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2002/4/2
『ジェニーの肖像』
ロバート・ネイサン(井上一夫訳) ハヤカワ文庫 1975年
本屋で偶然みかけたこの作品、考えてみると名前は知っていてもきちんと読んだことなかったので、思わず買ってしまいました。
小学校の頃雑誌「週刊マーガレット」に水野英子の『セシリア』が連載されていました。売れない画家がある日出会ったセシリアという女の子は、少し経って会うごとに、まるで何年もたったみたいにどんどん大きくなっていく不思議な少女でした。なんて不思議でかなしくて美しい話だろうと、感動したその漫画が「ジェニーの肖像」という小説と同じ話だと知ったときから、「ジェニーの肖像」の名はタイム・ファンタジーの名作として私の記憶に深くきざまれていました。今日初めてその原作を読んで、あのときの水野英子の美しい絵を思い出し、漫画という媒体にとてもよく合う作品だとあらためて思いました。(というより実は漫画のほうがおもしろかった)ジェニーが時を越える理由が説明されていないのが、気になるといえばいえます。たぶんこの作品からヒントを得たと思われる萩尾望都『マリーン』(今里孝子原作)ではそのへんの説明がとてもうまくなされていました。




2002/4/4
『わたしは虚夢を月に聴く』
上遠野浩平 徳間デュアル文庫 2001年
『ぼくらは虚空に夜を視る』と似た設定だけどまったく同じというわけではなく、あちらのほうが読みやすく話もわかりやすかった。ブギーポップシリーズの「イマジネーター」に登場した水乃星透子(みなほしすいこ)と思われる少女が、ここでも重要な登場人物になっています。このひとの描く世界は独特で魅力的だけど、時々ついていけなくなる。頭が固くなってるなあと感じるのはこういう時です。




2002/4/6
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』
江國香織 集英社 2002年
江國香織さんの新刊。奇妙な題名だと思っていたら、著者がアメリカを旅行していて見た「It's not safe or suitable for swim.」という立て看板の文字に由来しているという。同名の作品を含む10篇からなる短編集。この人の作品は恋愛や肉欲を書いていても透明感があります。人生は泳ぐのに安全でも適切でもない、でも作品の主人公たちは作者の言葉を借りれば「蜜のような一瞬をたしかに生き」ています。




2002/4/6
『ローゼンクロイツ 仮面の貴婦人』
志麻友紀 角川ティーンズルビー文庫 2001年
題名は聞いたことあったのと面白そうだったので、ブック・オフで100円にひかれて買ってしまいました。内容はまあまあ、ただ文章が…。漫画を読んでいるような気になりました。




2002/4/7
『玩具草子 おもちゃぞうし』
長野まゆみ 作品社 2002年
「おもちゃ古裂随想」と帯にあるとおり、子どものころから著者の日常を彩ってきた、おもちゃや古裂やちいさなものたちへの、愛おしさにみちたエッセイ集。 ここにあげられたちいさなものたちは、私にとってもなじみ深い懐かしいものたちですが、それが長野さんの手にかかるとこういうふうに語られるのか、と目が覚める思いがします。語られている対象が、私の子供時代をいろどってくれたものだけに、特にそう感じてしまいます。長野さんの独特の言葉により、これらのものたちはよりいっっそうの輝きを増しています。うつくしい日本語を堪能しました。




2002/4/8
『東京少年』
長野まゆみ 毎日新聞社 2002年
長野さんの作品にしては時代や場所がはっきりしている、「白昼堂々シリーズ」に似た作品。花がでてくるのも少し似ています。少年の出生の秘密を追う物語が、独特の綺羅々した言葉でつづられていきます。 長野さんの作品はすごく好きだと感じる時と、多少息苦しさや軽い嫌悪感を持つ時があります。作者のもつ独自の美意識により作られた世界があまりに完璧すぎて、共感できない部分がすこしでもあると、もうその世界から拒絶されてしまうように思ってしまうからでしょうか。自分のめざすものは究極の澄明だと、本人が書かれていますが、たぶんもう純粋でも透明でもない私には、いささかそれが鋭すぎると感じられるのかもしれません。それでもその美しい言葉の響きにはいつも憧れてしまいます。




