観劇日記〜2009年1月〜
05日(月) 18:30 ホリプロ「ドロウジー・シャペロン」初日 日生劇場
06日(火) 18:30 東京アンサンブル オペラ・プロジェクト2009
「モーツァルト:偽りの女庭師」
新国立劇場小劇場
08日(木) 18:30 東宝「スーザンを探して」 シアタークリエ
09日(金) 19:00 <MIKIMOTO>日本赤十字社第39回献血チャリティー・コンサート
「ニューイヤー・コンサート2009」
サントリーホール
10日(土) 17:30 ムジカ・サンタンジェロ「モーツァルト:フィガロの結婚」 タワーホール船堀 小ホール
11日(日) 14:00 平成20年度新国立劇場地域招聘公演
法村友井バレエ団「アンナ・カレーニナ」
新国立劇場 中劇場
15日(木) 18:30 宝塚歌劇団月組
「夢の浮橋」
「Apasionado!!」
東京宝塚劇場
20日(火) 18:30 宝塚歌劇団月組
「夢の浮橋」
「Apasionado!!」
東京宝塚劇場
21日(水) 18:30 新国立劇場オペラ「プッチーニ:蝶々夫人」 新国立劇場 オペラパレス
23日(金) 19:00 レクチャーコンサート2008-2009『激動の時代と音楽』シリーズ
第4回〈ドイツ・オーストリア編〉
東京文化会館小ホール
24日(土) 11:00 宝塚歌劇団雪組「忘れ雪」 日本青年館
27日(火) 18:30 新国立劇場オペラ「J.シュトラウス:こうもり」 新国立劇場 オペラパレス
30日(金) 21:40 映画「マンマ・ミーア」 TOHOシネマズ 市川コルトンプラザ スクリーン8
31日(土) 12:00 東宝「スーザンを探して」 シアタークリエ


2009年01月05日(月)18:30-20:25
ホリプロ「ドロウジー・シャペロン」初日@日生劇場

 B席 3000円 2階-K列-47番 (パンフレット:1500円)

 演出:宮本亜門

 ジャネット・ヴァン・デ・グラーフ(ブロードウェイのスター):藤原紀香
 ドロウジー・シャペロン(花嫁介添人):木の実ナナ
 ジョージ(花婿介添人):川平慈英
 ロバート(花婿):なだぎ武
 アルドルフォ(ラテンのジゴロ):梅垣義明
 トリックス・ジ・アビアトリックス(女性飛行士):浦嶋りんこ
 キティ(プロデューサーの愛人):瀬戸カトリーヌ
 菓子職人(ギャングの二人組):石飛幸治、林勇輔
 執事アンダーリング(トッテンデール夫人に長年仕える):小松政夫
 フェルドジーグ(ジャネットのショウのプロデューサー):尾藤イサオ
 トッテンデール夫人(結婚式の主催者):中村メイコ
 椅子の男(ナレーター):小堺一機

 連月の日生劇場詣で。新しい劇場は数あれど、舞台の見やすさや、音の聴きやすさ、何よりも観劇に向かう雰囲気作りに関しては、都内有数の素敵な劇場だと思います。観劇への華やかな盛り上げについて何とも素晴らしいですよね。使いやすい舞台かというとまた別の問題がありますが、亜門さんはこの劇場でのヒット作が多いだけに期待「大」でした。タイトルからすると、木の実ナナが主人公みたいですが、実際は椅子の男:小堺一機が語る、ミュージカルへのトリビュート作品。「蜘蛛女のキス」におけるモリーナのごとくあれこれ喋りまくります。ミュージカル愛好家ならではの、ミュージカルへの憎まれ口の羅列の中からほとばしる愛情に「うん、うん」と頷いたり、ゲラゲラ笑ったりの面白い趣向。劇中劇のミュージカルと、椅子の男の世界の二重構造になっていて、椅子の男が劇中劇のミュージカルをストップして、解説を入れてくれるのですが、この解説自体がフィクション(というかパロディ)なので、笑いの構造が二重、三重という難しい構造。この複雑さは「ラ・マンチャの男」以上かもしれません。
 が、いかんせん、劇場が大きすぎるんです。今回のキャストがテレビを中心に活躍している面々が中心で芝居が小さいということもあり、また、細かなセリフ遊びや、コメディ芝居が、二階席まで届く前にエネルギー切れになっちゃうんです。これは、ミュージカルに慣れてない役者がズラリで、歌やダンスに必至というのが大きいと思います。客席に反応を求める台詞が多いのですが、客席の反応が初日ということもあって寒々しいんです。コメディはとっても難しい。この作品が、博品館劇場やPARCO劇場で上演されたのであればもっと緊密な劇場空間が出来上がったかと思うんです。もしくは、バウホールでの宝塚歌劇でも行けるかも。
 して、日生劇場クラスの小屋での上演となると、大地真央&鳳蘭コンビでの上演だったら盛り上げられたかと思うんです。大劇場でのコメディはお手の物ですし。が、今回は大劇場役者がいないので、舞台上での内輪受けに見えちゃう。舞台を引っ張る椅子の男:小堺一機は舞台の度に言われているのですが、セリフや歌詞が聞こえないんですよね。もう今さらヴォイス・トレーニングをする気はないのでしょうが、テレビとは全然違う言い回しになっちゃうのは演出家の指示なのか、自分で変えているのか。そして、木の実ナナはもはや歌えません。以前はミュージカル・スターとして名をはせたのですが、勢い不足。芝居も悪女に徹し切れてなく、W看板としてはパワー不足で、舞台経験不足の藤原紀香をフォローするには至らず。中村メイコや小松政夫、川平慈英、尾藤イサオと、メインキャストがこぞって「過去の人」となっていて、今回のキャストだったら10年前に上演してほしかったです。舞台に余裕がないんですもの。歌える人が浦嶋りんこだけというのは、ミュージカルとしては何とも厳しい。。。
 そもそも、この作品のミュージカル場面は1928年のブロードウェイのパロディとあって、曲も台本も難しいんです。正直、ストーリーは大したことないし、ミュージカル・ナンバーも華やかに歌い上げるものはほとんどありません。オーソドックスで基本がモロに出て、そんな中でスターが個性を競い合う作品。第一次ベルばら世代の宝塚にピッタリな感じ。ドタバタ作品って、めちゃくちゃに歌い演じているようでいて、実は決めどころをかっちり押さえないと空中分解してしまうのですが、なまじ基礎のない人が歌い演じると、見ちゃいられない状態になってしまうんですよね。一流ピアニストが楽曲を崩して弾くと粋だけれど、素人がそれをすると下品になるのと一緒。素人芸の人はなまじあれこれ崩さない方が観ていて安心です。
 そんな中、ジャネット:藤原紀香は素晴らしかったです。ミュージカル俳優としてはいかにも新人ですが、登場した際の華やかさと、直球勝負の芝居が好印象。とにかくキラキラしてます。歌やダンスは恐る恐るではあるものの、時折披露する歌いあげや、柔軟性の高い身体能力、舞台映えのする長身とプロポーションなど、今後は主役にこだわらず、いろんな舞台に参加し、ミュージカル俳優としてのスター性を磨いたら、素晴らしいスターになりそうな予感。技術のあるミュージカル俳優はたくさんいれども、登場しただけで「あなたはスターや!」という素質を持つ人はそうそういませんから。
 亜門さんの演出は、役者一人一人にやさしいのだけれど、今回の舞台では「誰が主役?」になってしまって、ちと混乱。この作品のブロードウェイ版を観てないので比較は難しいけれど、日本語版を作るにあたっての苦労をヒシヒシと感じました。まずは言葉の問題。フランス語訛りの英語って面白いんですが、日本語で笑いが取れる(そして、間合いでは笑いが取れない面々のために)ダジャレを多発してみたり、同性愛ネタや、ブロードウェイの裏話ネタあたりはサラリと流したり。伝説のスターのパロディとしては成立することができない日本のミュージカル界において、よくまあここまでまとめたものだと思います。でも、僕が観たいのは苦労の跡がアリアリな作品ではなく、無条件で夢の世界に浸らせてくれる作品。大スターが登場する、もしくは、スターシステムが確立した劇団で上演する、そして、できれば、手に汗握る場違いキャストはピンポイントに留めて欲しかった。。。って、どこまで亜門さんの指定なのかわかりませんけどね。ほら、ミュージカルのような大規模芝居だといろいろしがらみやら利権関係がありますから。


2009年01月06日(火)18:30-21:30
東京アンサンブル オペラ・プロジェクト2009
「モーツァルト:偽りの女庭師」@新国立劇場 小劇場

 B席 5500円 LB列-22番 (パンフレット:無料)

 演出:釣恵都子
 管弦楽:東京アンサンブル

 代官ドン・アンキエーゼ:石川誠二
 公爵令嬢ヴィオランテ(サンドリーナ女庭師):マーラ・マスタリール
 ベルフィオーレ伯爵:上原正敏
 代官の姪アルミンダ:高橋知子
 若い紳士ラミーロ:ヘルミネ・ハーゼルベック
 代官の女中セルペッタ:松尾香世子
 ヴィオランテの従僕ロベルト(ナルド):田代和久
 語り:古今亭志ん輔

