るんるんアヒルの
オルガンこぼれ話

オルガン弾きの仕事をしていると、いろんな出会いがあり、さまざまな出来事に遭遇します。そんなこぼれ話を、ちょっと、おすそわけ…

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オケ仕事の密かな楽しみ?!
オーケストラの演奏会で、お客さんに背を向けて演奏しているのがオルガニスト。で、指揮者とオルガニストはどうやってコンタクトを とっているかというと、オルガン脇に設置された鏡またはモニターTVなのです。で、この鏡やモニターを通して見えるもの…、結構、面白いんですよ。これはオルガン弾きしか 知らない楽しみなのでしょうね…。(^_^)

(1)サントリーホール編
何年か前の話。「見やすいほうをどうぞ」という意味だったのか、この日は、鏡とモニターが並べて用意されていた。こういう場合、オルガン弾きは非常に奇妙な光景を見続けることになる。なぜなら、並んだ「二人」のマエストロの 動きは左右対称になるから。この日のマエストロは広上淳一氏。踊りのごとく指揮し、豊かな音楽を作り出していくお方だが、初めて見る左右対称のマエストロに、本番中ではあったが、思わず、不謹慎にも「うわ!面白〜い!」と、ついつい見入り、 あやうく自分の出を見失いそうになった…。(^_^;)

(2)東京芸術劇場編
これは最近の話。エルガー『神の国』で演奏したときのこと。この日は、演奏台の右側にモニター、左上に鏡が設置されていた。このように左右に設置されていると、ありがたい。弾く音域によっては、モニターが見にくい 場合もあり、鏡で指揮を見ることができるから。モニター画面は担当者により、指揮台に焦点を合わせてセットされる。この日のマエストロは大友直人氏。GPのとき、マエストロの頭がわずか画面から切れていた。 私は「ま、いいか」と思ったが、担当さんはちゃんと見ていた。GP休憩時間に「すみません、大友さんの頭が切れちゃってますね…」と修正してくれた。大友氏は長身なので、普段の設定だと画面からはみ出てしまうらしい…。「どうしますか? 上半身だけにします? それとも全身入ったほうがいいですか?」と尋ねられ、「う〜ん、指揮は全身でするものよね…」と思い、表情も見てとれて、且つ、全身が映るような大きさにお願いした。 曲の終わり…最後の音が天に立ち昇って消えていくのを見送るかのようなマエストロの眼差し、印象的だった…。 さて、モニターには、指揮台の後ろのお客さんも映る。「あ、あの人、ひょっこりひょうたん島の博士に似てる! あのご婦人、真剣にプログラム読んでる…」と、お客さんの観察をしてしまうことも…。 もちろん、演奏中は真剣に弾いてますよ。本当です。信じてね。特に『神の国』では気を抜けなかったんだから!

(3)NHKホール編
これも最近の話。歌番組の収録で、ホール右横にあるオルガン演奏台に設置されたのは、液晶TV。鏡もあったが、照明機材などの関係で、ほとんど役に立たない。歌手が主役だから、指揮者もオケも ステージ奥で見えないし…。この日のマエストロは、十束尚宏氏。モニター画面は、すでにマエストロの上半身アップに設定されていた。20型くらいの画面に十束氏のオンステージである。マエストロ…、モニターで見られてるって 意識はないのでしょうね。リハやGPの合間に、首や肩のストレッチ、腕のマッサージ、鼻をこすったり、頭を掻いたり…全部、アップで見えてたんですけど…。(笑) でもアップだからこそ、よくわかったマエストロの表情豊かな手の動き。本番中、 私が弾く曲は3曲しかなかったので(要するに暇だった)、マエストロ観察などしてみる。ふ〜ん…、振りの中に「語る言葉」が豊かにあるんだなあ。交響曲だったら、どんな曲作りをするのかな? 今度、聴きに行ってみようかな?…なんて思いながら、 見ていたのでありました。はい。(2002年3月25日記)

