| 過日の PRIDE−23
が行なわれた11月24日は、こちら地方は朝から曇り模様の涙雨がパラついているという悪天候で、そんな日和にしかも翌日仕事だというのに首都圏界隈まで遠出しなければならないとなれば普通なら
「なんてこったい、、、、」 となるところですが、しかしそこは田延彦の ”最後の聖戦”
を何としてでも見届けなければいけないということで、逆にそのような悪シチュエーションであればこその 「万難を排して」
とでもいうような、さらにはそれまでの1〜2ヶ月に渡る個人的執筆活動の日々をも背負ってという感じの使命感をナルシスティックに燃やしつつ、東京ドームに向かいました。たくさんの観客で埋め尽くされたその久しぶりに見る東京ドームの光景は、5年前に
PRIDE−1 を見たときはもちろんのこと、翌年に PRIDE−4 を見たときに比べてもまさに隔世の感がありました。
10月20日のチケット発売開始日に田道場まで直接出向いて押さえた当然ながらの田延彦応援シートだったわけですが、少しばかりの嫌な予感が的中で、1階席のほぼ真横に近い方向からリングを眺めるというアングルだったのが少々誤算でした。確かにリングが近いのは近いですしそれにオーロラビジョンがあるので不自由はしませんでしたが、リングを中心とした場内の全景を上から見下ろすという方が私としては昔から好みだったので、その点当初は不満といえば不満ではありました。しかしながらセミファイナルの田延彦 VS 田村潔司戦で、最後田村潔司のパンチを食らってKO負けしてしまったシーン。それまでローキックを受け続けて防戦一方だったのが勢い良く前へ出ながら攻め込んでいったと思ったら突如ストンと落ちて見えなくなってしまった、あのラストシーンがとても印象に残りました。ほとんど真横からリングを眺めるアングルだったがゆえに見ることになったあのKO負けのシーンは、さながら ”大往生” とでもいう感じの 「ああ、このシーンを見ることができてよかったな」 という一種不思議な感慨をもたらしてくれました。1R後半に田村潔司に上を取り返されたとき、何もしようとしない田村潔司に対して下から 「ホラ、何やってんだお前」 とゲキを飛ばすかのようなしぐさを田延彦が見せていたのも印象的でした。田村潔司の一挙手一投足も、田延彦に対するあまりにも純粋すぎる気持ちが表れていて良かったです。 続く桜庭和志の試合では、右脚のテーピングからだけではなく、ゴングが鳴ってからの試合の様子からしても恐らくかなりのケガを負っているのだろうということは想像つきました。それにも関わらず何とか勝利をおさめた桜庭和志に対し田延彦がリングに登場して賛辞を送って、そしてセコンドや出場選手として来場していた U インターのメンバーをリングに呼び込んで、さらにそこで 「UWF メインテーマ」 が鳴り響いてきたときは本当に笑ってしまうほどうれしかったです。そしてさらには、田延彦を中心にして横一列縦隊になった選手みんなが四方に向けて順番に一礼していくという、96年12月27日の U インター最終興行のときのあの光景がリング上で再び繰り広げられ始めたのを見たとき私は、本当に救われたと思いました。報われたと思いました。苦しかったこの1〜2ヶ月の執筆活動の中で応援してきて本当によかったと思いました。このときの気持ちはもう何とも表現のしようがありません。そしてさらにはその後、「UWF メインテーマ」 が鳴り響く中を U インター勢に担ぎ上げられ歓声をあびながら花道を後にしていくという、92年10月23日の北尾光司戦のときの名場面も再現されたとのことで、以下に記しますようにそれを私は見ることはできませんでしたが、とにかくそのように次々と再現されたかつての印象深いシーンによって、この2002年11月24日の PRIDE−23 は田延彦の22年間の最後を飾る大会として多くの人の胸に刻まれるものになったのではないかと思います。