| バレンタインの憂鬱 3 〜MとCの幸福〜 そわそわそわそわ。 私室としてあてがわれている狭い部屋の中、マイクロトフは檻に囚われた獣のようにうろうろと歩き回っていた。 腕にはニナから譲り受けた箱が抱えられている。 どうやってこれを渡そう? どんな言葉で想いを告げよう? 果たして本当にカミューは喜んでくれるだろうか? カミューが戻ってくるのを心待ちにしながら、その時を頭に思い描けば気恥ずかしくもあった。マイクロトフは何とも落ち着かない気分で、埒もない考えをぐるぐると巡らせていた。 まるで初恋を告げようとする初心な少年のようだ。いや、まさに今のマイクロトフの状態は、カミューに友情以上の想いを打ち明けた時によく似ていた。 ドガッ! その時、けたたましい音をたてて扉が開いた。 「わ!カミュー!?」 「何だマイクロトフ、いたのか」 待ち人のあまりに唐突な登場だった。 マイクロトフは心の準備が間に合わずおたおたした。 カミューは構わずすたすたと中へ入ってきた。 一息遅れてカミューの行動に気づいたマイクロトフは目を剥く。 「いたのかじゃない。無作法だろう」 清雅な美貌に相応しい洗練された立居振舞いで知られる赤騎士団長が、こともあろうに無骨な軍靴をはいた足で扉を蹴り開けたのである。 「仕方ないだろう。両腕がふさがってるんだから」 涼しい顔でそう切り返したカミューの両腕は、確かに色とりどりの包みや小箱でいっぱいだった。 マイクロトフの表情が曇った。毎年恒例、マイクロトフのバレンタインの憂鬱のもう一つの原因が、そこにあった。 マイクロトフは贈られるチョコレートを全て断るが、カミューはそうではない。 むろん、それはカミューが不実である証ではない。カミューとて真剣な愛の告白に対しては、穏やかに、しかし毅然と断りを入れる。その上で、受け取ってもらうだけで満足だというわきまえた者や、深い意味はない親愛や憧憬を向けてくれる者からは感謝して受け取る。カミューにしてみれば、それがマイクロトフに対しても女性に対しても誠実な態度なのだ。 考え方の相違である。マイクロトフとカミュー、どちらが正しいわけでも間違っているわけでもない。 マイクロトフとてその点は承知していたから、カミューに己と同じ行動を求めようとはしなかった。それでも、毎年カミューに贈られるたくさんのチョコレートを目にする度に、もやもやとした鬱屈が溜まった。チョコレートの数だけ存在するカミューの人並みの幸福の可能性を、他ならぬお前が握り潰しているのだと糾弾されているような気がした。 いや、それは綺麗ごとだ。そうマイクロトフの心中囁く声は、天使の断罪か悪魔の嘲笑か。 繋いだ手を離す気もないくせに、他の誰かの元にあるカミューの幸福云々を論じるなどとは片腹痛い。所詮その気持ちは醜い妬心に過ぎないのだ。 マイクロトフは湧き上がる自己嫌悪を抱えたまま、力なくカミューに苦言を呈する。 「一度荷物を下ろせばすむだろう」 「煩いことを言うなよ。お前しか見てないんだからいいじゃないか。そんなことより…」 カミューは荷物の山を下ろすと、笑顔でマイクロトフに向き直った。 しかし、その琥珀の瞳だけは冷たく凍てついて、マイクロトフを鋭くねめつけた。 隠したつもりの嫉妬を見抜かれたのか、それとも、罪悪感が見せる幻影に過ぎないのか。咄嗟に測りかねたマイクロトフは眉間に皺を寄せた。 カミューは優しいながらも何処かに刺を潜めた声で問いかける。 「マイクロトフ、それは何だい?」 指摘されて、マイクロトフはようやく手にした贈り物の存在を思い出した。 カミューの態度に感じた違和感にも、ようやく得心がいった。大きさといい包装といいどう見ても本命仕様の贈り物を、例年何一つ受け取らないマイクロトフが手にしているのだ。カミューの目に、それはどれほど意味深に映っていることか。 慌ててそれを傍らの卓に置くと、身の潔白の証明にかかる。 「違うぞ!女性からもらったわけではない!これは、俺がお前に贈ろうと思って!」 「これはチョコレートだろう?それを?お前が?私に?」 「そうだ」 カミューは口にした物が思いもかけず酸っぱかったとでもいうような、何とも言いがたい嫌悪の表情を浮かべた。 「マイクロトフ、確かに私は常々こういう関係にあるからといって私を女性扱いするなとは言っているけどね。何もお前に女性の役割を果たして欲しいわけではないよ」 「当たり前だ!」 「だって、これはチョコレートなんだろう?」 「だから、これはだな、ニナ殿が…」 「ニナ殿?