オルガン弾きは、オケから隔離されたところで弾くので、孤独でもありますが、それなりの楽しみ方もあるのでした…。♪
(註:ホールによっては、移動式演奏台(リモートコンソール)というステージ用のものもあり、曲によって、またステージの事情によって、正面のメイン演奏台か移動式にするか決められます。)
もしも、えらく美形の指揮者だったら、アップか全身か、判断に迷うでしょうね。アップに見とれて落ちたら洒落にならないものね…。(^_^;)


 
オルガニストの必需品
意外に思う方もいらっしゃることと思うのだが、オルガン弾きの必需品、それはポストイットである。
何故か。オルガンは、演奏する楽器によってストップ(音栓)が異なる。たとえ2日連続で同じプログラムで演奏会をしても、 会場が異なるなら、楽器も当然、異なる。そうすると、音の組合わせも違ってくるのだ。だから、楽器がかわるごとに、 一から音色のセッティングをしなければならないわけである。楽譜には、曲のどの箇所で、音色を変えるかということを記入 しなければならない。そこで登場するのがポストイットなのだ。ポストイットが登場するまでは、直接、鉛筆で楽譜に記入し、 色鉛筆でもって目立つように、その部分を丸く囲んだりしていたものだ。そして、消すときは、いちいち消しゴムで消していたが、 ポストイットがあれば、古いのを剥がして、新たに貼り付けて記入すれば良い。何種類にも色分けもできるし、便利な世の中になったものである。(2001年3月23日)

でもね〜、たいがいのポストイットって横長でしょ。楽譜に貼るには せいぜい2cmあればいいので、結局、余分な部分をちぎって使ってます。最近、テープ式に自由な長さに切れるものが登場して、より 便利になってきていますけどネ。


バッハを弾く気になれないオルガン弾きの話
私が今、一番、弾いていて楽しいと思えるのはイタリアのルネサンス〜バロックにかけての作品。ヴェネツィアのサンマルコ寺院を舞台に活躍したクラウディオ・メールロやアンドレア&ジョヴァンニ・ガブリエリ、ローマのサンピエトロ寺院で活躍したジロラモ・フレスコバルディ。反対に、申し訳ないけれども、あんまり弾く気が起こらないのが、こともあろうに、 バッハのコラール作品である。以前は「バッハのない生活なんて!」というくらい、惚れ込んでいたというのに。バッハがいかに素晴らしく、偉大であるか…それは勿論、よくわかっている。自分にとって、とても「大切な曲」と言えるものを挙げるとしたらやはりバッハだ。しかし。今は、お叱りを覚悟で言うが「面倒くさい」のだ。バッハの 曲を神学的に読み解いていくこと、それはワクワクするほど胸がときめく作業だった。なのに、今は「だから何なのよ?」などと、冷めた思いがふっと、過っていくのだ…。いったいぜんたい、どうしたことか?
「バッハは小川(Bach)ではなく大海(Meer)である」と言ったのはベートヴェンだった。さまざまな「流れ」が、脈々と、長い時間をかけて、バッハに辿り着いた。バッハは、まったく初めから一人の力で、あの偉業を成し遂げたわけでは、当然、ない。北ドイツから南ドイツからフランスからイタリアから…それぞれの「流れ」は、どれも 魅力的な音楽である。私は今、バッハに至る、これら流れの源流へと辿ってみたい。その思いがとても強いのである。私が求めているものは、バッハにだけ焦点を当てていても、見つからないのだ、多分。バッハ一人を研究するにしても、多くの学者や演奏家が一生をかけてやっているほどの 大変な作業である。「源流を辿ってみて、それからあらためてバッハを見つめ直す」というのが理想であるが、そんな悠長な時間はないかもしれない。じっくりとバッハに注ぐ流れを追いかけていたら、そして私のことだから、始めたらとことんやらないと気が済まない性質だから、バッハに辿り着かないうちに一生が終わってしまう ことだって、ありうるのだ。でも、それでもいいではないか。バッハの作品そのものを研究するのもバッハへの愛なら、バッハに至るまでの流れを溯っていこうとするのも、またバッハへの愛ゆえなのではないか?
 トッカータの創始者といわれるのは、ヴェネツィア楽派のメールロ。彼らヴェネツィア 楽派の音楽は、こんこんと湧き出でる泉の如くである。トッカータの誕生に立ち会っている…そんな感動的な思いを抱くのである。今しばらくは、その世界の中に身を置いていたい。(2001年3月13日)