とにかくその点では私としても本当に良かったと思っています。 その気持ちに変わりはないのですが、私の個人的な人生観 / 世界観からして、これまた何とも表現のしようのない禍根が残ってしまうことになったのも確かでした。田延彦が U インターの選手たちをリングに呼び込んだ後、リング上にあのクソアゴが上がってきて田延彦を始めとする選手関係者らと握手を交わしたりしていたのは、それは別にいいのです。その様子がオーロラビジョンに映し出されたときは思わず 「てめえが引っ込んどれこの!」 との悪態が口を突いて出てしまいましたが、それは別によかったのです。今のリング上のこのシーンをてめえなんかが一緒に分かち合える資格なんかねえんだと。今の総合格闘技の隆盛に向かう道を真面目に開拓してきた活動のひとつである UWF の選手たちと、それを応援してきたファンの人たちが一緒になって祝福と感動を分かち合っているこの場面にてめえみたいな口先だけのイカサマ野郎がノコノコ出て来る資格なんかねえんだと、いう気持ちにはもちろん変わりはありませんでした。しかし実際オーロラビジョンに映ったときの様子を見ていると、耳たぶに手をやるというあのクソアゴ特有の手持ちぶさたそうな様子を示すしぐさを見せていたので、おおようわかっとるじゃねえかと、そこはてめえみてえな八百長ジジイが本来出て来るべきリングやないんやから隅の方で大人しくしとれよと、思いながら私はそのラストのクライマックスのシーンを見ていたのでした。田延彦が森下社長だけでなくあのクソアゴと一緒に労をねぎらい合ったり記念撮影をしていたりとかいう、私個人的にはかなりのひっかかるものを感じながらもそのこと自体はそんなでもなかったのです。そこまではまだ我慢できたのです。しかしながらその後、締めのダーがおっ始まったときにはもう私は反射的に席を立って、あのイカサマ詐欺師のマイクとそれにあわせて声をそろえる会場の人たちのダーを背に聞きながら、急いで階段を駆け登り、そのまま東京ドームを後にしてしまいました。 確かにこういう私の感じ方 / 感情はかなり病的なところはあるでしょう。しかし、これまでこの HP 上で書いてきました、あの八百長アゴ野郎および 『プロレス』 のあり方についての批判 / 意見については物事の道理として何ひとつ間違っているところなどないということは私は自信を持って主張したいと思います。そういう考えを背景として、今の PRIDE のリングにあの八百長アゴがノコノコ上がってくることが不愉快であるという私のこの感情は自分自身何ら恥じるところなどありませんし、その反面、普通の人の感じ方 / 考えにくらべたらちょっと度が過ぎていると思うところも正直あることは確かです。しかしそれにしても最後のあのダーは必要だったのでしょうか? すでに休憩明けに一回やっていますし、あれで盛り上がりたいという人たちのニーズのためにはそれでもう十分であった筈でしょう。なのにその上さらにあそこでもう一回、最後のあの大円団のクライマックスでもう場内は十分酔いしれている筈なのに、それに上から被せるようにしてあんな何の意味もないことをあそこでやる必要が果たしてあったのでしょうか? あのクソアゴが 「プロレス界」 の立役者 / 重鎮であることは誰も異論はないでしょう。しかしあいつがこれまで日本の ”格闘技界” の発展のために一体何に真面目に取り組んできたというのでしょうか? 一体あいつが日本の ”格闘技界” のために何の犠牲を払ってきた? その後の弟子たちが真面目に取り組んで真面目につくりあげてきたものの上にタダで乗っかっていかにも ”格闘技界” の立役者ヅラさしてもらっとる寄生虫なだけやろがあのクソアゴは! 