るんるんアヒルの
《むじーくてらぽいてぃん》な日々

音楽を通して出会う人たちの歌声、笑顔、涙…。出会いがあれば別れもある。そこに流れるやさしい時間。そんな出会いの日々の記念として…

このページは、IE4.0以上を推奨です。
Netscapeでは、上の文字がスクロールにならないバージョンがあります。

何故、ホスピスに?

1992年の春から夏にかけて、私は身近な友人・親戚を相次いで癌で失った。当時、少なくとも私の周囲では、インフォームドコンセントも、疼痛コントロールも不十分であり、自分の病気についての情報を知らずに苦しむ病人の姿を見、病気をひた隠しにして苦しみを抱え込んでいる家族の悲しみを見て、私は「何かおかしい」と思った。愛する家族と十分にお別れが出来ないことは、病人にとっても、遺される家族にとっても不幸だ。特に母親と十分な別れが出来なかったが為に心に大きな傷を残してしまった従妹の姿を見るにつけ、「もう、これ以上、私の周辺から、こんな悲しい別れ方をする人を出したくない」という思いを、私は強く抱いた。 当時の私は、まだ「ホスピス」について、「治る見込みのない癌患者が収容される施設」程度の認識しかなかった。だが、一人の友人が癌に冒され、余命の告知を受け、彼女が自分の意志でホスピスを選んだと知ったとき、ホスピスに対する私の認識は変わり始めた。結局、彼女はホスピス入院の直前に容態が急変し、あっという間に逝ってしまった。私は、彼女の葬儀ミサでオルガンを弾きながら、「あなたが私にしてくれたことはあまりに多いのに、まだ私は何も、あなたにできなかった…」と彼女に詫びた。この時の思いが、私の目をホスピスに向かわしめたとも言えるだろう。

彼女の死後、間もなく、私はオルガンの勉強のために渡独した。ドイツ滞在中は、自分の生活と勉強で精一杯だったが、帰国後、自分と音楽、生き方について、あらためて見つめ直したくなった。演奏家として仕事をするのも好きだ。けれど、もっと密接な人間同士のつながりの中で、音楽の喜びを分かち合う場があってもいいのではないかと思い始めた。また、時を同じくして、私は自分自身への癒しの問題についても考えていた。あるワークショップに参加し、これまで、いかに自分自身の身体と心を傷めつけてきたか、また心と身体がバラバラに機能してしまっているかということに気付いたのだ。「私って、なんて可哀相なの…」自分が不憫でならなかった。もっと自分の心と身体を思いやりたい。そのために、自分と音楽との関係も見直そう…。私にとって、音楽は確かに喜びではあったけれど、一方では、自分を縛り付けるものでもあったから、まずは音楽との自由な関係を再構築する必要を感じた。

「身体と心の健康、そして音楽の在り方についてじっくり取組んでみたい」と決心した私は、それからの数ヶ月間、医療・心理学関係の本を読み漁った。パソコン通信で様々な情報を集めもした。やがて辿り着いたテーマは、終末期医療、ホスピスだった。身近な人々との死別体験が私を後押ししたのは確かであり、私は「人間が、最後までその人らしく生きていくためには、どうすればいいのか?」という問いに取組みたいと考えていた。この流れの中で、『生と死を考える会』や『ライフプランニングセンター』の存在も知り、私は動き始めた。94年春のことである。上智大学の『死への準備教育〜ホスピスボランティア講座』や、宗教者と医療者との勉強会などに参加し、ネットワークを広げていった。小金井のホスピスの新病棟オープンに伴う見学会に行ったのも、その頃だった。そこで、ボランティアを募集していることを知り、登録申込をした。それが現在の私の仕事場であり、友人が入院を希望しつつ果たせなかったホスピスである。こうして私は、ボランティアとして、ホスピスで第一歩を踏み出した。この時点では、「音楽療法をやろう!」などとは、まだ思っていなかったのだが…。
                                     (桐朋学園大学音楽療法講座97年度修了レポートより加筆・修正して転載)

音楽は人の心を開いていく

ホスピスに行き始めて間もない頃のこと。病棟内の小さなチャペルに、ある70代の患者さん(女性)がベッドに寝たまま、オルガン(と言っても教会用の電子楽器だが)を聴きに来られた。私がリクエストされた曲を弾き始めると、その方は目を見開き、両手を蝶のようにひらひらさせ始めた。付き添いのご家族が「ああ、踊っているんだね」と涙ぐむ。「このところベッドから起き上がれずに、死んだように寝ているだけだったのに。姉は、踊りも歌も、音楽なら何でも大好きで…。こんなに楽しそうな姉を見るのは、本当に久しぶりなんです」とも話された。音楽が患者さんの心を開き、その明るい表情に、ご家族の辛い気持ちも慰められる…。そのことを、私は教えて戴いたように思う。

ホスピスのチャペルで、私が初めてオルガンコンサートをやったのは94年の10月頃。患者さんの反響は大きく、その翌日、若いドクターから「昨日はありがとうございました。皆さん、とても喜んで、元気がでてきました、なんて言っている方もありましたよ」と声をかけられた。ある患者さんは「私ね、バッハの小フーガの生演奏って初めて聴いたの。また聴かせてね!」と真夏の向日葵のような笑顔で喜んで下さった。いつもラウンジの片隅で気だるそうに過ごされている方だったが、その彼女から贈られた、素晴らしい笑顔! 私は、この喜びを忘れないだろう。それだけに、彼女が亡くなった時は、かなり辛かったが…。そして、これら「音楽は人の心を開いていく」ことを確信するに至った体験と、患者さんの笑顔が、私の活動の原動力になっている。 