 今年の初・のぼぉちゃんです。山本裕康も元気に復活され、新旧都響トップがそろい踏み。その他、セコバイには双紙正哉、コンバスは池松宏氏と、思わずオペラグラスでガン見のうひょ〜なオーケストラ。チューニングのオーボエは古部賢一だし、何とも豪華でしょ。新国小劇場は響きがデッドなので、指揮者なしのオケではさぞかし合わせにくかろうと思いますが、それでもかなりのサウンドを生み出すのは実力者そろい踏みのおかげでしょうか。結構、演奏の合間にも余裕のあるオケで、芝居みながら、もしかしたら誰よりもお客さんの顔して笑っている人(チェロのF氏とか)やら、役者に反応して派手な芝居をしてくれる管楽器セクションなど、今日の公演の盛り上げの立役者たちです。時に歌手たちよりも存在感があって、芝居そっちのけで、演奏姿をじっくり眺めてしまいました。あぁ、ごめんなさい、でも、今日のオペラメンバーよりも、オケメンバーの方が古くからのファンなんですもの(って、一部奏者への思い入れが強いだけ!?)
 さて、昨日の日生劇場でのミュージカルに引き続き、本日の新国小劇場でのオペラもヴォードビル・スタイル(と断言しちゃうのは乱暴なのは承知してますっ)。他愛もないストーリー、結末の見えるドタバタ・ラブ・コメディで、これといったショー・ストップ・ナンバーはなく、どちらかというと出演者の芸で客席を沸かせるタイプの作品。宮本亜門を据えたミュージカル版でも四苦八苦とあって、さてはて、スター不在(とあえて言いきっちゃうけれど)なオペラ団体での公演はどうなることかとハラハラ半分ドキドキ半分。  セミ・コンチェルタント形式のオペラ(というか、服部譲二が中心!?)の上演ということで、オーケストラは舞台の上。のぼぉちゃん、良く見えます。
 劇場客席に足を踏み入れれば、「シカゴ」のフィーナーレ・ナンバーや宝塚のラテン・ショーなどに良く登場する細い紐がたくさんつり下がったタイプの緞帳(ってなんて言うんでしたっけ?専門用語ド忘れっ)が、定式幕風に証明で色づけされていて、おまけに通常プロンプター・ボックスが設置されるあたりは落語の高座のように立派なお座布団が一つ。そういえば、本日の上演は、 レチタティーヴォ部分を落語に置き換えて、モーツァルトmeets落語な「おぺらくご」の世界なんでしたっけ。この着眼は面白いですね。でもって、オケが「テンテケテケテケ」とお馴染みの音楽を奏でる中、いきなり古今亭志ん輔が登場。どうやら、昨日の小堺一樹のような役割の様相。劇場の大きさの違いはありますが、通りの良い鍛えられた声や緩急自在な話術に「さすが話のプロ」と感嘆。素晴らしい話術です。
 が、あまりに完成された芸すぎて、他出演者との違和感がありまくり。本来はレチタティーヴォの役割のはずが、存在感がありすぎて、そして、他出演者のエンターテイナーとしての芸に乏しいこともあって、古今亭志ん輔が話を盛り上げてもそれに乗れないっ。ついでに言うと、客席も落語とオペラのギャップに戸惑い、どちらにも乗れないっという、何とも痛々しい空気。なんだか、通訳付きのオペラを観ているようで、舞台に集中できないんですもの。制作現場は存じませんが、準備不足と段取りの悪さに辟易。キメのセリフと同時にオケにジャンッと入ってきてほしいと観客が生理的に感じているにもかかわらず、一瞬オケの控える後方舞台が明るくなってからもやたらと間があき、ようやく音楽スタート。そして繰り広げられるのは面白可笑しく紹介されたのとはかけ離れたいっぱいいっぱいな舞台。。。
 実力者が余裕をもって、遊びを交えて演じてこそ面白いのがコメディにもかかわらず、いっぱいいっぱい感や、気合だけが空回りしていて、客席の反応の悪さに焦りが見られて、アチャーと。中でも男性キャストは総崩れ。オペラとしては異例なことながら、シングルキャストによる連日上演というハンデもあってか、ドン・アンキエーゼ:石川誠二はすっかり疲れきっていて、声が出ない状況。アンダーに切り替えずに最後まで歌い通したのは立派ですが、明らかに無理してます。そして、ロベルト(ナルド):田代和久も、せっかく「面白く口説いて♪」と美味しい役どころを振られても、各国語で歌い分けるだけで、芝居っけまったくなし。ん〜〜〜観ていて、あまりの気の毒さに気が遠くなりそう。ベルフィオーレ伯爵:上原正敏はかなり昔から観ている歌手なのですが、決して好調じゃないのに、安定感がありますね。でも、全般的に棒立ち、無表情なのが男性たち。歌科出身の方たちって割となりきり型が多いというイメージがあるのですが、今日のみなさんはとっても謙虚。
 一方、女性陣はおおむね好調。ヴィオランテ(サンドリーナ):マスタリールは24歳の年齢とキャリアからは信じられない位、安定した歌唱で、舞台での華がありますね。セルペッタ:松尾香世子は一日の長を感じる舞台で、他キャストの芝居を助けようとちょっかい出したり、ご自身も舞台上をうろちょろしたりと大活躍。正直、彼女が登場するとほっとする存在。衣装が白くて照明映えが良いので、せっかくの美貌もライトで顔が飛んでしまって見えたのは、ゲネでのスタッフのミス(ヲイッ!) 公演によってライトも見栄えも変わってくるのが舞台の怖いところ。でも、男を追っかけ、男に追いかけられ、最後にゃ男を乗り換えるというぶっとんだ役を楽しそうに歌い演じてました。もうけ役はラミーロ:ハーゼルベック。芝居の上ではどうってことないのですが、日本人とは違う肉厚の発声、古今亭志ん輔と絡んでのコメディ・シーンなど、長身のスタイルもあって、見栄え・聴き映えがします。アルミンダ:高橋知子は二期会公演で主役も務めるプリマながら、なぜか視線が常に下方向。客席からだと伏せ目・目が線にしか見えず、これまた美貌が活かせず。スターの目線ってみなさん上(ゆえに、かぶりつきに陣取ると、意外と目が合うことないでしょ?)なんだけどなぁ。
 演出家が新人ということもあって、三組のカップルのドタバタが交通整理されないまま幕が降りてしまったのは残念至極。代官ドン・アンキエーゼによる結婚祝いのお言葉(代弁:古今亭志ん輔)ほど、各カップルの個性が際立ってないこともあり、ドタバタ喜劇になり得なかったんですもの。いっそのこと、古今亭志ん輔によるオペラの世界としてくくってしまった方が見る方も演じる方も落ち着いたんじゃないでしょうか。もしくは、もっとみっちりリハーサルを行って、歌と落語とオーケストラを融合させるとかね。今回の状況だったら、普通に字幕付きで(字幕なかったんです)上演した方がよっぽど良いです。芝居も音楽も融合せずに、それぞれの世界を強行するので、その接続がとっても悪かったです。
 服部譲二は頑張ってます。もしかしたら、第二の佐渡っちになれるかもしれない(暑苦しいあたりも共通!? あ、暴言でした)。でも、オペラの最中にやたらとフラッシュライトを浴びて演奏したり、二幕の冒頭でいきなりNPOのごあいさつを読み上げたり(スピーチとは違うと思う)と、何だかモーツァルトのオペラをないがしろにしているような、そんな印象を受けました。良くも悪くも目立つというのはすごいことだと思うんです。普通の人じゃできないし、個人がこれだけのオケを率いて、実験的オペラを上演しちゃうなんて神業。でも、それだけに、NPOとしてオペラを上演するのであれば、もっと良い状態で、と願うばかりです。裏事情、台所事情を知らない人に、たった一回の公演で「オペラってこんなんなの?」と思われてしまいますもの。そして、詳しくない人ほど「良い状態」なのか「いっぱいいっぱいなのか」を空気で感じてしまうのが舞台の醍醐味。
 ……といつになく辛口になってしまいましたが、それだけ期待が大きかったんです。スタッフ・キャストの頑張りはひしひしと伝わってきました。しっかり稽古されていれば、公演回数が多ければ、もっと違うレベルに仕上がったことでしょう。でも、SHOW MUST GO ON。僕にとっては「未完成な舞台稽古」に見えてしまいました。残念。


2009年01月08日(木)18:30-21:00
東宝「スーザンを探して」@シアタークリエ

 A席 9500円 22列-7番 (パンフレット:1500円)

 演出:G2

 ロバータ:保坂知寿
 スーザン:真琴つばさ
 デズ:加藤久仁彦
 ジェイ:吉野圭吾
 アレックス:コング桑田
 マリア:藤林美沙
 ティナ:馬場徹
 レスリー:杜けあき
 ゲリー:山路和弘

 マドンナの主演映画のミュージカル化だそうです。なんで、この作品をミュージカルにしたの?と思う程度の、他愛ないお話です。真面目な主婦のロバータは、チャラチャラした夫との結婚生活に嫌気がさし、なぜか、新聞のメッセージ欄に興味を持ってしまうわけです。メッセージ欄、日本だと「たけし、連絡ください。母」みたいなのがあるでしょ。あれ。で、スーザンあての熱いメッセージに「こんな熱いメッセージを送られるスーザンってどんな人よ?」と思って追っかけまわしていたら、なぜかスーザンと勘違いされてしまって……あとはドタバタ喜劇、というお話。この展開が「そりゃないだろ〜」な連続で、さりとて、それが盛り上がるわけでもなく、ちと退屈。思うに、保坂知寿が、まじめな主婦の場面ではスター性が邪魔して生活感がなく、さりとて、変身後は思い切りが悪く、せっかくの二重人格的な役を活かしきらないのが大きいかと。劇団四季時代はコメディも得意とした女優さんなのですが、退団後は二作品続いてのコメディ、その両方でこけてしまった印象。四季式の無機質なお芝居が抜けきってないのが、外部の舞台では他キャストとの温度差になってしまうんでしょうか。元々、メイクや衣装の着こなしに凝るタイプではないので、まじめな服装からパンクなファッションになっても、セクシーな衣装で男を誘惑しても、とっても無機質。……お芝居って難しいですね。歌もセリフも安定しているんですが。。。
 その反対に、歌は相変わらず下手っぴだし、芝居もオカマにしか見えない真琴つばさの存在感が素晴らしかったです。スーザンという女性のミステリアスな感じ、とらえどころのない感じを見事に表現。昨今の性転換を楽々と完了してしまう、宝塚トップ男役の面々に反し、いつまでも宝塚調の歌とセリフなので、なかなか使いにくい女優さんだと思うのですが、今回は素敵な役との出会いでした。声量の関係か、抑え気味の歌唱に徹していましたが、いっそのこと、宝塚のショーばりに暴れても面白かったかも。
 同じ宝塚出身者でも、見事に女優に化けたのが杜けあき。大浦みずきの休演に伴う代役としての登板ですが、真面目でおっかなくて、態度はでかくてというのが何ともフィット。この役については、大浦みずきよりもフィットしていると思います。兄役の山路和弘にガミガミ言うのが何ともお似合い。
 そんな山路和弘は、コメディ良し、シリアス良し、二枚目良し、ちゃらんぽらん良しと、守備範囲の広さに毎回驚かされます。勝手に「存在感の薄〜〜〜い市村正親」と思っているのですが(なんて書いたら、両方のファンに叱られる?)今回は妻から三行半を突きつけられるダメ夫を好演。でも、保坂知寿と夫婦に見えないんですよねぇ。二人並んだ際に芝居がかみ合わないので、いくら倦怠期夫婦役とはいえ、夫婦の絆が感じられないのもねぇ。なんだか、杜けあきとの方が夫婦に見えた位!
 ま、カップリングはスーザンもどっこいどっこいで、真琴つばさと吉野圭吾も年齢差をかなり感じるカップリング。そして、加藤久仁彦と吉野圭吾が親友同士っていうのもお互い遠慮が見えちゃって、今一つセリフが盛り上がらず。
 と、何ともバランスの悪い面々なので、メイン・キャストの面々の盛り上がりはいま一つでしたが、舞台は化けるので、月末の観劇時までにどう変わっているかが楽しみ(特に保坂知寿は初日近くではイマイチでも、公演を重ねるうちにジワジワと良くなるタイプなのでね)。
 アンサンブルの面々はいまの段階からノリノリ。ティナ:馬場徹は頑張って女装していましたが、いかんせん、真琴つばさという「女性なのに誰よりも女装!」な人が横にいるので、せっかくのおいしい場面が期待程盛り上がらず。マリア:藤林美沙は、この日は韓国人の設定なのか、山路和弘が「○○ハシムニカ?」なんてアドリブ飛ばしていたけれど、最初は外国人の女優さんが登場しているのかと思いました。たどたどしい日本語の言い回しが完璧に怪しくて、大受け。想像通りの展開だけど、まじめ一筋に見えたのが、一肌脱ぐ(というか一衣装脱げば)感情のままに生きる女性に様変わりというのが何とも楽しい。そういえば、この作品って出演者の各自が「思うがままに生きる」というのがテーマなんですよね。自分を偽ることなく、生きたいように生きる。あぁ、なんてロックな世界なんでしょう。
 それにしても、やたらと場面は多いは、次々に突拍子もない展開になるわで、演出はさぞやりにくいかとお察しするのですが、クリエ唯一の舞台機構ともいえる回り舞台を多用し、歩道橋状態に設置された装置も駆使して、多面的かつ立体的に配置されているのが何とも見ごたえがありました。とりあえず、今回はプレビュー公演だったということにして、次回観劇に期待!!