要するにあいつのこれまでの 「プロレス」 の領域内における活動とその後の弟子たちの活動とは、”闘い” という点では同じだが決してその本質的な部分が一緒にされるべきではないということをこれまで私はさんざん繰り返し訴えてきました。それが今回私の眼の前で、私自身にとって最も無残なかたちで叩き壊されることになってしまったわけです。私にとってあってはならないことが起きてしまったということです。確かに一時はあの八百長アゴも異種格闘技戦みたいなものにも取り組んで、モハメド・アリとは自ら進んでリアルファイトを闘ったのかもしれませんが、その1試合だけだった(※アクラムペールワン戦はイヤイヤながらやったというのがミスター高橋の主張)ということは、要は結局それだけのことだったということですよ。それ以外のあのクソアゴが常習的に行なってきたこと、ミスター高橋の著書やその他もろもろのいろんなことから判断すれば、確かに夢や感動がどうのという善なる部分はあるにしても、そういう面があるのは認めるにしても、しかし 「プロレス」 の現状を本当に少しずつでも変えていこうという志を持って弟子たちが取り組んできた真面目な ”闘い” とくらべてクソアゴのそれが一緒にされるなんて、とんでもない話ですよ! 第1回IWGP決勝戦での舌出し失神事件の一人芝居や、藤波長州の噛ませ犬遺恨勃発のアングルや、その他もろもろの要するにミスター高橋の本に書いてあるようなことをこれまで裏で隠し立てしながら組織的計画的に行なってきたということ。最近でもあることないこと口先だけで中身の伴わない打ち上げ花火でお茶を濁すだけだったりとか、そんなこんなで要するにあのクソアゴがこれまでプロレス界で取り組んできた活動というのは、夢や感動という面も確かにあるにしても、あんなもん私に言わせれば、人間の心の中にある一番大事な部分を弄んで食ってきていただけですよ。 たくさんの純粋な人たちを騙して、その心を弄んで食い物にして、そうやって金儲けしてのうのうと生活してきていただけですよ。 95年の U インターとのニセ対抗戦のときに一体あいつらがどんなことをした? そうやって屈辱にまみれながらも U インターの選手たちはその後も負けずに頑張って、それもひとつの道となってようやく今の PRIDE に代表されるような総合格闘技の発展というところにまで日本のマット界はたどり着いたわけじゃないですか。その間あのアゴが日本の ”格闘技界” の発展のために一体何をやってきた? 何の犠牲を払ってきた? 『格闘ロマン』 『お互いのプライドがルール』 『メッセージを発信する』 とかいう新たな言い訳を思いついただけで、それを傘に着ていかにもそういうようなポーズを取ってただけじゃないですか。そういう 「プロレス」 の曖昧さを脱ぎ捨てようともしないでそれまでの 「プロレス界」 での取り組みの枠からはあのクソアゴは口先だけで一歩も踏み出していこうとはしなかったじゃないですか。そもそも1984年の第1次 UWF 設立のときに、あいつは一体どんな立ちまわりをした? 佐山聡いわく 「圧倒的な時代の波に立ち向かう大変な作業でした」 という地道な運動にそのときから取り組んできた UWF というひとつの苦難の歴史が、ようやくたどり着いた理想の場= PRIDE のリングにおいて、その創始者でありかつ UWF の象徴的存在でもある田延彦の引退と併せて最高のかたちで報われるまさにそのまぎれもない瞬間だったわけじゃないですか。その一番最後の最後でまたノコノコ出て来ていかにもその立役者みたいな顔してダーで全部おいしいとこ取りかよ。 |
冗談じゃねえってんだよ!
そういう道理にかなってないことは俺は絶対に許せねえんだよ!
