| 2002/3/3 |
| 『わが名はオズヌ』 今野敏 小学館 2000年 |
| この人の話は明るく終るから好き。役小角の話だが、舞台は現代。小角について調べる刑事さんと一緒に読者もお勉強。なかなか興味深い。 特に小角の賀茂氏が出雲系の豪族で、原始キリスト教とゾロアスター教の融合した神を奉じていたこと。ゾロアスター教については、松本清張も『火の路』で、斉明女帝の頃ゾロアスター教が伝来していた、という仮説を立てていたので、この時期キリスト教の異端の一派が存在したことはあり得る話である。今野敏の作品に登場する刑事は、『リオ』の樋口さんあたりから、ちょっと頼りなげなキャラクターが割と登場する。この作品でも丸木さんがそう。「仕置き人」とあだ名される高尾さんに怒鳴られながら、頑張っている。 |
| 映画 | 2002/3/6 |
| 「オーシャンズ11」 スティーブン・ソダーバーグ監督(映画館) 2002年 |
| ジョージ・クルーニーもアンディ・ガルシアもいい男たちだが、この二人に愛されるジュリア・ロバーツがあまり美人に見えない。オーシャンがこれほど執着するか?という感じ。寝不足で映画の始めの部分は所々記憶が飛んでいる。 |
| 2002/3/8 |
| 『赤ちゃんをさがせ』 青井夏海 東京創元社 2001年 |
| 去年の秋にリクエストしていて、なかなかこなかったのだが、ようやく届いた。再読中の『指輪』もほっといて読んでしまった。 おもしろかった。主人公の職業が助産婦というのが新鮮。しかも自宅出産のお産だ。語り手の若い助産婦夏海、先輩の聡子、探偵役の70歳のカリスマ助産婦明楽先生。登場人物もみなしっかり描かれていて、「いるなあこういう人」と主人公と一緒に腹を立てたり納得したり、楽しく読めた。日常の謎的で凄惨な事件もおきないので、後味がいい。 |
| 2002/3/16 |
| 『指輪物語 旧版』全6巻 J・R・R・トールキン(瀬田貞二訳) 評論社 1975年 |
| 友人から借りた旧版で読み直し。全6巻で追補編は第6巻の「王の帰還 下」の後に収録されている。ただし、新版にある(E)書き方綴り方と固有名詞便覧は付いていない。そのかわり1巻ずつ絵入りの箱に入っている。表紙は赤い布張りでカバーはついていない。赤の色が新版より深みのあるいい色。
アラゴルンが語る上古の物語は「シルマリルの物語」に出ていた話だった。以前読んだ時は、ややこしくてほとんど読み飛ばしたのだけど。馳夫さんはやはり馳夫さんがいい。韋駄天なんていやだあ。 「旅の仲間 下」 指輪にまつわる歴史がエルロンドやガンダルフから述べられる。「シルマリルの物語」に出てきた話だが、やはり少し忘れている。 ロスロリアンでガラドリエルがアラゴルンにエルフの石を与え、エルサールの名を授けていた。ここでもう名まえをもらっていたのか。読み直すといろんな事がわかる。同じくロスロリアンでアラゴルンがアルウェンの名を呼んでいたり、ガラドリエルに「わたしがただ一筋に求める宝を長く手元に置いておられた」と言ったり、いたるところで二人が恋仲であることを暗示する言葉が見つかる。裂け谷でも暖炉のそばでアラゴルンとアルウェンが話し合っていた。最初に新版で読んだ時、何となく二人が後に結婚するかもとは思ったのだ。追補編で確認したので結局はそうなると分かったが、でもそれはこのときが初対面で、あとから恋が芽生えると思っていた。まさかこの時点ですでに婚約していたなんて。追補編の「アラゴルンとアルウェンの物語」を読むとアラゴルンのまさにひとめぼれ。ああ、馳夫さん! 「二つの塔 上」 第1部のあらすじがあったが、旧版で「ボロミアの死」とあるのが新版では「ボロミアの行動」に直っていた。この巻はアイゼンガルドで、メリーとピピンがのんびり寝そべっている大好きな場面があるから好き。