2009年01月09日(金)19:00-21:05
<MIKIMOTO>日本赤十字社第39回献血チャリティー・コンサート
「ニューイヤー・コンサート2009」 @サントリーホール

 B席 4000円 2階-LA5列-24番 (パンフレット:無料)

 指揮:藤岡幸夫
 管弦楽:東京都交響楽団
 チェロ:古川展生
 ギター:村治佳織

 グルダ:チェロとブラス・オーケストラのための協奏曲
 (アンコール)サマー:ジュリー・オー
(休憩)
 ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
 (アンコール)マイヤーズ:ウヴァティーナ
 ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版)

 グルダのコンチェルトは以前も都響&のぼぉちゃんで演奏したことのある曲だったと思います。それもサントリーで。チェロの「行くぞ〜っ!」という雄たけびとともに、ドラムやベースといった電子楽器がジャカジャカと参加。合わせて、ブラスセクションもパオ〜ンと吠えるので、高校ブラスの学園祭での演奏みたいな感じ。あちらがジーンズなどのラフな格好になるのに対し、都響の面々はいつもの格好で、髪の毛逆立ててる人なんていないのが何とも不思議。ロックかと思えば、民謡になったり、バロック風になったり、一曲で一晩分の曲が楽しめる構成。それにしても、音量乏しいソロ楽器(PAで補強はしてましたが)と、よりにもよって賑々しいブラバンでコンチェルトを書こうだなんて、グルダも良く思いついたもんです。ライナーノートによると「しぶしぶ書いた作品」ということなので、もしかしたら、委嘱者への嫌がらせだったのかもしれませんね(真相は知りませぬ)。今日の席は、舞台にはかからないものの、LAブロックだったので、時にスピーカーの音が聞こえなくて、熱演風景のみ眺めることになっちゃったのは僕の誤算。でも、クロス・オーバー的なこの曲を演奏するのに、のぼぉちゃんほどピッタリの人もおりますまい。最近は原色よりも、ややくすんだ色のシャツが多くなったのぼぉちゃんですが、今日も光の加減によっては黒っぽく見える赤シャツでノリノリ。アンコールにジュリー・オーを持ってくるあたり、素敵な組み合わせです。
 休憩の間に舞台は通常のオーケストラ編成に。とはいうものの、独奏楽器がギターなので、かなりの小編成。と、なぜかチェロ・セクションにはのぼぉちゃんがチャッカリ。村治佳織がバネの効かせて心地よくリズムを刻みだすと、オケも負けじと弦を弓でたたき出します。こういった掛け合い場面ってコンチェルトの醍醐味ですよね。コンチェルトに限らず、歌でもダンスでも、ソリストがその他大勢を率いて活躍する場面って大好き! アランフェスはギター以外の楽器にも聴かせどころのソロがわんさか登場するので、ソリスト二人=のぼぉちゃん&村治佳織が短いながらもかけ合う場面が本日の白眉。村治佳織のアンコールはコンチェルトでの興奮を一瞬にしてクール・ダウンさせる美しいウヴァティーナ。観客の感情を思うがままにコントロールしちゃうあたり「スターだなぁ」と感嘆。シンプルなんだけれど、睡魔とは無縁のヒーリング。
 でもって、ラストは「オケが主役や〜」と賑やかなストラヴィンスキー。都響の弦は大規模になっても爽やかな響きが持ち味で、管楽器も吠える必要がないので、リリカルな演奏。そんな中、時折加わるパーカッションが素敵なスパイスですね。バレエではお馴染みの曲ですが、オケのみの演奏でも、一部奏者の演奏姿がまるでダンスのようで、その波が全体に広がって、クライマックスで都響が一つの生き物みたいになってうねるのが何ともエロティック。最後の音と同時に「気持ちいい〜〜〜」という顔で喜んでいたアナタ(って伏字にすることないけど)、聴けたワタクシも幸せでした。勢いある演奏って充実感がありますね(ちなみに、勢いある演奏と意気込みだけの演奏は違います、念のため)。


2009年01月10日(土)17:30-20:50
ムジカ・サンタンジェロ「モーツァルト:フィガロの結婚」@タワーホール船堀 小ホール

 全席自由 4000円 (パンフレット:無料)

 演出:吉野新
 指揮:久世武志
 管弦楽:ムジカ・サンタンジェロ室内管弦楽団

 アルマヴィーヴァ伯爵:金子亮平
 アルマヴィーヴァ伯爵夫人:小森美枝
 フィガロ:吉野新
 スザンナ:田原ちえ
 ケルビーノ:大森麗
 マルチェリーナ:矢野めぐみ
 バルトロ:周藤諭
 バジリオ:岡村一樹
 ドン・クルツィオ:塩塚隆則
 アントニオ:小島光博
 バルバリーナ:新井麻未
 花娘T:前田洋子
 花娘U:守井愛寿咲

 250人程度のホールですが、室内オケが前方を占めているため、たった200人弱の観客だけが鑑賞。昔のどこかの王族のお城での上演ってこんな感じだったかもしれませんね。休憩時間は勝手に「ここはベルサイユ宮殿の中のあの青いオペラハウス♪」なんて妄想に浸っておりました。タワーホール船堀は常設のオペラハウスではないので、上演の制約はとにかく多いのですが、それはそれ。この手の舞台はどんなアイデアが飛び出すかが楽しみどころ。すでに何度か使用されている小屋ということもあってか、劇場の空間を上手に使った人員処理で、変化をつけているのが見どころでした。
 ところで、今回のプロダクション、一部キャストはイタリアのコメディ役者が着用するような仮面を着用しているんです。タイトルロールのフィガロ:吉野新、マルチェリーナ:矢野めぐみ、バルトロ:周藤諭、ドン・クルツィオ:塩塚隆則、そしてバルバリーナ:新井麻未。最初は貴族や庶民を表すのかと思ったんですが、どうもそうではないし、とんと合点がいきませぬ。が、わかっちゃったんです。「年齢詐称の人は仮面を付けている」と。親子関係が逆になってしまうキャスティングや、どうみても年齢に無理があるって人は強制的に仮面の人物になってます。それでも、若さや老齢が出てしまう人は何が原因かな〜と思って眺めること3時間。体のコア部分(舞台用語だとダルマ部分ね)の動きで年齢が出るっ!と。顔の表情は仮面でブロックされてるのでわからないのですが、手足の動きをどんなに頑張ってもダメです、ばれます。若い人はコア部分から動いているのですが、高齢になるにしたがい、コア部分は楽しちゃってるので、手足の動きとギャップが出ちゃうんです。足を持ち上げるにも、腹筋で上げるのか、足の筋肉で持ち上げちゃうのか。ってことは、今後は僕もコア部分の運動を行えば若さをキープできる!?!?(あ、ごめんなさい、もう若くないです)。
 もともと「フィガロの結婚」は役が多く、そして各役に見せ場・聞かせどころがあるので、音大オペラなんかでも頻繁に登場しますが、今回はアンサンブルや助演の人にも見せ場あり。これというアリアのないドン・クルツィオはいきなり「ネッスン・ドルマ」を披露しちゃうし、花boysたちは、本家の花娘よりも先にソロを歌っちゃうし!!! なぜかブレイクダンスや盆踊り、サタデー・ナイト・フィーバーもどきのダンスも登場。ケルビーノは一人だけ宝塚的な所作だし、アルマヴィーヴァ伯爵なんて真っ黒&ロンゲで登場。「さて、次の役はどう見せてくれるのかな」が楽しい公演でした。音楽面では、通常カットされるシャーベットアリアもしっかり登場。そして、キャストがこっそり歌うパートを入れ替えていたりして「のだめカンタービレの世界だぁ!」と飽きることなく終演。前方席だったので、ほとんどオケの一員になったかようのな場所だったので、楽器奏者のやり取りもこれまた面白いっ。


2009年01月11日(日)14:00-16:35
平成20年度新国立劇場地域招聘公演
法村友井バレエ団「アンナ・カレーニナ」@新国立劇場中劇場

 招待席 1階-20列-24番 (パンフレット:無料)
 指揮:堤俊作
 管弦楽:ロイヤルメトロポリタン管弦楽団

 アンナ・カレーニナ:法村珠里
 ウロンスキー伯爵:ヤロスラフ・サレンコ
 アレクセイ・カレーニン:柴田英悟
 レーヴィン:今村泰典
 ウロンスカヤ伯爵夫人(ウロンスキーの母):宮本東代子
 スティーバ(アンナの兄):井口雅之
 キティ:室尾由紀子
 プリンセス・ソロキナ:山野有司
 セリョージャ(アンナの息子):脇塚優

 アンナ・カレーニナ:法村珠里の足さばきの美しさに見惚れた公演でした。足を曲げる、伸ばす、それだけのシンプルな動きであっても、しなやかで、スピード調節が絶妙。どうってないことのようだけれど「動く」ということだけで美しさを醸し出せるダンサーってそうそうおりますまい。なまじ動ける人って「動けるけれど抑えてるんですよ」という動きになりがちなのですが、彼女は抜群の柔軟性とスピーディな勢いを持っているにも関わらず、ゆっくりの動作も、スピードアップした状態でキープ。……文字にすると難しいけれど、マイナス方向に調整ではなく、プラス方向に調整しているので、結果として示す動きは同じであっても、客席に伝わるエネルギーは段違い。凄かったです。そして、体の柔らかさも特筆もので、重力を感じさせずにフワッとつま先が頭上に。それも、前後左右自由自在。勢いであげちゃう人は毎回同じラインになるので飽きるものですが、その時の感情に応じてあげ分けることができるなんて信じられない! 素敵な出会いでした。
 トルストイの有名な小説のバレエ化とあって、言葉がない分、サブストーリーなどかなり刈り込まれているのですが、第一幕などは、ひたすら状況説明に徹していて、ちと睡魔が襲います。台詞も歌もないので、会話場面などが続くとどうしても……ね。よって、ストーリー上はカットしても良さそうな「スケート」の場面や「民族舞踊」の場面などの方が僕には楽しかったです。
 が、いざ状況説明が終わり、主要キャストたちの感情表現の踊りが始まると、俄然面白くなります。アンナとウロンスキー伯爵が人目もはばからず舞踏会で踊り狂う迫力、それを取り巻く他客の冷たい目線、ウロンスカヤ伯爵夫人(ウロンスキーの母):宮本東代子が、アンナをなじる場面などなど、実にドラマティックで僕好み。全体的に女性陣は表現に幅があり、見ごたえがありました。男性陣はウロンスキー伯爵:ヤロスラフ・サレンコが一つ抜きんでた技術を見せましたが、このダンサーとこの役がフィットしているかは微妙。カレーニン:柴田英悟はほとんど踊りがなく、雰囲気だけにもかかわらず二番手格の大役。そして、ちょっとした動きでちゃんと舞台の空気が変わってしまうあたり、ベテランの味わい。とにかく、全体的に「しっかり稽古してきました」な落ち着いた空気が心地良い舞台でした。バレエに限らず、納得のいく稽古がなされた舞台って、何とも力強いものがありますね。出演者の不安って簡単に客席に伝わりますから。細かな部分はさておき「これが今のベストですっ!」という爽快感のある舞台でした。満足♪


2009年01月15日(木)18:30-21:40
宝塚歌劇団月組「夢の浮橋」「Apasionado!!」@東京宝塚劇場

 B席 3500円 2階-12列-51番 (パンフレット:1000円)

 演出:大野拓史(夢の浮橋)/藤井大介(Apasionado!!)