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あの詐欺師がこれからも汚い長いアゴぶら下げて PRIDE のリングにノコノコ出て来て、ダーで歓声を浴びて格闘技界の第一人者ヅラしてソノ気になろうと思えば、それはこれからまだまだいくらでも機会はあるのです。どうせあのハイエナ野郎のことですから、PRIDE だけに限らずどこであろうと、あるいはそこがもし潰れてなくなったならどこかまた別のおいしそうな場所を探し求めてぶら下がっていく筈ですから、ダーで盛り上がりたいというファンの人たちにとってもそれはこれからまだまだいくらでも機会はあるのです。しかし今回の田延彦の引退試合、最後の花道、しかもあのように U インター時代の想い出の名場面と見事にマッチした、それまでの長かった苦難の歴史に対する限りない祝福の意味までもが込められたこれ以上ないあの最高のクライマックス・シーンは、もうあのたった一回しか見ることの出来ない今生限りのものだったのです。自分も確かにその場に身を置いていたのだという喜びを、私は私の一生においてもうあのとき一回限りしか味わうことはできなかったのです。なのにそれをあんな前科∞犯の八百長イカサマ詐欺ジジイなんかに汚された、ブチ壊しにされたということは、これはもう私にとって取り返しのつかないトラウマ / 禍根となって残ってしまいました。 田延彦 VS 小川直也戦をつぶしやがった上にさらにこんなことをされたのかと思うと、私は悔しくてもうあんな八百長アゴの顔も見たくありません。今まで何十年間にも渡ってたくさんの純粋な人達をさんざんだまして金儲けしてきておいて、その落とし前を何ひとつつけようともせずに、そのうえさらにこのようなことまでしてあんな薄汚い腐ったクソアゴがこれからもあんな風に大きな顔しやがる日本のマット界の出来事など、もう見たくはありません。田延彦が最後のダーをあのクソアゴに勧めていたというのはそうなのかもしれませんが、それについては私は何も異論はありません。田延彦の引退試合をドームに脚を運んで見ることができたこと、そして最後 U インターの歴史も含めてあのような感動的なフィナーレで飾ることができたということは、ファンの一人としてうれしく思っています。要するに今回の件では、今後ともあのクソアゴがデカい面しやがる日本のマット界からは基本的にもう一線を画したいという気持ちになったこと、および、これまで私がこの HP 上で書いてきたことというのは少数派の意見として切り捨てられる運命にあるのだなという現実を、まざまざと感じさせられたということです。 もう少し冷却期間を置いて思い直せばどうかということも一応考えましたが、前にも書きましたように一生に一度のことをブチ壊しにされたというこの恨みは例えあのクソアゴが 『PRIDE エグゼクティブ・プロデューサー』 から降りたとしてもそう易々と消えるものではありません。そんなことで一応プロレス / 格闘技を題材にしたこの HP の文章を書いていくためのモチベーションがほとんど失われてしまったこと、およびその他いろいろなそんなこんなでこのサイトを運営していくことに対してこれまで通りの100%の情熱を注いでいくことは難しくなりました。私自身あのクソアゴに勝るとも劣らないほどの欠落人間でありながら、掲示板にて4〜5人の常連の方々(笑)にチヤホヤしてもらっているのをいいことに 「一体俺は何様のつもりなのだろう」 と自分で思いながらとてもいい思いをさせてもらったこの2年間でした。私の歳も歳ですし、別の楽しみを見つけてもう少し真面目に現実を生きていくことを考えていきたいと思います。 この2年間のことを思い出すと寂しさは正直隠せませんが、始まりがあれば終わりありです。
shingpay さん
その他、カウンターを約4万数千まで進めてくださったみなさん、どうもありがとうございました。
_dakara.zip (約21MB)
2002年11月30日 管理人 |
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今年2003年1月9日、99年4月の
PRIDE−5 以来の約4年間に渡って PRIDE
を主催してきた株式会社 DSE
の代表取締役だった故・森下直人社長急逝のニュースを知ったときは、とにかく本当に驚いたとしか表現のしようがありませんでした。
現時点で公にされている報道内容によるとプライベートに関わることでの自殺ということですが、その後ネットの各所で情報や噂が錯綜していろいろ取り沙汰されているようにそれを疑問視する見方も少なくありません。