ピピンは眠っていて、メリーはパイプ草をふかしている。この二人が旅に出たときは、絶対足手まといになる設定だと思っていたが、ちゃんと役目があったのだと感心した。エントたちやアラゴルンに片思いするエオウェンも出てくる。アルウェンのことを知らなければ、彼女がアラゴルンの相手だと絶対勘違いする。そういえばアラゴルンの彼女を見る目が、恋するものとは微妙に違う書き方をしている。 「二つの塔 下」 この巻に入ってからはつらくなってきた。フロドは結局辛い目ばかりで報われることはなかったように思う。アラゴルンや他の人々は中つ国での幸せがあったのに、彼だけは心身とも病み疲れ、西方へ行くことでしか癒されなかった。こんなに優しいフロドなのに、身体はオークや大蜘蛛シェロプにやられ、心は指輪の魔力に苛まれついにはとりつかれてしまう。そんなにつらいのに、自分には指輪を滅したあとの命はないとまで悟っているのに、それでも魔の国滅びの山へ向かう。なぜ彼がこんなつらい役目を負わねばならなかったのだろう。彼がホビットだったから?アラゴルンのように強ければ、それだけ指輪に支配された時の影響力が大きいから?だからこそ英雄でも魔法使いでもない、ただのホビットのフロドでなければならないのか?ひとりの英雄の手で歴史が作られるのではない、ということを著者は言いたかったのかもしれない。 それにしてもサムはいい奴だ。人間同士の戦いを初めて見た彼が、その男の名や家族や故郷や、今ここにいる事情について思い巡らす。これらはわたしがよく物語の登場人物、特に脇役たちにたいして抱く気持ちと似ているので、特に印象に残った。またゴクリがフロドに対してやさしい気持ちになり、自分の企てた罠を後悔して苦しむところ、それなのにサムの疑いによってその気持ちが消え去ったこと、など心に残るエピソードが数多くある巻だった。 「王の帰還 上下」 アラゴルンが死者の道を通るところが分かりにくかった。のちにガンダルフによってサウロンの目をフロドからそらすために、あえて自分の身をパランティアにさらしたことが説明される。ローハンのセオデン王に比べ、ゴンドールの執政デネソールは頑固だった。様々なタイプの指導者が描かれる中で、やはりアラゴルンの王たる資質は抜きん出ている。 最終巻ではサムの誠実さがいっそうよくあらわれている。あくまでもフロドを守ろうとする心。彼は自分の幸せがホビット庄の自宅にあることをよく知っている。そして絶望の闇の中にあっても、ものごとの本質を見事に見抜いていた。彼は特別な教育も受けていないが、日々の生活を堅実に生きていくことで意識せずそうなっている。 フロドは最後まで完全に癒しはされなかった。最後に指輪に支配されてしまった彼を救ったのは意外にもゴクリ。それも指輪の奪い合いという形で。滅びの山へ落ちていったゴクリは、意志を貫いて「いとしいしと」をとりもどし幸せだったのではないか。 これで終わりかと思ったら、ホビット庄が大変なことになっていて、なかなかめでたしめでたしというわけにはいかない。ここらへんが娘や友人の気にいらない点で、「話としては好きじゃない」ということになるのだろう。主人公が幸せにならないラストなんて。現世において幸せになれないのは、いくらエルフやヴァラールの西方の国に行くからって、やはり何となく暗い結末に思えてしまうから。 この作品がある以上これ以降のファンタジー作家は困ったろうなと思う。こういう形のファンタジーは、結局この作品の亜流としかみなされないのではないだろうか。『ハリーポッター』はそういう点では、学園ものとしてうまく書いてあると思う。アイデアは認める。 旧版で読み直してみて感動をあらたにした。今回ホビットたちが可愛くって可愛くって。だからフロドを思うと泣けてくる。フロドはキリストや殉教者のようなものだろうか。結局現世にはフロドの幸せはなかったのだから。追補編はあまりに字が小さいので新版で読むことにする。 参照 2002/1/8 2004/3 |