 匂宮:瀬奈じゅん
 光源氏:萬あきら(専科)
 夕霧:磯野千尋(専科)
 明石の中宮:梨花ますみ(専科)
 仲信:越乃リュウ
 薫:霧矢大夢
 女一の宮:花瀬みずか
 横川の僧都:一色瑠加
 二の宮:遼河はるひ
 四の宮:良基天音
 上野の親王:研ルイス
 時方:桐生園加
 大納言の君:美鳳あや
 中将の御許:涼城まりな
 弁の御許:音姫すなお
 衛門督:青樹泉
 女三の宮:天野ほたる
 小宰相の君:城咲あい
 宰相中将:星条海斗
 宣旨の君:憧花ゆりの
 中務の君:妃鳳こころ
 右京大夫:朝桐紫乃
 道定:龍真咲
 右近:美夢ひまり
 侍従:萌花ゆりあ
 小野の妹尼:羽咲まな
 慈童丸:光月るう
 六の君:夏月都
 五の宮:明日海りお
 柏木:美翔かずき
 浮舟:羽桜しずく
 匂宮(幼少):咲希あかね
 紅梅の中の君:蘭乃はな
 小君:千海華蘭
 薫(幼少):舞乃ゆか
 女一の宮(幼少):花陽みら

 今日は芝居の感想のみ。「源氏物語」とはいえ、光源氏役はトップの瀬奈じゅんではなく、専科の萬あきらが演じるということからもわかる通り「宇治十帖」をピックアップした「その後」に近いお話。瀬奈じゅんは光源氏の孫の匂宮、霧矢大夢は光源氏の(公には)末子の薫という設定。おい&おじの関係ですが、年齢はほとんど一緒で「どちらが光源氏の再来か」を競い合った仲。この二人が同じ女性=浮舟に恋をしてしまい、その三角関係と政治がからみあった現実に耐えられなくなった浮舟が入水自殺未遂を経て出家。事態を収拾しようと、匂宮も出家して幕(と思っていたのはどうやら間違いとかで、本当は匂宮は罪を背負いつつ宮中に戻り皇太子→やがては帝となる運命を受け入れるんだと指摘あり。わからんかった〜・汗)。と、ここに至るまでが「本当に宝塚で上演して良いの?」な突っ込みどころ満載。
 匂宮は今で言うプレイボーイ。あちこちの女に手を出してはマーキングしてくるという悪趣味野郎。何しろ、風評が立てばたつほど「期待にはこたえなくては」と張り切っちゃうのですから! でもって、スマートに口説くのではなく、女性を抱きかかえる時は上からのしかかるようにして、必要以上に密着。和物ならではの様式化された動きなのですが、それでは抑えきれないエロティックで雄の本能丸出しな宮様。でも、ハンサムでボンボンでなんとも愛らしいんですヨ。手をつけた女たちに囲まれて「不平不満大会」となった時も「でも、俺様と付き合って楽しいだろう。平凡な男とくっついてたら毎日退屈だぜ」と切り返しちゃったり、薫の彼女がどんな女性が確認しようと薫のフリして彼女の元に押し掛けたり、「三ノ宮ですから、出世なんてとてもとても」と言ってたくせに、いざとなると自分の地位や権力をふりかざして力技で押し通しちゃったり、何とも人間臭いです。「惚れました〜」をはじめ、セリフ回しのタメも色気があって、素敵な色悪。宝塚の主役って、白いイメージでつまらない男が多い中、魅力たっぷりに感じます。薫ではなく、匂宮を主役に仕立て上げたので余計にね。
 で、本来であれば、匂宮と拮抗する役であるはずの薫がつまらないんです。台詞は一本調子で上ずっているし「えっ、霧矢大夢ってこんなに下手だったっけ?」と。でも、見続けていて思ったのは「宝塚としては、一本調子でつまらなく演じなければいけないんだな」ということ。というのは、台本(原作)に問題があるのですが、薫の登場場面ってスミレコードひっかかりまくりなんです。匂宮と浮舟の密会直後に、その匂いで二人の関係を悟ってしまうどころか、いきなり自分のマザコン&男性としてのふがいなさを浮舟にわび出すところとか、古めかしい言葉で語っているので、なんとなく聞き流してますが、結局のところ「ゲッ、他の男のニオイがする。お前、あいつと寝たな!」「アナタは不感症の人形みたいな人だと思っていたけれど、匂宮とのSEXの後は何とも色っぽい顔をするんですね。そういえば、私の母もSEXの後はそんな顔をしてましたっけ。本来であれば、私がアナタをそこまで感じさせたかったけれど、テクニックがなくてゴメンね。」などなど、延々としゃべる場面、さすがに感情タップリには語れないでしょ? そして、恐ろしいことに、この語りの背後で、浮舟にのしかかっている匂宮がせり上がってくるもんだから(セリの形状もあり、まるでラブホテルの上昇します、回転しますのベッドみたい……ってそれらが流行った世代じゃありませんけど、ワタクシは)なんで客席のみなさんが冷静に観ているのかにもビックリ。
 霧矢大夢のみならず、月組生徒一同が、大官能小説に恐れをなしたのかどうかは知りませんが、一律棒読み&棒芝居。兄弟のように育った二人の男を手玉に取り、彼らの運命をも変えてしまう、ファムファタムな女=浮舟も、女としての情念を封じ込めて宮中に生きるものの、その悶々とした心中を匂宮に指摘されてしまう女一の宮も、言葉での説明だけで、芝居の上でエネルギーも変化もないんです。男を知った前後の顔が同じ。男たちも、学年に関係なく、色々な年齢の役を割り振られたというハンデがあってか、政治上の無念さ、主従愛、恋に落ちる過程や、踏みとどまるべき一線を越える際の苦悩などなど、まったくもって表現なし。「源氏物語」って、さまざまな感情がモザイクのように絡み合い、それに政治的駆け引きなどが加わり、とうていあらすじなんて書けそうにない小さなストーリーの積み重ねが面白いはずが、今回の宝塚版はまったくもってお人形芝居。美しさは劣れども、ドロドロした情念の表現については「歌舞伎座で観たかったな」なお芝居と言えましょう。本能的な性欲、動物的な感情などを封じ込められた宝塚の源治物語=傀儡の物語なのですね。さすがに、こうなると、現在の宝塚の生徒の技術を越えてしまってます。深すぎます。何しろ「アンタ誰?」な新人さんにまで大きな役が振られているのですから。和物は衣装やメイクの関係もあって、誰が誰だかわからなくなるので、今回の上演も「源氏物語にやたらと詳しい」もしくは「月組の生徒は下級生に至るまでやたらと詳しい」人でないとついていくのは大変!
 とはいえ、宝塚版ならではの魅力にあふれているのも事実。今回、宮中場面で生徒による琴の合奏が披露されるのですが、舞台下手は山田流、舞台上手は生田流での演奏で、何とも珍しいコラボレーション。実は僕はこの手の知識はないのですが、同行者がこちら方面に詳しいので、思わぬイヤホンガイド状態。(教養ってこんなさりげない時に出てくるもんですね)。一人一人の技量は素人目にも決して高くないけれど、ソロは聴けたものじゃないのに合奏させると日本一になっちゃうどこかの学校のオーケストラのごとく、オケピのバンドと見事な合同演奏を繰り広げる生徒たちに大拍手。そして、匂宮の夜這い〜確保〜女たちの叫喚〜匂宮の申しびらきに至るまでのミュージカル処理、ことに合唱と独唱のかけ合いが実に見事。また、傀儡を大量に登場させ、古代楽器を使用した演奏を繰り広げたり、民族舞踊によるショーシーン、傀儡師たちによる源氏の人形ぶり(萬あきらが名ダンサーの名の通り、見事な人形っぷり。無表情といかにもぎこちない動きが不気味で素晴らしい!)などなど、見どころいっぱい。また、演出面では、大セリをやや舞台上にせり上げ、ちょっとした釣りものを下ろすだけで屋敷内を表現し、ピンポイント場面以外は照明効果で消してみせるなど「低予算で豪華に見せる手法」をあれこれ繰り出しているのが見もの。鳥居を三つ三角形に並べたものを舞台中央に据え、そのまま盆をぐるぐる回してみるなど、東宝劇場の舞台機構の使いまわしの妙もなかなか。でも、やっぱり「宝塚の和物は舞台が華やかできれいだなぁ」とこれに尽きます。


2009年01月20日(火)18:30-21:40
宝塚歌劇団月組「夢の浮橋」「Apasionado!!」@東京宝塚劇場

 当日B席 2500円 2階-16列-21番 (パンフレット:1000円)

 演出:大野拓史(夢の浮橋)/藤井大介(Apasionado!!)