しかしそれ以前にとにかくそれを知ったそのときは、ただもう本当に驚いたとしか言いようがありませんでした。
私の記憶に残っているのは、去年の11月24日の
PRIDE−23
のときにヴァンダレイ・シウバのミドル級チャンピオン認定証を読み上げているときにその肉声を初めて聞いたときの印象と、あともう1つ、前の
HP で書いた ”森下ボンバイエ”
の記事の中で使用したあの肖像写真が最も印象に焼き付いています。
森下社長に対する私個人的なイメージはあの写真の印象まったくそのままです。
いかにも人が良くて優しそうな感じで、そうしたいわゆる
”クリーンなイメージ”
というのがおそらくプロレスファン /
格闘技ファンのほとんどの人たちにとっての森下社長像ではなかったかと思います。
なのに何でこんなことになってしまったのかと思うと、公に報道されている通りの本当にもし自殺であったのだとしたら、今の私ではちょっとどうにも言葉が思い浮かびません。
ましてや、事後に今なお巷で取り沙汰されているような闇の黒い力による陰謀によってこのような最期を遂げねばならなかったのだとしたら、あまりに悲しすぎます。
1月16日の葬儀において弔辞を読み上げた田延彦を始めとして PRIDE に参戦する各選手らが言っているように、これからも PRIDE を存続させていくという決意の中に込められた 「森下社長の遺志を継いでいく」 という精神。 これはある種の必然としてまず1つ出てくる重要なことだと思います。 我々ファンとしてもこれまで同様に応援を続けることによってそれを後押ししていくというのが1つの気持ちの表し方だろうと思いますが、これまた事後にネットのあちこちの掲示板で見られたように、今回のことでもう格闘技界 / マット界に対して嫌気がさしたのでもうあまり見たいとは思わないと、いうことになるのも無理からぬことかもしれません。 但しそれは今現在公にされている報道内容ではなく、隠された裏事情があっての ”事件” だったのだという見方をある程度肯定する立場に立つことになりますが、以前からそうした裏でのいわゆる業界ヤ●○との繋がりがどうこうという話はよく聞こえてきていましたし、今回のことで事後にあちこちで話されたいろんな情報にしても、確かに100%断定することはできませんがそれにしては妙に生々しく感じられるものもあったりなどして、それらを踏まえて我々ファンの側として心情的にそういう方向に傾いていくのも無理もないと思います。 私個人的には、田延彦の第一歩によって始まった PRIDE の歴史がこのまま終焉に向かってしまうのかという意味ではとても残念に思いますし、なおかつ 「森下社長の遺志を継いでいく」 というその心を影ながら応援したいという気持ちにも変わりはないのですが、しかしやはり、私としての表現で言い表せば、PRIDE というこの由緒あるブランド / 名称が今後残るのかどうかということに関わらず、田延彦および U インターの選手らが続けてきた活動の軌跡はここで一旦仕切り直しにした方がよいのではないかと思っています。 私個人的にもやはり裏のダークサイドな部分と今回の件との繋がりに対する疑念を払拭し切れないものがあるからです。 そこが何とかならないままでは、影ながら応援したいというこの気持ちを100%持つことはできません。 しかしかといって田延彦や桜庭和志らに頑張ってもらいたいという気持ちにも変わりはなく、非常に板ばさみのような感じで心苦しいのですが、いずれにせよ今の私としては影から見ているより他ありません。 とにかく、その真相がいずれであるにせよ、森下社長急逝という今回のこの悲しい出来事は、PRIDE が中心になってここまで発展してきた日本の格闘技界がこれからも何らかのかたちで背負っていかなければならないものではないかということだけは思います。 時の流れとともに人々の記憶の中からある程度風化していくことになるのは仕方ないと思いますし、これからも PRIDE の会場に足を運んでリアルファイトを楽しもうというファンの人たちのことをとやかく言うつもりもありません。 しかし今回のこの悲しい出来事を悔やむ心、それはこれから先いつになってもいろんな人たちの中に、見えないかたちであれずっと存在し続けていくものだと思います。 それに対して、意識的にそうするのはもちろんのことそれを無意識的 / 意味的に冒涜するようなことは今後とも控えていくべきではないかと思います。 私としてもそれだけはしてほしくないと思います。 そのために私からみなさんに1つお願いをしたいと思って今回またこうして一時的に出戻ってまいりました。 今回の悲しい出来事で急逝してしまった森下社長への哀悼の意を今後とも永続させていくために、私たちファンの1人1人がしなければならない小さな最低限のことがあると思います。
