観劇日記〜2008年10月〜
01日(水) 18:30 新国立劇場オペラ
「プッチーニ:トゥーランドット」(プレミエ)
新国立劇場 オペラパレス
02日(木) 19:00 JPエンターテイメント
「IL Musicale」
銀座ブロッサム
04日(日) 14:00 ソフィア国立歌劇場
「プッチーニ:トゥーランドット」
東京文化会館
05日(日) 15:00 「チェロ・グランド・コンサート」 サントリーホール
09日(木) 19:00 TBS/キョードー東京/梅田芸術劇場
「CHICAGO」
赤坂ACTシアター
10日(金) 18:30 キエフ・オペラ〜ウクライナ国立歌劇場〜
「プッチーニ:トゥーランドット」
オーチャードホール
12日(日) 18:00 宝塚歌劇団花組
「外伝 ベルサイユのばら-アラン編-」
「エンター・ザ・レビュー
市川市文化会館
13日(月・祝) 14:00 ブラス・エンジェルス2008
「ODYSSEY/オデッセイ」
春日部市民文化会館
15日(水) 18:30 ローザンヌ歌劇場
「ビゼー:カルメン」
東京文化会館
18日(土) 13:30 小栗原小学校合奏倶楽部/葛飾中学校管弦楽部
「第4回 置き傘コンサート」
小栗原小学校体育館
21日(火) 18:30 フジテレビ
「グリース」
青山劇場
23日(木) 18:30 宝塚歌劇団雪組
「ソロモンの指輪」
「マリポーサの花」
東京宝塚劇場
25日(土) 11:00 宝塚歌劇団花組
「銀ちゃんの恋」
日本青年館
31日(金) 19:00 新国立劇場オペラ
「ヴェルディ:リゴレット」
新国立劇場 オペラパレス


2008年10月01日(水)18:30-21:45
新国立劇場オペラ「プッチーニ:トゥーランドット」(プレミエ)@新国立劇場 オペラパレス

 B席 14700円 2階-R11列-3番 (パンフレット:1000円)

 演出:ヘニング・ブロックハウス
 指揮:アントネッロ・アッレマンディ
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 トゥーランドット:イレーネ・テオリン
 カラフ:ヴァルテル・フラッカーロ
 リュー:浜田理恵
 ティムール:妻屋秀和
 アルトゥム皇帝:五郎部俊朗
 ピン:萩原潤
 パン:経種廉彦
 ポン:小貫岩夫
 官使:青山貴
 クラウン:ジーン・メニング

 ここ10年、新国のスケジュールで季節を感じるようになりつつあります。今年も2008/2009シーズン・オープニングをもって「新しい年度が始まるんだなぁ」と、昼間の仕事の社長が聞いたら卒倒しそうなことを思いながら劇場入り。
 指揮者の登場と同時に場内が真っ暗になりやがて舞台に薄明かりが。自転車に乗ったアジアの民が登場するあたり「帝劇の“ミス・サイゴン”みたいだな」と一瞬思うのですが、いつまでたっても音楽が始まらないんです、オペラなのに。やがて、舞台が明るくなり、レオンカヴァッロ:道化師のようなセットが登場。街の広場で屋台が営業し、中央には幌馬車を改造したような移動ステージ。そして、わらわらと人が集まり、無言の芝居をするのですが、序曲などに合わせてのモノローグと違って、やたらと人がいるにもかかわらず静まり返った舞台って……とっても不気味。何とも恐ろしい無言劇が数分にわたって繰り広げられます。こりゃ、苦手な演出かも、困ったな、と後悔し始めたころ、ようやく音楽がinとなるのですが、その途端に舞台が生き生き。モノクロからカラーになったかのような鮮烈さです。このあたり、もしかしたら、抑制された中国の民の重苦しさを表現したのでしょうか。まさに演出家の思うツボです。やられました。
 いざスイッチが入ると、もうやりたい放題です。モノクロ舞台(!)では平服だったのに、舞台上で全員が民族衣装に衣装替え。そして、能面のようなマスクを着用。その中には、トゥーランドットやカラフ、リューたちの姿も。なるほど、今回は劇中劇というコンセプトのようです。
 ゴチャゴチャした雑踏、各自が勝手に行動するまとまりのなさ、なぜか導入される雑技もどき、強烈な原色の衣装など、乱暴にまとめてしまえば「チャイナ〜」な舞台です。個人的にはゼッフィレッリ版のような、超ゴージャスでレビュー・チックな演出が好きなのですが、あちらがインターナショナル版だとすれば、こちらはいかにもアジアン版。日本のプロダクションとあって、アジアの格好が似合うこと、似合うこと。そんな中、西洋人がゆえに、トゥーランドットとカラフは設定以上に目立ちます。でも、主役な二人なのであまり違和感なし。そして、ピン・パン・ポンの三人が大活躍。最近のオペラ歌手はかなり激しい動きも平気でこなすけれど、ことに、ピン:萩原潤の歌役者ぶりには脱帽です。ゴムまりのように舞台上を跳ねまわり、愛きょうを振りまき、オペラ界随一のエンターテイナーです(よって、彼のパパゲーノが大好き!)。
 さて、トゥーランドット:イレーネ・テオリンですが、山車に乗って登場です。金髪をライオンのタテガミのように逆立てて、美貌を活かしきった立ち姿は、ザ・クール・ビューティー。カラフが一目ぼれしちゃうのも納得の美しさです。それでいて期待通り、ドSな王女様ぶりを発揮し、ドスの効いた声で高飛車ぶりを見せつけるのですから「格好良いお姉さん」が大好きな僕としては、ヨダレジュルッ。決して下々のものとは同じ高さになど立たず、常に上段より見下ろす徹底ぶり。
 一方、カラフ:ヴァルテル・フラッカーロは王子様というよりも野獣な役作りで、トゥーランドットが「彼の妻になるのは嫌〜」と駄々をこねるのもある意味納得な武骨さ。プリンスとしてのきらめきはありません。が、歌い出せばそれだけで「主役」の輝き。ドラマティックな名旋律の数々を余裕をもって歌いこなしちゃうのですから大したものです。あまりの美声、ドラマティックな歌唱に、待ってましたの「ネッスンドルマ(イナバウアー)」の頃にはいちいちショーストップなんてしていられない、とすら思う状態。
 今回の演出、大道芸人たちがやたらとサーカスもどきを繰り返していて、かなり煩わしいのですが、重量級の歌とともにストップモーション。プッチーニの雄弁な音楽以外、何も要らないというのがわかっているんでしょうね。演出家エライ! じっくり、たっぷり、超ドラマティックな主役コンビの歌を堪能させていただきました。でも、やっぱり、その他の場面でも過多なアクロバットは要らないし、やたらとショーアップされた場面や、国籍不明なダンスの数々(カラフを誘惑する場面はフラダンス・ショー!)も、やり過ぎ感がありました。それでいて、芝居はあまり細かな注文はないし。新国で「プッチーニ:トゥーランドット」が上演されるのは二度目。前回のウーゴ・デ・アナ演出の宇宙空間みたいな幻想的なステージの評判が良かっただけに、プロダクションを作りかえる必要が感じられない出来だったが残念。ま、プレミエの観客は割と大人しいので、ブーは出ませんでしたが(次公演からはどうなるんでしょうか)
 さて、この作品の儲け役というとリュー:浜田理恵。とにかく小さい! トゥーランドットの前だと、ライオンに捕まった猫みたい。でも、おっかないライオンに負けずに、ジワジワとトゥーランドットににじり寄るのはアッパレ。トゥーランドットじゃなくても「どうしてそんなに強いの?」と。で、リューの気迫に押されたのか、見下しキャラのトゥーランドットが、リューと同じ高さまで階段を下りてくるんです。最後はリューがトゥーランドットのカンザシで自害するのですが、この高さを活かした演出、トゥーランドットの心理状態が良く表れていません? で、この時点で、出演者は民族衣装を脱ぎ捨て、平服に戻ってのフィナーレ。パンフによると、カラフとトゥーランドットはプッチーニと奥さまになるらしいのですが、言われてみれば、意味深な歌詞にも思えてくるのが不思議。ちなみに、カラフにキスされた後のトゥーランドットは、カラフよりも下の段を立ち位置とします(カラフに降参ってことでしょう)。
 幕切れの大合唱の場面では、それまで隈取りメイクで表情のわからなかったピン・パン・ポンがメイクを落として登場するのですが、やたらと嬉しそうに笑っているパン:経種廉彦、ポーカーフェイスを崩さないポン:小貫岩夫の横で、なぜか合唱パートを歌っちゃってるピン:萩原潤が印象的でした。そりゃ「ネッスンドルマ」のメロディ、歌いたくなりますよねぇ。蛇足ながら、トゥーランドット・パパは今にも死にそうな老人として五郎部俊朗が、カラフ・パパは過労で倒れるのが似合わない妻屋秀和が。たまたまなのか、狙ったのか。。。
 この作品、登場人物だけでなく、オーケストラも分厚く、音の洪水なんですが、東フィルが良い音を出していて、また、主要キャストの面々もコーラスも実に良く響かせていて、ただただ気持ち良い音空間でした。そして、久しぶりの新国のまろやかな響きに「あぁ、ホームグラウンドに帰ってきたな」と勝手に溜息。演出は…一度は良いけど、二度目は勘弁ってところでしょうか。


2008年10月02日(木)18:00-途中退場
JPエンターテイメント「IL Musicale」@銀座ブロッサム

 全席指定 8500円 2階-27列-27番 (パンフレット:無料)