2002/4/12
『GO』
金城一紀 講談社 2000年
おもしろい!最初からぐいぐい引き込まれてしまいました。テンポのいい文章、でも語られることは結構きつい。それを重いドラマにせず、青春小説に仕上げてあるのに感心しました。
主人公が元ボクサーの父にボクシングを習いたいといった時の、父親の言葉が印象に残りました。
「自分の体の腕一本分の円の中。その自分の手の届く範囲でじっとしていれば、傷つかないで安全に生きてゆける」
ドキッとしました。若いころ傷つくのが怖くて、あたりさわりのない付き合いをしていけばいいや、と考えたことがあったから。私ならその円の中でじっとしていることを選ぶかもしれません。 主人公はそんなことは「ジジくせえ」と答え、円の外から何かを奪い取って来るほうを選びます。相手から奪い取られるリスクを承知で。これはボクシングの形を借りて、父親が息子に生き方の覚悟を問いかけたのだと感じました。 父親に負けず劣らず母親も痛快、また主人公はじめ登場する少年少女がいい子達です。主人公の恋愛の純粋さに、柄にもなく胸がときめいてしまいました。
後半、漠然とした不安はありました。正一のこと。いい子すぎて不安でした。当たってほしくないその予感が当たってしまって、涙がぼろぼろこぼれました。「どうしてあの子が…」正一の母親の涙は、私の涙でもありました。 あまり考えたくないこと。私の父や母が使っていた言葉。無意識の悪意、差別。私の中にも知らず知らずあるであろう感覚。そんなものを掘り起こされて、でも決して不快ではありませんでした。
主人公が恋人に語る、極東からべ―リング海峡を歩いてアラスカに渡り、アメリカ大陸を南下したモンゴロイドの話。(ここを読んだ時、鈴木光司の「楽園」を思い出しました)民族だ人種だといってるけど元をたどれば、そんなことにどんな意味がある?と思えてきます。 『国家とか土地とか肩書きとか因習とか伝統とか文化とかに縛られず、どこにだって行ける』と叫ぶ主人公。いっしょに行ける恋人がいることを、よかったねと祝福してやりたい。これからも彼らの前には障害となるもの、あからさまな差別や悪意が待ち受けているでしょうが、そんなものぶっ飛ばしていってほしい。頑張れ!




2002/4/14
『砂の上のロビンソン』
上野瞭 新潮社 1987年
作者の上野さんは今年の一月に亡くなられました。今年は年明けから、いぬいとみこさん、リンドグレーン、そして上野さんと、児童文学のかたの訃報が続きます。
この『砂の上のロビンソン』はかなり前にNHKでドラマ化された時、少し観た覚えがあります。その後映画化もされたそう。
モデルハウスで理想の家族として1年暮らせば、その家をもらえる―こんなありそうでなさそうな設定ではじまるこの話は、家族の再生の物語といえます。父親、母親、3人の子どもたち、それぞれの視点から語られています。
最初はモデルハウスを獲得するため、必死に奮闘する母親の姿にしらけてしまい、ちょっとこの母親を悪く描きすぎているような気がしました。それはモデルハウス入居後から始まる周囲の嫌がらせや住宅会社の要求が、誇張されすぎている点にもつながり、正直あんまり現実味のない話だなと思いました。文章も突然過去の話に飛んでいたり、少し読みにくいところもありました。でもテンポはいいので、すいすい読むことは出来ました。
母親のことを考えてみました。専業主婦で、夫と子どもに囲まれ平凡で幸せなはずなのに、彼女はいらだっています。自分にはもうときめく出来事はおこらないというあきらめ、もっと違う人生が送れたかもしれないという悔恨、自分だけとり残されているような焦り。それらは大なり小なり、私もかかえている思いでもあります。彼女の場合それらに加えて借家を出て行かなくてはならなくなり、住む所への不安も重なります。そんな彼女が最後の望みをかけたのが、モデルハウス入居者の選考でした。これがだめなら離婚を考える、とまで追い詰められていた彼女の意気込みは実り、ついに入居資格を得ます。ここで1年間暮らし、見学者に理想の家庭を見せ続け、住宅会社の宣伝に大いに寄与できれば、家を譲り受けることができます。汚さないように気を使い、毎日訪れる見学者の視線に耐え、時には見学者の前で食事をし、普通の会話をしなくてはならない。そのうえ会社からは毎日、彼らが入居者としてふさわしいかどうか、チェックする人間が2人もやってくる。こんな生活を本気でする気なのか?と、この時点では彼女に対してあきれるばかりでした。ただ読んでいるうちに、考えが変わってきました。目的のために必死に努力する姿は、最初は批判的に滑稽に見えていましたが、しだいに感動的に見えてきました。きっと彼女は仕事の出来る優秀な女性だったのでしょう。夫の蒸発の後、パート先での仕事振りをみても彼女の有能さはわかります。一見自分勝手な愚かな人間のようにみえるけど、そもそもモデルハウスに応募したのも、夫との仲をなんとか修復したいという無意識の望みがあったのではないかと思うし、病気になった彼女は、やはり夫と共に暮らしたいと切実に願います。モデルハウスでの1年は、最初は家族が翻弄され崩壊していく話だと思いましたが、逆に1年かけて絆を強めていったのだと考えることもできます。
家族それぞれが大変な試練を乗り越え、最後に家族をチェックしていた2人の計らいで、無事モデルハウスを譲渡されるところは、ちょっとおとぎ話みたいでした。現実にこんなことは起こらないだろうけど、あんな大変な思いをしてきたのだから、最後はハッピーエンドでも許されると思います。
ところがそう思っていたらラストで意外なことがおきます。これは何?と一瞬背筋が寒くなりました。作者はここに何の意味を込めたのでしょうか?