「私を忘れないで!」

ある夏の終り頃、還暦を迎えたばかりの女性が入院してきた。彼女は、医療の現場で働いていたこともある、非常にパキパキした感じの方で、世話好き、お喋り好きという印象を持った。私にも、いろいろ曲をリクエストしては、曲にまつわる思い出話をされていた。入院当初は、まだご自分の足で歩けたこともあり、あまりにも他の患者さんやご家族に対しても、傍目から見て 「少々、お節介かな?」と思われる行動もあった。しかし、それは恐らく本人も自覚していただろうと思う。 「私みたいのがいたらさ、きっと、みんな、いつまでも、○○って変なのが入院してたことがあったな〜って、思い出すだろうねえ」と、私とコーヒーを飲んでいた時に、ふと漏らしたことがあった。「この方は、自分のことを覚えていて欲しいから、目立つ行動に出ているんだろうか?」と、私はふと思った。 そして、それを確信したのはお月見の会の晩のこと。彼女は「お月見だからさ、ベートーヴェンの月光を弾いてよ」と私に言う。そこで私は、月光の第一楽章を弾き始めると、しばらくじっと聴いていた彼女は、急に目にいっぱい涙を浮かべ、「アヒルさん、どうか、どうか、私のこと、忘れないで!!」と言って泣き崩れた。常々、彼女は「私は医療職にいた人間ですからね、死ぬことは別に怖くないの」とも言っていた。 彼女は自分の肉体が滅びることよりも、人々の記憶から、自分が消えてしまうことの方が怖かったのではないだろうか。自分の生きた証を人々の記憶の中に残しておきたい…、そんな思いから、様々な目立つ行動に出ていたのか…。それを思うと、私の胸もキュッと痛んだ。そうだよね。まだまだ生きていたいよね。でも、それが叶わないなら、せめて人々の記憶の中に生き続けていたい…と、思ったんですよね?
忘れるもんですか。ね?現にこうして、私はあなたのことをこうして書いているんだもの。それからしばらくして、ラウンジで彼女の姿を見掛けることはなくなった。病状が進み、歩行が困難になり、ベッドからも起きられなくなり、晩秋のある日、天に召された。
彼女は、よく、こうも言っていた。「演奏会前に、アヒルさんが緊張していたら、私が上から降りてきて、大丈夫よって、左の肩をたたいてあげるから…」。その時、私が何と返事したのかは覚えていないのだけれども、以来、私は演奏会の開演直前、ことにソロを弾くために緊張しているときなどは、舞台裏の上の方の空間に向かって、「ねえ、○○さん、そこにいるんでしょ。頼むわよ」と呟いて、おもむろに左の肩に 手をやってしまったりするのだ。彼女ばかりではない。これまで出会った患者さん一人一人が、私の後ろにニコニコと待機してくれているような気がするのだ。なんと力強い応援団。それを思うとき、不思議と力が湧いてくる。やがて、私自身がこの世での生活を終えて、天に召されて、再会するそのときまで、私を見守っていて下さるのではないか? そんなふうに思えるのである。

       
♪音楽療法士としてのプロフィール

東京純心女子短期大学オルガン科・同専攻科を経て、フェリス女学院大学音楽学部ディプロマコース(オルガン専攻)修了。 フェリス女学院大学音楽学部にて科目等履修生として音楽療法を学んだ後、桐朋学園大学音楽療法特別講座修了。 放送大学教養学部人間の探求専攻(全科履修生)に学ぶが、サボり癖がたたり、2度の除籍を経て\(^_^;)/、55単位修得後、退学。 学位授与機構の学位認定審査に合格し、芸術学(音楽)の学士号を手にする。

1994年秋より、東京・武蔵野地区のホスピスにボランティアとして参加。音楽を通じて、患者さんやご家族との交流が始まる。 またホスピス・チャペルにて、月例オルガンコンサートを開始。98年4月より、併設のホスピスケア研究所音楽療法担当研究員として、 個人向け音楽療法プログラム『音楽宅配便』を実践。 99年2月、全日本音楽療法連盟認定音楽療法士の資格認定を受け、現在に至る。日本音楽療法学会正会員。


学会等での発表:98年9月『ホスピスからの報告』(日本音楽心理学音楽療法懇話会第168回研究例会)
           98年11月『人生に寄り添う音楽を求めて』(日本死の臨床研究会年次大会・佐賀)
雑誌等への執筆:99年9月『ムジカノーヴァ』音楽療法特集
           00年7月『看護学生』リラクゼーション音楽について
      講演等:99年11月『心のリハビリ…癒しの音楽療法』(千葉東部ターミナルケア研究会例会)
           00年11月『介護支援専門員の心を癒す』ワークショップ(海匝ケアマネジメント研究会)
           01年6月13日(水) 『人生のバック・グラウンド・ミュージック 〜ホスピスで出会った愛しき人々〜』 (生と死を考える会)
           01年11月27日(水) 『人生に寄り添う音楽〜ホスピスの音楽風景』(医療と宗教を考える会)
        


HOME研究室のトップへ次へ
ご意見/ご感想はこちらまで…