 演出:ハマナカトオル

 出演:今井清隆/井料瑠美/光枝明彦/島田歌穂ほか

 こんなにも観客を無視した公演は初めてです。何しろ、銀座ブロッサム(元・中央会館)という交通の便の悪いホールにもかかわらず、平日18時開演。どんな客僧を狙っているのでしょう? スタッフはやたらとロビーにいるのに、満足に客案内もできず、二階席にいたっては、案内係もいない状態。誰のためのショーだったんでしょう。あまりのひどい公演に休憩時間を待ちかねてホールを後にしました(途中で出て行くには何人もまたがなくてはならなかったので。。。) と書くと、開演間もなくにして席を蹴ったとお思いでしょう? 実は、大きなブロックが終わったので、これで休憩かな、と思っても、次の場面がすぐ始まり、の繰り返しで、ようやく第一幕から解放されたのは開演してから1時間半以上たってから。一般的にショー作品の場合、50分程度の二幕に休憩をはさむのが標準サイズだと思いますが、観客の生理を無視して、延々とやりたいことをやられたって感じです。
 ……ということで、ハマナカトオル氏の演出にかなり首を傾げてきました。これといったストーリーもなく、拙い歌や踊りを延々と披露させるので、ショーに山や谷が出来ず、何とも平坦。ミュージカル・ナンバーは劇中で、必然性があって台詞が歌になったものばかりなので、一瞬にしてその曲の空気を醸し出せる人でない場合、いくら名曲と言われているナンバーであっても、舞台の空気をコントロールするのは至難の技。おまけに、アンサンブルの面々にもやたらと歌わせる場面を作るので、感動もへったくりもなく、何度も壁の時計を眺めてしまいました。ミュージカル・ファンにとっては「8500円も出してこんな“ミス・サイゴン”を聴かされるんだったら、帝劇に行くべきだった、となりますし、ミュージカルにご縁のない方にとっては、つぎはぎだらけのストーリーもあいまって「ミュージカルってこんなもん?」という、どちらにとっても不幸な仕上がり。ダンスシーンになると、舞台後方から客席に向けて照明を放つため、逆光の中でダンサーが見えなくなりましたし、歌に関しては、必要以上にバンドのボリュームをあげ、おまけにミキシングが全然音楽的でないので(演奏もひどかった!)、歌は見事にかき消され……観客はとにかく放り出されたまま。「歌手」ではないとはいえ、舞台から客席に向けての歌唱ができない面々も多く、歌詞聞き取れない、メロディー途切れる、発声安定しない(一つのフレーズの中でやたらと変えられると、音圧や響が違って、観客としてはとても聞きづらくなります)など、基礎的なものもあるのですが。。。
 でも、舞台上の役者は自分に酔っちゃってて、歌も台詞も、工夫している人は厭らしく、大根の人はそれなりに、自分の世界に入り込んでて、アンサンブルの中でのバランスだとか、ソロとして自分がどう歌い踊るべきかなどは一切無視。そこそこのスキルのある方は演出次第で映えたと思うんですけどね。これが素人だったら別に文句は言いませぬ。「頑張ってね」で終わる話ですが、8500円ものチケット代金を徴収するプロの公演としてはあまりに情けない舞台。出演者も「観客のために」という心を忘れていますわ。技術がなくても、観客を魅了するショーだってあるというのに、自己満足のためのショーは拷問としか思えません。「ファントム」の場面で、ダンサーたちがキャンドルを持って登場して来た時も「これはパロディとして笑ってほしいのか、それとも真剣に取り組んでるのかどちらでしょう」と頭を悩ませてしまいましたさ。
 名のあるスターを起用して動員をはかり、名前も知らなければ絶対スターになりそうもない子たちの芸を延々と見せられる身としては、逆にお金を頂戴した!!! かなり手を抜いているにも関わらず、今井清隆が映えまくり、そして、彼が登場しなかったらどうなってたんだろう?という舞台でした。島田歌穂の登場は後半とのことでしたが、ピンのスターが増えたところで、音響・照明・演出・アンサンブルが同じとあっては勘弁して!なのであります。後ろ髪を一本としてひかれることがなかったのが残念。
 今井清隆はプロダクションの顔として、舞台をただもう引っ張ってました。劇場空間のコントロール、歌を客席に「届ける」術については、さすがのキャリアです。特に持ち役に関しては、かなり手抜きも目立ちましたが、それでも抜群の存在感。若い子たちと並ぶと「オペラグラスなくても目立つお顔」なのですが、それでもオペラグラスでお顔を追ってしまう華がありました。井料瑠美は意外にもオーラが消えていて、一曲目のナンバーでは声質と楽曲が合わずに大コケ。両側に率いたのが素人さんなので何とか面目を保ったけれど、舞台での華のなさは、いかにも劇団○○出身の女優さん。
 スターの格で魅せたのが「アメリカン・ドリーム」の場面。「親父はハイファンで刺青師だった」→「親父は群馬で鳶職だった」に一階に結集していた今井ファンを中心に爆笑。そして光枝明彦の「アスパラガス」の場面。「演ろうか、グロール・タイガー」→「ジーザス・クライスト」にも光枝ファンを中心に大拍手。で、歌うのはジーザスでも、持ち役のピラトでもなく、ユダのナンバーでしたけど。出演作で遊ぶだけなのですが、これをいかに面白く観客に伝えられるかが、スターとしての腕のみせどころですね。今日のお二人はとても魅力的でした。ほとんど部外者のアンサンブルの面々との温度差は大きかったけれど。。。


2008年10月04日(土)14:00-16:30
ソフィア国立歌劇場「プッチーニ:トゥーランドット@東京文化会館

 F席 6000円 5階-R2列-30番 (パンフレット:1500円)

 演出:ブラーメン・カルターロフ
 指揮:エミール・タバコフ
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 トゥーランドット:マリアナ・ツヴェトコヴァ
 カラフ:カメン・チャネフ
 リュー:ツヴェテリーナ・ヴァシレヴァ
 ティムール:アンゲル・フリストフ
 アルトゥム皇帝:ミロスラフ・アンドレエフ
 ピン:アレクサンドル・クルーネフ
 パン:オルリン・ゴラノフ
 ポン:モムチル・カライヴァノフ
 絞首刑執行人:ストイル・ゲオルギエフグ

 東欧の歌劇場はアイデアだけではカバーしきれない貧乏臭さがあります。舞台装置は宝塚歌劇の青年館公演レベルのもの。ま、連日公演を続けるという強行軍ツアーには適した装置ですけど、実は今回のツアー、ものすごい強行軍なんです。東京公演の後、愛知→三重→東京の連日公演があって、その後はしばらく公演と移動日を組み合わせているのですが、終盤は香川→兵庫→東京(それもパルテノン多摩!)の連日公演。いくら簡略化した装置とはいえ、「ヨーロッパ一週間で五カ国観光ツアー」並のタイトな日程。公演に影響はでないものでしょうか? とりあえず、今日はツアー初日です。
 ちなみに、今日の東京は、14時から三つの「トゥーランドット」が一斉に開演。新宿で新国立劇場、八王子でキエフ・オペラ、そして上野でソフィア国立歌劇場。ミュージカルと違って、ハシゴは難しいので、数日おきの観比べ・聴き比べ中です。イタリア・オペラなんだけれど、イタリアの歌劇場の公演がないので、決め手に欠ける気もしますが、こうなったら、各国が想像した「ナンチャッテ中国」ぶりを楽しみましょうぞ。
 して、本日の「ブルガリア人が想像した中国」ですが、アジア各国の文化がごった煮になってて、突っ込みどころ満載。とはいえ「蝶々夫人」とは違って、アジアとはいえ、よその国のお話なので、イライラはなく、心の中で叫ぶだけでしたが。
 歩道橋のような装置と吊ものを組み合わせたものと、二つ巴のデザインの小さな回り舞台が基本装置。歩道橋をカバーするかのように吊られたネウネした舞台装置は、どうやら万里の長城を表しているらしいのですが、五階席からは、舞台セットを真上から見下ろすような感覚で、セットの裏側や陰階段やスタンバイの様子が見えてしまうので、チラシやパンフの写真程ゴージャスには見えません。そして、歩道橋の上に「なんで盆踊りのやぐらが?」と思っていたのですが、それを隠している装置が飛ぶと、どうやら紫禁城をあらわしているみたい。……とりあえず、このプロダクションは正面から見られることを前提に作られているので、五階からだと魅力半減。ま、料金も安いので仕方ないです。そして、登場人物はというと、なぜかみんなでお揃いのデッキシューズ。ネイビーで、底が白い、通販で売ってそうなやつ。そして、コーラスの面々はベトナムの傘を頭にかぶり、ソリストは摩訶不思議なちょんまげ&長いモミアゲ&あごひげ(通常生やすところに髪がなく、剃る部分のみ伸ばした感じ)。ぶっ飛んでます。シュールです。スリ足をイメージしているのか、不器用な歩き方もするのですが、滑り止めのためのデッキシューズですから、こりゃ無理です。
 で、演奏ですが……新国と比べては酷です。ブルガリアン・ヴォイスということで、一部「なるほど!」という良い声の方もいらっしゃいましたが、カラフ:カメン・チャネフなんて中音以下は全く声が響かず「ネッスンドルマ」も何故ブーが飛ばなかったのか頭を抱える程度の出来)。かつてカラヤンがお気に入りだった合唱団も、今や昔で、女声はバラバラ、男声は飲み屋のオッサンの合唱みたい。オケも柔らかさや潤いに欠けたガサツな演奏で、やたらと音量ばかり大きくて単調。カーテンコールはきっと荒れるぞ、と楽しみに(?)していたのに、暖かい拍手。地方公演の多い今回のツアー、滅多に観ない人に「オペラってこんなもんなの?」と誤解されるかと思うと悔しい!! トゥーランドット:マリアナ・ツヴェトコヴァが太くて硬質な声を響かせていたのが救いです。


2008年10月05日(日)15:00-17:15
「チェロ・グランド・コンサート」@サントリーホール

 S席 6000円 2階-LC4列-7番 (パンフレット:無料)

 チェロ:
 平井丈一朗、千本博愛、勝田聰一、堤剛、倉田澄子、岩崎洸
 堀了介、松波恵子、西内荘一、嶺田健、林俊昭、齋藤建寛
 苅田雅治、木越洋、北本秀樹、山崎伸子、秋津智承、小川剛一郎
 銅銀久弥、太田一也、川上徹、藤村俊介、三宅進、山本裕康
 荒庸子、長谷川陽子、長谷部一郎、原田哲男、大友肇、植木昭雄
 古川展生、金子鈴太郎、渡邊方子、宮坂拡志、高木慶太

 カザルス:サルダーナ
 平井丈一朗:チェロ・アンサンブルのための頌歌(新作初演)
 ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第5番
(休憩)
 ダヴィドフ:賛歌
 J.S.バッハ:シャコンヌ(ラシュロ・ヴァルガ編曲)
 チャイコフスキー:弦楽セレナードより 1・3・4楽章