 今日はショーの感想のみ。久し振りに「宝塚ならではのショーを観た!」と満喫の内容。他の追随を許さない公演として何とも心地よいものでした。月組は失礼ながらスターの層が薄いので、ほとんどの場面をトップor二番手が締め、また、下級生がどんなに頑張ろうとも、トップの座は揺らがないという「これぞ座長公演」の鑑。舞台の中心がはっきりしているので、だれることのない爽快感あふれるショー構成。正直、歌手不足、ダンサー不足の組なのですが、ショーの構成と、組子たちの勢いで、充実感たっぷりの満足〜〜〜な盛り上がりとなりました。俺様として人気を誇った瀬奈じゅんが、トップになってからようやく巡り合えた俺様役。今まで、彩乃かなみ相手に「良い人」を演じているのも高感度大でしたが、やはり彼女には俺様&オラオラが似合います。
 このショーで娘役トップ扱いは城咲あい。通常の娘役トップ以上の、いわば専科的な扱いで、幕あきはいきなり一人飛び出してのソロダンス。程なくして他娘役も登場して群舞になっても、芯として一同を率いる強さがあります。スタイルが良いので見栄えがするのと、二階席まで目線を飛ばしまくる意気込みに「スター」としての自信が見てとれます。やがて、専科三人トリオの紹介で、幕がふるい落とされると、大階段に小林幸子@紅白歌合戦ばりの衣装に身を包んだ瀬奈じゅんが登場。顔が小さいので、衣装に埋もれてますwww 彼女のスタイルだと、頭に何か被りものがあった方が見栄えするのに、と思っていたら、あっという間に衣装が引き抜かれて、真っ赤な衣装に。この衣装、なかなか凝ってまして、通常の男役用のスーツでありながら、下半身はプリーツ入りまくりの付けスカート。観る角度によって、男性(男役)にも女性にも見えるという凝った衣装&振り付け。宝塚ならではの両性具有を表現した何ともインパクトの大きな場面です。でもって、主題歌を1フレーズ歌い終わって舞台袖に近づいた時にささっと付けスカートを外し、さて、お待たせしました、瀬奈じゅんダンス・ショーの始まり、始まり。昨今のタカラジェンヌとしては珍しく、すっきりスマートに踊るのではんく、「これがトップってもんよ!!!」とばかりにキザりまくり、無駄な動きを多用して大きく動き「大劇場で、組子を率いる立場」としての使命を全うしたのでした。発表はないし、あくまで僕の憶測ですが「あ、退団を劇団に申し入れたな」と感じました。それ位、最後のショーとして(ちなみに、次作品は「エリザベート」)の思い入れと完全燃焼ぶりがヒシヒシと伝わってきます。この場面でのトップ以外の組子の衣装はくすんだゴールド?黄土色?? 歌詞が「赤く、赤く♪」と歌い上げているし、真っ赤な衣装で統一した方が迫力が出ると思うんですけどね。
 続く景はヴァンパイア……と思っていたのですが、パンフで確認したら幽霊たちなんだとか。千鳥配置に吊り下げられた舞台装置と、これまた千鳥配置にバラ一輪を持って舞台に横たわるダンサーたち。奥行きのない東宝劇場の舞台なのに、いつもより数割増しで奥行を感じ、また、時にスカスカ感を与える舞台も、隅々にまで出演者がいるように見える好コラボ。うつ伏せになったまま、片足だけ頭上高く持ち上げたり、足を曲げてポーズしたままジャンプしたり、蹴り上げた足をそのまま真っ直ぐ腕でかかえてキープさせたりして「男役の力強さと、女性ならではのしなやかさ」を共存させた羽山紀代美の素晴らしい振り付けを堪能。
 次の景は瀬奈じゅんによるヴァレンチノの場面。これまた破格な扱いでソファにしなだれかかってせり上がるは城咲あい。ボブの鬘が実にお似合い。アダルトで、都会的でさばけた女性を演じさせたら、現在の宝塚では屈指のスターですね。彼女=ナターシャの解説により、ヴァレンチノ=瀬奈じゅんの代表作が次々に舞台で再現されるのですが、今回トップ娘役不在、という特殊な状況を逆手にとり、とっかえひっかえいろんな娘役と組んで、さまざまなラブシーンを演じ分けるという、ファンにとってはたまらないだろうなぁなシークエンス。大スターと瀬奈じゅんというトップスターを重ね合わせる、これまた舞台ならではの非現実と現実との融合場面。さぞかし、奥様はやきもきされたであろうと思いきや「みんな、映画に騙されて馬鹿ね。彼が一番愛したのはワタシよ(うろ覚え)」と余裕たっぷり。おまけに「神様はスターにも平等よ」と夫の死をウェットにならずドライに言い放つあたり、何ともスタイリッシュでしょ。悲しみは心の中にだけ秘めていればよろし。そんな奥様の思いをしかと受け止めたとばかりに、ヴァレンチノがスターの孤独を静かに歌い上げ、ナターシャがせり上がったソファにしなだれかかり、こんどはせり下がってフェードアウト。ややもすると、いろんな場面寄せ集めとなりかねない景ですが、ナターシャが場面全体を引き締めるスパイスとなって、何ともお洒落な仕上がり。
 で、男の生きざま、妻の生きざまの余韻に浸る間もなく、中詰め。今回の舞台の目玉場面。我が家では勝手に「オカマの場面」と呼んでます。瀬奈じゅん以外は全員が女役になって歌い踊るというだけなのですが、「だって、宝塚って全員女でしょ?」と思ったアナタ、男役10年の芸をなめちゃいけません。全員、公演前はバンコク&パタヤに研修に行ったとしか思えない、爆笑のオカマ・ショー。男役から女性に戻るだけなのに、なんでこうも中途半端になってしまうんでしょう? 歌い踊っている本人はしごく真剣で、女性らしくシナを作ったり、客席に色目を振り撒いたりと大活躍なのですが、どれもがとっても不似合い。組長さんに至っては、ダンサーならではの「アッハ〜ン」な表情をするだけで、椅子からずり落ちます。怖い、怖すぎます。演出家がイケズ(そして素敵なことに)、どうみてもオカマ(それもお笑い担当にしか見えない!)人の合間に、普通にかわいい子や娘役を挟むものだから、不気味さがなんとも際立つんですよね〜。この場面だけでも今日来た甲斐があるってもんです!!! と、組子たちがアブナク盛り上がる中、瀬奈じゅんは女役の霧矢大夢とザ・ラテンなナンバーを披露。二人ともダンス巧者なのでダイナミックに盛り上がりますが、銀橋に飛び出してのキメのキスがこれまた見もの。宝塚のキスシーンって女同士ってこともあり、なんとなく口元を隠して、雰囲気でごまかす感じがほとんどなのに、互いに顔をつかみ合って「ハッ!」という掛声とともに、まるで噛みつき合うかのような情熱的なキス。女同士ってことをすっかり忘れて、思わずヒューヒューな、今までの観劇歴の中でも一、二を争う迫力。役者がノリノリなので、何とも体育会系。有無を言わさぬ説得力があります。
 で、本能に目覚めた観客たちがいざなわれるのは、怪しい岩山の前。ディズニーシーの「シンドバッド」で、サル達が登場するセットそのまんま。して、若手カップルが仲良く踊っていると、やおら大セリに乗ってセット上にせり上がってきた「サルの惑星御一行」たち。(同行の妻は「天狗の場面」と言い出すし、本当は何だろうとパンフを確認したら「半獣の場面」なんだとか。ま、いずれにしても野蛮な雰囲気)。トップがいきなり悪役のボスという配役もビックリですが、いきなりカップルの男に遅いかかって暴行殺人。続いて、女も襲おうとした瞬間、舞台は「エリザベート」状態。キッと見つめられた瞬間に「愛と死のロンド」が流れ出しそうに、いとも簡単に恋に落ちてしまうんです。一体どうしたことだ?と娘をクンクンする野獣の動きは瀬奈じゅんならでは。強引さがとっても魅力。冷静に考えれば認めがたいのですが、ガサツで強引なこんな役、やたらと格好良く見えちゃうんです。が、仲間を裏切ったと、こんどは「マシュー・ボーンのスワン・レイク」状態。アダム・クーパーが仲間の白鳥につつき殺される場面があったでしょ。さすがにあれほどハードではないけれど、瀬奈じゅんも仲間たちに押し殺されてしまうんです。
 と、ここから先はパンフを読むまでストーリーが不明だったんですが(ストーリー関係なく楽しめるショーでしたけど)、生き残った娘の涙が水となり泉となって……のやや強引な展開。エキゾティック&ワイルドだった舞台が横方向に流れ出てくる白い衣装のダンサーたちに、小汚い面々が押し出され、やがて舞台がスタイリッシュな群舞そして大コーラスとなる中、大階段に80年代アイドルのような格好の瀬奈じゅんが登場。歌い上げて本編終了。
 フィナーレは定番ながら、小洒落ていて、通常のラインダンスがなされる中央で、数人の選抜メンバーが別のダンスナンバーを披露。宝塚ビギナーズには定番のラインダンスを楽しんでもらいつつ、リピーターにはスターのダンスを見てもらうという粋なつくり。蛇足ながら、宝塚って数十倍の倍率を突破した人たちとはにわかに信じられない生徒もちらほらいまして、今日のラインダンスでは、ムチムチの体が網タイツからはじけ出そうな、何ともヤラシイ体のダンサーが何人か。普段のラインダンスだとオペラグラスを使わないのだけれど、今日は中央の選抜メンバーを見ようとオペラグラスを構えると視界に入ってくるわけです。それも銀橋まで流れ出てきて一直線。男役ならではの大柄な肉体でありながら、女性的な脂肪たっぷり&ムチムチな体を見せられると「清く、正しく、美しく」はどこへやら、何ともHな空気に包まれてしまいます。が、そんな邪念を押し流すように、まだラインダンスが終わってないのに大階段には男役の黒燕尾集団が降り立ってきます。これぞ宝塚の美の境地。時差攻撃でわらわらとポーズを変え、フォーメーションを変化させる様は何度見ても感動的。と、そんな大階段のダンスの最中、今度は舞台中央から瀬奈じゅんがせり上がり、ソロダンスを開始。と、ほどなくして霧矢大夢が大階段から駆け降り、瀬奈じゅんとシンクロさせて踊りだすと、トップ&二番手としての幸せな数年間を過ごした仲間だからこそ醸し出せる、信頼関係と華やぎを併せ持つ素敵なペアダンス。そして、この二人に続けとばかりに追随する男役たちのダンスに「組制度って素敵だな」と。締めは舞台にただ一人残った瀬奈じゅんによるソロ・ダンス。一時間、踊りっぱなしにも関わらず、切れ味が鈍ることなく、最後までエロエロにキザな、そして大きな動きながらも切れ味鋭く、見事に踊り抜いてパレード。
 「スタイリッシュに見せよう」だとか「本当は女の子だもん、時には可愛らしくふるまいたい」なんて余計な事は考えず、ひたすら「これが男役ってもんです」そして「これが宝塚の男役でしかなしえない芸です」と、自分の使命にのみ専念する瀬奈じゅん渾身のショー。男役の集大成として、見事に花咲き誇った、文句無しの一時間を堪能しました。宝特有融のハンデを乗り越えようとあれこれ工夫する公演は多いけれど、それらのハンデをあえて、宝塚特有の見せ場ととらえて、自信満々に演じ切る潔さに心から拍手を送ってきました。


2009年01月21日(水)19:00-21:55
新国立劇場オペラ「プッチーニ:蝶々夫人」@新国立劇場オペラパレス

 D席(ATRE会員先行割引) 2835円 4階-4列-46番 (パンフレット:1000円)

 演出:栗山民也
 指揮:カルロ・モンタナーロ
 東京交響楽団

 蝶々夫人:カリーネ・ババジャニアン
 ピンカートン:マッシミリアーノ・ピサピア
 シャープレス:アレス・イェニス
 スズキ:大林智子
 ゴロー:松浦健
 ボンゾ:島村武男
 神官:龍進一郎
 ヤマドリ:工藤博
 ケート:山下牧子