| 2002/3/17 |
| 『おやすみなさいトムさん』 ミッシェル・マゴリアン(中村妙子訳) 評論社 1991年 |
| 読書会用に読んだ本だが、のんきなタイトルからは想像できないほど重い内容の衝撃的な作品だった。 舞台は第2次大戦目前のイギリス。ロンドンで母親から虐待を受けていた少年ウィルが疎開先の田舎で、自然や人々の愛情によって癒され成長していく話。だがわたしはその本筋よりも、この常軌を逸したとしか思えない母親の心情を深読みしてしまった。彼女もまた虐待の被害者で、それにより精神が破壊されている、と考えないとなんとも理解しがたい。父親の一方的な価値観で縛られ、精神崩壊してしまった女性の例として、山岸涼子の「天人唐草」を連想してしまった。 こどもを「いい子」にしようとするのは、それによりまわりから親である自分も評価され、賞賛されることを、心のどこかで期待している。「いい子」ならかわいくて「悪い子」ならいらない。そんな親の身勝手さは私自身いやになるくらい持っているものなので、こういう話を読むと、いつも自分の親としての資質を問われている気持ちになり、反省することしきりである。物語はそんな母親の異常さだけをえがいて、それに対する説明がないので、そこに不満が残るが、この母親が既に精神に異常をきたしていることを表すために、こういう書き方をしたのだとすればしかたないのかもしれない。ゆがんだ価値観倫理観で縛られた彼女は自分の産んだ子さえ、ただ自分の罪の産物としか思えなかったのかもしれない。あるいは父親の記述がいっさいないことから、正式な結婚による出産ではないのかもしれず、もっと深読みすれば乱暴された結果かもしれない。そこまでいかなくてものぞんで生まれた子ではないことは確かだろうと思う。 今回もキリスト教的考え方に対する疑問が湧いてきた。厳格に戒律を守ろうとすると、非人間的にならざるを得ないのではないか。性に対する異常なまでの潔癖さが彼女の価値観の根底にありそうだ。彼女が自殺したことがまた彼女の精神崩壊を的確に表していると思う。本来キリスト教では自殺は禁じられているはずなのに。彼女はそんなことももう分からなくなっていたのか、あるいは自分の人生を狂わせたことに対して、精一杯の反抗を試みた結果かもしれない。 |
| 映画 | 2002/3/19 |
| 「ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間」 ピーター・ジャクソン監督(映画館) 2002年 |
| ひとこと「素晴らしかった」といえないところがつらい。どうしても「本のほうがいい」と思ってしまう。
でも映画をまるっきりの別ものと考えれば、それはもうよく出来ていたと思う。アラゴルンかっこいいし、ホビットたちはかわいいし、アルウェンはくやしいけれどきれいだった。ガラドリエルから貰ったはずのエルフの石は、映画ではアルウェンからのペンダントになっている。細かな改変は仕方ないとはいえ、本来原作ではほとんど出番がないはずのアルウェンがおおいに出張っている。アラゴルンとのラブシーンまである。しょうがないよ、映画でヒーローにお姫様との恋物語はつきものさ、と自分をなぐさめる。うまくはしょっているし、最初の指輪の由来など、うまく映像で説明してあり感心した。くどいなと思ったアイゼンガルドの描写も、次のエントたちとの話の伏線になると考えれば、納得がいく。そして主人公はやっぱりフロド。かわいくっていじらしい。彼の苛酷な運命を思うと涙が出てくる。第1部でこれなら第2部からはどうなるのだ。もう撮影済みならとっととみせてくれんかね。 再鑑賞 2004/7/1 |
| 2002/3/20 |
| 『極北の犬トヨン』 ニコライ・カラーシニコフ(高杉一郎訳) 徳間書店 1997年 |