 のぼぉちゃんのシーズン・オープニング(僕の勝手な思い込みなだけで、非公式ですよ、モチロン)。夏の音楽祭やら、古武道などの特殊公演も一段落して、さあ、クラシック本番です。こいつがいきなり超重量級チェリストがいきなり35人集合、それも学長・教授がいたるところにっていう貫禄は凄い迫力です。舞台に彼らが登場しただけで圧倒的な重圧感。思わず「おぉ〜」と唸り声があがりました。こうして一堂に並ばれてみると、弦の桐朋の中でも、チェロ科の輝きは圧巻です。上下間の規律が厳しい世界ですから、舞台裏ではさぞかし気疲れするでしょうが、ズラリとい並ぶ際の誇りに満ちた顔・顔・顔は、学外者から見ても晴れがましく、嬉しくなっちゃいます。でも、桐朋学園の出身者によるコンサートなので、さながら「白い巨塔」です。学長にしてサントリーホール館長の堤氏をトップに、日本チェロ界の重鎮から若手までが大結集。若手は先生たちに囲まれて手を抜けないし、先生は先生で、弟子の前で中途半端な演奏なんてできませんものね。三日間のリハーサルと、富山→名古屋→東京という三日間連続のコンサートで、堤氏のお言葉だと「いっぱいいっぱいで、アンコールの余裕がありません」でしたが、一流どころが本気になった演奏の迫力はすさまじいですね。サイトウ・キネン・オーケストラの結成コンサート@東京文化会館(のぼぉちゃんはまだ未参加)の熱気を彷彿とさせます。桐朋のカラーなんでしょうか。
 のぼぉちゃん繋がりで、チェロ・アンサンブルはいくつもご縁がありますが、都響のチェロ・セクションも含めて、割と世代差が少ないグループが多かったのですが、おじいちゃんから孫娘までって構成の今回のアンサンブル、中心メンバーの世代の音楽観が大きく影響してます。とにかく、音が太く、表現が濃厚。昭和40年生まれ以降(あ、私感です、私感)のアーティストの演奏が、なぜかサラサラしていて、お洒落だけれど、時には物足りなさを感じる中、たまにこういったコッテリした演奏を聴くと、そりゃ癖はあるけれど、子供の頃「音楽にはまった!」という演奏が思い出され、懐かしい満腹感を感じるもんです。
 平井丈一朗氏の司会が、いかにも学校の先生って感で、常に無表情なのと、やたら言動が偉ぶるので(マイクはずさずに指示だしたり、話の途中でさりげなく“なく”駄目だししたり、ではあるのですが、本人としては「お茶目な自分」を演出したかったんでしょうね。「僕たちの間では“ちゃん付け”なんですよ」といった直後、のぼぉちゃんは呼び捨てだったり、はたまた、ブラジル風バッハでソプラノ・パートを弾いたのぼぉちゃんに対して「こんなごっつい顔して」と、なかなか笑わせてくれます。
 さて、今日のサントリーホールはかなり物々しかったんです。ロビーには黒スーツのいかにもSP然としたオジサンたちがうようよし(ホールの警備のスタッフはにこやかなのでいつもと違う雰囲気)、客席一部はごっそり空いてるし、取材スタッフはやたらと多いし。「これはきっと!」と思った通り、休憩時間の終了と共に、天皇・皇后両陛下がご臨席。開演の際のどよめきが茶色だとしたら、この時のどよめきは黄色。いつものように、ニコニコかつ丁寧にあちこちの席にご挨拶しながらの入退場。皇族と平民の格の違いを見せてくれます。このお二人、なぜかご一緒させていただく事が多いのですが、決して派手な格好はされないにもかかわらず、醸し出すオーラは圧巻です。どんなスターよりも強力。お立場上、最後の幕しか鑑賞できないのがお気の毒ですが、いらしていただくだけで、会場の雰囲気が急変して、何とも和やか&華やかになるのはさっすがです。
 さて、のぼぉちゃんですが、相変わらず目立ちます。みんながコンマスに注目している中、ひとりだけキョロキョロと客席を見回してみたり、一曲目が終わるやいなやお隣りの奏者(名前は出さずにおきましょう)に話しかけてみたり、持ってきた楽譜を譜面台に乗せられずハラリと落としちゃったり。カーテンコールでは、ニコチン・タイムだったのか、一人だけ楽器を持たずに登場したり……いつも通りにリラックス!? とはいえ、さすがに、重鎮たちに対しては、ねっとりとしたアイコンタクトは送りにくかった模様。でも、ちゃっかりソロ・パートをいただいたりして、本人のトレーニングもさることながら「可愛がられてるんだなぁ」と勝手に嬉しくなってます。


2008年10月09日(木)19:00-21:30
TBS/キョードー東京/梅田芸術劇場「CHICAGO」@赤坂ACTシアター

 A席 10500円 2階-K列-5番 (パンフレット:2500円)

 演出:(井原高忠→トニー・スティーブンス→)ウォルター・ボビー

 ロキシー・ハート:(草笛光子→鳳蘭→)米倉涼子
 ヴェルマ・ケリー:(上月晃→麻実れい→)和央ようか
 ビリー・フリン:(植木等→若林豪→)河村隆一
 ママ・モートン:(諏訪マリー→淀かおる/加茂さくら→)田中利花
 (1983年シアター・アプル→1985年/1987年帝国劇場→)2008年赤坂ACTシアター

 最初のナンバーで登場する和央ようか、宝塚退団後の初ミュージカルだそうです。まだ動きはギクシャクしていて色気がないけれど、それゆえに生々しくならなかったので、男役・和央ようかファンも安心して観られるかと。歌は相変わらずド下手(歌詞わからないし)、ダンスは「頑張って!」なんだけど、なりふりかまわず必死に歌い踊る姿は新鮮。思えば、雪組時代は「ダンスは花組に任せた」だったし、宙組時代は無表情な役&作品ばかりだったし、今回初めて「無機質な人」に血が通いました。今回の、スターの座を奪われまいとあがくヴェルマの姿が、元・宝塚トップの看板を背負った和央ようかが、外の世界にこぎ出す姿にかぶって、芝居をサポート。最近はスムーズな性転換が多いタカラジェンヌの中では、久しぶりに歌もダンスも「男役」を引きずってますが、幸運な役との出会いです。それにしても、宝塚メイクでなくても、見開いたオメメの大きいこと!!
 続いて登場の米倉涼子は、いわゆるミュージカルの人じゃないので、歌もダンスもアンサンブルのオーディションだったら一次審査で落とされましょう。が、主役となると話しは別。登場するだけで「アンタが主役」でタダモノじゃないです。舞台を食ってます。華やかな存在感と、生き生きとした表情が、テクニックを超越。スターに憧れる平凡な主婦の役ですが、スターになるべくしてなった役として、ダブル主演のはずが単独主演に。良く「スターは本番で化けるよ」とは聞きますが、素晴らしかった。もちろんオーソドックスなミュージカル俳優ではないので、演れる作品・役は限られるでしょうけど、彼女もよくまあビッタリの役をGETしたもんです。運も実力!? こんなスター性を備えたミュージカル俳優、出てこないかなぁ。
 河村隆一はセロ〜ファンな役者でした。良い声だし、歌も上手いんだけど、印象ゼロ。器用にこなせる分、アピールもなく「あら、いらしたんですか」状態。凄腕弁護士の役なんだけど、彼なくしてもロキシーとヴェルマは釈放できたかも。コッテリ&オイリーなカンパニーにアッサリ醤油味が混ざっちゃっただけなので、彼が悪いんじゃないけれど、舞台は喰うか喰われるかのコワ〜イ世界ゆえ……ロングトーンを見事に決めたものの、相手にされずに終わっちゃった感じ。彼は役に見放されました。
 キャスト発表があった時点で「このカンパニー、大丈夫?」と心配させられた主演トリオをしっかり支えたのがアンサンブルの面々。ママ・モートンの田中利花が安定した歌声でほっとさせ、力まなくてもハイテンションな芝居で舞台に彩りを与え、ジョークの数々が外れっぱなしで、ガチガチになっている舞台&客席をほぐします。こんなベテランがいると、スターたちも心強いでしょうね。そして、大澄賢也がダンス・アンサンブルの一員として参加。ダンサーを中心に組まれるアンサンブルは、えてして若者に固まりがちですが、中年メンバーが加わると、厚みがでます。彼はまだまだ踊れるダンサーだけれど、動きの中でドラマが語れる貴重な存在です。
 期待以上の舞台ではあったけれど、度々の来日公演やウエスト・エンド、ブロード・ウェイなどの公演を幸運にも観ていると、人種による表現力の差を大きく感じます。欧米人のしなやかな筋肉と肉付きの良さゆえに醸し出されていたフォッシー振り付けのダンス・ナンバーの数々は、日本人の骨皮の目立つガリガリダンサーがどんなに素晴らしく踊っても(最近のダンサーは良く踊れますね)、醸し出す雰囲気が違ってしまうんです。声のネットリ感じや、可愛らしさとドスのコントラストの小ささなど、良くも悪くも禁欲的な仕上がりになりますね。そんな彼らに合わせたのか、バンドもペラペラの音だし(声帯は関係ないけれど、日本人の管楽器、特にブラスは音が薄く安定しにくい印象があります。体格や肺活量の影響!?)
 他プロダクションと比べちゃうと厳しいけれど、バランスが取れているので、頭のギア・チェンジができれば、それなりに楽しめる舞台かと。少なくとも、どのキャストもミドコロはあります!!


キエフ・オペラ〜ウクライナ国立歌劇場〜「プッチーニ:トゥーランドット」@オーチャードホール
 B席 12000円 3階-R11列-1番 (パンフレット:2000円)

 演出:マリオ・コラッジ
 指揮:ヴォロディミル・コジュハル
 管弦楽:ウクライナ国立歌劇場管弦楽団

 トゥーランドット:テチヤナ・アニシモヴァ
 カラフ:アンドリィ・ロマネンコ
 リュー:アッラ・ロジーナ
 ティムール:セルヒィ・マヘラ
 アルトゥム皇帝:ステパン・フィツィチ
 ピン:ペトロ・プリイマク
 パン:セルヒィ・パシューク
 ポン:パヴロ・プリイマク
 官使:ミハイロ・キリシェウ