 天井桟敷の人々をしてきました。ATRE会員チケットなので、回りは何とも慣れた様子の人たちばかり。列の真ん中の人が来れば、誰も何も言わなくてもサッと立ち上がってヨーロッパの劇場みたい(劇場によっては、ガンとして通せんぼしたまま「またげ」とばかりにどいてくれない人ばかりだったりします)。そして、一人者の客が目立つのが特徴。それでいて、ブラボーやらタイミングの良い拍手やら、歌舞伎座の天井桟敷にもつながる何とも心地よい空気が流れているんです。見下ろす感じになるので、積極的には購入しない席ですが、久し振りにその楽しさにドップリ。
 蝶々夫人は序曲がなく、いきなり弦楽器の序奏で幕が上がります。この序奏、今日の演奏は非常に早く、荒々しいんです。まるで、かりそめの結婚式に集う人たちを揶揄しているかのよう。同じ音楽なのに、ちょこっと演奏が変わるだけで、ザワザワ浮ついている空気になるんですから、音楽って面白いですね。
 で、早速登場するのがゴロー:松浦健。昔も今も歴代最高のゴローじゃないかと思ってます。一時は、松浦ゴローと勝手に芸名で呼んでた程。もしかしたら、日本の蝶々夫人で、最もゴローを歌っている人かもしれないのえすが、とにかく役が体に染み込んでいて、演じているのではなく、舞台から生えてきたかのよう。段取りなんてこの人には存在しません。結婚斡旋人として、口八丁で嘘と誠を使い分けて、アメリカ人からは斡旋手数料を巻き上げ、ついでにチップも何かにつけては頂戴し、日本人の娘や下男・料理人たちを簡単に売り飛ばす男。何ともやくざな輩です。よって、蝶々さんとピンカートンの結婚披露宴の準備も真面目になんて行わず、油断しようもんならすぐに足元をすくわれてしまうしたたかさが何とも魅力。小生意気でチープで、松浦ゴローを観ると、ウエスト・エンドのスタッフが「ミス・サイゴン」を制作する際、蝶々さん=キムでなく、ゴロー=エンジニアを主役にしたのも納得させられます。エンジニアの原型ここにありき! 松浦ゴロー出演日は観劇の楽しさが3割増しです。
 さて、オペラ版のヒロインはもちろんタイトルロールの蝶々さん。日本人女性の役だからと、なんとなく日本人の専売特許的役で、外国のオペラハウスでの観劇も含めて、アジア以外の蝶々さんを観る回数は片手で足ります。今回の蝶々夫人はアルメニア人の歌手、カリーネ・ババジャニアンが登場。新国のスタッフが付きっきりなんでしょう。着物の着付けも、和物の鬘もバッチリ。おめめパッチリの愛らしい蝶々さんが登場。足元がたまにガニ股になっているのはご愛敬。今までの蝶々さんのイメージというと「控え目で弱々しい少女で、感情表現はチラッと眼力を飛ばすだけにもかかわらず、時にハッとするような強い意志を見せる人。武士の血筋を甘く見るなよ」というものでしたが、ババジャニアンの蝶々さんは正反対。「感情豊かで表情がくるくる変わり、身振り手振りどころか、物を投げる、着物の裾をパタパタさせて走り回る、腕なんてブンブン振り回すという何ともダイナミックなもの(よって、着物がだらしなく着崩れてしまい、さりとてご自身では直せないので、とんでもない状況に!!! 宝塚の初舞台性みたいwww これもまたご愛敬ですね)。でもって、いざとなると精神面がとっても弱く、自分をコントロールできなくなるとヒステリーを起こしてしまう」人で、日本の神は自ら捨て、アメリカの神には見放され、精神のよりどころを失って呆然とぬけがらになってしまうのがとっても印象的。おそらく、日本人と西洋人の体躯の違い、発声の違いも影響しているのではないでしょうか。日本人の細くて鋭い声で蝶々夫人を歌うと、その鋭さが冴えわたり、時に絶唱で蝶々夫人の痛々しさが嫌が上にも際立ち、時に凛とした位取りを感じます。一方、らくらく声が響くババジャニアンの場合、深い声を響かせるのが持ち味で、その強い声が場面に応じて柔らかな響きに変わるのが印象的。歌舞伎の細やかな芝居を見慣れていると、ダイナミックだけれど大味に感じる箇所も。でも、イタリア・オペラはこうして歌うのかしらん、と目から鱗の場面のあちこちに。しらじらしく思えていた歌詞も、ババジャニアンの声で歌われると説得力が出てきたりするのですから。日本人の役とはいえ、蝶々夫人はあくまでイタリアの作品なんだなぁ、と。
 さて、ピンカートンは二枚目でありながら、悪役として描かれることが多いですね。領事たちの忠告に聞く耳を持たず、自分勝手で責任感もほとんどなく、いざとなると逃げ出してしまうという男として情けないヤツ。でも、今日思ったのは「立派な大人が演じているけれど、単なるヤンキー(アメリカ人という意味ではなく、渋谷センター街のヤンキーね)じゃんってこと。バックパッカーとして、発展途上国を訪れ、レートの違いで成金気分を満喫。女性を愛情ではなく、性欲の対象として見ているので、文化や風習は一切無視。時に馬鹿にしまくって、結婚式もゲーム感覚。自分が買ったおもちゃだから、他の人にいじられると怒るものの、飽きてしまったらポイッ。で、そんなダメンズなピンカートンの妻・ケートもロングヘアにパーマをあてて、タバコ片手にでも登場してほしいキャラ。ま、時代背景が今と違うので、貴婦人然とした格好で登場しますが、言っていることと言えばイカレタ姉ちゃん。スズキに対してもツンツンした対応で、自分のダンナの不祥事が原因だというのに威張りまくってて「ちゃんと言ってよね!」だとか「ね〜、子供は渡してくれるんでしょうね?」だとか、なんだかピンカートンが尻に敷かれている姿が創造できます。なんだか、とっても馬鹿っぷるに見えるピンカートン&ケートでした。
 でも、そんなしょうもない男に翻弄される蝶々さんも蝶々さんで、スズキが時に忠言しようにも、すぐヒステリーを起こして、手がつけられなくなるでしょ。ま、15歳の少女というと中学生か高校生だから、こちらは理解できるんです。ちょっと不良のヤンキー野郎=ピンカートンとの恋に恋して夢見る夢子ちゃん。そんな彼女が子供を託すアメリカってそんなに良い国ですか?と問題を提示するのが今回の演出の爆弾。蝶々さんが庭先で母屋に向かって切腹する瞬間、無表情、無感動に母屋から母親に向かって歩き出てくる息子が何とも怖い。父に逃げられ、母に捨てられ、さてはてこの子は幸せになれるんでしょうか。最近、若い子の突発的衝動による悲惨な事件がニュースになることが多いけれど、蝶々夫人の時代とて何らかわりはしません。後先考えずに、一時の感情で考えなしに事を起こし、後になってから「そんなつもりじゃなかった」と結果の重さにショックを受けると。。。何ともやりきれないストーリーを、プッチーニならではの何とも甘いサウンドがロマンティックに染め上げるのですが、最後の最後に照明さんが劇的表現を披露して幕。何ともショッキングなプロダクションです。


2009年01月23日(金)19:00-21:15
レクチャーコンサート2008-2009『激動の時代と音楽』シリーズ
第4回〈ドイツ・オーストリア編〉 @東京文化会館小ホール

 S席 3800円 B列-20番 (パンフレット:無料)

 チェロ:古川展生
 ピアノ:坂野伊都子

 バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番
 ベートーヴェン:チェロソナタ第2番
(休憩)
 ブラームス:チェロソナタ第2番
(アンコール)
 バッハ:カンタータ第156番より「アリオーソ」

 全5回のレクチャーコンサート。第4回はのぼぉちゃんが登場。フランスだとか、東欧ならば「!」ですが、ドイツ・オーストリアを担当と聞き、ファン一同「!?」で今日を迎えました。でも、非常に意欲的なプログラムということで期待たっぷり。何しろ、ドイツの三大Bと呼ばれる大作曲家たちですもの。なお、Bはアルファベットで二番目ゆえ、今日取り上げられる作品はどれも2番。何ともお洒落なプログラミングです。実はこのチケットを購入したのは発売日からややたったとある日なのですが「一列目も二列目もお好きな場所があります」との案内を頂戴し、小心者ゆえ、二列目を確保したのですが、ふたを開けてみれば、ほぼ満席でひと安心。って、僕が客入りまで気にすることはないんですけどね。
 もともと、コンサートでしゃべりまくりののぼぉちゃんですが、レクチャーしなければということで、今日は準備したことを大学ノート(ってのが可愛いでしょ)に書いてきたとかで、譜めくりならぬ、大学ノートをめくりながらのトーク。予定時間を15分もオーバーするほど饒舌に、あれこれお話してくれました。作曲家へのイメージから、曲の構成についてなど、あれこれあれこれ。突っ込みを警戒して、「あ、あくまで個人的な意見ですけど」などの言い訳が多かったけれど、いじられキャラなんだから、突っ込みなんて気にせず、大らかに楽しんでチョウダイ! そ〜んなのわかってますってwww なんてったって、のぼぉちゃんのコンサートなんですから。何でもありってもんでしょ! 
 一曲目はバッハの無伴奏組曲。東京文化の小ホールは正方形の空間を斜めにぶった切った構造で舞台上の天井が非常に高く、コンクリートの壁は、切り刻んだような壁がまるで岩山のように切り立っているので、何だかヨーロッパの教会にいるみたい。素朴なチェロの響きが何とも平和。チェロ組曲の中でも二番って地味な印象があるんですが、今日はジジ臭い曲(あ、これは私の個人的な意見ね)を、颯爽と駆け抜けました。最近でこそ言われなくなったけれど、割と最近まで「若手チェリスト」として紹介されていたのは、演奏のスタイルが影響しているのかもしれませんね。
 さて、二曲目では伊都子さんが登場。明るくブリーチした髪と色味をそろえた、茶色にも金色にも見える落ち着いた中にもゴージャスなドレスで登場。小柄な方なのに、ゴージャスが何とも似合って素晴らしい♪ ちなみに、本日ののぼぉちゃんは、久し振りに正装です。ベートーヴェンの器楽曲って、「ヴァイオリン・ソナタ」だ「チェロ・ソナタ」だというタイトルであろうと、実質は両者が対等に渡り合う室内楽的な作りが魅力。どちらかが委縮しても、どちらかが主役を意識しすぎてもうまくいきませぬ。のぼぉちゃん&伊都子さんの演奏はというと、すでに共演多々ということもあってか、それぞれ勝手に弾いているようでいて、息は合うし、場面によっては「ここはピアノが主役でしょっ!」とばかりに伊都子さんがバリバリ弾くので、なかなか素敵なカップリングなんです。(レコーディングは、所属会社などのしがらみがあるんでしょうが、ぜひこの二人で記録を残していただきたいものです。コンサートの中継でも良いんだけどなぁ)。
 で、常々「伊都子さんが僕のことを“古川さんのファンの人”と説明するけれど、実は伊都子さんのファンでもあるのに!」と僕が怒っている通り、今日はのぼぉちゃんを目の前にして何ですが「チェロ伴奏付きのピアノ・ソナタ」でした。伊都子さんのピアノは、音色の変化、タッチの変化が結構ドラマティックで、耳は釘付けだし、目も離せないんです。こんなにタッチに注力する姿が見え見えのピアニストも珍しい位。実は、僕がこの方面にとっても興味を持っているものでして、指や手首、腕をはじめとした筋肉の使い方、ペダリングなどなど、公開レッスンばりに学ぶことが多くて、思わずノートを取り出して、メモしたい衝動に駆られたほど。今回とっても印象に残ったのは、鍵盤からの反重力的動き。低音やオクターブなど、日本人として体格面でハンデのある身としていかに演奏するかって、パワーではさすがに無理があるのですが、鍵盤から指を離すタイミングや、微妙に揺らすリズムによって「古典作品でもここまで自由を効かせて良いのか!」と目から鱗。大パワー×短時間のタッチでも、小パワー×長時間のタッチでも、結果の数値は同じになるでしょ。顔パックをはがす時のような指さばきなんて、実際にピアノを弾く時って、いかに短い時間に音を押し込むかで焦ってしまうのですが、イメージとしてはベリベリッと引っ剥がすのね、など、面白くて面白くて……同じ会場にいらした某知人はのぼぉちゃんの演奏についての感想を述べてましたが、ごめんなさい、この曲については伊都子さんの演奏しか記憶にないんです。あぁ、のぼぉちゃんファン失格やわ。
 休憩中に気を取り直して、ラストのブラームス。のぼぉちゃんがブラームスのソナタを弾くのを聴けるなんて、今回の企画ならでは。なかなかレアなプログラムです。編成はさっきのベートーヴェンと同じなのにもかかわらず、演奏法の進化もあって、何とも分厚く色彩感あふれるサウンド。ピアノもチェロも反復運動が多くて、第一楽章から「エネルギーこんなに使って大丈夫か?」とヒヤヒヤするほどの熱演。丁々発止の渡り合いです。が、ブラームス=厚い弦の響きというイメージが邪魔をして、のぼぉちゃんの時にかすれる、ハスキーなチェロの音に慣れるまでやや時間を頂戴することに。ブラームスっていかにも「ゲルマン民族でございます!」なフレーズの長さ・重さがあるのですが、そこはオケで散々ブラームスのシンフォニーを弾いているんですもの、ほどなくして「のぼぉちゃんのブラームス」が登場。が、が、意外にも途中で力尽きてしまい、後半は「とにかく弾ききりました」に。弾き込み具合が違うんです。まだ、のぼぉちゃんの音楽になってなく、聴いている側としては、音楽に酔うには至らず、そういえば、以前、ショパンやラフマニノフを初めて聞いた時もそうでした。ありがたいことに、その後、演奏を重ねるうちに、のぼぉちゃんの曲として熟成してくれるので、きっと今回のブラームスについてもリベンジの際はすっかり別な曲になっていることでしょうが、こういった状態でも公開しちゃうので、最近は「変化が楽しみや〜」なんて気楽に構えてますが、それと同時に「一見さん(一聴さん?)が、今後も来てくれますように」と、これまた要らぬ心配をしてしまうわけです。
 とまあ、あれこれ思うことはありますが、意欲的なプログラムに果敢に取り組む姿、結構好きなんです。この年齢になっても、まだまだ発展するんだなぁ、と嬉しくなりますから。次回はぜひうならせてください! そして、アンコールはバッハの「アリオーソ」。この手の歌っぽい小品をお洒落に聞かせるのはのぼぉちゃんの十八番中の十八番。バッハって素晴らしいメロディ・メーカーだなぁとウットリです。でもね、でもね、やっぱり来て良かった〜と思うあたり、単なるファン馬鹿です。ええ、もうこの際認めます。ファンです、突っ込みどころを探しつつ楽しんでます、次のコンサートも行きます♪


