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神経症(ノイローゼ)で毎日、苦しんでいる方がいらっしゃるでしょう。私自身も不安神経症・対人恐怖症でした。神経症はどうやったら治るか?その方法を探し回り、実践して効果がないと、また別の方法を試す、そんな事の繰り返しでした。みなさんはどうでしょうか?そんな経験から、神経症の意味について、また、神経症との付き合い方などについて、書いてみたいと思います。 ところで、自分は甘えているんじゃないか?怠けているんじゃないか?そう思っている人が結構いるんじゃないでしょうか?あなたはどうですか?まあ私もそう思っていました。逃げているんじゃないか?なんて考えて、自分を責めていました。こんな自分じゃダメだ!1日も早く社会復帰しなくちゃ!ってね。でもどうもそうじゃないみたいです。 ●神経症にもプラスがある 雨が降った時に「うっとうしい」と思えば、その日は、気分が悪くなりますが「よいおしめりだな」と受け止めれば、うれしい感じがしてくる事もある訳です。それと同じように、神経症だから自分は不幸なんだと、神経症やその症状を嫌うのを止めれば、神経症もそう悪い物ではありません。 神経症の人は、これさえ治れば、後はバラ色と思っているかも知れませんが、神経症にもプラス面があるんですね。例えば、病気じゃないのにブラブラしていたら、周りから批判されますが、病気で通院していたら、不満があるとしても「しかたないか」と思われるかも知れません。私は、神経症のお陰で親からお金までもらっていました。自分を責め、神経症を治そうとする努力を一度止めて、冷静に周りを見てみると、神経症はマイナスばかりではないという事です。あなたの場合、神経症はどんなプラスを与えてくれているでしょう? ●神経症には相手がいる ところで、神経症になる人の育ってきた人間関係や、現在の人間関係を観察してみると、そこに『神経症の相手』がいるように思います。その相手は人によって親であるかも知れないし、配偶者であるかも知れません。その神経症の相手の特徴は、支配的であるという事です。思い当たる人がいますか? 支配的というのは、どういう状態なのか?というと、私の場合で説明すると、あれこれと命令したり、頭ごなしに否定したり、私が何か話そうとしても、すぐ指示されて話し合いにならない、そんな人です。私の場合、神経症の相手は親でした。 神経症になっている人の心に、何か問題があると思いますか?神経症の人は自分の心や性格に問題がある・自分がダメだと思っている人が多いようです。でもどうやら違うようです。それじゃあ、その相手である親や配偶者の心に問題があるのか?というと、まあそれもたいして問題を持っている訳ではないようです。 それじゃあ、何が問題なんだろう?何が普通と違うんだろう?今になって思うのは、神経症の相手とのコミュニケーション方法に問題があったんじゃないかと思っています。どうしてそう思うようになったのか?というと、親と精神的に縁を切る決心をしたら、随分楽な気持ちで生きられるようになったんです。 ちょっと個人的な話しになっちゃいますが、私の親は、自分がやっている仕事をつがせよう・それにふさわしい人間に私を育てようと、私の欠点をあれこれ指摘する事がとても多かったように思います。私が話しを聞いて欲しくて、何か話そうとすると、すぐに言葉をはさんで、普通の話し合いがない家庭(親子関係)だったと思います。 言われる事といえば、頭ごなしに否定されたり命令される事がとても多かったと感じています。まあ私の親は、子供の育て方が下手だったんですね。きっと上手な育て方を知らなかったんじゃないかと思っています。 そういう親の接し方に対抗する方法として、私は神経症というのを作り出したように思います。詳しくは「神経症を選んだ瞬間を覚えていますか?」を参考にして下さい。だからもし親が、子供の育て方がうまくて、頭ごなしな言い方をしなかったり、子供の自由意志を尊重する育て方をしていたら、私は神経症にはならなかったように思います。でも親が悪かったか?というと、そうも思ってないんです。下手だった…とは思いますけどね。 ●神経症が与えてくれたもの それじゃあ、私が神経症になったのは、無駄だったのか?というと、今の私はそう思っていません。例えば、親は私の気持ちを理解する事が下手だったと思いますが、そのお陰で私の人の気持ちを理解する力が育ったように思っています。これも神経症のプラス面ですよね。神経症は確かに辛いけど、その苦しみは、もしかすると自分の新しい力を育ててくれているのかも知れません。苦しい時は、そこから何かを学んでいる時なのかも知れません。 これを読んでいる人の中には、孤独を感じている人もいるでしょう。神経症の症状で苦しんでいる人もいるでしょう。神経症の特徴の1つは「私はしない」という所で「私は出来ない」と言います。全ての人に自由意志があるんだから「しない」事を選んでいいんですよ。また神経症といっても、いろんな種類がありますね。強迫神経症、対人恐怖症、不安神経症…まあ種類はいろいろあるけど、あなたに問題はないんです。そういうちょっと変わったコミュニケーションを使う必要があったんだと私は思います。 ●神経症を手放す時 つまり神経症というのは、神経症になっている人と、その相手との両方で成り立っているようです。神経症はちょっと変わったコミュニケーションの方法なので、片方がコミュニケーションのやり方を変えると、神経症というコミュニケーション方法も必要なくなるようです。つまり片方が支配的な接し方をし続け、それに対抗して、神経症という接し方をするというように、えんえんと悪循環が続いている訳です。 それじゃあ、どうしたらいいんでしょう。悪循環になっている訳ですから、どっちかが止めればいいんです。例えば親や配偶者など「神経症の相手」の人が、神経症になっている人を思い通りにしようとするのを止めるのは有効だと思います。 また、神経症になっている人は、支配的な相手に対抗する為に、実現不可能な理想を持っています。『常に自分は○○でなければならない』というような理想ですね。それを実現可能なレベルに下げたり、理想の内容を検討し直すのも、有効な方法だろうと思います。 ●神経症が治る時 神経症の意味について、また神経症を手放す時などについて書いてきましたが、神経症が治る時というのは、ありのままの等身大の自分で生きるようになれる事のように思います。ありのままの自分で生きていけると思えるようになる時だと思います。 その自信を得る為に、迷いの中・苦しみの中にいるのが『神経症』だと思います。言い方を変えれば、仏教で悟りを得る為に、修行しているお坊さんのような状態と言えるかも知れません。ありのままの自分・本来の自分を見つけようとしている人が、神経症なんだと思います。 人生の中で、神経症になる時もあるでしょう。症状で苦しかったり、辛い毎日を送っている人もいるでしょう。ただこれだけはハッキリ言えます。この苦しみの時間は決して無駄じゃない。本当の自分に出会う…その為の苦しみである、私はそう思います。 |
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