 約一週間の間に三つの「トゥーランドット」観劇という面白い体験をしました(ドイツ旅行の際にどこのオペラハウスに行っても「トスカ」しか観られなかった!という面白い体験をしたのを思い出しました)。新国立劇場@オペラパレス、ソフィア国立歌劇場@東京文化会館、そして今日のウクライナ国立歌劇場〜キエフ・オペラ〜@オーチャードホール。プロダクションも違えば、ホールも違うという、東京に居ながらにして同じ作品を別の視点から眺められるなんてなんて贅沢。たまたまですが、観劇ポイントもRバルコニーで統一。
 本日のキエフ・オペラですが、凄かった〜。20年前にタイム・スリップしちゃった気分。歌も美術も演出も野暮ったさも。豪華に着飾った歌手たちが、まっ正面向いて棒立ちで歌っちゃうという、最近じゃ考えられないスタイルなんですもの。普通だったらここでブーイングになりかねないのですが、彼らの演奏は尋常じゃありません。オーケストラは東フィルのような繊細で爽やかな音なんて皆無。ひたすら、パワー・パワーで押しまくります。管楽器は吹くんじゃなくて吠えてる! オケというより、ブラスバンドみたい。そして、合唱団も誰でもいつでもトゥーランドットの代役ができますって程にドラマティック。大柄だし、愛想が悪いし、それでいてゴージャスな衣装が似合うし、とっても怖い集団です。このカンパニーには、そこんじょそこらのソリストは参加無理です。西側の洗練されたオペラとは全く違う肌触りに思わず背中がゾクゾク。
 こりゃ、ソリストは大変だ、と心配することもなく、ドラマティックなカラフの声が聞こえてきてひと安心。これなら、行ける!と。(でも、前半頑張りすぎて、聞かせどころ満載の第三幕では…力尽きてました。トリスタンもそうだけど、最後の最後に超重量級の二重唱がある役は大変ですね)。
 で、本日の大収穫はピン・パン・ポンの三人組。トリオで歌わせるにはもったいない声。カラフよりも良かった! 通常の公演だと、このトリオは場面のつなぎ的で、場面をひっかきまわして終わることが多いけれど、今回は「これぞ聞きどころ」で、テノール(ってことはパンでしたっけ)なんて絶品。おまけに、恐面を強調されるメイクを施し、とっつきにくそうなのに、なかなかお茶目なんです。カラフが三つの謎に挑もうとすると、人差し指だけ突き出して「ダメよ、ダメよ」と可愛らしくユニゾンで振るのが何とも。そして「人殺しやだ〜」「故郷に帰りたい〜」「でも王女様が怖いよぉ」と愚痴を垂れまくるのが、いかにもおとぎ話然としていて、観ていて微笑ましいのです。終幕の幕切れなんて、カメラ抱えてきて、結婚写真のカメラマンに転身して幕。愛らしい三人です。可愛い。
 そして、別格はトゥーランドット:テチヤナ・アニシモヴァ。タイトル・ロールとはいえ、第二幕の後半でようやく登場するこの役、イタリア系ドラマティック・ソプラノの最高峰と呼ばれていますが、納得の歌い手というのは実はかなり少ないんです。が、テチヤナ・アニシモヴァは数少ない、そして、僕が今まで出会ったトゥーランドット歌手の中でも絶品の一人。拡声器持って怒鳴り込んできたかのような、それでいて余裕タップリな歌い回しに思わず鳥肌。黒子的な侍女たちが、芝居に合わせて衣装を引き抜きしてくれますが、もうそれだけで、芝居、要りません。「鶴の一声」という言い回しがありますが「トゥーランドットの一声」です。さっきまでドラマティックな獅子だったカラフも彼女の前では猫のよう。ワキとオケのド迫力を突き抜ける、超ドラマティックな声でハイCを決められた時には、背中があまりの嬉しさにゾクゾク。ライヴならではの空気の振動をたっぷりと堪能させていただきました。
 さて、三本の「トゥーランドット」はそれぞれ魅力がありましたが、見比べた中で、やたら時代がかった今回の演出が作品にピッタリでした。オペラが「演出の時代」と呼ばれてかなりたちますが、もしかしたら、余計な演出を施さずに、音楽の力で真っ向勝負を挑んだ方が、オペラの魅力は発揮されるのかもという思いを新たにした次第です。決してお金がかかった舞台ではないのですが、衣装のつくりや色あいでスケール感を出し、いかにも大がかりに作り上げましたな舞台。写真うつりがとても良いプロダクションだと思います。宝塚の大階段フィナーレみたいな感じです。トゥーランドットの衣装なんて毬藻えりin「ジーザス・ディアマンテ」な頭飾り(例えが古くてスミマセン)。人でなしなトゥーランドット姫と、空気の読めない&自己チューなカラフ王子、とってつけたようなフィナーレで、今一つのめりこめないこのお話なのに、声の力と、堂々たる舞台姿で「んなもん、どうでも良いわ」と。音楽の力でハッタリを聞かせられるなんて、スゴイ団体でしょ!?
 でもって、無表情で恐いと思ってたのは、どうやら芝居だったようで、カーテンコールでは、急にニコヤカ。客席に向かって扇子は降っちゃう、手はちぎれんばかりに振り回し、何やらとってもご機嫌なんです。通常はプリマが迎えに行って初めて登場するマエストロも、プリマを無視して勝手に登場して、舞台中央でこれまた嬉しそうにご挨拶してるし。ホール内が酸欠になりそうな重量級公演の終演後とは思えないハイテンションに、魂とエネルギーを吸い取られたワタクシはトボトボと帰路についたのでした。ここまで気持ち良く演奏できたら幸せでしょうね。とりあえず、今回のパワーと勢いで押しまくりのプロダクション、はまりました。好きです。


2008年10月12日(日)18:00-21:05
宝塚歌劇団花組
「外伝ベルサイユのばら−アラン編−」
「エンター・ザ・レビュー」
@東京宝塚劇場

 S席 6500円 1階-15列-54番 (パンフレット:1000円)

 演出:植田紳爾(ベルサイユのばら)/酒井澄夫(エンター・ザ・レビュー)

 アラン・ド・ソワソン:真飛聖
 ディアンヌ:桜乃彩音
 デスマズ/ブイエ将軍:星原美沙緒(専科)
 ナポレオン/ダグー大佐:夏美よう
 カトリーヌ:絵莉千晶
 アンドレ:壮一帆
 オスカル:愛音羽麗
 ジェローデル:未涼亜希
 ジョアンナ:桜一花
 フランソワ・アルマン:望月理世
 シモーヌ:花野じゅりあ
 メルキオール・シャロン:扇めぐむ
 ミッシェル・ヴェール:祐澄しゅん
 ジルベルト:愛純もえり
 ジェロール・ロセロワ:朝夏まなと
 ドール・ブルゼ:月央和沙
 スザンヌ:白華れみ
 イザベラ:天宮菜生
 イレーヌ:華月由舞
 マリールイズ:芽吹幸奈
 アルベート・ドランド:彩城レア
 ラサール・ドレッセ:瀬戸かずや
 ピエール・ジャン:鳳真由

 「外伝ベルサイユのばら−アラン編−」は、無理やり主役に据えました、という苦労がミエミエの台本ですが、それでもアランが主役に見えないという厳しい公演でした。フランス革命から10年後の荒れ果てたベルサイユ宮殿に革命の際に片腕を失ったアランがやってきて、幽霊になった妹と一緒に過去を振り返る、という構成なのですが、華やかなのは「子供服売り場から抜け出してきたかのように」ピラピラかつファンシーな色合いの安っぽいプロローグだけ。あとは、どの場面も暗いんです。視覚的にではなく、精神的に。
 とにかく、フェルゼンやアントワネットは登場しないし、オスカルやアンドレは脇役なので、極力目立たないようになってます。どのように目立たせないかというと「朗読劇」として処理。次から次へと登場する出演者は、台本何ページあるか存じませんが、何分もかかる独白を立て板に水のごとく述べて去っていくばかり。よくまあこんな台本で動きがつけられるもんだ、と感心です。そして、当時のフランス人はみんな鬱々だもんで、いつまでたっても話が動きださず「早くおわらないかなぁ」とそればっかり思っていたら、唐突にナポレオンが登場して、アランが射殺されて幕。
 結局のところ、あらすじの説明も難しければ、見どころとなるシーンもなく、ミュージカルとしての魅力のない作品となってしまいました。6月のジェローデル編でも思ったことですが、なまじ話を広げずに、有名なエピソードの前後のみを深く扱った方が見る側も満足すると思うんですけど。今回だったら、オスカルに反発しまくっていた出会いのシーンから、オスカルに共感して、市民と共にバスティーユで闘うまで。余計なエピソードなんて加えなくても良いです。1時間半ですし。
 三部作というので、勢いにのって星組の「ベルナール編」も観ちゃう(というか観せていただく)のですが、急遽追加された2月の「アンドレ編」までは追っかける気力なしです(名古屋のみの公演ですし)。芝居として、ミュージカルとしての魅力に乏しいことは想像していましたが、想像を絶する仕上がりでした。
 「エンター・ザ・レビュー」は、地方公演かつ配役変更ありにも関わらず、本公演と同じ作り。珍しいことです。真飛聖が一年前と段違いに、トップらしくなってました。本公演での主演を経験すると、急にスターの貫録が増しますね。歌もダンスも手抜き(orと思わせる)ではなく、伸び伸びと歌い踊っているのが気持ち良いです。線の太さが魅力のスターさん。
 宝塚歌劇は、公演によって、出来の良し悪しの差が大きすぎ「最低限、このラインは」というのがボーダーレスなので、正直「高い席でも何度も観たい」という先月の東宝劇場公演の直後に、今日のような公演を観るとかなりガッカリするのですが、こういう時も観ておかないと、目が肥えちゃいますものねぇ。。。


2008年10月13日(月・祝)14:00-15:50
ブラス・エンジェルス2008「ODYSSEY/オデッセイ」@春日部市民文化会館場

 1階-19列-48番 (パンフレット:なし)

