C-67.2a ロシア エカテリーナ2世
RUSSIA CatherineU
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------

エカテリーナ2世
1 ROUBLE 1764  00.0000g / .000Silver / Actual Size 41mm
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------

表面:エカテリーナ2世の右胸像、ミントマーク
    銘文 ロシア語

裏面:王冠を戴き笏杖を握ったビザンツの鷲、額面、年号

縁 :斜めギザ縁


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------

エカテリーナ2世 エカテリーナ2世 (在位1762〜1796)
ドイツ・プロイセンのシュテッティン、アンハルト・ツェルプスト公クリスチャン・アウグストとその妻ヨハンナ・エリザベートの娘、ゾフィ・アウグスタ・フレデリカ。

エカテリーナはロシア女帝エリザベータが後継者としてドイツから呼び寄せた甥ピョートルの妃として、プロイセンから迎え入れられました。
ピョートル公はホルシュタイン侯に嫁したピョートル1世(大帝)の娘アンナの子で、生まれつき病弱底能なうえ、呼び寄せられたことに不満を持ち、エリザベータとの折り合いが良くありませんでした。
ドイツで生まれ育ったためロシア語がまったく話せず、なにかにつけドイツびいきで、こともあろうにエリザベータの宿敵プロイセンのフリードリヒ2世<大王>を崇拝してました。

おもちゃの兵隊ごっこに明け暮れる無能な夫に見切りをつけたエカテリーナは、ロシア語を習い啓蒙主義の著書などを読みふるなどして政治に関する知識を拾得し、ロシア人となるべく日々精神修行に邁進しました。

1762年、エリザベータが歿するとピョートル公がピョートル3世(在位1762年1月5日〜6月29日)として即位しました。
即位するとただちに7年戦争で結んでいたオーストリアとの同盟を破棄し、戦線を離脱したうえ窮地に追い込んでいたフリードリヒ2世(大王)と勝手に講和してしまいました。
これには命をかけて戦った軍隊から強い不満が巻き上がりました。
また、夫婦生活においても女性問題でエカテリーナと不仲になり、ことあるごとに離婚をほのめかす有様でした。

ロシアを軽蔑し、ロシアの宿敵フリードリヒ2世を崇拝するピョートル3世にロシア人の怒りが爆発し、1762年6月28日、貴族や近衛連隊の支持を得てエカテリーナの愛人グレゴリー・オルロフらがクーデターを決行しました。
エカテリーナは即位の式を行うとただちに反乱軍の先頭に立ち、ピョートルがいるオラニエンバウムの宮殿へ軍を進めました。
ピョートルは驚きながらもほとんど抵抗することなく降伏し、翌日退位させられました。
その後、ロプシアの別邸に幽閉されましたが、ふとした喧嘩がもとでオルロフの弟に誤って殺害されてしまいました。
夫殺しの汚名を恐れたエカテリーナは、夫が死に至った原因と自分の正当性を訴える公布を発し、この窮地を切り抜けました。

彼女は法治主義と法の前の万人の平等を唄った訓令を発しながら、その実、ロシアを統治するには貴族階級の協力が不可欠と考え、貴族の特権を拡大して農奴制を強化する政策を押し進めました。
そのため農民の立場が悪化し、1773年にブガチョフの反乱が起こりましたが、これらの首謀者に対しては厳しい態度で望みました。
その後も啓蒙主義者のヴォルテールやディドロなどと文通を交わし啓蒙君主ぶりを発揮する一方、1789年にフランスで革命が起こるに至っては大いに激怒し、著しく反動的・圧制的になりました。

外交面ではピョートル1世の路線を継承。
元寵臣ポチョムキンの功績により、露土戦争でピョートル1世以来念願だった黒海への進出を果たし、同じく元寵臣ポニャトフスキーをポーランド国王に仕立ててポーランドへの干渉を強め、ポーランド分割を行って領土を広げるなど絶対君主としての威光をヨーロッパ中に知らしめました。

私生活では12名ほどにのぼる寵臣と関係を持ち、売春婦とまで噂されましたが、けして愛欲生活に溺れることなく、優れた知性と決断力を持って行動し、東方のならずもの国家だったロシアの国際的地位をヨーロッパ3大強国にまで押し上げました。

彼女は、無能な息子パーヴェルの変わりに孫アレクサンドルに帝位を継承させようと画策しましたが、その希望がかなえられようという寸前、1796年11月に脳卒中により死去しました。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------

参考資料 & 関連リンク


「Standard Catalog of World Coins 1701-1800 第2版」
「世界貨幣大辞典」平木啓一/ジェミニ
「西洋貨幣史」久光重平/国書刊行会
「ツァーリの系譜 ロシア王朝の興隆と滅亡」平木輝夫/ボナンザ
「ソビエト連邦特集」/泰星マンスリー
「帝政ロシア・ロマノフ王朝物語」杉山正智/泰星マンスリー
「ロシアの大型銀貨」東野英夫/収集
「女帝エカテリーナ」アンリ・トロワイヤ著.工藤庸子訳/中央公論社
「恋と美の狩人エカテリーナ」南川三治郎/河出書房新社
別冊歴史読本「皇女アナスタシアとロマノフ王朝」新人物往来社
裕のロシアコイン集  「裕のロシアコイン集」/裕さん
 http://hiroshima.cool.ne.jp/masu901/
 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
Copyright (C) 2000-2009 AKI Corporation
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------