| KM-22 オーストリア ブルガウ マリア・テレジア ギュンツブルク鋳 AUSTRIA BURUGAU Maria Theresia Gunzburg mint |
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| 1 THALER 1780SF 28.0668g / .833Silver / Actual Size 41mm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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表面:ヴェールを被った老年のマリア・テレジア右胸像、ミントマーク 銘文 ラテン語 <M・THERESIA・D・G・R・IMP・HU・BO・REG・> (ローマ帝国の女帝たる神の恩寵によるマリア・テレジア、ハンガリー、ボヘミアの女王) 裏面:楯紋章を胸に掲げた双頭の鷲、年号 銘文 ラテン語 <ARCHID・AVST・DUX・BURG・CO・TYR・> (オーストリア女公、ブルグント公、チロル伯) 縁 :陽刻文字縁 <IVSTIA ET CLEMENTIA> (正義と善) 備考:協定ターレル 10ターレル(20グルデン)本位 通称レヴァンテ・ターレル ミントマークのS.F.は造幣所長トヴィアス・シェーブルと貨幣検定官ヨーゼフ・ファビィの頭文字 |
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レヴァンテ・ターレル マリア・テレジアの胸像を描いたターレルはハプスブクル家世襲地であるウィーン、グラルーツ、ハルなどのほか、ハンガリーのクレムニッツ、オーストリアネーデルランドのアントワープ、イタリアのミラノなどオーストリア支配地域からも発行されました。 1780年、テレジアの死去に伴い本来ならこれらのターレルは打ち切りとなるはずでしたが、女性像を描いた出来の良いターレル貨は地中海東部沿岸地域で人気が高く、広く流通したことからテレジアの死後もいくつかの鋳造所で製造が続けられました。 このターレル貨はレヴァンテ地方で広く流通したことから、通称レヴァンテ・ターレルと呼ばれています。 テレジアのレヴァンテ・ターレルは18世紀の中ごろには中近東や地中海南部地域、さらにはアフリカまで広がり、一部では法定貨幣としても使われました。 20世紀に入ると、エチオピアを征服したイタリアはテレジアのレヴァンテ・ターレルの流通を禁止 して独自通貨の流通を試みましたが、ラテン語銘文に女性像を用いて発行した銀貨も住民には受け入れられず失敗に終わりました。 1935年、オーストリアがイタリアに極印一式を渡して製造を許可したため、イギリス、フランス 、ベルギーなどが独断で製造を開始し、発行枚数が爆発的に増えました。 再鋳(リストライク)は1965年まで続き、200年あまりの間に、実に3億2千万枚ものレヴァンテ・ターレル貨が製造されました。 テレジアのレヴァンテ・ターレルは表面の肖像、肩ブローチの形状・パール飾りの有無と裏面の鷲の羽の間にある羽毛の本数・長さの変化の組合わせで分類できます。 近年の再鋳(リストライク)貨は未使用でも千円程度で購入できますので外国コインの入門には最適です。 レヴァンテ・ターレルについて「コインの散歩道」のしらかわさんがより詳しくまとめられていますので、下記参考資料を参照してください。 |
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ここにオーストリア継承戦争(1740〜1748)が勃発しました。 プロイセンとフランスにそそのかされたバイエルン選帝侯カール・アルベルトが相続権を主張。 フランスはプロイセンと同盟を結びこれを支持しました。 これにスペイン、ザクセン、バイエルン、サルディニアが同調し、オーストリアを支持したのはわずかにイギリスだけでした。 オーストリアにとって戦況はあきらかに不利で、それに追い打ちをかけるように頼みにしていたイギリスが中立条約を結んでテレジアへの軍事支援を打ち切ってしまいました。 フランス軍がウィーンにせまったため彼女はやむなく夫や息子とともにハンガリーへ逃れました。 カール・アルベルトはフランスの支援により全選帝侯の支持を得、1742年10月24日ドイツ皇帝に選ばれカール7世(在位1742〜1745)を称しました。 しかし、ハンガリー貴族の支援を受けたオーストリア軍は攻撃に転じ、カール7世の載冠式の日にはバイエルンの首都ミュンヘンを占領していました。 1745年、カール7世は祖国に戻ることなく戦乱の中、失意のうちに歿しました。 カール7世の歿後、彼の長子マクシミリアン3世はオーストリアとフッセン条約を結び、ハプスブルク家に対する相続権を放棄するとともに皇帝選挙ではテレジアの夫フランツ・シュテファンへの投票を約束しました。 1745年9月13日、フランツ・シュテファンは正式にドイツ皇帝に選ばれ、フランツ1世(在位1745〜65)を称しました。 1748年4月18日にはアーヘンの和約が成立し、テレジアのハプルブルク家の全家領の相続とフランツ1世の皇帝位が認められ、ここにオーストリア継承戦争が終結しました。 しかし、プロイセンに対してはシュレージェンおよびグラッツを割譲しなくてなならず、テレジアのフリードリヒ2世に対する憎しみは永遠に消せないものとなりました。 彼女はプロイセンに対抗するため、軍備を増強すべく財政改革を行なうとともに中央集権を押し進め、商業や農業の振興をはかるなど国力の増大に全力を傾けました。 また、ハプスブルク家の永年の敵であるフランスと同盟を結んだのをはじめ、ロシア、スウェーデン、ザクセンをも引き込んでプロイセンの包囲にかかりました。 1756年8月、周辺を固められたプロイセンが先手を打ちザクセンに侵入し、7年戦争が勃発しました。 戦い当初はプロイセン軍が各地で勝利を収めましたが、自らの損害も大きく、クネルスドルフの戦いでオーストリア・ロシア連合軍に敗れたのをきっかけに劣勢に転じました。 一時はフリードリヒ2世を瀬戸際まで追い込んだテレジアでしたが、1761年フランスとスペインの間に結ばれた第3次ブルボン家協約により英国とプロイセンの同盟が破棄。 1762年にはフリードリヒ2世に憎しみを抱くロシア女帝エリザベータが歿し、継いで即位した甥のピョートル3世がプロイセンと攻守同盟を結び、これにスウェーデンも加わるなど講和の方向へ転じたため戦争の継続を断念し、オーストリアはフベトゥスブルクの和議によりプロイセンのシュレージェン領有を認めました。 夫フランツ1世の死後は彼女と息子ヨーゼフ2世との共同統治になりましたが、憎っきフリードリヒ2世のまねを好む急進的で非現実的な息子に心を痛めました。 1772年にはポーランド分割やバイエルン継承戦争に参加して領地を広げるなど中興の祖として国民に慕われた彼女ですが、1780年11月、63歳でこの世を去りました。 |
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参考資料 「Standard Catalog of World Coins 1701-1800 第2版」 「世界貨幣大辞典」平木啓一/ジェミニ 「西洋貨幣史」久光重平/国書刊行会 「マリア・テレジアとイザベラT世」平木輝夫/ボナンザ 「オーストリア特集」/泰星マンスリー 「マリア・テレジアの貨幣発行」平木悠支/貨幣研究 「世界の貿易銀(1)−マリア・テレジア・ターレル」平石国雄/外国コイン研究会 「マリア・テレジアとその時代」江村洋/東京書籍
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