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31日(木) ■久しぶりの「町田家 新宿南口店」。 いつもの固め・濃いめ。好きだったのも昔の話、だな。 ■帰り道、立ち寄ったコンビニで買い物。 支払いを済ませた後で、店員に「レシートは要りますか?」と訊かれた。 そこで出た言葉が「大丈夫です」。 …しばらく自己嫌悪に陥った。いつもは「いいです」と答えるのに、なんでまた今日は「大丈夫です」なんて言葉が出てきたのだろう。 必要かと訊かれて、大丈夫と答える。ぼくには違和感があるな。通じはするけどさ。こういうよくわからない言葉を発してしまった後は少し落ち込む。正しい、というのではなくて、自分で納得のいく言葉遣いを心がけているからね。 30日(水) ■毎年恒例の山手線ポケモン・スタンプラリー。 中にはキャラクターが車体に描かれたポケモン電車もあるようで、親切にも「次はポケモン電車が参ります」とアナウンスする駅員もいる。 さて先日、朝まで飲んだ帰りの新宿駅でそのポスターを見かけて、ある事に気づいた。 今日よく見たら、やっぱりそう。児童を対象にしているキャンペーンだから、ポスターに書かれた漢字にはことごとくふりがなが振られている。 しかし、新宿駅のポスターの一文「ゴールは東口だよ」。この「東口」にはふりがながないのだ。一番大事なゴールの場所をわからなくするんなんて…。何らかの意図があってのことか? ちなみに、「JR東日本」にもふりがなはなかった。「ひがし」って読むことがバレちゃうからね。いや、そういうことじゃないか。 29日(火) ■「風雲児」で昼食。 ■夜はまた飲んで、日付をまたいでの帰宅。 自宅の最寄駅で改札を出たところ、50代くらいの男性がぼくの肩に触れそうなほど近づいてきて何事かを話しかけてきた。イヤホンを取ってよくよく聞いてみたら「ここは何駅ですか?」だって。 「Kです」と答えると、「あぁ、Kという駅ですか…」と、あまり腑に落ちない様子。酔っているようにも見えたので、「乗り過ごしたんですか? 上りの終電にはまだ間に合いますよ」と伝えてあげたのだが、それに対しては何の言葉もなかった。結局、ぼくもなんだか腑に落ちないまま2人の会話は終了したのだった。 その後、1人で歩きながらふと思ったこと…「さっきのおじさん、浦沢直樹の『MONSTER』に出てきたロベルトに似てるなぁ」。そう思ったら、ちょっと怖くなってきた。 28日(月) ■恵比寿に用事があったので、「瞠(みはる) 恵比寿店」に寄ってみた。 ラーメンコンサルタントの渡辺樹庵がプロデュースする店で、池袋にも支店がある。何度か書いているように、ぼくは渡辺のプロデュースする店でハズレを引いたことがないから、今回もそれなりの期待感を持って行った。いや、その前に、池袋の方に行ったことがあって、そこの評価はけっこう高かった記憶があるな。 で、感想はまあまあ。同じ濃厚魚介ラーメンだったら、やっぱり渡辺寿庵が直営する「渡なべ」がいいね。 26日(土)、27日(日) ■旅の疲れを払拭するため、充分な休息をとった。 ■さて、旅行中に発売された「週刊東洋経済」7/26号。エアポート&エアラインという特集を組んでいたので、遅ればせながら購入。 アジアのハブ空港としての成田空港の利便性は最低レヴェルとの評価。一方、ソウルのインチョン空港やドバイ国際空港については、日本の地方空港からの乗り継ぎの利便性を始め、空港内のサーヴィスの充実ぶりが評価されていた。 あとは、中国・韓国系のエアラインが意外なほど就航している地方空港の現状に驚いた。