「アイアン・ジャイアントとヤマト」(00.09.22)
日記では、映画「アイアン・ジャイアント」を、さんざんっぱら
ホメ倒しておきながらナンだが・・・
DVDが発売してずいぶん経つし、そろそろいいかな・・・と
思うのでちょいと書く。
この映画のラストで、アイアンジャイアントは主人公の少年を含
む町の住人を救うために、弾道ミサイルに体当たりを喰らわすの
だが、このシーンが非常に泣ける
涙腺を爆発させている自分を客観的に観ながら
「やっぱ俺も日本人だなあ、自爆に弱いな」とか思ったりした、
が・・・
しばらくしたら、その体当たりの正当性を検証しなければ気が済
まなくなった。
不幸なことに我々の世代は「さらば宇宙戦艦ヤ○ト」のトラウマ
を抱えているのである(笑)
弾薬も燃料も尽きたヤマトが、去っていく白色彗星帝国の超ド級
戦艦に向かってテレサと共に体当たりを敢行し、遙か彼方で一条
の光になり、そして画面には
「西暦2201年、ヤマトは永遠の旅に旅立っていった・・・」の
テロップと、静かに流れる沢田研二の歌うED。
大感涙である、なんと自己犠牲の精神の尊いことか、若いてんは
涙腺を爆発させていたのだが・・・
しばらくして、ふと疑問がわいた
「古代乗ってる必要ないじゃん・・・」(笑)
なぜ、体当たり直前に古代はコスモゼロで脱出しなかったんだろう?
この疑問がトラウマの始まりであった(笑)
さらに今なら、燃料も弾薬も尽きたヤマトなぞ、ただの鉄塊であり、
敵に与えるダメージは質量と速度による運動エネルギーしか無こと
も知っている。
しかも後から追っかけているわけだから、相対的な運動エネルギー
は僅かなモノだったはずなのだ。
さらに、40Kgはありそーな反物質のねーちゃんと共に突っ込ん
でいったが、40Kgの反物質との対消滅なんて、ちょっと考えた
だけでも恐ろしいエネルギーである、こんなすごいねーちゃんと一
緒にくっついてヤマトもぶつかったところで、ナンのタシにもなら
ない、テレサが一緒に突っ込んでくれると申し出た時点で、ヤマト
が体当たりする意味はなくなったのだ(観客を強引に泣かせる、とい
う理由以外には(笑))
計算してないのでナンとも言えないが、テレサだって丸ごと突っ
込んでいかなくても、髪の毛抜いてぶつけたってコト足りるんじゃ
ないか?...ムリか?
あ、でもおしっこひっかければ十分だ、きっと(笑)
しばらくして、この話をTV版に直した「宇宙戦艦ヤ○ト2」が
放映された。
なんとこのラストでは、体当たりをぶちかますのはテレサ一人に
なり、ヤマトのメインクルーのほとんどが生き残ってしまった(笑)
そして、クルーが生き残った「2」を元にして、続々と続編が作ら
れたのであった(笑)
情けなくなった、死んだキャラを生き返らせてまで、儲かったアニ
メの続編を作り続ける大人たちが、ではなく、主人公を体当たりさ
せるという安直な手段に乗せられて泣いてしまった自分が・・・だ(笑)
以来、体当たりモノを見る度に、
「体当たりの必然性」
「体当たりの効果」
を吟味せにゃ気が済まなくなったのである、そうすることでヤマトに
泣いてしまった自分から立ち直ろうとしてるのかもしれない(笑)
さて、アイアンジャイアントでの「体当たりの効果」だが、
これは効果があると納得できる。
なんたって相手はミサイルだし、鉄の塊のアイアンは十分な大きさを
持っている。
しかし、この映画でも「体当たりの必然性」は無いのだ(笑)
実はこのロボットは戦闘用で、自分の身に危険が迫ると、戦闘形態
に変形して、とんでもない攻撃力を発揮するという設定なのだ、
だから突っ込まずに、変形してミサイルを撃ち落とすことだってでき
たハズなのよね(笑)
それなのにただ突っ込んでいったのは、(お涙ちょーだいの演出以外の
理由では)この映画のテーマ「銃規制」によるものと思われる。
この映画ではいたるところで「銃=悪」が連呼される(「銃が悪い」
という意見には反対ではない、念のため)
戦闘用に変形したアイアンは「銃」の比喩だから、変形してミサ
イルを撃ち落とすことはテーマに反するのだろう。
これも制作サイドの思惑による体当たりだ、ヤマトと一緒だ。
もう一つ納得できないのが、劇中で使われる「スーパーマン」につい
てである(あの有名なヒーローね)
この映画では、銃を悪とする一方、それに対を成すモノとして、
正義=スーパーマンの図式が使われている。
アイアンが登場してすぐに、少年が「スーパーマン」のマンガを見せ
る場面がある。
地球に来てすぐロクに英単語も知らないアイアンが、スーパーマンの
マンガを読めたかどうかは疑問だが、とにかく気に入ったらしい。
アイアンは体当たり間際、少年がアイアンに向かって「君は銃になる
な、自分がなりたいものになれるんだ」と諭した言葉を思いだし
恍惚の表情で「スーパーマン」と言って、宇宙に散っていった。
なぜ、銃の対がスーパーマンなんだ?
銃が殺傷能力を持つ道具なら、スーパーマンだってとんでもない力を
持つヒーローじゃないか、両者の決定的な違いは、その力が正義のた
めに使われるかどうかである。
制作サイドが殺傷能力を持つものを否定するなら、スーパーマンを対
にしたのは納得できないし、逆に「スーパーマンの様に力は正しく使
え」という意味なら、ミサイルを撃ち落とす為にアイアンは戦闘形態
に変形しても良かったハズである。
なぜ体当たりを敢行したのか、理解に苦しむ。
ただ一つ理解できるのは、
「あそこでミサイルを撃ち落とすより、体当たりで自爆した方が、観
客の涙腺に訴えかけることができる」
ぐらいだろうか(笑)
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