訪問日:2005/05/22
昔から僕は、西大寺のことを“心のくずかご”と呼んでいました。
引きこもりで友人もいなかった学生時代、僕はほとんど毎日のように社会との軋轢に悩んで苦しんでいました。生きることが苦痛でどうしようもない、毎日が辛くて仕方がない、まあそんな暗い日々を過ごす若者だったわけです。そんな時、電車に乗ってふらりと訪れていたのが西大寺でした。
そして、いつも決まって愛染堂の縁に座って、目の前の鐘楼をぼんやりと眺めていました。そうやっていると、なんだか心の中に溜まった垢がきれいさっぱり流されていくような気がしたのです。心のもやもやは全部ここに置いていって、また明日からがんばっていこう。西大寺は、いつも僕を前向きな気持ちにさせてくれました。
だから、西大寺は心のくずかご。僕にとって、とても大切なお寺なのです。
どうしてそこまでの思い入れを西大寺に抱いていたのかといえば、それは庶民的な明るさの裏に、どこかノスタルジックな寂しさを湛えたこのお寺の雰囲気が、当時の僕の心境に見事にシンクロしていたからだと思います。そう、西大寺の美しさって、まさに切なさなんですよね。
だから、最も美しい西大寺を見ようと思えば、西日差す夕暮れ時に訪れるのが一番だと僕は思っているのです。
もちろん、この日も西大寺の門をくぐったのは夕方でした。おまけに雨もぽつぽつと降っていて境内も薄暗く、僕にとってこれ以上ないくらい切なさいっぱいのシチュエーションとなっていたのです。
西大寺で最もお気に入りの建物が愛染堂です。
先に書いたように、学生の頃にこのお堂の縁に座って時を過ごしていたということもあるのですが、中に入ると小さな愛染明王がいっぱいいらっしゃるところもとっても大好きなのです。
この日も、愛染堂の縁に座って鐘楼をぼんやりと眺めていました。昔ほど心が荒んでいるというわけではないのだけれども、それでもここに座っていると心の中がきれいに洗われるような気持ちになります。どうやら今でも西大寺に置いてくべき心のもやもやが、まだ僕の中にはあるようなのです。
やっぱり今でも西大寺は心のくずかごなんだなぁ、と思いました。
結局のところ、この先いつまで経っても、西大寺は僕にとって特別なお寺であり続けるんだろうなと思います。
初めに僕は引きこもりで友達がいなかったと書いたけれども、考えてみれば西大寺こそその時の唯一の友達だったかもしれないし、言葉はなかったけれども話し相手だったのかもしれません。
それは、僕が寺社巡りに興味を持つずっと前に巡りあった、不思議な縁なのです。