 ビジュアル・ディレクター:スコット・チャンドラー
 ミュージック・ディレクター:ウェイン・ダウニー

 稽古場でどんなに時間をかけようと、観客の前で演じることで完成を見せるのが舞台芸術と言います。「ブラス・エンジェルス2008 オデッセイ」も、ワールド・プレミアに向けた最後のブラッシュ・アップとして、中学生の招待客と、一部記者を前に舞台稽古が披露されました。客席前方には多数のカメラやスタッフ、取材陣が、客席後方には中学生たちが居並ぶ中の熱いステージ。実は昨日が初の通し稽古とのことだったので、硬いステージを想像していたのですが、人数は少なくても、観客の反応との相乗効果が見られ、終盤に向けての変貌が見ものでした。
 開演のベルと同時に鞄を抱えた少女たちがカーテン前に登場。今回のショーのテーマは「旅」のようです。彼女たちがゆったりと、バランス技を披露しながら、観客の意識を集中させたところで、素朴だった舞台が一転。楽器を掲げて華やかにラインナップしたカンパニーがズラリと並んで登場。黒のレオタードを基調に、鮮やかなピンクのラインを活かした衣装で、ニューヨークのホテルのロビーに迷い込んだかのような、華やかでゴージャスな世界でインパクト大です。いよいよ「都会の旅」の始まりです。居並ぶパフォーマーの立ち姿のシャープなこと、色遣いの美しいことに目を奪われるのもほんの一瞬。あれよあれよという間にスピーディなパレードへと展開します。目線は客席に向けたまま、前後左右に動く彼女たちのフォーメーションは、一瞬とも目が離せない見事さ。女性ならではの体の柔らかさ、動くラインのしなやかさは、どのマーチング・バンドとも違った印象です。それにしても、演奏だけでも難しそうな曲ばかりなのに、ダンサー顔負けの激しい振りもこなしてしまう勢いや小回りの効いたスピード感は圧巻です。
 やがて、照明が赤と青のアダルトな雰囲気に変化すると、ラメ入りの大人びた衣装に早変わりしたミュージシャンたちが、物憂げな表情でジャズ・ナンバーを披露。集団のフォーメーションが見せ場だった前半とは対照的に、コンテンポラリー・ダンスならではの個々の見せ場が目立つ動きが加わり、「これぞアート!」な変貌ぶり。ほんの一景の中で、女性ならではの魅力やエネルギー、表現力の幅広さをすべて見せる、何とも垢ぬけた幕開きです。
 今回のショーが今までにないのは、出演者にマルチな才能が求められることでしょうか。楽器演奏だけでなく、ダンスや芝居、さらには歌までプロとしての芸が要求されます。毎日のリハーサルでは、表情の一つ一つについてまで特訓が行われました。その特性を活かしきったのが「列車の旅」でのパフォーマンス。シルバーの棒を駆使したダンスが、いつの間にか車輪の動きを表現し、やがてスピード・アップをあおるようなドラム・コンビネーションも加わっていく過程は、車内の光の動きを再現した照明・舞台いっぱいに映し出されるダイナミックな映像とも影響しあい、ついには客席に座っている観客までもが列車に乗って旅に出た気分にさせられる斬新な演出で魅せてくれます。
 あっという間の45分に興奮が醒めないまま休憩に突入です。幕間は興奮した声があちこちから聞こえてきて、客席の弾んだ空気を感じます。
 休憩を挟んだ後半は、「水」をテーマにした静かな世界。アルゼンチン・タンゴに乗せて、流れるようなダンスが登場します。ここで初めて登場する木管楽器によるフェミニンでふんわりした雰囲気のソロはバロック音楽。バロックと近代という、時代を跳躍した選曲ながら、意外にマッチする格調高い調べに会場がウットリ。足さばきの一つ一つ、演奏しつつこなす連動技の正確さに見入ってしまいます。ここで観客の目を奪うのがフラッグ・チームによる噴水。まるで水が滴ってくるかのような透明感、キラキラと反射する水の粒など、斬新なアイデアと振り付けは観てのお楽しみ。ちょっとした小道具の使い方一つで、ここまで表現できるのか、と目からウロコが落ちること必至の名場面です。やがて空が曇り、雨となり、雷まで鳴りだす様子は、マリンバとヴィブラフォンが大活躍。単なる、音楽合戦でなく、自然の変化そのものに見えてくるのが不思議です。マレット(スティック)さばきの美しさにもご注目ください。
 雨を眺めているうちにいつしか私たちは「空の旅」へと繰り出しました。アルト歌手、ホルン、ソプラノ歌手という珍しいアンサンブルによる、天空に吸い込まれるような音楽を川切りに、私たちはいつの間にか空の旅へ。淡いパステルカラーのグラデーションが美しい衣装に身を包んだ空の精たちが、どうやって私たちをいざなうかですって? それはショー・スタッフの腕の見せ所、まだゲネプロ状態なのでここでもナイショ。一緒に天空を飛び回りましょう!
 空といえば雷様。クライマックスは、ドラム・セクションによる大セッションです。女性ならではのドラムの魅力ってなんでしょう? 今回はスピードと連打の細やかさで魅せます。可動式のドラムを移動させながら、一列になったり、斜線型に並んでみたり、はてには、円形になってみたりと、終始移動しながら、舞台狭しと走り回って、スポーツ競技顔負けのハードな舞台。いつしか音楽はフュージョンとなり、舞台の温度が急上昇する中、カラフルでポップなフィナーレを迎えます。
 今回のショーでの音楽のジャンルの広さ、ダンスの多彩さ、アイデアいっぱいの演出はそれぞれ魅力ですが、一番の見どころは「輝いている女性の美しさ」でした。舞台に立つ喜び、音楽やダンスへの敬意と信頼感、そして観客へのサービス精神など、素晴らしいエネルギーに満ちています。オケピ要員として、そして、どさくさに紛れて舞台に立っても良いから、今すぐ東宝劇場で働きなさいっ!!なスーパー・ガールズでした。本公演が楽しみです。


2008年10月15日(水)18:30-21:40
ローザンヌ歌劇場「ビゼー:カルメン」@東京文化会館

 C席 5000円(都民劇場会員券) 4階-1列-10番 (パンフレット:無料/1500円)

 演出:アルノー・ベルナール
 指揮:シリル・ディーデリッヒ
 管弦楽:ローザンヌ室内管弦楽団

 カルメン:マリーナ・ドマシェンコ→ベアトリス・ユリア=モンゾン
 ドン・ホセ:ルーベンス・ペリッツァーリ
 エスカミーリョ:ミコワイ・ザラシンスキ
 ミカエラ:ブリギッテ・フール
 フラスキータ:ソフィ・グラーフ
 メルセデス:カリーヌ・セシェ
 ダンカイロ:マルク・マズイル
 レメンダード:アンベルト・エルブ=ピノ
 スニガ:ブノワ・カプト
 モラーレス:サシャ・ミション

 公演数日前にカルメン役変更のお知らせが届きました。実は、2004年9月の藤原歌劇団公演「カルメン」のタイトルロールがベアトリス・ユリア=モンゾン→エカテリーナ・セメンチュクと変更になっていたので、4年ごしでベアトリス・ユリア=モンゾンのタイトル・ロールが聴けるのはちょっと嬉しい。ドマシェンコのカルメンはまたいつか観られる日が来るでしょう。
 賑やかな序曲と共に幕があがると、そこは教会らしき空間。闘牛士たちが十字架に向かって祈りをささげているのは、これから臨む試合の勝利or無事を願っているのでしょうか。何十回となく観ている作品ですが、宗教色を前面に出した演出は初めてです。そして、宗教の大きな扱いに「あ、スペイン!」と思いました。
 さて、第一幕の装置は、とってもシンプル。巨大な壁の前に折りたたみ式テーブルが何卓か並んでいるだけ。とにかくだだっ広い空間が広がる中、兵士たちがブラブラしています今回の「カルメン」の印象を一言でいえば「チャラチャラしたステージ」でした。軍隊とはいえ、一糸乱れずな完璧な行進なんてあるべきもなく、個々が好き勝手に動いている感じ。このあたりも「あぁ、ラテン系」と面白く拝見しました。このチャラチャラ感は最後まで付きまとうもので、タバコ工場の女工たちの登場も喧嘩も生ぬるいったらありゃしません。でも、これは普段公演している劇場と東京文化会館との大きさの差に由来するのではないでしょうか。舞台が大きい分、動きもダイナミックにならないと、狭く固まって手を抜いているように見えてしまいますもの。慣れない広い空間を使いきれ得ないのは、ツアー公演なので仕方ないのかな。でも、この女工さんたちもとってもラテン系で、衣装の着こなしが何ともお洒落。一人一人、自分がいかに魅力的に見えるのかを自覚しているようで、かぶり物やスカート、パンツの扱いやら着崩し方が違うんです。失礼ながらオペラの合唱団としてはスタイルも良い方が多く、正直、その分声楽的魅力には欠けましたが、見た目を徹底して追及しているのに脱帽。カルメンもダブダブのパンツに、胸元の切れ込み入れ過ぎのタンクトップ。兵士たちが悩殺されるのも納得なフェ〜ロモン撒き散らしての登場です。で、期待のベアトリス・ユリア=モンゾンの「ハバネラ」は深々とした良い声で聴かせてくれます。声に芯がないので、コーラスがかぶるとかき消されてしまうのが残念。チャラチャラした街の中で、うっかり真面目そうなホセなんぞを誘惑しちゃったのが彼女の運のつき。広い舞台の上で、いくらでも逃げられるスペースも隙もあるのに(俊敏なカルメンにメタボなホセだったので…)簡単にホセに逮捕されちゃったのは、演出上のことなのか、今回の公演のみそう見えたのかは不明ですが。。。
 第二幕の「リーリャス・バスティアの酒場」では、フラスキータとメルセデスが大活躍。この二人もスタイリッシュで、オーバーかつスピーディなアクションと、コロコロ動く表情、そしてこれまたヘアメイクや衣装の着こなしが小粋。歌は…何も言いますまい。日本の歌劇団は格調高く歌う傾向が強いけれど、そういえば、ヨーロッパの劇場ってかなりゆるい歌でもまかり通ってしまう印象があります。その分、キャラクターも重視されるみたいですが。もしかしたら、今日のカルメンが代役というのもあるのでしょうか、アンサンブルのバランスが悪いんです。小気味良い「五重唱」も声の掛け合いの粒が立たず、バランスの悪いまま終了。オケとのバランスも微妙でした。結構、リズムが取れずにテンポの緩む歌手が多いカンパニーなのですが、オケはオケで歌に合わすでなく、勝手にルバーブしたりカッ飛ばしたり、何よりも音量調節なしで、肝心の歌をかき消したりとやりたい放題。でも、慣れると、この演奏方式ゆえに、カルメンたちの自由度が際立つ??? エスカミーリョ登場の際は「喉への影響はないのか?」と心配するほど大量のたいまつが登場。舞台上にスモークがたまる中、どんどんテンポが落ちて行くオモロイ「闘牛士の歌」を聴かせてもらいました。付点のリズムが取れない闘牛士って…弱そうだなぁ。
 第三幕の間奏曲では、ハープとフルート、クラリネットの美しく透明な調べの中、マタドールがゆ〜〜〜っくり腹巻き(正式には何というんでしょう?)を巻きつけるのですが、命がけの戦い直前の新聖な空気感があって、素晴らしいシークエンスでした。
 でもって、ジプシーたちの隠れ家は「やっぱりイナバ、100人乗っても大丈夫」の物置が登場。実際に屋根の上に乗る人もいて、思わずプププ。さて、歌も衣装もチャラチャラしたジプシーたちの中に割りこんでくるのがミカエラ。上品なワンピースにカッチリとしたコートを颯爽と着こなし、いかにも「常識人」としてのいで立ち。唯一鋭いフレージングを決められる歌でも別格で(カーテンコールでの拍手は一番大きかった!)、カルメンに骨抜きにされたホセにとっては「魅力のない女」であることを強烈にアピール。それにしても、ホセって、カルメンとラブラブシーンがほとんどないのに、彼女のために拘留されちゃうわ、婚約者はじゃけんにしちゃうわ、挙句の果てにストーカーみたいになっちゃうわで、マッタク困ったちゃんですよねぇ。エスカミーリョに決闘を申し込みながらも、いざ闘う時には思いっきり腰が引けてて弱そうだし。ビッグマウス野郎ですわ。
 で、そんなホセを田舎に追い返して、カルメンはエスカミーリョとラブラブなわけですが(このあたり、展開が早すぎてついていけないのです。ま、ラテン系のみなさんってことで)、いきなりベッドシーンです。闘牛の試合から帰って来たエスカミーリョは闘牛用の衣装を脱ぎ棄て、カルメンをベッドに押し倒します。通常の舞台だと、闘牛場前の雑踏やら、闘牛士入場のパレードなど、スペクタクルな場面として、華やかに演出されるというのに、影コーラスが賑やかに盛り上がる中、二人はベッドでイチャイチャ。いやはや、情熱的です。参りました。そんな中、メルセデスたちが「アンタ、ホセが来てるから気をつけた方が良いよ」とホテルの部屋に忠言しに来るので「すわっ、ラストシーンはホセがホテルに討ち入りか?」と思いきや、装置がはけて、巨大な壁(闘牛場?)の前での二重唱。ひたすら忠誠を求めるホセと、自由を求めるカルメンの平行線な会話は、どちらにとっても不幸なのに、それでも別れられない「運命」を感じる、胸の痛くなる場面です。でも、今回のカルメンは、チャラチャラ度があまりに高いため、ちとホセの分が悪い気がします。ケッタイな男に花を投げちゃって「失敗した!」とカルメンは思ってるのではないでしょうか。通常、ホセともみ合いになって刺されてしまうラストシーンも、広い舞台で、はるか遠くに離れているので「もしや、エスカミーリョとくっつく?」と僕に誤解させるほど、カルメン優勢な押し問答。ホセが追い付く前に曲が終わっちゃうよ!とドキドキしてたら、カルメンが「もう、面倒になっちゃったから、追っかけっこはやめようよ」と両手を広げてホセに歩み寄って刺されて幕。ん〜、カルメンがかなりウワテですわ。でもって、この最後、精神性とは対照的に、刺される際のうめき声というかギャッという声がリアルで怖かった〜。第四幕は18禁指定が必要な演出ですね。
 カルタの預言により、ホセに命を奪われることを知りつつ、生涯をかけて自由を求め続け、最後は自らの意志により命を落とすカルメン…エリザベートとトートみたい、と今回ふと全然別の作品に思いをはせました。