2002/4/16
『レディ・ガンナーの冒険』
茅田砂胡 角川スニーカー文庫 2000年
ガンナーという名のレディの話かと思っていたら、キャサリンという名のお嬢様のお話でした。このお嬢さま破天荒で銃もぶっ放す。だから「ガンナー」というわけなのね。キャサリンの性格が痛快。この世界にはアナザーレイス(異種人類)と呼ばれる動物に変身出来る人類がいて、普通の人間との間にインシードという混血も生まれている。そういう設定なのでアクションも派手で楽しい。もっと彼らの活躍がみたい。続編が楽しみです。




2002/4/19
『お父さんは時代小説が大好き』
吉野朔美 本の雑誌社 1996年
いろいろな本の紹介がしてあって、面白い!

『アルジャーノンに花束を』
最近ダニエル・キイス文庫ができたので、これも文庫になったんじゃあなかったかなあ。長編よりむしろ『心の鏡』に入っている中編のほうが、すっきりまとまっていて好きでした。はづきはこの中篇しか読んでいません。

『羊たちの沈黙』
映画も本もまだ。観たい、読みたい、でも怖そう。これを読むなら「レッド・ドラゴン」も「ハンニバル」も読まなきゃならなくなりそうで。映画「ハンニバル」を観てきたはづきの説明、グロかったです。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
このタイトル聞いたことあると思ったら、川原泉の「アンドロイドはミスティブルーの夢を見るか?」でした。カーラ教授はこの本をお読みになったのでしょうね。さすがです。

『飛ぶ教室』
この作品をとりあげているなんて、最高に嬉しかったです。「子供の頃に読んでおけばよかった」とありますが、私も本当にそう思います。でもこの本を子供たちといっしょに読めたことも、大きな喜びでした。




2002/4/19
『暗くなるまで夢中で読んで』
神宮輝夫・野上暁/監修 原書房 2002年
「日本の子どもの本の現在(いま)セレクト62」という副題がついています。選択の基準が「いま」読んで「おもしろい」というもので、そのため既成の児童文学史の中の多くの作家、作品がこの基準でこぼれ落ちていったそうです。それでもなお残ったのが宮沢賢治だった、というところではため息がでてしまいました。彼についてはさまざまに喧伝されているから、あえてとりあげず、結果的に現代作家が中心になったということです。また現在でも手に入るかという条件を加えると、かなり多くの本が絶版、品切れという状態だったというところでは、児童書の出版状況がよく表れていて、やりきれない思いを抱きました。
そんなわけで通常の児童書案内とは一味ちがったリストになり、これからの読書にとても参考になりました。野中柊、藤野千夜、川崎誠など、これから読んでみたい。 また宮部みゆきの『ステップ・ファザー・ステップ』小野不由美の『十二国記』や長野まゆみ、梨木香歩、森絵都、上橋菜穂子、荻原規子、佐藤多佳子など、私のお気に入りの作家がたくさん取り上げられていて、嬉しかった。




2005/2/20
『お母さんは「赤毛のアン」が大好き』
吉野朔実 本の雑誌社 2000年
前の『お父さんは時代小説が大好き』に続いての本の案内書。「私はこれを”読みきった自慢”」がおもしろかった。はて私の自慢はなんだろう?