1月9日に今回のニュースを知って以来、PRIDE のプロデューサー問題が今後どうなるのだろうかということも含めて、私としてはあのクソアゴがどういうコメントを出すのかということが嫌でも気にならざるを得ませんでした。 最初に知ったのは、1月13日の成田空港での会見のときに 「正直言って言葉がないというか。俺がいつも言う 『一寸先はハプニング』 じゃないけど、とんでもないハプニングが起きてしまった」 という内容の一応弔意を表していると取れるコメントを述べたという報道でしたが、しかしそのとき同時に 「所用があって16日の葬儀には出られないが .......」 とも言ったというのを知って、一体どういうことかと思いましたね私は。 さらにはその後、13日の成田空港での会見において実は何やらとんでもない物騒な発言を行なっていたということがネットの情報によって次第にわかっていって、私としても心中穏やかではいられなくなっていきました。 スポーツ紙 HP などの報道で今のところ公にされている 「...... とんでもないハプニングが起きてしまった ........」 というのはそのごく一部であったということのようで、紙のプロレス RADICAL No.58 の109ページには 「この日、XX が成田空港で恒例の会見を開き、時期が時期だけに何か不用意な発言が飛び出すのではないかと、周りがビクビクする中、案の定、報道されない大放談を披露!ここではスペースの都合を言い訳に、全面カットさせていただくが ...........」 ということが書かれています。 さらには2/6付けの週刊ファイトにも 「........... 実は、XX が先の帰米の際に森下社長の自殺事件に触れ、詰めかけた報道陣も青ざめるような ”伏線” もある。(※中略) 一連の PRIDE シリーズや 『Dynamite!』、果ては自分の名前まで貸した ”XX 祭り” においても、マッチメークの権限はほとんど与えられていない。試合の ”幕間” にリングに登場して 「元気ですかァーッ」 「1,2,3、ダーッ!」 と場内を盛り上げる ”客寄せパンダ” 的な扱いにも、XX の内心にはジクジたる思いがあったはず。(※中略) にも関わらず、その 『W−1』 の本大会には、XX のイの字も出ずに、お呼びも掛からなかった。XX の本来のフィールドである ”プロレス” という言葉すら死語にしようと企てている始末。完全にないがしろにされた XX は、DSE や 『W−1』 関係者に対し、「面白くない」 と機嫌を損ねているのだ。こうした XX の怒りと不満が、先の成田での ”暴言” につながったとみていいだろう。(※中略) また、今回の XX 発言が元で、XX と DSE の背後の黒幕筋とのミゾも深まったともいわれる。............ 」 ということが書かれています。 さらにそのトップページには PRIDE のリングにてノゲイラと握手を交わしている背広姿のクソアゴの写真が載っていて、そのキャプションにも 「森下社長自殺に関する ”暴言” で PRIDE プロデューサーを解任されることも考えられる XX」 と書かれています。 ファイトの記事内容には多分に主観が入っているとは思いますが、しかし要はとにかく、あのクソアゴが13日の成田空港での会見のときに、今回の森下社長の件に関わる何かとんでもない発言 / 暴言を吐いたということだけはどうやら確からしいということなのです。 それに関して出てきた情報としては、そのほとんどが私の知る限りでは 2チャンネル が一番大元の源 / 出所のようでなおかつそのソースが明記されていないので何とも断定はしかねるところですが、しかし中には 「実際に居た記者に聞いた」 というものもあり、私が個人的に受ける感じとしてはそのどれもに妙なリアリティがあるような気がするのですが、プロカフェや格カフェの掲示板にも確か転載されたこれらの情報を見てみなさんはどのように判断されるでしょうか(※一部固有名詞を抽象化し、その他の内容変更については表記した通り。”XX” というのは無論あのクソアゴのことです)。
