喜光寺(奈良県奈良市)

訪問日:2006/02/05

懐かしい記憶がよみがえる

“ああ、そうそう。この光景だ間違いない”
脳みその奥の奥の、そのまた奥の方から、忘れていた記憶を脳細胞がえんやこらと引っ張り出してくれました。遠い昔、子供の僕を連れてこの門前に立った父。けれども、この門は閉まっていて、中には入れなかったのです。おそらく、それは夕刻の出来事で、もう閉門時間を過ぎていたのだろうと思います。
でも、よく覚えています。この門。ここから見える本堂。確かに、子供の僕は父と一緒にここに立っていました。
あれから父はこの門をくぐっただろうか。僕は、今日この門をくぐるよ。
もし父がその後このお寺に来ていなかったのなら、お父さん、今日は一緒にこのお寺を見て回ろう。

“試みのお堂”

本堂は東大寺の大仏殿を作る際に参考となった“試みのお堂”ということで有名なのですが、大仏殿のように威圧的なところはまるでありません。

“悪いね、大仏殿みたいに凄い建物だと思ったろ?”本堂は、申し訳なさそうに僕の心に語りかけます。
いや、この小さな境内の中、堂々と振舞う君の姿はとてもカッコいいよ。規模の差はあれ、大仏殿にも引けをとらないどっしりとした質感は“試みのお堂”の名に決して恥じることがない。立派だよ。

堂内には、とっても落ち着いた面持ちで阿弥陀さまが座っていらっしゃいました。光背から小さな化仏がいっぱい飛び出しているのが、なんだかやんちゃな感じで愉快でしたよ。

固定ファン、ここに集う

本堂の傍らにずらっと並んでいる石仏たち。総勢30体くらいでしょうか。僕には、毎日喜光寺にせっせと足を運ぶ、固定ファンの集いのように思えました。
毎日朝から晩まで境内の一画に陣取って“今日も本堂は見事ですなぁ”“のどかでいいわねぇ”なんてことを語り合ってる。そんな楽しいファンの集い。

たぶん、喜光寺のからっとした明るさが、僕にそんな空想をさせたのでしょうね。石仏だけでなく、お堂も草木も空も池も、みんながみんなのどかな時を一緒にエンジョイしている、そんなお寺です。

喜びの光のお寺

「名は体を表す」と言うけれど、まさに喜びの光に満ち溢れたお寺、それが喜光寺でした。きっとこの楽しさは、このお寺が長い歴史の間に積み重ねてきた大切な宝物なのでしょう。
大好きなお寺が、こうしてまた一つ増えていきます。父もここを訪れていたなら、きっとこのお寺のことが大好きだったでしょう。こんな陽気なお寺が大好きな人でしたからね。

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