久米寺(奈良県橿原市)

訪問日:2005/12/04

立派な山門が建っていた

久米寺を訪れるのは、もう三年ぶりくらいのことになるでしょうか。びっくりしましたね。以前には無かった立派な山門が建っていたんですよ。
立派といっても、境内に見合った小さな三門です。でも堂々として力強く、中の仁王さまも小さいながらもとても逞しいものでした。
随分いいものができたものです。これで、侘しいこのお寺も少し華やかになるだろうな、と思いました。

久米寺の侘しさ

今、久米寺のことを侘しいと表現しましたが、それはあくまでも“侘しい”であって、寂しさのようなものはまるでないんですね。
たぶん、その侘しさを言い換えるとすれば、それは“潔い諦め”だと思うのです。飾るところがなにもない、全てをあるがままに受け入れている。その諦観というか無常感が、このお寺の侘しさにつながっているように思えます。
僕がこの侘しさに寂しさを感じないのは、その潔い諦めにどこか清々しい想いを抱いているせいかも知れません。

人の温かさに感動する

久米寺の人は温かい。僕が、このお寺で一番大好きなところです。
前回訪れた時には、おじさんに本堂を案内していただきました。ご不自由そうな身体でしたが、一生懸命解説してくださったんですよ。僕はその姿にとても感動して、肝心の寺宝の記憶がほとんど残ってないくらいなのです。
今回案内してくださったのはおばさんの方でした。おばさんもやっぱり温かい笑顔で、たくさん並んだ仏さまを一つ一つ丁寧に説明してくださいました。
ご本尊は、でっかい薬師如来坐像。素朴な仏さまです。おじさんおばさんの温かい心をそのまま反映したような、とっても穏やかな表情をされています。

おじいちゃんみたいな多宝塔

さて、久米寺には大変有名な多宝塔があります。遠い昔に京都の仁和寺から移築されたものらしいのですが、どこから見てもあの豪華絢爛な仁和寺を思わせるようなところはありません。あたかも最初から久米寺の建物だったかのように、素朴で落ち着いた様子で建っています。おじいちゃんみたいな落ち着きっぷりなんですよ。
そう思ったら、なんだか久米寺というお寺全体がおじいちゃんみたいな気がしてきました。常に一歩引いたところで、穏やかな気持ちで静かに世の中を見つめている。世の理を全てわかっているご隠居って感じなんですよね。

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