あのクソアゴの虚栄癖 / 妄言癖からすれば、こういったことを平然と言ってのけてそれで大物振って(見栄を切って)みせたつもりだったのでしょうが、あるいはただ記者たちの反応を面白がりたいがためにああいうことを思いつきで吹いてみせただけというのだったにしても、時と場合を考えて言っていいことと悪いことというものがあるでしょう。 こういう感覚というのはもう今回のことに限っては、これまで折に触れてクソアゴ信者らの口から何度となく聞かれてきた 「これくらいの図太さがなければあれほどのカリスマにはなれないんだよ」 というようなピント外れな美辞麗句によって煙に巻かれるような、そんなことで済まされていいようなレベルのことではないと私は思いますよ。 最後の 「死んでよかったんじゃないか?」 に至っては、それが例えどういう話の前後関係の中で出てきたものにせよ、冗談でもこういうことは言ってはいけないでしょう。 私は最後のこの一言を知ってどうにも居てもたってもいられなくなって、それでまた今回一時的にこうして出戻って一筆書かせてもらっているという次第です。 確かにこれらの情報に100%の確証があるわけではありません。 しかし、上記の紙プロやファイトにあるように13日の成田会見においてあのクソアゴが何かとんでもない暴言を吐いたということはほぼ間違いなく、その内容をどのマスコミも頑なに隠し立てしようとしている現状からして、少なくともそうした疑いを持たざるを得ない状況証拠としては十分なものがあるのではないでしょうか。 私としてはとにかく、「死んでよかったんじゃないか?」 というこの一言が例えある種の冗談で言ったものだったのだとしても、絶対に許すことはできません。 これまでもさんざん怒りまくってきましたように私としてはただでさえそうなのに、ましてや今回の森下社長の件でのこの 「死んでよかったんじゃないか?」 発言の疑いがあるままでは、あのクソアゴに対して声援や歓声のひとつを送ろうかということなど、私もこのような出来損ないの分際ではありますがその全人格を賭けてどんなことがあっても拒否の姿勢を貫くしかありません。 これから PRIDE の会場に足を運んで観戦を楽しむみなさんにおかれましても、そうした私の個人的スタンスを押しつけようというつもりではないのですが、今回の森下社長の件でのクソアゴの 「死んでよかったんじゃないか?」 発言が、確かに現時点では100%の確証はないですが、それに類する発言が飛び出したとする疑いを拭い切れないモヤモヤとして何度も言いますが状況証拠的には十分なものがあると思いますし、それにそれがもしこの先本当の真実として明らかになったときを迎えてからでは遅いのではないのですかということが私は言いたいのです。 今回の悲しい出来事で急逝してしまった森下社長を悼む心を忘れずに、それを無意識的であるにせよ意味的に冒涜することになってしまうような行為はどうか慎んでいってもらいたいという私からのお願いです。 そのために私たちファンの1人1人が心掛けることができる小さな最低限のことがあると思います。 ただでさえ森下社長の葬儀に出席さえしなかったあのクソアゴです。 どうかみなさん、これから PRIDE のリングにまたノコノコ上がってくるであろうあのクソアゴに対して毅然たる態度を示し続けていってほしいと、私は心から願っています。 多少不遜な言い方をさせてもらうなら、みなさんの ”最後の良心” がこれから今まさに問われようとしているということではないかと思っています。
故・森下直人社長のご冥福をお祈りします
2003年2月9日 管理人 |
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早いもので、昨年11月24日のあの良くも悪くも私にとっての忘れじの記念日から1年が経ってしまいました。 あれからはもう、スポーツ紙 HP
チェックを以前のようにマメにはやらなくなったのはもちろんのこと、PRIDE も含めた一切の格闘技/プロレス中継を見ることもなく過ごしてきました。
PRIDE
を見ないのは無論あのクソアゴが出て来るかもしれないのが嫌だからというのが最大の理由ですが、プロレスの場合ももともとそんなに思い入れを持って見ていたわけではありませんし、新日本のリングではここ最近いろいろと大きな変化が起きてはいるようですが、ネットの情報に触れて
