2001.8.31
松葉杖講座
今日で8月もおしまい。あしたからはもう9月、秋のはじまりだ。あの暑かった夏も7月がピークで8月は曇りがちの天気だった。
足を痛めて20日になるが、あいかわらず松葉杖生活が続く。お蔭で松葉杖の使い方もうまくなってきた。
松葉杖は腕をぴんと伸ばして体重を支える。決して脇で体重を支えてはいけない。脇は松葉杖の上部を挟みこんで杖と腕を一本の木のように一体化させる。足は通常後ろに軽く曲げる。平地でスピードを上げるときは曲げている足を、より後ろに突き出す。まるで怪獣のしっぽのように。坂を下るときは反対に前に突き出し、バランスを取る。
階段を上るときは、一段前に杖をつき、一気に2段を上る。このときバランスが後ろに来てひっくり返らないように注意する。
階段を下るときは、松葉杖上部と脇の隙間が大切になる。この空間がないと階段は下れない。当然下りも一段飛ばしで降りる。
雨の日は歩幅を狭めて、杖にできるだけ上から体重がかかるように注意し、杖がすべりにくくする。
平地では通常の人の8割くらいのスピードで移動できるようになった。
この夏に学んだことは、こんなことだった。

2001.8.27
松葉杖通勤
松葉杖での通勤はかなり苦しい。
ラッシュの中、松葉杖で立ちっぱなしはきついのでグリーン車とタクシーを利用する。お金がかかるのは仕方が無い。
意外と使えないのがシルバーシート。もちろん松葉杖の人がシルバーシートに行けば親切な人が席を譲ってくれる。でもそれってみえみえでなんか気が引ける。向こうも通勤で疲れていてやっと座れた席だ。それを立ってもらうのも悪い。年よりの人が来たとき「代わりましょうか」と声をかけたとき、「大丈夫です」という気持ちがわかったような気がする。
帰り座るために東京へ出て、湘南ライナーに乗ることにしている。この湘南ライナーに松葉杖の青年が乗っていた。ちょうど横に並んでいたのでまるで示し合わせたようだった。こんなところで松葉杖仲間に合うと、つい親近感がわいてしまう。降りる駅まで同じだったのには笑ってしまった。彼も苦労して電車で通っているんだな。
会釈して別れた。

2001.8.26
懐かしのアラスカ
久々にアラスカ旅行のアルバムを見ていたら、無性に懐かしくなりました。
アラスカの写真がほんの一部しか公開していなかったので、この際一挙公開です。
なかなかアラスカクルージングなんか行けないから貴重な体験です。皆様にも少しだけお裾分けです。
どこにも行けない夏、昔の写真で恐縮ですが、お楽しみください。

2001.8.21
車椅子
今日は抜糸の日で病院に行った。タクシーで玄関に降り立ったら車椅子が待ちうけていた。荷物と松葉杖を持って車椅子に座ったら、ボランティアの人が車椅子を押してくれる。こんな若者が乗っていると気恥ずかしい。でも松葉杖で広い院内をあちこち動くくらいならよっぽど楽だ。
受け付けまで連れていってもらったが、そこで置いてきぼりにされた。後は自力で動かなければならない。右の車輪と左の車輪を回すと前へ、左右を逆転させると方向転換、意外と簡単で小回りが効く。生まれて始めての車椅子だがエレベータにも乗れたし、病室のドアも潜れたし、なかなかの腕前になった。
病院のように車椅子を前提にした環境では、車椅子は本当に便利だ。でも通勤には松葉杖でなければ役に立たない。これが日本の現状だ。

2001.8.20
GREGPRY
駅のホームで椅子に座ろうとしたら、高校生が席を詰めてくれた。松葉杖をついていると、みんなやたら親切にしてくれる。まだまだ日本人のこころも満更ではない。
その高校生が突然声をかけてきた。「おそろいですね。」。最初何を言われたのかわからず、ポカーンとしていたら、「それ、グレゴリ-でしょ。僕のも。」と誇らしげに彼のデイパックを差し上げる。そういえば僕も、松葉杖での移動に備え、先日グレゴリ-のデイパックを購入し背負っていた。
最近グレゴリ-のデイパックは人気らしい。先日も美容院にグレゴリ-のベルトポーチをして行ったら、「そのベルトポーチ譲ってくれませんか」と声をかけられた。それは10年近く前に買った、もうかなりくたびれた品だった。美容師の彼いわく、「グレゴリ-のマークは時代によって変わっていて、それは2世代前の品で今すごく人気があるんですよ。」「先日このタイプのデイパックを処分したところだよ。」「もったいない。譲ってほしかった。」。こういわれると、ベルトポーチにも愛着が出てきた。それで先日デイパックを購入するときも、グレゴリ-にしたのだが、見知らぬ人から声をかけられるほど人気が出ているのかと、認識を新たにした。