2008年10月18日(土)13:30-15:25
小栗原小学校合奏クラブ/葛飾中学校管弦楽部「第4回 置き傘コンサート」@小栗原小学校体育館

 全席自由 無料(入場料の代わりに置き傘提供)

 管弦楽:小栗原小学校合奏クラブ
 管弦楽:葛飾中学校管弦楽部

 ●小栗原小学校合奏クラブ
 (管弦楽)
 ドッド:ミッキー・マウス・マーチ
 シャーマン:イッツ・ア・スモール・ワールド
 ジアッチーノ:Mr.インクレディブル
 ディズニー・クラシックス・レビュー
 (弦楽アンサンブル)
 ホルスト:「セントポール組曲」から 第一楽章 ジーグ
 ドヴォルザーク:「弦楽セレナード」から V - Finale ; Allegro Vivace
 (管楽アンサンブル)
 モーツァルト:ロンド ニ長調 K.485
 筒美京平:サザエさん
 (管弦楽)
 芥川也寸志:交響管弦楽のための音楽
 ●船橋市立葛飾中学校管弦楽部
 (ブラス・アンサンブル)
 プリマ:Sing, Sing, Sing
 リース:Make Her Mine
 (管弦楽)
 岡野貞一:ふるさと
 岡野 貞一:もみじ
 見岳章:川の流れのように
 クルティス:帰れソレントへ
 J.シュトラウス:喜歌劇「こうもり」序曲
 (アンコール)
 J.シュトラウス:ラデッキー行進曲

 久しぶりに学生オーケストラを聞いてきました。小学生は80人クラス、中学生は90人クラスと、少子化が叫ばれる中、公立学校のクラブでここまでのオーケストラを編成できるのが驚異です。ちなみに、小栗原小学校は全国合奏コンクール内閣総理大臣賞受賞を何度も受賞してますし、葛飾中学校は2007年の第46回全国学校合奏コンクール全国大会にて最優秀賞を受賞し、日本一となった名門。「ちばのバッハ先生」こと佐治薫子先生をはじめとしたオーケストラ教育が盛んなんです、総武線沿線は。(蛇足ながら、吹奏楽コンクールにおいては、千葉県代表=全国大会金賞みたいな感じv)
 常々思うのですが、音楽ってどんな先生に師事するか、どれだけお金をかけてもらえるか(楽器やレッスン、音楽環境など)によって、才能が伸ばせるかどうかが決まってくる恐ろしい世界ではないでしょうか。今日はどちらの学校も「この先生なら素晴らしいはず!」という勢いがありました。音楽に向かう姿勢や、楽しみの中にも厳しい姿勢など。何とも幸せな子供たちです。
 小学生は練習量がそのまま演奏成果にあらわれた感じ。コンクールで演奏した曲は難しいのに立派。最近練習を始めたという曲は……。でも、そんなことよりも「楽しそうに演奏している」姿が印象的。都響で全員がのぼぉちゃん状態と言えばわかりやすいでしょうか。演奏中のアイコンタクトや「上手に弾けちゃった」の笑顔、司会者が話している時の客席ウォッチングなど、プロ顔負け(というか、どこかのプロが独特なキャラなだけですが…って誰のことかバレバレ!?) オーケストラの演奏だけでなく、弦楽アンサンブルあり、管楽アンサンブルありと、盛りだくさんのプログラムで、ソロにアンサンブルに活躍の場があって凄いことです。
 休憩なしに登場するは葛飾中学校。東京ではなく千葉の葛飾です、念のため。小学校オーケストラが盛んな地区は、自然と中学校もオーケストラだらけなわけでして、ほとんど一貫教育状態。ゆえに、上達がめざましい年代の彼ら彼女らの演奏は、最初の一音で「おぉ!!!」なわけです。安定感と自信に満ちていて、それだけで気持ちが良いです。テクニックを使い分けたり、音で遊ぶには至らない小学生も、三年たつとこんなに大人顔負けな立派な演奏を繰り広げられるのか、と背中がゾクゾク。こちらの顧問の先生はお歌が専門なのでしょうか。プログラムに歌ものが多く、「川の流れのように」は生徒にマイクを持って歌わせ、「帰れソレントへ」では「私が歌いますっ!」といきなり中鉢聡状態。いえね、司会の段階から「良い声の先生だなぁ」と聴き惚れていたのですが、素敵なテノールです。そして、アマチュアとはいえ、情熱的なオーケストラをバックに歌えるなんて幸せな方ですね。生徒たちも嬉しそうに先生を盛り上げてますし。厳しそうだけれど、とっても素敵な師弟関係を築かれているのが伺えました。圧巻は歌もの。伴奏はフレーズごとに情感豊かだし、「こうもり」なんてフォルクス・オーパーみたいに「ズチャッチャ」のウィーンならではのリズムを自然に演奏。中学生恐るべし。


2008年10月21日(火)18:30-21:00
フジテレビ「グリース」@青山劇場

 SS席 11000円 1階-V列-32番 (パンフレット:2000円)

 演出:菅野こうめい

 ダニー:生田斗真
 サンディ:神田沙也加
 リッゾ:藤本美貴
 ドゥーディ:植木豪
 ヴィンス/ティーンエンジェル:赤坂泰彦
 ケニッキー:屋良朝幸
 フレンチー:本田有花
 ロジャー:中島大介
 ソニー:後藤晋良
 マーティ:高橋あすか
 タン:今泉由香

 舞台裏って言葉があります。本来、裏のことですから表に見せちゃいけない部分。オリンピックでの頑張る姿は美しいけれど、劇場の舞台で頑張る姿は…見苦しいです。もちろん、手抜きが良いってわけじゃないんです。稽古場ではひたすら頑張り、その結果「頑張りが見えない」まで作り込んだものに人は感動するのではないでしょうか。これは、ミュージカルに限らず、ダンスでも音楽でも同じ。「ここまで極めるには凄く大変なハズ。でも、なんて軽々と演奏するんでしょう」と。よって、なまじテクニックのある人が片手間にこなすものには感動はありませんし、決して上手くない人にもかかわらず、その芸に感動しちゃうこともあるんですよね。
 今回のカンパニーはミュージカルに不慣れな面々が揃っている(というか、メジャーどころ皆無!)ので、最初からクオリティには期待はしていませんとも。でも、新人公演には新人公演なりの楽しみってものがあります。本来、このようなカンパニーでは、脇をガッチリ固めてくれる専科的大人が登場します。「この人がいて良かった〜」という。が、今回は最年長かと思われる赤坂泰彦が舞い上がっちゃってて、視線は泳ぐわ、芝居はかみ合わないわで、困ったちゃん。そんな中、決してミュージカル役者ではないダニー:生田斗真が舞台を引っ張る姿に心打たれました。懸命に作品をまとめよう、カンパニーを引っ張ろうとしているのはケナゲです。結果……頑張りが見えちゃったけれど。「グリース」って作品は不良たちが主人公なわけでして、一番、頑張りが見えちゃいけない役にもかかわらず、座長を筆頭に真面目に頑張ってて、もっとメインキャストを伸び伸びとさせられなかったのかなぁとも。不良はチャラチャラしてなくっちゃ。
 演出は出演者に合わせてかなりいじってます。通常、オープニングはダニーとサンディのデュエットで始まるのですが、これをバッサリとカット。「マンマ・ミーア」に登場するような巨大な満月の装置の前でダニーとサンディがキスするシルエットで始まります。主役を格好良く登場させるために、オープニング・ナンバーをカットするとは、何て大胆な!とビックリ。でも上には上があるもんで、リッゾを中心に、観客を強引にライオネル高校へと引きずり込むテーマ曲、その名も「グリース」が登場しないんです。いやはや、まさか主題歌をカットするミュージカルなんて初めて観ましたよ。「トゥーランドット」でカラフが「ネッスンドルマ」を歌わなかったら、「Cats」で「メモリー」がカットされたら、「白鳥の湖」で湖のほとりのシーンがカットされたら……想像できない!!!
 さて、今回のカンパニーはミュージカルにおけるメジャーどころは出演せず、サンディ:神田沙也加がベテラン格になっちゃう新人さんたちで構成。よって、50年代を舞台にした(ミュージカル自体が作られたのは70年代)作品ならではの、個々のキャラクターのアクの強さを表現するには力不足なのは否めません。世代も芸風も違うんですもの。正直、ダニーとサンディ以外の役はその他大勢になっちゃってました。とてつもなく下手な役者はいない代わり、突出した役者もいないので、アメリカン・ドラマを表面的になぞっています感がぬぐえず、とにもかくにも盛り上がらないんです。これは、最近主流のサラサラ芸の影響が大きいの。現代っ子がオールディーズを演じる難しさがクローズアップされちゃいました。恐らく、それをカバーするためでしょう。ソロ(個性)が結集して盛り上がりを増していたナンバーは、開き直って、集団で歌い踊るナンバーとして再構築。アンサンブルたちの見せ場のシーンはさっさと終了させちゃえという強引さが潔くもあります。第二テーマ曲とも言える「We Go Together」も、個々の芸を見せる場面でなくなり、テンポも何だか半減……早口言葉の掛け合いも間延びしたまま終了。好みや成果はさておき、演出家がよくまあここまで作品メスを入れたもんだとビックリです。
 蛇足ながら、日本の若手俳優って体が貧弱な人が多いんですよね。線が細くて、テレビだとともかく、劇場空間という特殊な場ではハンデを感じます。日本人って、華奢な民族よのぅ、と変なところに感心しちゃいました。その分、キレのあるダンスは得意なんですね(^_^)v 今回、ロンドン版のダンス・キャプテンだった、リチャード・ピークマンを振り付けに招へい。若さと体力が必要とされるハードな振り付けでしたが、カンパニー一同が果敢に挑戦し、集団芸としての成果を出しているのが今回の目玉・見どころ。キレがありました。このまま芝居や歌のシーンを突っ走ってくれたら気持ち良かったでしょうに。曇り知らず、人生の影も政治問題も皆無で、ひたすら「若さ」が売りの若者たちが、ボロを出すまいと「恐る恐る」歌い演じちゃっているのが残念でした。勢いとパンチ……千秋楽に向かって出てくると良いのだけど。
 思うに、この作品は宝塚の若手がバウホールあたりで上演するにはぴったりだと思うんです。主役は負担少なめでひたすら格好良く、若手男役をふんだんに暴れさせ、宝塚のお得意芸ともいえる「集団場面の中で、自己アピールを客席に!」が発揮できますもの。青山劇場はちと大きかった〜〜〜。