成田や関空で乗り継ぐより、それらのエアラインを使って中国・韓国経由でヨーロッパに行く方が、早いし安い。逆に、それらの国から地方空港に入ってくる観光客も近年増加しているという。 静岡空港建設なんて愚の骨頂だと思っていたけど、そうした考えを改める必要があると感じた。 でもね、ぼくはいろんな意味で成田空港が好き。そこに行くために乗る京成スカイライナーも含めて。 25日(金) ■22時くらいに飲み始め、やがて相方の終電がなくなってしまった。 ということで、店を替えて、朝まで。それにしても今回は下らない話をし続けたものだ。例えば「朝起きて、自分がスターリンになっていたらどうする?」だなんて、世界中の誰がそんな話で盛り上がるんだろう。 24日(木) ■帰国後一番最初に食べたいと思ったラーメンは「風雲児」のもの。 2週間ぶりに至高の味を堪能した。 ウィーンにも日本食の店があって、味噌ラーメンなんかを出していたりするらしい。でも、かなり高いし、それほどの長期滞在でもないので、日本食が多少恋しくなっても、行くことはなかった。ヨーロッパの都市だと、パリの「ひぐま」でラーメンを食べたことがあるくらいだ。(2000年のパリ滞在記を参照のこと) 23日(水) ■帰国後いきなりの通常出社はつらいので、今日は午前半休。 昼過ぎに会社に向かったが、やっぱり暑いのなんのって。ウィーンやプラハは最高気温が23度くらいだったんだよね。これほど日本が暑いと思った時は今までなかった。 久しぶりの会社。まずは休み中にたまったメールを読む。まあ別にぼくが数日間不在だったところで、何が変わるわけでもないんだけど。 で、同じ部署の人や特に親しくしている人たちにみやげを渡した。2年前は全従業員に配ったりもしたけど、時間がかかるなどのいろいろな事情でやめた。ぼくが海外に行っていたなんて知らない人にわざわざ話す必要もない。 さて、こうして会社に行って仕事をしてみると、「あぁ、日本に帰ってきたんだなぁ」と実感する。日本語でしか話さないし。 無事に帰れてよかったけど、またいつもの日常が始まるのだな…。 22日(火) 【ウィーン・プラハ旅行7日目】 ■行きと同様、ドーハを経由して関西国際空港に到着。 まず思ったこと…日本はメチャクチャ暑いなー。 どうやら、ぼくが日本を離れている間に梅雨が明けたらしい。空港から一歩出たら、そこは高温多湿の気候。日本に帰ってきたことを嫌というほど感じさせられた。 そして、夜の便で羽田へ。西から来た飛行機は浦安の方まで行って旋回するみたい。夜の底にディズニーリゾートが光っていたから。 羽田に着陸。さてと、どうやら旅を無事に終えることができたようだ。満員の京急で品川に出て、さらに満員の山手線へ。重いバッグを持って満員電車に乗るのはかなりつらかった。暑いし。 うーん、やっぱり京成スカイライナーで日暮里乗り換えの方がいいな。次は成田発着便にしよっと。 21日(月) 【ウィーン・プラハ旅行6日目】 ■後日追加予定 20日(日) 【ウィーン・プラハ旅行5日目】 ■後日追加予定 19日(土) 【ウィーン・プラハ旅行4日目】 ■地下鉄でヴァーツラフ広場近くの駅に行き、旧市街を歩いた。 (続く) 18日(金) 【ウィーン・プラハ旅行3日目】 ■プラハに向かう国際列車ユーロシティの出発が15時半。それまでウィーン観光。 まずは国際列車の発着駅であるウィーン南駅に行き、コインロッカーに大きなバッグを預ける。これで身軽になった。 地下鉄を乗り継いで向かったのは世界遺産シェーンブルン宮殿。ここは、マリア・テレジアやカール・ヨーゼフといったハプスブルク家の名士が住んでいた宮殿だ。幼少期のマリー・アントワネットも。