2001.8.19
畳返し
先日、突然畳屋さんから電話がかかってきた。「夏で仕事が少ないからお安くしておきます。」。どうせ家にいるし、釣られてお願いしてしまった。畳を貼りかえると7千円から1万円かかるといわれ、畳返しだけをお願いした。それでも一枚3500円かかった。これって高いの,安いの?
子供の頃から畳返しと言うのは、畳全体を裏に返すと信じていたのだが、間違いだと言うことがこの年になって始めてわかった。あれは表面のござの所だけを裏に返すんだそうだ。隅を止めてある布を新しくしてすっかり青々して気持ちのよい畳に変わった。畳やさん曰く「今度は擦りきれるまで使ってくださいね。」。なんとも商売ッ気の無い畳屋さんだった。

2001.8.17
サーフィン
鎌倉がすいていた。いつもは車でぎっしりの134号線もすいすい走った。江ノ島から七里ヶ浜にかけての海にはサーファーがプカプカ浮かんでいる。ここは潮が早いので遊泳禁止になっており、一般の海水客には向かない。波は台風の影響か、初心者のサーファーにはちょうどよい。鎌倉の海なんかにくるサーファーは初心者ばっかりかと思っていたが、なんのなんの侮れない。うねってくる波を巧みに捉え一気に岸まで乗ってくる。そんな彼らに見とれて、自分の足を見ると悲しくなってしまう。来年こそは元気な姿で海辺に立とう。
こうして2001年の夏も終わろうとしている。

2001.8.15
終戦記念日に思う
テレビ各局で戦争について考える番組をやっている。平和に浸り切った日本でも、一年にこの日だけは戦争について考える必要がある。
番組の中で「戦争の責任は誰にあったのか」という問いかけをしていた。
そういえば我々はよく「戦争の責任が誰にあったかよく考える必要がある」的な発言をしてしまうことがある。これって何も言ってないよね。問題を先送りする日本人的なことばであって結論が出ていない。
じゃあだれに責任があるのだろう。戦時中上官からの命令は絶対服従という中にあって、上官・上官と辿っていけば、A級戦犯になった人達に至る。責任はこの人たちだけにあったのだろうか。一般大衆は戦争に荷担しなかっただろうか?兵隊になって戦った人に責任はなかったか?天皇は?すくなからず日本人全員が戦った戦いだったはず。全員に少なからず責任がある。
それでは戦争を止められたのは誰だろう。そしてこの次このようになったとき止めることはできるのだろうか?近隣で起きている戦争に日本は介在していない。みんなが平和のために何かすることしか、責任の取りようがないのではないか。

2001.8.14
高校野球
高校野球真っ盛り。連日高校野球中継をやっている。今日は神奈川の横浜が登場した。お蔭様で初戦突破できた。どうしても住んでいる地元を応援してしまう。
最近はスポーツニュースでもイチローくんの結果を聞いて、話が日本のプロ野球に変わるとチャンネルを変えてしまう。巨人がまるでオールスターのような陣容のチームを作り、どんどん選手をだめにして行く、今の日本のプロ野球には魅力を感じない。
それに引き換え、まだまだ高校野球は夢がある。無名の都立高校が出て来たり、紅白戦やるにも部員が揃わないような高校でも甲子園の土が踏める。監督一つで弱小チームが強豪チームに勝てる可能性のあるところに魅力を感じる。
人を育てる、采配一つで勝敗が左右される、高校野球の監督はやりがいのある仕事に思える。

2001.8.13
靖国神社
今日のニュースは、小泉首相が靖国神社を参拝したことで持ちきりだ。A級戦犯を含め太平洋戦争で亡くなった多くの兵士を奉ってあるこの神社に、あえて今訪問する意味がわからない。8月15日の終戦記念日に、戦争で亡くなった多くの御霊を偲ぶ行為は必要であろう。ただ、東南アジアの諸国に日本が行った戦争中の蛮行は素直に反省しなければならない。
一番の問題は、戦後の教育において明治以後の歴史についてほとんど教えられていないことだ。受験優先の教育の中江戸時代くらいまでは詳しく時間をかけて教えられるが、明治を過ぎるとほとんど時間切れでさらっとしか教えられない。その結果どうして太平洋戦争が起こり、そこで日本が何をしたか、諸外国がどうしたかなど詳しい情報が滞ってしまう。特攻隊で多くのひとが死んだとか、戦艦大和が沈んだなど事実は知っていても、なぜ戦争をする必要があったのか、誰がどのように戦争にもって行ったのかとか、どうしたらこの戦争を食い止めることができたのか、もっともっと真剣に教えることがあるだろう。
これなくして、ただただ靖国神社に御霊を偲ぶために一国の首相が参拝しては東南アジアの諸国が黙っていないのもわかるような気がする。

2001.8.12

今年の夏は水不足で大変なことになりそうです。
関東で水不足の心配が無いのは、唯一神奈川県だけです。これは東京都と後の県がみんな利根川水系に頼っているからです。神奈川には相模川上流にダムがあり、これで賄えるそうです。芦ノ湖もあるのですが、これは静岡県にもって行かれるそうです。
利根川水系だけで首都圏の人口を賄おうと言うのが所詮無理な話なのではないでしょうか。こんなに水不足なら静岡県に持って行く芦ノ湖の水を東京都に回せばいいのにと思うのは私だけでしょうか。これも行政とかわけのわからない人達のルールが邪魔をしてるのでしょうね。
ともかく早く雨が降ればいいのですが。