2009年01月24日(金)11:00-13:35
宝塚歌劇団雪組「忘れ雪」@日本青年館

 S席 6500円 1階-S列-48番 (パンフレット:600円)

 演出:児玉明子
 チェロ:町田妙子

 桜木一希:音月 桂
 桜木清一郎:未沙 のえる(専科)
 鳴海善行:飛鳥 裕
 伯母:ゆり香 紫保
 菊池四郎:奏乃 はると
 鳴海昌明:凰稀 かなめ
 南信一:真波 そら
 笹川宗光:緒月 遠麻
 深雪の母:晴華 みどり
 桜木満:大湖 せしる
 伯父:葵 吹雪
 須崎:祐輝 千寿
 中里信一:蓮城 まこと
 羽村:香綾 しずる
 金井静香:愛原 実花
 橘深雪:舞羽 美海
 桜木一希(高校時代):帆風 成海

 タカラジェンヌの中には楽器演奏を得意とする人が結構いて、舞台上でソロ・ピアノを披露する人あり、ヴァイオリンや、クラリネットなどの演奏もありましたっけ。で、今回はチェロだと思ったわけです。日本青年館での宝塚公演はカラオケ公演がほとんどなので、最初はダンサーが振り付けとしてチェロを弾いていると思ったんです。何しろ、舞台のど真中でライト浴びてチェロ弾きまくっているので。でも、良く見ると、音と動きがリンクしているし、指板の動きなど、アマチュア芸をはるかに超えているので「ダンサー邪魔っ」とばかりに、ずっとチェリストばかりをオペラグラスで眺めてました。昨日は「やっぱりピアノが好き〜」と思っていたんですが、今日になったら「チェロって良いわぁ」なんて言ってるんだもの、勝手なもんです。で、挿入曲が、今、アカデミー賞にエントリーされたとかいう、のぼぉちゃんがソロを弾いている映画の曲みたいな雰囲気なんで、余計にね。でも、凰稀かなめが決して巧くはないサックスを披露すると会場は拍手喝 采なのに、彼女のチェロには反応にぶいなぁ、と思っていたら、なんとミュージシャンとしてチェロだけ生で参加だったんですね。経歴を調べてみたら、武蔵野音大→のぼぉちゃんの学校ということで、そりゃ良いですわ。うっかり東宝オケからひっぱってこなかったあたり大正解(って、日比谷のみなさんゴメンナサイ。でも、あなたたち、下手っぴです)。で、なぜ、町田女史を生徒と間違えたかと言うと、演奏位置がやたらと動くんです。舞台の真ん中だったかと思えば、装置の中だったり、舞台裏だったり。動きが多いせいか、すべて暗譜状態。演奏のために楽器や椅子の調整をする間もほとんどないでしょうに、弾きっぱなしの名演奏。いやはや素晴らしかったです。ま、欲を言えば「生徒でなければのぼぉちゃんが良いのに」ですが、宝塚歌劇の舞台上だと、ミュージシャンといえども女性の方がふさわしいんでしょうね。ま、のぼぉちゃんは、ここ1か月の間に、オペラあり、コンチェルトあり、オーケストラあり、室内楽あり、ソロありで、不満はないんですが、ファンって底沼。
 と、宝塚から全然かけ離れた観劇日記になってしまいました。さて、今回上演された「忘れ雪」というのは新堂冬樹原作の小説の舞台化だそうです。でもって、なぜこの作品が企画会議にとりあげられ、そして上演に至ったのかが謎なんです。正直、そこまでの作品とは思えないので。。。どの場面もどこかで観たことがある設定、セリフのオンパレードで、「冬のソナタ」あり「犬と私の10の約束」あり「プーさんのハニーハント」あり「イヴのすべて」あり、エトセトラ、エトセトラ。ま、舞台となると、上演時間も空間的制約もかなりあるので、イメージの膨らむセリフを用いるのはアリだと思うんです。が、まず動物が活躍という導入部分、ぬいぐるみやら影絵やら、アニメーションやら、演出の知恵の絞り具合には感嘆ですが、効果が出ていたかというとまた別問題。おまけに、場面ごとに都合よく事件が起き、都合よく解決の道が出てくるというお話は、連続ドラマとして細切れにして放送するテレビだったら良いと思うんです。毎回楽しめますから。でも、舞台では、あまりにも突拍子もないことが目立ってしまって……途中で力尽きます。
 音月桂はかなり嫌な役です。そりゃ、高校生が小学生に惚れられて「将来、結婚して!」と言われても本気にするとは思えませんが(本気にしてたら、それはそれで問題ですけど)、いくらなんでも、本人が登場し、あれこれ当時の思い出話を振っても全然記憶にないなんてありえましょうか? てっきり「これは、主人公が記憶喪失になったんだけれど、苦難を乗り越えて結ばれる話に違いない」と1幕が終わった段階では思ってたわけです。が、何、単なる物忘れってだけ。恋愛経験がほとんどない、という高校生男子・大学生男子がこの手の思い出をすっかり忘れてるなんてありえない!! もうこれだけで主人公への感情移入は無理ってもんです。
 舞羽 美海はランドセル背負った小学生の女の子として登場し、大人になるまで一人でこなしていてなかなか健闘。でも、小学生の時のあこがれをずっと持ち続け、7年ぶりにいきなり「恋人ですっ」と初対面の女性に向かって宣言しちゃうあたり、かなり困ったチャンかもしれません。純愛といえばそれまでですが、実際にこんな人が現れたら怖いですよ〜。初対面の女性がもしかしたら現彼女かもしれないし、はたまた奥様かもしれないのに。ってドライなこと考えてる僕って、結局のところ「異国の地で結婚ごっこをして遊んだ15歳の女の子だもん、3年もすりゃ僕のことをすっかり忘れてるよね」というピンカートン(ご存じ「蝶々夫人」です)と似たり寄ったりの思考回路。はっ、今までピンカートンって嫌な奴と思っていたけれど、結局のところゴローがピンカートンには日本女性の心理(当時は15歳は晩婚だった!)を、蝶々夫人には契約内容(現地妻としての在り方)をきちんと説明しなかったのが問題であって、もしかしたら、ピンカートンにとっては、いきなり重い問題を突きつけられるのは迷惑至極だったのかも、とこれまた関係ないことを考えていたりして。。。


2009年01月27日(火)18:30-21:35
新国立劇場オペラ「J.シュトラウス:こうもり」@新国立劇場オペラパレス

 C席 7350円 3階-L8列-1番 (パンフレット:1000円)

 演出:ハインツ・ツェドニク
 指揮:アレクサンダー・ジョエル
 東京交響楽団

 ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン:ヨハネス・マーティン・クレンツレ
 ロザリンデ:ノエミ・ナーデルマン
 フランク:ルッペルト・ベルクマン
 オルロフスキー公爵:エリザベート・クールマン
 アルフレード:大槻孝志
 ファルケ博士:マルクス・ブリュック
 アデーレ:オフェリア・サラ
 ブリント博士:大久保光哉
 フロッシュ:フランツ・スラーダ
 イーダ:平井香織

 2006年6月に初演を迎えたプロダクションの再演です。オペレッタって、通常のオペラハウスでは滅多に上演されないんですが、普段真面目ぶってワイドショー的な作品を歌っているオペラ歌手が本性を発揮して、ひたすら「楽しませること」に注力するのが何とも余裕があって素敵でしょ。この手の作品は本気で歌われちゃっても粋じゃなくなるので、ちょっと流し気味、崩し気味の方が「気分」ってもんです。オケと歌がちょっとずれる位、気にしない、気にしない。
 となると、歌唱力はもとより、歌役者の遊び心やセンス、表情の豊かさが問われてくることになり……個人的にオペレッタは翻訳上演よりも、言葉のハンデはあっても外来キャストによる公演の方が好きです。楽譜なし、セリフなし、表情だけで場を盛り上げるには、彫りが深くて濃いお顔がお似合いですから。そして、ウィーン物は何と言っても、ドレスの着こなしが決まらないと様にならないでしょ。
 そんなわけで「来日公演か!?」な舞台、大いに楽しんできました。前回公演は、ほとんど当て書きとも思える台本だったので、役者が総入れ替えとなって、どんな変更が加えられるか、というのもリピーターの楽しみ。
 で、今回のヒットはオルロフスキー公爵:エリザベート・クールマン。前回公演のエレナ・ツィトコーワがフェアリー・タイプの男役として、絶品の美しさで魅せただけに、比較対照として厳しい立場ながら、麻実れいタイプの立役系男役として、ガウンをひるがえして登場しただけで場面の中心はオルロフスキー侯爵! これぞ、位取りってもんです。長身にお髭が映え(生えてるみたい)、ビシッとした立ち姿、余計な動きをそぎ落とした動き、力強い歌声に酔いしれました。新国のオペラって、男役に関してはかなり良いセンスしてると思います。ひたすら二枚目だった仏頂面が、爆笑して顔全体が笑顔になるギャップもなかなか。このなりきりぶり、大好きです。
 ロザリンデ:ノエミ・ナーデルマンは、生活感たっぷりの奥様が、舞踏会では旦那の目も欺く大変装なのが見もの。そして、失礼ながら、コメディエンヌ顔なので、旦那の浮気を疑う時、小間使いが自分のドレスを拝借しているのを見つけた時、旦那が刑務所ではなく舞踏会で遊び呆けている姿を見た時、妻には嫉妬深いくせに自分はプレイボーイなセリフを連発する旦那に怒りあらわにする時、などなど、オペラグラスが手放せません。目を見開くだけで、とにかくオカシイ。
 で、ロザリンデがキィ〜っとなっているのに、小間使いのアデーレ:オフェリア・サラは、ひたすらおきゃんな小娘。前回の中嶋彰子アデーレはスザンナ的と言いましょうか、頭脳戦を得意とする役作りでしたが、オフェリアのアデーレはビービーうるさい天然型。雇い主のアイゼンシュタイン夫妻ですら手を焼く現代っ子って感じで、仕事よりも私生活優先、遊びのためなら「命がけで」奥様のドレスを拝借して丈まで詰めちゃう怖いもの知らず。「女中ですって!?」では、単純に雇い主をコケに出来る喜びがいっぱい、「田舎娘になるならば」では女中→女優の自分に酔っちゃって、どちらも感情最前線。女の子の憧れのエネルギーの爆発が何とも元気一杯。それでいて、下品にならないのが西洋人って得ですよね。同じ芝居を日本人がしたら、下品で厭らしくて、観ていて恥ずかしくなってしまうのですから。ま、それぞれの良さですね。
 で、こうもりの復讐のターゲットになるアイゼンシュタイン:ヨハネス・マーティン・クレンツは、長身でスリムで足長で格好良いこのこの上なし。これで外ヅラが良いのですから、こりゃモテルわな。マンガ・チックな奥様との並びも美しく、絵になるカップルです。まだ若いので、動きがシャープできれいなのも、舞台で暴れまわるオペレッタにはピッタリ。ファルケ伯爵にリフトしてもらったり(抱きつく、とも言う)、コートにストールでダンディに踊り狂ったり、衝立を足の間に挟んでぐるぐる回ったり、体力に余裕があるので、手に汗握らずに見られるのが嬉しい。このあたり歌舞伎の「型」のように見せるのもアリですが、僕は元気な舞台が好き。
 フランク:ルッペルト・ベルクマンは相手役との芝居で映えるタイプのようで、オルロフスキーとのエセ・フランス人漫才や、フロッシュ:フランツ・スラーダとの酔っ払い対決など、何とも息の合った芝居っぷりで、時にしらけるこの場面、ちゃんと笑いで満たしてくれたのは嬉しい限り。オペレッタって、主役だけでなく、チョイ役にいたるまでの集団演技力が問われ、ちょっとした事で全体のバランスが崩れてしまうのですから、恐ろしいですね。「コメディは難しい」と役者も演出家も口を揃えて言いますから、いざ幕が開いたら、勢いに乗ってGO〜〜〜〜〜なこの作品、脇をしっかり固める人がいてくれて感謝・感謝。
 アルフレード:大槻孝志は小柄で童顔なのを活かしてペット的扱い。あくまでセカンド君、遊び相手なのにも関わらず、彼氏ヅラするのでクスクス。ファルケ博士:マルクス・ブリュックはパパイヤ鈴木のような、葉加瀬太郎のような、ラカトシュのような、独特の風貌で、とにかく胡散臭い。今まで、ファルケ=善人面の二枚目が多かったせいか、何とも怪しいマルクス・ファルケには「ダマされちゃ駄目だよ〜〜〜」とアイゼンシュタインに突っ込みたくなり……なんだかんだで、今回も役者に合わせておもろく加工されてます。
 でも、ちょっと舞台に寒い風が吹いていたのは、劇場が大きすぎるのが原因でしょうか。合唱団・バレエ団が、メインキャストとは裏腹に、肩に力が入っていて、歌もダンスも素晴らしいのだけれど「気楽に行こうよ〜」と思ったのも事実。格調の高さとレベルの高さは大好きなんですけれど、あえてそれを崩す「粋」については、まだ今後に期待ってところでしょうか。オケは、指揮者・歌手の暴走によくまあ付いて行きました。こちらも、次公演ではも少し遊びが入るとおもろいかと。都響がピットに入ると面白いと……思いません?