やっぱり女性からもらったんじゃないか。それにしてもニナ殿とはね…まさか青ければ誰でもいいというわけでもあるまいに」 「違うんだ!頼むから少し黙って俺の話を聞いてくれ!」 マイクロトフは必死の形相で懇願した。 カミューもさすがに憐憫の情を覚えたか、疑わしげな表情は崩さなかったが、聞きの体勢に入ってくれた。 明らかにチョコレートとおぼしき箱を抱え、うきうきと足取り軽く部屋に戻るマイクロトフの姿が人々に目撃されていたこと。それがあっという間に噂となって城内を駆け巡ったこと。カミューがそれを耳にしたからこそ慌てて部屋へ戻ってきたこと。それらはマイクロトフの預り知らぬことであった。 マイクロトフから事情を聞かされたカミューは、深々と溜息を吐いた。 「お前ね、それはフリック殿に知られたら恨まれるんじゃないかい?お前が余計なことを言わなければ、うまくすればニナ殿はフリック殿を諦めたかもしれないのに」 「俺は別にそんなつもりで…」 「わかってるよ」 間近でふわりと微笑む美貌がマイクロトフを圧倒する。 「傷心のレディを放っておいていいわけがない。それでこそマイクロトフだ」 カミューはご褒美だとでも言うように、きゅっとマイクロトフを抱き締めた。 マイクロトフは歓喜して、押しつけられたしなやかな肢体を力いっぱいかき抱こうとした。 すか。 しかし、マイクロトフの腕は虚しく宙を泳いだ。 「じゃ、せっかくだから、早速ごちそうになろうかな。」 熱い抱擁からするりと身をかわしたつれない恋人の興味は、すっかり箱の中身に移っていた。 カミューはもはやマイクロトフを顧みることもなく、弾む足取りで箱の置かれた卓に歩み寄った。 マイクロトフは落胆しつつも、嬉々としてケーキを取り出して茶の仕度を始めるカミューの姿に心なごませていた。 やはり、少しお人好しが過ぎるかもしれなかった。 銀色のフォークに刺さった最初の一欠片が、優雅な仕草で口元に運ばれ、薄い唇に吸い込まれていくまでをじっと見届けた。 カミューの向かいの席に陣取ったマイクロトフは慎重に窺いを立てる。 「どうだ?」 「美味しい!」 「本当か!?」 「ああ。こんなに美味しいチョコレートケーキは初めてだよ。ありがとう、マイクロトフ」 思い描いた通りの輝くばかりの満面の笑顔が、恋人からの何よりの返礼だった。マイクロトフは今日一日の憂鬱が全て吹き飛んだ気がした。いつだって、カミューの笑顔はマイクロトフにとって何よりの活力源なのだ。 マイクロトフは上機嫌でカミューの淹れた紅茶を啜った。 カミューは軽く首を傾げた。 「マイクロトフ、お前はいいのかい?甘いものが苦手でも、これならば味わう価値があると思うけど」 「いや、俺のことは気にしなくていい。気に入ったのなら好きなだけ食べてくれ」 カミューの至福の表情だけでマイクロトフは満足だった。さすがに人目のあるレストランでは、カミューもここまであからさまな顔は見せない。マイクロトフ唯一人にだけ曝される満足げな顔は無防備で、何処かあどけなくて、マイクロトフの愛情をかきたててやまない。 「う〜ん、さすがに一人で完食は苦しいよ。」 カミューは苦笑して席を立った。 「カミュー?んんんんむ!?」 何、と尋ねる暇もなく、やわらかい感触がマイクロトフの唇を塞いだ。 歯列を割って入り込んできた舌と共に、甘くまったりとした味が口いっぱいに広がった。しかし、予想した吐き気や胸焼けは全く感じられなかった。最初の衝撃が去った後には、マイクロトフはむしろ積極的にチョコレートクリームを纏った舌を自らのそれで絡め取っていた。 クリームの感触が消えると、カミューはそっと身を引こうとした。 しかし、マイクロトフはそれを許さず、カミューを力任せに引き寄せた。 激しくなる一方の口づけは、クリームの助けなどなくとも蕩けるように甘かった。 息苦しさに耐え切れなくなるまで散々貪りあって、ようやく二人は身を離した。 「どうだい?」 「…美味い」 「そうだろうね。いらないと言ったわりにがっついていたからな」 カミューはくすくすと笑いながら席に戻ろうとした。 その腕を、マイクロトフは咄嗟に掴んで引き戻していた。 「マイクロトフ?」 「もう一口所望したい」 マイクロトフの真摯な要求に、カミューは目を瞠った。 しかし次の瞬間には大輪の花のごとく破顔した。 「いいとも。気に入ったのなら好きなだけ食べてくれ」 マイクロトフの憂鬱なバレンタインデイ。しかし、どうやら今年は幸福の内に幕を下ろすことになりそうだった。 end |