そして、かのモーツァルトもこの宮殿内で演奏したことがある。 日本語のオーディオガイドに耳を傾け、ハプスブルク家の隆盛に思いを馳せながら全40室を巡った。途中、カール・ヨーゼフが、生涯愛し続けたシシィことエリザベート皇女を暗殺により失った時の悲しみを想像して目頭が熱くなったりもした。 宮殿の全景や周囲の風景は「旅行記録」内の該当ページに譲ろう。 さて、見学に思いのほか時間がかかってしまった。やや急ぎめで南駅に戻ろうとしたら、ウィーン・ミッテ駅で逆方向の電車に乗車。これは本当に焦った。今回の旅行での数少ないミスのひとつ。 で、なんとか発車時刻の10分前にホームにたどり着けた。ウィーン〜プラハ間を結ぶEC、その名をスメタナ号という。「モルダウ」などで知られるチェコの作曲家の名前から取られているのね。 ここから約4時間、列車の旅を楽しんだ。1等車は驚くほど空いていて、周囲を全く気にすることなく車窓からの風景に集中することができた。一睡もしなかったもの。 そして、ついにプラハへ到着。両替を済ませ、地下鉄で宿泊先ホテルの最寄駅へ。切符の購入、乗車ともに問題なし。 中心部からやや離れたところにあるホテルに到着。チェックインを、と思ったら、フロントの女性がかなりの美人だった。チェコ人女性はきれいな人が多いと、この後の旅程で知ることになるのだが、この時は驚いた。チェックインの手続きを終えてからも、少し話をしてみたもんね。チェコ語じゃなくて英語でだけど。 荷物を置いてからホテルの周辺を少し散策。チェコで一番有名なビール「Pilsner Urquell(ピルスナー・ウルケル)」を買い込んで、ホテルで1杯やってから就寝。 17日(木) 【ウィーン・プラハ旅行2日目】 ■経由地のドーハ国際空港に到着。 一応書いておくと、ドーハはカタールの首都ね。 着陸したのは朝の4時過ぎだったか。機内のアナウンスによると、外の気温は33度。なるほど砂漠の国だ。 ウィーン便の出発まで、この小さな国際空港で時間を潰した。3時間くらい。そして、ついにウィーンへと出発(使用機材:A320-200)。 ウィーンには13時半ころに到着した。入国審査、ユーロへの両替などを済まし、オーストリアの土を踏みしめる。まあもちろん、文字通りの土は踏んでないけどさ。 到着ロビーを出てまず向かったのがカタール航空のカウンター。リコンファームを済ませるためだ。で、行ってみたらリコンファームは不要とのこと。あれ?旅行代理店が言っていたことと違うぞ。でも、不要だと言うのなら別にいいか。ちょっと不安ではあったけど。 さて、このリコンファームのやりとりが今回の旅で初めてのまともな英語での会話だった。話しながら、つたない喋りだと痛感した。普段、英語を話す機会もないから、旅行の1日目は勘を取り戻すのに苦労した。 その後、リムジンバスでウィーン市内へ。西駅で降り、そこから早速、地下鉄に乗って宿泊先のホテルに向かった。 部屋に荷物を置いてから行った先は…それらの写真をアップした時にでも書こう。 でも、ひとつだけ。 ウィーン美術史博物館。ここで観たピーター・ブリューゲルとフェルメールの絵画作品は今回の旅で最も印象的なもののひとつだった。ブリューゲルの「子供の遊戯」「バベルの塔」、フェルメールの「絵画芸術」…できればずっと眺めていたかったよ。 16日(水) 【ウィーン・プラハ旅行1日目】 ■朝10時くらいに起床。 いよいよ出発の日だ。 バッグに荷物を詰め、パスポート、航空券の引換証、ホテルのバウチャー、ユーロシティの乗車券など、忘れたら致命的なものを再度重点的にチェック。そして昼過ぎに家を出た。 ■羽田空港に着いたのは16時ころだったか。