東寺<教王護国寺>(京都市南区)

訪問日:2005/02/27

すなわち、京都の奇跡だと思う

東寺はすごい。何度訪れても、そう思います。いつ訪れても新鮮な感動があり、訪れるたびにどんどんどんどん好きになっていきます。そうこうしているうちに、東寺は京都で最も頻繁に訪問したお寺になってしまいました。
初めてこのお寺を訪問した時のことをよく覚えています。それは、まだ寺社巡りなんて興味がなかった学生時代のお話。なにげなくふらっと立ち寄った東寺、これがすごかった。
目まぐるしく登場する仏像の群れや、巨大な金堂や五重塔。僕は、だらけた生活ですっかり忘れかけていた“心を揺り動かされる気持ち”を久しぶりに思い出したような気がしました。
それ以来、東寺とは殊更長いつきあいになったものです。

食堂の焼損仏

さて、以前から食堂(じきどう)に置かれている四体の焼損仏がとても気になっていました。これは、もとから食堂を守っていた四天王なのですが、昭和時代の火災で黒焦げに炭化してしまったものです。
それは例えば唐招提寺の有名なトルソのように、破損仏ならではの滅びの美しさのようなものはまるでなくて、ただひたすら見ていて悲しくなってくるほどのひどいものなのです。何もそこまでして、人に見せなくてもいいじゃないかと思うこともままあります。
きっとこの仏像たちには、こんな姿を晒してまでも伝えようとするものがあるのだと思います。僕はそれを読み取ろうと、いつも長い時間をかけて焼損仏たちを眺めています。

限りなく贅沢な世界

講堂には二十一体の仏像で繰り広げる立体曼荼羅の壮大な世界があり、金堂にはたった三体の仏像で圧倒的な迫力を生み出す強大な世界があります。どちらか一つだけでもお腹いっぱいなのに、この二つの世界を隣り合わせに持っている東寺、なんて贅沢なんだろう!
この日は金堂で長い時間を過ごしました。遠方からきたと思われる初老のご夫婦の奥さんが、金堂の大きさにとても驚いていましたよ。

最後は大師堂

いつも最後に訪れる場所が大師堂です。いつでも静か。有無を言わせず圧倒させる、いわゆる“東寺らしさ”はここにはありません。穏やかな時の流れる、優しい空間です。
春暖かい季節にこの大師堂を訪れたら、きっと極楽がこの世の中にあることをしみじみと実感することと思います。若い頃にはなん感慨もなかったこの建物が近頃一際大切に思えるのは、もしかすると僕も歳を取ったせいなのかもしれません。

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