「ああ、そういうことか」 と知るだけで特にそれ以上のものは何もなく、それをわざわざ自分の眼で見てみようという気になることもありませんでした。 一度口にしたことだからといって無理にやせがまんをしているのかと、傍目にはそのように映るかもしれませんし、確かに自分自身この1年の期間をはさんであのときのことを改めて振り返ってみると、今となってはもう ............ というような感じになりつつあることも事実です。 しかし、1年前に行なわれたあの大切な儀式に対する私の思い入れは今でも何ら変わるものではありません。 返す返すも、あれはもうあのときたった1回しか立ち会うことのできない今生限りのものであったのだということ。 そしてそれを見送る人々の追想の中によみがえった、第1次 UWF から PRIDE に至るまでの尊い歴史の日々の根底に流れ続けてきたその本質に、何の躊躇もなく自分の見栄やエゴだけのために余計な泥を塗るようなマネをしやがったあのアゴの尖った薄汚い詐欺師のことが私は許せません。 そのように一生に一度限りの大切なものを奪い取られてしまった以上、あの一件を私は絶対にただで済ませることはできません。 過去・現在および未来の幾多の人々の誠意や努力や犠牲、そして純心を食い物にすることによって ”格闘技界” と不当に関わり肥え太っていこうとし続ける、このマット界に依然として居座り続けるそのような不条理の存在に対して私はこれからもずっとどこまでも ”No!” という意思表示を示し続けていくしかありません。 確かに、今現在プロレス/格闘技ファンである人たちの大多数にとっては、取るに足らない小さなことにいつまでもこだわっている愚か者という風に映ることでしょう。 あるいはそのものズバリ 「女の腐ったの」 というような一言をこの先どこかで浴びせられることにもなるかもしれません。 私自身そのように思わないでもないその批判には甘んじるしかありませんが、しかし私が引きずっているのは、クソアゴへの恨みもそうですがそれよりもむしろ、奪い取られてしまったままもう二度と戻ることのないものに対する無念の思いです。 自分の過去をも重ね合わせながら万感の思いを込めて、なおかつ一生に一度のことだからこそ、あの日に向けて私は自分の半ばすべてを賭けて力を注いで応援してきたつもりでしたと、誰に笑われようと私はそう胸を張って言い切りたいと思います。 その先に待っていたあの日のリング上で見ることができていた筈の、その後の私にとっての大切な心の道標となるに違いなかった筈の光景は、あのクソアゴによって瞬時にブチ壊しにされたまま二度と戻らぬものとなってしまいました。
あれから1年。 TV 中継を見ることはもちろん試合結果や大会総評などを雑誌やスポーツ新聞でチェックすることからも遠ざかったままのこの1年間でしたが、桜庭和志−ヴァンダレイ・シウバ戦や吉田秀彦−田村潔司戦などのビッグマッチがあると知ったときは気になって、Nifty の実況 RT に参加して文字観戦で覗き見という感じになってしまっていました。 そして今回の11月9日、PRIDE グランプリ 2003 でも吉田秀彦−ヴァンダレイ・シウバ戦がやはり気になってまた実況 RT に走り、そしてその第3試合後もヒマを持て余しながらうじうじと長居して端末の文字中継を眺め続けているうちに、私はその一報を知ることになりました。 アゴ木祭りは日テレと複数年契約ということだそうですが、大晦日以外の364日の間クソアゴが大人しく隠居に甘んじるとは思えませんし、かといってそれ以外の何かイベントを企画して自分の力で動いていくなんてことがあのクソアゴにできっこないことも分かりきっていますし、何より百▼氏の後ろ盾がある限りはどうせまたすぐにノコノコ出戻ってくるであろうことは容易に想像できますから、これですべて万々歳というわけにはまだいかないと思います。 しかし、日付的には多少ずれてはいましたが一応あの日からちょうど一年後にあたる区切りの大会において田延彦があのように毅然と言い放ってくれたこと。 私にとってはそれだけでこの上ない慰めでした。
そしてそれからわずか10日後、田延彦の半生を題材とするノンフィクションが出版されるということをプロカフェを通じて知るところとなり、それと併せて、前からずっと気になったまま何となく先送りにしてきていた船木誠勝の自叙伝との2冊を、私は先日一緒に買って読んでしまいました。
それでも UWF は、日本の ”格闘技界”
にまぎれもない功績を残してきた活動だったのだと、いう気持ちに変わりはありません。
あの2度のヒクソン戦をこの眼で見たことを誇りに思う気持ちにも変わりはありません。
昨年11月24日のあの日の出来事のことも含めて、一度心に宿した対象への熱意をその時々で要領よく加減もできず、ましてや捨て去ることもできずにすべてを捧げて傷ついていくアンガジェーであることを私は何一つ恥ずかしくは思っていません。
傷つけられし弱者、ないしは女の腐ったのであればそれはそれでそれなりに、未だどうすることもできない変わらぬ熱意や無念とひきかえに、その定めの中でひっそりと生きていくだけです。
2003年11月24日 管理人 |