受付カウンターを確認し、しばらくの間、空港内を散策。 途中、「東京らーめん 天」というラーメン屋で夕食。日本を発つ前に食べておくラーメンとしてはあまりにも物足りなかった…。 そして、ANAとのコードシェア便であるカタール航空4962便でいざ関西国際空港へ。実は、初めての国内線搭乗。 1時間後に到着。カタール航空のカウンターで早々に手続きを済ませ、出国審査へと進んだ。0時近いこともあって、ほとんど人もおらず、今までにないほど早く搭乗ゲートまでたどり着いた。 ゲートのオープンを待つ間、無料インターネット端末を利用して、mixiの日記に「行ってきます」のあいさつをアップ。そうこうするうち、搭乗の時刻が来た。 そして、ついにカタール航空821便(使用機材:A330-300)は関西国際空港を発ち、ウィーンへの経由地であるドーハへ向かったのだった。 15日(火) ■旅行前日。 明日の羽田便は21時発なので、前日といっても特に慌てるほどでもない。 仕事もほぼいつもの感じで終了。しばらく休むことを会社の人たちに伝えて回り、退社。で、すぐに帰ったのかというと、そんなことはなかったんだな。 iPod関連の機器と、服を買うのに付き合ってもらったついでに、居酒屋へ。ここでささやかな送別会。日本を少し離れるから、というだけの意味。 いつものように酔って帰宅。少し準備を進めて、就寝。海外旅行はもう5度目だから、荷造りのコツもわかっているし、前日に不完全でもまったく意に介さず。 14日(月) ■旅行を2日前に控え、期待と緊張感がピークに。 この時点で、荷造りは3割ほどしか進んでいなかった。 12日(土)、13日(日) ■ウィーン・プラハ旅行3日前。 情報収集と準備。細かい旅行用品や菓子類などを購入。 英語はさらなる復習と耳慣らし。ドイツ語は単語を覚えることを優先。チェコ語は…あきらめた。 11日(金) ■最寄駅近くのラーメン屋「T」に行った、との記録あり。 ということは、金曜日にしては珍しく、飲まずに帰ったのだろう。何でだっけ? あ、あれか。 10日(木) ■またも記録・記憶なし。 9日(水) ■「風雲児」訪問。 8日(火) ■何やったんだっけ? 7日(月) ■品川駅を経由して行く用事があったので、途中下車し、ラーメン店が集まる品達へ。 初めて行った時と比べて、店の並びが少し変わった。で、今回選んだのは、「つけめん TETSU」。品達で最も長い行列を作る「なんつッ亭 弐」に次ぐ人の入りだった。 オーソドックスなつけめん(750円)を注文。行列の作るだけの味だとは一応思ったが、量が少ない。ぼくは大してグルメではないから、量が少ない時点でけっこうなマイナス評価を下すことになる。 大盛は150円増しだったかな。CPが悪い。 5日(土)、6日(日) ■ウィーン・プラハ旅行10日前。 情報収集と準備。徹夜明けゆえに、昼寝を挟みながら。 4日(金) ■居酒屋で2時間飲んだ後、朝までカラオケ。 まさか朝までとは…いや、予想通りだったかな。それにしても、朝までアルコールを飲み続けたのは久々だった。帰りもふらふらだったもの。 3日(木) ■「やすべえ 新宿店」を久しぶりに訪問。 値上げしてからは初めてだろうな。今日は行列も少なかったので、入ってみた、と。 まあまあおいしいけど、席も狭く、落ち着いて食べられないのが嫌だな。 2日(水) ■・・・記録も記憶もなし。ただ、仕事が忙しかったであろうことはわかる。 1日(火) ■代々木の「火の国」で…ラーメンを食べたんだろうな。 ■それでは、6月度ラーメン店訪問数の集計。 10店(うち新規 3店 今年の新規累計:13店) 大森の「弟子屈」が印象的だった。 |