2009年01月30日(金)21:40-23:40
映画「マンマ・ミーア」@TOHOシネマズ市川コルトンプラザ スクリーン8

 全席指定 一般前売 1300円 K列-21番 (パンフレット:600円)
 監督:フィリダ・ロイド

 ドナ:メリル・ストリープ
 ソフィ:アマンダ・セイフライド
 サム:ピアース・ブロスナン
 ハリー:コリン・ファース
 ビル:ステラン・スカルスガルド
 ロージー:ジュリー・ウォルターズ
 ターニャ:クリスティーン・バランスキー
 スカイ:ドミニク・クーパー

 ABBAの楽曲を使用した大ヒットミュージカルの映画版。外国での上映の噂ばかりで、日本での上映は待ってました!でした。とにかく、予告編を見せられること数か月、ようやくマンマ・ミーア♪が登場です。この作品はオバサマではなく、生活感あふれまくりのオバチャンたちのパワーが楽しい。舞台版でも、このオバチャンらしさがどこまでだせるかが成功の鍵だと思ってます。メリル・ストリープって、ニューヨークのキャリア・ウーマンがいかにもピッタリだと思ってたのに、簡単にギリシャのボロ・ホテルの経営者以外に考えられない程の役作り。変わり身の鮮やかさが圧巻です。
 キャスティングは何ともゴージャスですが、なに、60歳前後の面々なので、正直格好良くなんてありません。また、ミュージカルを得意ともしていないので、お歌になるとこわばっちゃうおじちゃんに、ダンスになるとスポーツクラブでウッカリ上級者クラスに紛れ込んでしまった初心者みたいなおばちゃん。でも、それがとっても「普通感」を醸し出していて良いんです。というか、ギリシャの青い海と白い建物、キラキラしたお日さま下では、そんなこと、誰も気にしません。自己肯定からくる自信の前では、歌だのダンスだのの上手い下手なんて消滅。いかにノリノリになるかが大事。
 ドナ:メリル・ストリープはとってもパワフル。女手一人で、ホテルを切り盛りし、娘を育て、使用人たちを仕切るとなると、これ位のパワーが必要です。なぜか、ちょっと松坂慶子似。映画版ならではの楽しさとして、若かりし時代の写真が登場したり、実際の切り盛りぶりが細かく描写されたり。でも、結構アバウトで、どちらもおもわず「プププ」と笑いながら突っ込みを入れたくなるものばかり。ん〜〜〜、ブロードウェイのスタッフもギリシャの地ではユルユルになった模様。
 正直、ド・ブスなターニャ:クリスティーン・バランスキーは「私って良いオンナでしょ」ぶりが何とも最高。そもそも、美の基準なんて人それぞれ。ド・ブス=とっても個性的ということで、確かに、本人が「私って素敵でしょ」とおっしゃれば、取り巻きは「確かに素敵です」と納得させられてしまいますので、今後は僕も自信を持って生きたいなと。ロージー:ジュリー・ウォルターズだって、年齢だの容姿だのは放り出して「アタシはいかが?」と堂々とナンパ。サム:ピアース・ブロスナンも20年のブランクも何のその、ドナにアタック、ハリー:コリン・ファースは島の男の子とラブラブになってカミング・アウト(このあたり、舞台版とちょっと違う)。みなさん、とにかくウジウジ悩まず、阿多って砕けろ!です。
 で「マンマ・ミーア」の魅力というと、自身満々になれること。誰かが落ち込んでいれば「チキチータ、どうしたの?」だし、元気出せよとばかりに「ダンシ〜ング・クイーン♪」と盛り上がっちゃうのですから。「言わないで〜」だの「SOS」だのぼやいてみても、ラストは「THANK YOU FOR THE MUSIC」で締めくくっちゃうあたり、精神構造といい、物事の収拾方法といい、まさに僕のための映画ね。どの曲も耳当たり良く、おまけにノリノリ。幸せです。
 舞台版だとちと影が薄いソフィ、結構難しい役です。登場と同時にハイテンションで、観客を真っ先にノリのりにしなくてはならないし、おじちゃん・おばちゃん大暴走のきっかけを作らなくてはならないので、非常にエネルギーが要るんですが、ソフィ:アマンダ・セイフライドが何とも適役。目がクリクリしていて大きくて、表情豊か。セリフだけでなく、表情で感情を伝えられるのって強いですね。三人のパパたちがメロメロになるのも、ドナが娘の独立を望みつつも「こんなに早く大人になるなんて」と感傷に浸っちゃうのも納得。
 でもね、この映画、ほんとにユルユルなんです。ディテールも丁寧だし、お金もかけてるし、文句の付けどころはないんですが、舞台版のはじけるエネルギーはナシ。でも、映像として残す場合、丁寧にやっとかないと、粗が出ちゃうんですよねぇ。舞台だと、その粗が勢いになるんですが、映画版はやはり勢いよりも、正確さ(と言い切るにはかなり苦しいお歌でしたけど)が優先されるんですね。でもね、良いの、良いの。舞台では表現できない細やかさが映画版にはあり、映画版では表現できないパワーが舞台版にあるんですから。どちらも同じじゃ意味ないでしょ!? どっちも、素敵です。そして、見終わればいつだってハッピー。これぞエンタメのあるべき姿!! お金出してミジメな思いをしたり、苦しかったりするのは、僕には不要ですもの。


2009年01月31日(土)12:00-14:30
東宝「スーザンを探して」@シアタークリエ

 A席 9500円 22列-7番 (パンフレット:1500円)

 演出:G2

 ロバータ:保坂知寿
 スーザン:香寿たつき
 デズ:加藤久仁彦
 ジェイ:吉野圭吾
 アレックス:コング桑田
 マリア:藤林美沙
 ティナ:馬場徹
 レスリー:杜けあき
 ゲリー:山路和弘

 昨夜はABBAの楽曲を使ったミュージカル、今日はブロンディの楽曲を使ったミュージカル。世代の関係か「マンマ・ミーア」は知っている曲だらけですが、「スーザンを探して」は、TIPNESSのスタジオで頻繁に使用されていた「マリ〜ア」以外知らない曲ばかり。にもかかわらず、そして、一か月ぶりの観劇にもかかわらず、結構耳に残っている曲ばかりで、あらためて「ブロンディも凄いなぁ」と。そして、音響さんが頑張って、かなり聴きやすい音響空間になりました。「RENT」の時も初日近くと楽近くで全然違う音空間でしたが、まだ「シアター・クリエの音」というのを模索している印象を受けました。
 さて、「マンマ・ミーア」では、自己主張の強い面々が、意見と意見をぶつけ合って、それぞれの居場所を確保しているのですが「スーザンを探して」では、本心を隠しつつ、相手を煙に巻くような人たちばかり。みなさんそれぞれ、居心地がどうも悪そう。こちらの作品では「ハッピー♪」とノー天気に喜ぶ人なしのままフィナーレ。ロバータとデズについてはそれっぽい余韻を残してはいますが、これからどうなるかは不明ですからね。
 ということで、ミステリー小説を読む時のように、個々のキャラクターを小出しにされてじらされる「スーザンを探して」という作品において、生活感のないロバータ:保坂知寿はやはりミス・キャスト。台詞がない分、雰囲気で場を成立していただかないことには、観客はなかなか舞台の世界に入り込めません。ロバータ←→偽スーザンの変化が乏しいのは、かなりの難題。そして、劇団四季的発声の癖が抜けてないので、一人だけ役名の発音やイントネーションが違って「僕はデズ」「デズ!?」のやり取りなんて、文字にすると同じだけれど、全然違う音でしたもの。
 真琴つばさに代わって昨日より登板している、香寿たつきのスーザンは、つかみどころのなさ、ミステリアスな感じはないけれど、歌の安定感が抜群。そして、杜けあきにしろ、真琴つばさにしろ、香寿たつきにしろ「ここは私がもらった!」という場所では、いとも簡単に舞台を支配してしまう術に長けていて、瞬時に空間を支配しちゃうのですから、座長は大変。実はこの分野では帝劇で一路真輝・涼風真世・森公美子の三人をいとも簡単に従えてしまった(「イーストウィックの魔女たち」ですよ〜)大浦みずきが、もしこの公演に登場していたらと思うと、保坂知寿の今後は「いかに濃いスターの中で自己主張をしていくか」で、濃さといい、勢いといい、外部、特に東宝の舞台ではさらなる位取りが必要かと。やはり、真ん中が君臨してないと、共演者もアンサンブルも求心力を失い、なんとも盛り上がりに欠けちゃうんです。(今回は、男性キャストを中心に「飽きちゃった」感を与える役者がいたのも原因ではありますが)。
 でも、保坂知寿と香寿たつきのハーモニー、二人共きっちり音を押さえるのと、声質のバランスが合っていることから何とも耳あたりが良いですね。オペラなどと違って、ミュージカルの重唱はハーモニーのバランスを無視したものが多いんですが(もしくは、音響さんが無理やり調整しちゃうとか)、歌い手同士でバランスを取りあえるのは、やはり聞いていて気持ち良いです。