今回は、過去の話ではなく、現在進行形のお話。


爆笑の渦に包まれたチャペル
あれはまだ私が卒業したての頃だったと思う。結婚式場に併設されたチャペルでの出来事である。
聖書朗読、説教、誓約…と順調に式は進行していき、いよいよ花婿が花嫁のベールを上げ、誓いのkissという感動的な場面にさしかかった。kissは決して強制ではないのだが、このカップルは リハーサルの段階では、照れながらも、kissをする段取りでいた。ところが。いざその瞬間。花婿が顔を近づけると、恥ずかしがった花嫁が「ぶははは!」と笑った。それにつられて、脇にいた媒酌人夫妻も吹き出した。 その次は、両家の両親が「あははは…」。そして、笑いの波は、瞬く間に会衆席全体に波及していき、ついにチャペルは大爆笑の坩堝と化してしまった。
哀れ、立場を失ったのは新郎である。一人呆然と立ち尽くしているではないか…。 結局、牧師が機転を利かせて、一応、笑いが収まったところで、もう一度、新郎を促し、めでたく敢行。牧師の「はい!皆様、盛大な拍手を〜!」との声に、チャペルは祝福の拍手に包まれた。(厳粛な結婚式では、本来は、ここでは拍手をしないのだが…) あれから、かれこれ10年以上になる。あのカップルは仲良く過ごしているだろうか? 

結婚式で緊張してるのって、まず花嫁の父。それから新郎ですね。かちんこちんに硬直して、手袋を握った指が動かない、なんてこともあります。かと思えば、感激のあまり新郎の方が泣き出してしまうこともあるんですよね。ときには…。 人様の幸福の瞬間に立ち会うことができるのも、オルガン弾きのひとつの喜びとも言えますね。


ギャラの半分がブラウスに…
ある年の10月はじめ。某オケの仕事でサントリーホールに楽屋入りした私は、たじろいだ。 女性控え室にズラっと黒いブラウスがかかっている。「おはようござま〜す。今日って、黒ブラウスでいいんでしたっけ?」と、顔見知りの 管楽器の女性に聞いた。「そうですよ〜。うちのオケは、10月からは黒って決まってますからね。」と答える彼女。「そうですよね、普通、どこもそうですね」 と答えたものの、内心、「やばい…」。そうなのだ。私は、衣更えの時期というものをすっかり忘れていたのだった。そのオケとは 前月も一緒に仕事をしたので、衣裳の色を確かめることもしなかった。バッグの中には白いブラウスしかない。幸い、今日の私の出番は後半だけである。GPを終えると即座に私は渋谷行きのバスに飛び乗った。目指すは東急百貨店。悠長に物色している暇などないから、 確実に黒ブラウスが入手できるところといえば、やはりデパートしかないのだ。売場に着くと店員さんに「すいません、何でもいいから黒のブラウス 下さい!」と声をかけた。2着ほど出してくれた中から選ぶ。「あ、これでいいです。支払いはカードでお願いします」この際、値段はどうでも良い。そして、包みを抱えてとんぼ返り。前半のプログラムは、もう始まっており、控え室には誰もいなかったので、 私は誰にも知られずに、黒ブラウスを包みから出し、着替えることができた。一件落着。だが…、本番が無事に終わって、ギャラの支払調書を見た私は愕然とした。 「ギャラの半分がブラウス代に消えてしまった…。」(T_T)この日、演奏したのはモーツァルトのレクイエム。私の気分も鎮魂気分であった…。

ささいな不注意が招いた悲劇。しかし、こんなのは私にとって、まだまだ序の口である。(←おいおい…)



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