| シベリアの大自然の中で生きる人間と、その生活を支える犬との物語。飾りのないまっすぐな文章で綴られる極寒の暮らしは、想像もつかない厳しいものだが、そこに生きる人々は自然に対する畏怖をもちつつ、受け継がれた知恵でたくましく暮らしていく。 再読 2003/2/17 |
| 2002/3/21 |
| 『図書室の海』 恩田陸 新潮社 2002年 |
| 短編集。この中の『ある映画の記憶』と『睡蓮』だけは既読。 「春よ、来い」 桜の木の下で繰り返す香織と和恵のひとこま。 「茶色の小壜」 彼女が集めていたのは…。 「イサオ・オサリバンをさがして」 もともと大長編SF『グリーンスリーブス』の予告編だということだが、なるほどそんな雰囲気。千年王国、解体者、など魅力的なキイワードが並ぶ。 「ピクニック」 これも長編『夜のピクニック』の予告編として書かれたという。たしかに本編はこれからはじまるという予感。異母きょうだいである二人と、それを知る唯一の人物との接点は?なかなか気を持たせる。 「国境の南」 怖い話だ。ウェートレスは何を思っていたか?そしてマスターは? 「図書室の海」 『六番目の小夜子』に登場した関根秋の姉、夏の高校時代の話。弟や兄春と同じく彼女も<サヨコシステム>に関係する。図書カードで特定の人物の読書の後を追いかけるネタはおなじみのものだが、本好き図書館好きにはたまらない。 「オデュッセイア」 動く都市ココロコがおもしろい。 「ノスタルジア」 作者が一番自分らしいという作品。たしかにそうかもしれない。でも分かりにくい。 やはり「ある映画の記憶」が「青幻記」の記憶と重なって、一番印象に残る。 |
| 2002/3/22 |
| 『春になったら苺を摘みに』 梨木香歩 新潮社 2002年 |
| 表紙カバーが星野道夫さんの写真。装丁も好ましい。返却期限が迫っていたので、あわてて読んだがもっとじっくり読みたい内容だった。返却したら購入しようと思う。 小説ではなくエッセイだが、凛とした品のいい文章の数々が心に沁みる。著者が昔暮らした英国で、再び半年間暮らしていく中での出来事が綴られている。カナダのトロントで短期間暮らしたり、ニューヨークで英国のスティ先の家族と迎えたクリスマスなどのエピソードも織り込まれる。スティ先のウェスト夫人はじめ、著者の友人知人行きずりの人まで皆魅力的。『からくりからくさ』の登場人物がそのまま現実に生きているようだ。 |
| 2002/3/23 |
| 『捩れ屋敷の利鈍』 森博嗣 講談社ノベルス 2002年 |
| 保呂草さん、萌絵、国枝桃子さんが登場。紅子さんは最後に登場。犀川助教授も電話で登場。VシリーズとS&Mシリーズのメンバーが交錯。でも本は薄い。メビウスの輪を作ってみて確認。でもよくもこんな家を作ったものだ。実際に作ったわけじゃあないけど。うーん、動機は何だ?謎が残る。保呂草は萌絵が紅子に似ていると思い、萌絵は保呂草が犀川に似ていると思う。2組のカップルの前途は多難だと思うけど。 |
| 2002/3/26 |
| 『遠い約束』 光原百合 創元推理文庫 2001年 |
| 『時計を忘れて森へ行こう』以来、久しぶりの作品。『時計〜』は表紙がおおた慶文さんの絵で、とてもよかったので、今度の表紙にはちょっとがっかり。漫画家野間美由紀さんをけなすわけではないが、この表紙はあまりにも漫画絵すぎて、つい「コバルトじゃないんだからさぁ」と思ってしまう。