2001.8.11
帰省
朝の新幹線で家に帰ってきた。新幹線は帰省客で混んでいた。特に子供連れが多い。松葉杖をついているので移動が困難だ。ちょっとした階段も上り下りに一苦労する。足がなんともないときは気がつかない距離でも、腕に杖が食い込む。
カンボジアの地雷で足を無くした人達のことが脳裏に浮かぶ。あの人達は一生こう言う生活を強いられているのかと。別に自分の不注意で起きた事故でもないのに。
東京駅で椅子に座れないでうろうろしていたら、子連れの母親が子供に席を譲るように言ってくれた。こんなちょっとした親切がやけに嬉しかった。普段元気だと分らないことに気づけたというだけで、この怪我は大きな意味を持っている。

2001.8.10
救急車
昨日生まれて始めて救急車に乗った。出先の会社で機械に挟まれた。気がついたら右足首から先がしびれて感覚が無い。会社の人が慌てて救急車を呼んでくれた。救急車は病人を運ぶ車だから乗り心地がいいのかと思っていたが、急いで走るため振動が伝わってくる。寝ているから、前後にもゆすられる。その振動は足にはきつかった。
怪我は大した事は無く、捻挫のちょっとひどい程度で済んだが、自分の不注意からとんだ迷惑を多くの人にかけてしまったことは悔やまれる。
帰るには遅かったのでホテルに泊まった。松葉杖生活は何かと不便で、コンビニでおすしとお握りを買ってきてもらった。こういうときの人の親切は身に沁みる。本当に、いろいろありがとうございました。

2001.8.5
遠い花火
薄暗くなってきた夕方、ドーン、ドーンという音が聞こえる。どこかで花火大会をやっているのだろう。ここからは各海岸でやる花火大会が見れる。海岸線は葉山、鎌倉、江ノ島、茅ヶ崎、平塚、大磯と、山の手は厚木などが見える。いずれも小さくではあるが毎年楽しみにしている。今日は霧雨が降っているためどこの花火かわからない。
ここのところの多忙で花火大会には行けない。もうこの時期だと残るは鎌倉くらいかな。鎌倉は例年8月10日だからまだ間に合うかも。今年は金曜日だからムリかな。
せめて年に一度くらい頭上で花火を見てみたい。いい写真も撮ってみたい。

2001.8.3
お礼
本日お寺さんにお礼に行ってきました。人生ここまで宗教とかかわることなく生きてきたのですが、始めて宗教に触れました。父が読むと言うのでお経の本をもらってきました。故人を思って偲ぶには宗教は大切です。形よりなにより精神を集中し、その人のことを思う、これが宗教の原点なのでしょうか。悲しい気持ちを昇華させ、穏やかな気持ちにさせる効果はありそうです。
この暑い中、お寺の本堂に座って、仏と対座して座っていると気持ちが落ち着くのがわかります。せみの声も涼しげに聞こえてきます。
これは先人の知恵なんですね。あなどれません。
来週からいよいよ会社です。まる1週間休んでしまいました。そろそろ社会復帰の準備をしなくっちゃ、浦島太郎になりそうです。

2001.8.2
告別式
今日、93歳の夫が87歳の妻の首を締めて殺人罪で捕まったというニュースをやっていました。夫は最近体が思うように動かなくなり、寝たきりの妻との今後を憂いてのことです。なんとも言えない、悲しいニュースです。
母の告別式を終えました。上のニュースのようなこともなく77歳の人生を全うしました。最後の顔はすごく穏やかな顔をしていました。すべての心配事から開放された顔でした。その顔をご覧になったご導師様からも身に余る法名を頂きました。
お通夜、ならびに告別式にご参列頂きました方、ご供花、ご弔電を頂いた方々にこのHPを借りましてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。

2001.8.1
お通夜
今日がお通夜で明日が告別式です。先月の29日に亡くなって、もう二晩も過ごしました。葬儀場がやたら混んでいるのです。この暑さに負けるご老人が増えていると聞きます。今年の夏は異常に暑いようです。家に2日安置していたわけですが、部屋のクーラーはがんがんにつけっぱなしで、毎日ドライアイスを代えてもらいました。お蔭で特に損傷もなく今日を迎えることが出来ました。
親戚は遠いし、ご近所には故人の意思でご遠慮頂きました。後は会社関係だけですが忙しい仕事の合間を縫ってそれほどの人数はこない予定でした。
それでも大勢の方が見えてくださいました。本当にありがたいことです。母もきっと喜んでいたでしょう。
浄土真宗では夜夜通し起きている必要はないと言われました。何事もムリをせず、できる範囲で信仰するという宗教のようです。
こんなときだけにわか信者になって、夜の2時には床につきました。それまでの時間はみんなが集まって、思いで話に花が咲きました。
母の昔のロマンス話も聞けて、そんな母の青春時代を知れてなんか嬉しくなりました。そんなことは一言も語らない母だったから。