2008年09月23日(木)18:30-21:35
宝塚歌劇団雪組「ソロモンの指輪」「マリポーサの花」@東京宝塚劇場

 当日B席 2500円 2階-16列-68番 (パンフレット:1000円)

 演出:荻田浩一(ソロモンの指輪)/正塚晴彦(マリポーサの花)

 ネロ:水 夏希
 セリア:白羽 ゆり
 イスマヨール:未沙 のえる(専科)
 ゴンザレス:飛鳥 裕
 サルディバル:未来 優希
 エスコバル:彩吹 真央
 アリシア:天勢 いづる
 リナレス:音月 桂
 リタ:麻樹 ゆめみ
 シーナ:山科 愛
 護衛官:奏乃 はると
 ラファエル:彩那 音
 ベルガール:花帆 杏奈
 コントレラス:柊 巴
 船長:谷 みずせ
 ロジャー:凰稀 かなめ
 セグンド:真波 そら
 フェルッティ:緒月 遠麻
 イヴァン:沙央 くらま
 側近:衣咲 真音
 マリア:早花 まこ
 子分:大凪 真生
 チャモロ:大湖 せしる
 ドアマン:葵 吹雪
 子分:紫友 みれい
 グロリア:愛原 実花
 ブランカ:舞羽 美海

 宝塚で洋物ショーが前物で短時間というと「ジャンピング!」がありましたけど、はてあれも30分位ではなかったかと記憶しております(うろ覚え)。大地真央の大劇場初主演でした。ちなみに、トップお披露目公演はさらにその数年後ですけど。その後、瀬戸内美八のサヨナラ公演はフィナーレというよりも独立したショーとして「ダンス・ダンス・ダンス」が、轟悠時代の雪組で前物のショーとして「デパートメント・ストア」がありました。そして今回は「トップ主演で、独立した作品で、前物ショーとして30分」という公演。東宝劇場は夜の部が18時半開演なので、社会人にとっては「ちょっと遅れたらショーは見そびれる」という恐ろしいスケジュールともいえます。でも、後物のお芝居にもフィナーレが付くのであれば、45分でも良いから、ショーはショー、芝居は芝居でまとめた方が良かった気がします。  今回のショーは指輪をめぐる魔法の世界がテーマと聞いて「ニーベルングの指環」や「ロード・オブ・ザ・リング」のような世界を想像していたのですが、荻田浩一(この作品で宝塚を退職)ならではの官能的色彩の舞台で、ジャングル→海→大地→祝祭と場面が展開するバラエティ・ショーでした。特筆すべきは装置の扱いで、王冠にも見える巨大な指輪が盆に乗って回り、徐々に分割されていく美術が秀逸。指輪の中からダンサーがわらわらとあふれ出てくる様は、レビューの醍醐味タップリで、やがて指輪が分裂していくにともない、舞台面がどんどん広くなり、ダンスが大きくなっていくのが見応えありました。宝塚劇場の舞台機構を存分に活かした演出の妙です。また、盆を90度単位ではなく、45度単位でストップさせることにより、ひし形にせり上がるセリや斜めのラインの強調によって劇場の奥行きのなさをカバーするなど、魅せ方を心得ているのが心憎い限り。暗転を利用せず、常に動きまわる舞台機構や装置、照明により、オペラグラスを使って一点を見つめるのではなく、舞台全面が巨大な生き物のようにうごめくのが何とも魅力的でした。たぶん、一階席、それも前方から観る場合は、魅力半減になるのではないでしょうか。それ程、フォーメーションや群舞の扱いに凝りまくってました。
 反面、スターを観たい、というファンにとって不満が大きいのも納得なんです。ここは○○さんの場面、という処理ではなく、トップであってもモザイクの一コマなため、うかうかしていると肩透かしのように場面が流れ去ってしまうのですから。宝塚最後の演出にあたって、宝塚ならではのチームプレーと、アンチ・宝塚のような変則プレーの演出ということで、非常に面白く観劇しました。
 もっとも、こうなるとスターといえでも、一コマでしかなく、ことに歌に関しては、スターの歌唱力を無視したナンバーを与えまくり。幕開きでは歌えないトップさんに延々と銀橋でのソロを与えたり、歌が売りのハズの二番手やトップ娘役には音域の合わない難曲をあてがい四苦八苦させるなど「意地悪〜」な状況。これは、今までの作品で荻田氏のショーを盛り上げてきた矢代鴻の穴を埋められる歌手が存在しないことと、また、彼女ナシの作品を作れなかった演出の両面が原因かと思われます。
 とはいえ、抜群の歌手は存在するわけでして、ショーの後半での未来優希の歌唱は絶品。歌いくちの上手さ、発声の自在さ、音域の広さなどなど、他を圧倒するレベル。実はノンストップで展開する今回のショーで一番空気を動かしたのが未来優希の歌唱であり、それがゆえに、未来優希が別格主演(良く欧米のショーにあるでしょ。出番はちょこっとだけど主演扱いになっちゃう特別スター)でした。ワンポイントでここぞという場面で輝ける芸を磨いてきた彼女に拍手です。若手スターにとっては非常に刺激になる存在ではないでしょうか。スター主義の宝塚歌劇としては好き嫌いや評価の別れる作品でしょうね。
 さて、二時間という大枠を与えられたミュージカルもかなりの異色作。何しろ、ミュージカルと歌っている割に、ストレートプレイ色が強く、ミュージカル処理の魅力に欠けるのですから。開幕早々は、舞台空間を存分に使ったショーとは対照的に、二階席からだとやたらと舞台後ろ半分を無視したスカスカな人員配置やフォーメーションで見劣りすること甚だしいんです。昨今の歌とダンスが融合したミュージカルに慣れていると、突然登場人物が歌ったり踊ったりするのが何とも違和感を感じます。ミュージカル・ファンとしては何をいまさらな古めかしい作りになかなか馴染めませぬ。
 馴染めないといえば、南米(?)でのテロやら革命を扱ったストーリーというのも馴染みが薄く、大統領暗殺を阻止した主人公が、実はアンチ大統領だったり、また、登場する人物たちがどちら側なのかが不明なため、どうも居心地が悪いんです。あらすじは発表されてるので「予習しておけば大丈夫」と言われても、舞台作品は事前説明などなしに、その場で理解できてこそ、と思っているので、あまりの不親切さに違和感。宝塚とあって、拷問や戦いといった汚い部分が綺麗にカットされ、肝心の事件が台詞だけで説明されてしまうのも盛り上がりに欠けた原因ではないでしょうか。ストーリーテラーであるトップさんのセリフが不明瞭&男役独自の発声による一本調子というハンデもあるとはいえ、宝塚歌劇で上演するメリットをあまり感じられませんでした、私には。この作品、もっとごっつくて、汗と泥・血しぶきでドロドロのオッチャンを主演にハリウッド映画として登場すれば面白いと思います。マシンガンを大迫力に打ちならして、CG使いまくると。でも、なまじ綺麗な女の子たちが演じるので、作品も出演者も魅力半減。確かにトップのスーツ姿は決まってます、二番手さんは堅実な芝居でトップを支えていましたし、三番手も伸び伸びと活躍してます。でも、どうしても甘さが出てしまうのは宝塚歌劇ならでは。ラストも中途半端にマリポーサの花がヒロインに届けられるのではなく、ドライに終わってほしかったです。あぁ、宝塚ではなく、映画で観たかった〜。ハリウッドが原作として買ってくれないかしらん、この台本。


2008年10月25日(土)11:00-13:50
宝塚歌劇団花組「銀ちゃんの恋」@日本青年館

 A席 7000円 2階-B列-25番 (パンフレット:600円)

 演出:石田昌也

 倉丘銀四郎:(久世星佳→)大空祐飛
 小夏:(風花舞→)野々すみ花
 ヤス:(汐風幸→)華形ひかる
 ヤスの母:(邦なつき→)邦なつき(専科)
 専務:(葵美哉→)眉月凰
 監督:(真山葉瑠→)悠真倫
 朋子:(逢原せりか→)華耀きらり
 橘:(樹里咲穂→)真野すがた
 玉美:(檀れい→)月野姫花
 ( )は1996年月組公演