主人公は浪速大学ミステリー研究会(通称なんだいミステリ研)の新入部員。彼女が三人の先輩部員とともに、大叔父の遺言の謎を解く話をメインに、合宿、関ミス蓮のアクシデントなどを織り交ぜた青春ミステリ。題材も雰囲気も好みなはずなのに、読みながら違和感があった。『時計を〜』のときはもっとほわんとした感じだったのに、テンポが少しよすぎるような気がする。はじけすぎてるような。もっとやわらかく、もっとしっとりとした感じが持ち味ではなかったっけ?そう思い込んでいただけなのかな?話はとてもいいのに、3人の先輩のそれぞれの個性があふれる会話や行動、それに対する主人公の反応が、少々煩く感じられた。 西澤保彦氏の解説は、正直な話私には難解すぎてチンプンカンプンだった。かろうじて理解できたのは、『学生という曖昧でモラトリアムな身分の彼らが、いわば「神の視点」にたつ名探偵を気取る趣向に対して、良識をわきまえる読者からある種の不快感を表明される』というところくらいだ。 この作品のことは、失われた絆の回復を果敢に追い求める物語であり、また「学生探偵もの」つまり「チームプレイ探偵」という特徴に大きな意味がある、とも言っている。なるほどだから探偵役が一人だった『時計を〜』よりうるさく感じられたわけか。 |
| 2005/3/29 |
| 『琥珀の望遠鏡 ライラの冒険シリーズ3』 フィリップ・プルマン(大久保寛訳) 新潮社 2002年 |
| 前巻『神秘の短剣』を読んでから2年近くたっているので、ほとんど忘れている。こんなに間があくなら、1,2巻のあらすじでも載せてくれればいいのに、それもなし。読みながら思い出すしかない。最初を少し読んだら、「メタトロン」の名が出てきて、思わず「天使禁猟区!」と叫んでしまった。俄然興味が湧いてきた。 一気に読むぞと意気込んだけど、さすがにこれだけ分厚いと難航。訳者あと書きに少し説明があり、読んでいくうち前巻までのことを少しずつ思い出した。でももう少し詳しく知るためネット検索し、ようやく話がつながってきた。分類が児童書でなく一般書になっているけど、この内容ならそうだろうなと思う。 苦労の末読了。様々な世界(パラレルワールド)のさまざまな人々と関わりながら、主人公ライラとウィルの成長する姿は、その人々(中には白くまさんなど人間とはいえない生き物もいるが)がそれぞれ魅力的なので、いっそう楽しく読めた。おもしろかったのだけど、複雑なのと前の経緯を忘れているため、完全には理解し切れない部分あり。巻末の訳者のあとがきにもあるように、こんな大胆なこと書いて、キリスト教から文句出ないのかとはらはらする。 印象的な登場人物 ダイモン イオレク・バーニソン(白くまさん大好き) シュバリエ・ティアリスと レディ・サルマキア(ガリペスピアン) ミュレファ コールター夫人 |
| 2002/3/30 |
| 『ワンワンワン』 さかざきちはる WAVE出版 2002年 |
| 「捨て犬たちの小さなおはなし」とあるとおり、人間の都合で捨てられた3匹の犬の話。おばさんさまのサイトで紹介されて気になっていたら、たまたま返却本のなかに見つけ即キープ。それぞれの犬の捨てられる理由の勝手さに怒りながら、まさにその理由が新しい飼い主との出会いにつながったことにほっとする。甘いといえばいえるし、そこで選ばれなかった犬もいるわけだから、複雑な気持ちも残る。あとがきにつづられた犬たちの現実には衝撃を受けた。 犬の絵本といえばガブリエル・バンサンの『アンジュール』が好き。サトクリフの『子犬のピピン』もよかった。 |
| 絵本 | 2002/3/31 |
| 『ジュマンジ』 クリス・ヴァン・オールズバーグ(辺見まさなお訳) ほるぷ出版 1984年 |
| この絵本を見つけたときは、てっきり映画を絵本にしたと思っていた。ところがこちらの絵本のほうが、映画の原作なのだという。わくわくドキドキとにかくおもしろい。絵がすばらしい。 |
| 2002/3/31 |
| 『トールキンズワールド 中つ国を描く』 アラン・リー他 評論社 1994年 |
| いろいろな画家が『指輪』や『ホビット』や『シルマリル』の一場面を描く。見ているだけで楽しくなってくる。まだまだ「指輪」に魅入られている自分を感じる。 |