道をざくざくっと踏みしめて遊んでいたのです。
真如堂って、きっと洛東のため息のような存在なんだと思います。
洛東というエリアは、清水を初めとして祇園、銀閣、岡崎、南禅寺…とどこへ行ってもいつも溢れんばかりの人で賑わっています。ところがそんな洛東にあって、何かに護られているかのように静謐の中に佇んでいるお寺が真如堂なのです。
洛東の雑踏に疲れたとき、ほっと一息、一休み。真如堂ってそんな場所だと思うのです。
だから、ここは洛東のため息。賑やかな観光エリアの一角にこういうお寺があるというのが、京都の奥深さだと思うんですよ。
たまたまこの日は“大涅槃図”というものが公開されていて、本堂に入ると縦6メートル、横4メートルという実にでっかい絵が掛かっていました。お寺の方が、丁寧な口調で解説してくださいました。
洛中の本法寺を訪れた時にも、同じように大きな涅槃図を見たのですが、涅槃図というものはいつ見ても楽しいものです。悲しい場面を描いているのに、とても楽しい。
さまざまな動物がお釈迦さまの最期の場面に駆けつけているところも楽しいし、お母さんの摩耶夫人が天から舞い降りたり、弟子たちが全身を投げ打ってさまざまなポーズで悲しみにくれているところも、またどこか楽しい。悲しいのに楽しい。
涅槃って、もしかするとお釈迦様が最後に打ち上げた大きなお祭なんじゃないかな。
真如堂のような隠れスポットで外国人の姿を見かけると、それだけでなんだか嬉しくなってきます。その方はサングラスをかけた女性で、大きなカメラで境内に咲く梅の花をしきりに撮影されていました。
その極めて日本的な美の光景が、彼女の目にどう映ったのかはわかりませんが、熱心に撮影する姿を見ていると、きっと琴線に触れるものがあったのだと思います。
こういう姿を見るにつけ、美って世界の共通語だと強く思うのです。