 ご存知、つかこうへい作「蒲田行進曲」の宝塚版です。清く・正しく・美しくの真逆を爆走する、倉岡銀四郎の世界。当時の月組の「芝居巧者選抜チーム」が見事に演じきってくれました。確かに「俺様」で「芝居の流れなんて考えなくても回りが盛り上げてくれ」て「俺より二枚目は出さないでくれ」で「自信過剰と自信なさの起伏が激しく」て「着る物が派手派手だけど趣味が悪く」て「差し入れに趣味じゃない服くれるなら現金にしてよ」と口にしちゃうetc..etc...コレってタカラジェンヌそのまんまじゃん!と大笑いしたもんです。確かに何しろスミレコードに接触しまくりの暴言オンパレードな舞台です。久世星佳の代表作として絶大なる人気と評価を得た反面、拒絶反応を起こす人も多かった!
 トップさんは「会社を担う柄じゃない」とか「踊れないじゃない」だとか「美味しい場面を他スターに取られちゃう」だとか、まるで「久世星佳の事!?」と言われちゃうし、二番手は、当時スターでありながら、徐々に脇に回されつつあった汐風幸のことは「華がない」「スターになんてなれっこない」「観客はこの顔観たいと思いますか?」だとか。失礼承知で書いちゃいますが、異色路線の組構成だったこともあり、ドンピシャリすぎて「演じていて辛くありませんか?」な扱い。作品についても「劇団のカラーと合わない!」と自虐的で、ついでに他演出家の作品についても「ちょっと寝ても問題ないくらいわかりやすくてちょうど良い」「所詮、大衆演劇なんだから」とバッサリ。自分たちのことをここまでこきおろせる懐の深さに感動しました。
 12年ぶりにまさか、まさかの再演と相成り、主役に抜擢されたのが、これまた微妙なポジションのスターの大空祐飛。ヤスは美形でありながら、あまりの歌の下手さと線の細さで、スター路線に加わっているんだか外されるのかこれまたギリギリラインの華形ひかる。バランスとしてはまずます。ここで開き直ったのかどうか知りませんが、この二人がとっても良かったんです、今回の舞台。達者な芸で魅せたのが初演月組版だとすれば、大きなハッタリとスター性で魅せたのが再演花組版。それぞれのスターの個性を活かした、素敵な舞台です。どちらも魅力的。
 大空祐飛は銀ちゃんをスターとしての華やかさで見せきりました。巨大スクリーンに映し出される映像という、新演出も駆使し、スターとして見せきる顔芸が絶品。ガタイが大きいので、見得切りが何ともはまります。趣味が悪い派手派手衣装は、宝塚スターとして見事に着こなしてしまったのは計算外でしたが(さんざん変な衣装着てますからねぇ)、スターとしての表面ヅラが派手であればあるほど、一俳優としての苦しみや孤独が浮かび上がって、素晴らしい銀ちゃんでした。
 華形ひかるは「ここまでやるか?」のメイクダウン(あ、これ褒め言葉ね)で、 うだつのあがらない大部屋俳優をまずは見た目で表現。銀ちゃんどころか、小夏にまで馬鹿にされる情けなさがこの役にどんぴしゃり。それでいて、外見の弱弱しさに隠れきれずににじみ出てくる、銀ちゃんや小夏への情の厚さ、映画への愛情がドラマティックに浮かび上がり、また、大空祐飛との押し出しや力感のバランスも良く、ベスト・キャスティング。そして、華形ひかるにとってもベストステージではないでしょうか。感情の豊かさ、見せ所の多さ、そしてクライマックスでの扱いなど、実はこの作品の真の主役はヤスだと思うのですが、見事にその泰役を果たしました。確かにヤスはさえない人物です。貧乏でさえないまま命を落とすので、宝塚スターとしては微妙な役でしょう。でも、観終わった際の印象が実にすがすがしく、男役ならではの清潔感に満ちていて、これまた素晴らしいヤス。惨め→映画への愛情の昇華、小夏との愛情・信頼関係、銀ちゃんからの本音評価などなど、彼女ならではの涙腺絞り!!
 まさか、まさかの再演と観るまでは思っていたのですが、いざ幕があがってみれば「今、再演しなくて、いつ再演よ!?」な作品と役者の素敵な出会いでした。そして「清純派女優をはらませたワガママなスターが、女を子分に押しつけて、自分はユンケル飲んで若い女の子のお尻を追っかけまわす」という、とんでもないストーリーが。12年たった今、すんなり受け入れられるあたり、宝塚の12年の歴史を感じ入りました。これから12年後、宝塚はどんな作品を、どのようなスタイルで上演していることでしょうね。


2008年10月31日(金)19:00-22:00
新国立劇場「ヴェルディ:リゴレット」@新国立劇場

 C席 6300円 3階-4列-1番 (パンフレット:1500円)

 演出:アルベルト・ファッシーニ
 指揮:ダニエレ・カッレガーリ
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 リゴレット:ラード・アタネッリ
 ジルダ:アニック・マッシス
 マントヴァ公爵:シャルヴァ・ムケリア
 スパラフチーレ:長谷川顯
 マッダレーナ:森山京子
 モンテローネ伯爵:小林由樹
 ジョヴァンナ:山下牧子
 マルッロ:米谷毅彦
 ボルサ:加茂下稔
 チェプラーノ伯爵:大澤健
 チェプラーノ伯爵夫人:木下周子
 小姓:鈴木愛美
 牢番:三戸大久

 イタリアのマントヴァという街にリゴレットという道化師が居りました。彼はせむしでネクラで嫌われ者。この男、娘のジルダが女ったらしの殿様に見つからないよう軟禁してたのですが、難なく殿様はジルダを強姦!! 怒り狂ったリゴレットは殺し屋を雇って殿様暗殺を計画するのですが、一度のエッチで恋人気分なジルダが彼の身代わりとなって殺されちゃうのでした。そんな父娘の騒動も知らず、殿様は今日も「女ったらしの歌」を歌って朝からご機嫌(*^o^*)  ……強い者だけが生き残る(byスカーレット・ピンパーネル)なんとも「レ・ミゼラブル」なオペラです。普段の行いが悪いと、いざというとき誰も助けちゃくれませんぜ>リゴレットさんよ
 そもそもヴェルディってロマンティックとは無縁なイタリア人の風上にも置けないオトコで、ジルダと殿様のラブ・シーンでもこしらえとけば少しはラストが盛り上がろうものの、ジルダの無駄死にだなんて悪趣味の極み。ま「呪い」「嫉妬」「ひがみ」「復讐」大好きな人なんで……あたしゃ好かんわ。
 ってなわけで、このオペラの楽しみは「マントヴァ公爵(あ、説明が遅れましたが殿様です)がいかに倉丘銀四郎キャラか!!」にかかってきます。シモジモが深刻な芝居をしてても、華やかに、俺様にいてくだされば僕は満足。だって、散々な噂を聞かされ、ひどい扱いを受けるにもかかわらず、出会った女性がみんなゾッコンになるんですヨ。たぶん、オペラ史上一、二を争う難しい役だと思います。そして、いまだかつて、納得のいく伊達っぷりのマントヴァ公爵は見たことありませぬ。
 【第一幕、第一場】はいきなりマントヴァ侯爵の「あれかこれか」で始まります。どの女が良いかと、次の火遊びの相手を選ぶナンバー。あぁ、この人、現代日本に生まれてたら、銀座のクラブ(って行った事ないけど)通いするわなぁ。でもって、このオペラの謎なのですが、女・女・女とレハールなみに連呼しているにもかかわらず、女性がほとんど登場しないのです。宮廷場面ですら男性合唱しか登場しないので舞台が地味っ。だから殿様は女狂いになっちゃった!?!?
 で、ようやく女性が登場するのは【第二場】のリゴレットの家。娘が留守番しているところに父親が帰宅して「パパって何者?」「んなこと聞くなっ」なやり取りの後、外部からの侵入者が登場して……ミュージカル・ファンにはおなじみですね。「レミゼ」のバルジャンとコゼットの会話そのまんまです。どちらもヴィクトル・ユーゴー作だから盗作とは違うんだけど、もしかしたら同じ作家の作品を比べるなんていう現代的観劇方が野暮なのかもしれません。前後の作品は忘れて、その場限りの舞台を楽しむのが正しいのかも(なんて書いたら、パンフレットに寄稿の音楽学者の仕事がなくなりますが)。同じ曲の使いまくり王:ロッシーニもそうだけど、締め切りに追われたクリエイターは何をしでかすかわかったもんじゃありません。それにしても、リゴレットって父親としてどうなんでしょうね。娘に自分の名前も知らせず、世間との関係も禁止する傲慢で身勝手な父親。己の言動は棚にあげて、いじめだ呪いだと被害者ヅラしちゃってまあ!! ジルダ:アニック・マッシスの声は芯がなくてボソボソしたかすれ声。通りが悪く、伸びや広がりも感じにくいんです。でもまあ、恋に喜ぶ「麗しの名は」も、囁くように歌われるし暗〜いメロディラインだし、彼女の精神が病んでいることを表してない?
 【第ニ幕】は殿様のソロで始まるのですが、マントヴァ公爵:シャルヴァ・ムケリアは低音(ってほどの音じゃないやね。テノールだから)がマッタク出なくて、宝塚の新人男役の歌みたいでヒヤヒヤ。オペラ公演でこんなに手に汗握る人ってのも珍しいです。音域が異常に狭い! リゴレット:ラード・アタネッリは「悪魔め鬼め」でようやくエンジンがかかりました。でも、この曲にエネルギーを費やしたのか、クライマックスの「復習してやる!/パパやめて〜」の二重唱ではリズムが取れずに三連譜の部分は音を飛ばしまくり。味があるといえばそれまでですが、真剣勝負が似合うシリアスな作品で崩れた歌唱は生理的に気持ち悪いんですよねぇ。声量や持続力の衰えと歌唱のバランスが取れてないのは、体の成長と技術が噛み合わずジャンプで転んでしまう若手フィギュアスケーターのごとし。スポーツも音楽も旬の期間はつかの間。(でも、それだけに、名演に出会うと感動も倍増)。ジルダのかすれ声は聴いててこちらの喉が痛くなるので苦手ですが、父親に初体験のいきさつを語るあたりは、感情の壊れた人形みたいで味がありました。色っぽさ皆無なのが、ショッキングな体験により、神経がやられちゃった女の子って感じでフィットしてます。
 【第三幕】は聴かせどころが目白押し…でしたが「女ったらしの歌」はハイC張り上げ以外はやっと絞りだす声、ジルダは何を歌っているのかすら聞き取れず、リゴレットは息が続かないのかやたらフライング歌唱。それをカバーするかのように、スパラフチーレ:長谷川顯とマッダレーナ:森山京子が大活躍。外来トリオが命をかけたドラマだというのに、のんべんだらりと崩れた歌唱で緊張感がない中、拡張高さと緊張感を作品に与えてくれました。しっかりリズムを刻み、響かせる個所は響かせ、色気のあるフレージンぐを聴かせ、ほぉ〜っと安心。個人的にはマッダレーナという役に一番共感かなぁ。惚れた男を救うために、実践的なアイデアをあれこれ出したり、危険を知らせたりするので。良いオンナです。対して、スパラフチーレ勝手な男。「殺し代を持って来るリゴレットを殺せば丸く収まるじゃない」とマッダレーナが提案した時には「依頼者を裏切れない」と言いきったくせに、その舌の根が乾かぬうちに「代役殺し」で合意しちゃうんですから!! 自分の名前をクライアント=リゴレットに散々言ってるわけだし、死体引き渡しの際に真相がばれるのは見え見えだというのに。
 結局のところ、社会人としてのコミュニケーションが取れず、道化師という仕事を日ごろから全うしてなかった男の悲劇ですよね、このオペラ。ここまでオオゴトじゃないけれど、実生活の中でも良くある事です。自分の仕事をきちんとしないで、不平不満タラタラ、他人事にやたら首を突っ込み罵詈雑言の嵐の男には、いざという時、かばってくれる人も力を貸してくれる人もいないぞ、と。本来は娘殺しとなってしまう父親に同上するところですが、近所も歩かせなかった娘なのに、いきなり嵐の晩「男の服を着て一人でヴェローナへ行け!!」と突拍子もない事を言いだす男ですもの。一体彼はジルダにどんな将来を用意してたんでしょうね? マッタク「侯爵を呪う前にお前が呪われろ〜」ですヨ。侯爵はそりゃ次から次へと女癖は悪いけれど、女たちはみんな公爵に惚れてるもの。魅力的なんでしょうよ。実際、このオペラの中で、性格が素直で裏表がないのって公爵だけだもん。嬉しい時には嬉しい歌を歌い、感情もストレート。地位とお金があって、女性を虜にする魅力に溢れた公爵に嫉妬した男たちの負け犬ストーリー。
 ってなことをパンフに書きたいんですョ、実は。あ、そろそろ僕が抹殺されそう(^^ゞ