宝福寺(岡山県総社市)

訪問日:2006/08/31

自転車飛ばして吉備路の旅

JR総社駅からレンタルサイクルを使って、終わり行く夏を自転車でかっ飛ばしました。若干天候はよろしくなかったのですが、それが逆に涼しさとなって自転車は快適に走る走る。
半時間ほど走ったでしょうか、唐突に現れる急坂をえんやこらと上ってたどりついた宝福寺の山門。一目見て粛々とした禅の雰囲気を感じ取ることが出来ました。
岡山を代表する禅刹です。でも、規模の大きさを競い合うような京都の禅寺とは違って、境内は質素でひっそりとしています。
“人の存在をまるで意識しないお寺だなあ”。宝福寺について僕が一番強く思ったことです。

おじいちゃんの龍

山門をくぐると、真正面に見える建物が仏殿です。中に入ると、京都の禅寺同様、天井いっぱいに龍が描かれていました。
ぱっと見て、僕は“おじいちゃんの龍”と名づけました。威嚇と言うよりは飄々としていて、警戒していると言うよりは優しく見守っているという感じなのです。もう、ずっと平和で警護の必要なんて一度もなかったよ、と言わんばかりに。
僕には、なんだか公園で無心に遊ぶ孫を幸せそうに眺めるおじいちゃんのように思えたんですよ。だから“おじいちゃんの龍”。静かな境内を愛しむように見守り続けてきた、心優しい宝福寺の主です。

語らずとも美しい

庫裏も方丈も中には入れませんでしたが、とても立派な建物で外観だけで充分楽しめました。京都や奈良のお寺とはまた違った、大らかな雰囲気に包まれています。
シンプルで雄大。装飾もあまりなく、ただ思いのままにそこに建っているという感じです。僕がはじめに“人の存在を意識しない”と書いたのは、こういうことなのです。
別の言い方をすれば、“語りかけないお寺”ということにもなるかもしれません。だから、僕もお寺に何も語りかけない。こういうとき細部に目を凝らして何かを見つけようとしても、あまり意味がないような気がします。何も考えずにその大らかな世界観に気持ちよく浸っていればいいんだと思うんですよ。
お腹の中にいる赤ちゃんもお母さんから何も語りかけられないけど、すべてを大きな大きな愛で包まれている。ちょうど、そんな感じなのかもしれません。

三重塔も大人の佇まい

境内の一等高いところに、小ぶりの三重塔が建っていました。全身を明るい朱に彩られているにもかかわらず、妙に落ち着き払ったその佇まい。きっと、それもこのお寺の世界観の成せる業なのでしょうね。
この三重塔を熱心にスケッチしている小学生くらいの子供がいました。ちょうどこの日は夏休みの最終日で、もしかするとそれは宿題の追い込みだったのかもしれないなぁなんて思いました。

宝福寺は、僕にとって初めて訪ねた岡山のお寺です。あまりにも出来すぎの、素晴らしいスタートダッシュになりました。

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