2002/4/23
『小さな男の子の旅』
エーリッヒ・ケストナー(榊直子訳) 小峰書店 1996年
ケストナーにこんな短編があるなんて知りませんでした。2編収録。ごく初期の作品らしく、おなじみの前書きも章のはじめのあらすじのようなものもありません。そのぶんストレートにこどもの心が伝わってきます。2編とも母親を思う子どもの心が痛いほどわかります。

「小さな男の子の旅」
悲劇的な場面になるのでは、と予想させるところで終っています。気丈な男の子がいじらしいです。

「おかあさんがふたり」
女の子は母親を亡くし、新しい母親がくることに、戸惑いをかくせません。新しい母親と心を通わせられそうな終わり方にほっとしました。




2002/4/24
『炎のように 鳥のように』
皆川博子 偕成社 1982年
皆川博子さんが児童書を書いていたとは知りませんでした。しかもこの題材は、私の大好きな古代史ものです。壬申の乱から大津皇子の悲劇を含め、日本が律令制を定めていった時代が、草壁皇子と彼の奴(奴隷)小鹿との双方の視点から語られます。
草壁と大津のことは学生時代に読んだ永井路子の「万葉恋歌」で初めて知り、以来天智、天武、持統の時代には関心をもってきました。大津の悲劇は日本人の好みに合うらしく、それを強調するあまり実際より卑小に描かれることの多い草壁ですが、彼に愛情をもって書いてあるこの作品は、私にとってとても好ましいものでした。
「おれは、物語ろう」ではじまる小鹿の章と「わたしは、思いかえそう」ではじまる草壁の章が交互になっている構成がよかった。奴に落とされても人間の誇りを失わなかった小鹿が、最後に自らの無力さに自死を選んだ草壁の墓の前で、明日へ向けて生き抜く覚悟を語る場面は感動的でした。天武や持統、そのほか馴染みの登場人物の描写も見事でした。




2002/4/25
『おすず 信太郎人情始末帖』
杉本章子 文藝春秋 2001年
久しぶりの杉本章子さんです。信太郎という呉服の大店を勘当され、今は芝居小屋で働く主人公が、毎回事件を解決する連作短編。捕物が仕事ではない主人公が、事件解決に首を突っ込むことになったきっかけが、題名にもなっている冒頭の作品「おすず」。おすずは信太郎の元許婚で、彼が吉原の茶屋の子連れ未亡人おぬいと恋仲になったため、破談になった娘です。このおすずが結婚を間近に控えながら、家に押し入った強盗に辱められ自害したことが、信太郎を犯人探しに走らせることになります。「お嫁さんにしてほしい」と信太郎にすがり、諭され泣く泣く帰った彼女の心境を思うと、この事件はあまりにかわいそうでした。
おすずのことはこの最初の話「おすず」のあと、最後の話「差しがね」にもかかわってきます。
信太郎と恋仲のおぬい、幼馴染の下っ引き元吉、御家人くずれの囃し方貞五郎、芝居作者の河竹新七、など登場人物を配し、黒船到来など歴史的事実も取り入れて、江戸の町と人々の暮らしが描かれています。端整な文章が好きです。




2002/4/26
『水雷屯 信太郎人情始帖』
杉本章子 文藝春秋 2002年
「信太郎人情始末帖」の第2巻。「オール読物」に連載中なので、まだまだ続きそうです。おぬいに信太郎の子が出来て、二人の行く末が気になります。登場人物も増えてきました。




2002/4/28
『あかんべえ』
宮部みゆき PHP研究所 2002年
分厚いなあ、ぼちぼち読もう、と思っていましたが、読み始めると一気に読んでしまいました。さすがは宮部さんです。以下ネタバレしてます。 おりんちゃんが三途の川のほとりに行き、それが原因でおりんちゃんがお化けを見ることができるようになったというエピソードを読んだ時、『たった一人』を思い出しました。死に瀕した時人間は自分の肉体や時間や空間からも自由になるという。正確には同じことではありませんが、超自然的現象という点では似ていると思いました。 おりんちゃんがとても可愛く、おえんちゃんとのやりとりの面白さ、小さな女の子たちのませた口ぶりがとてもよくあらわれていると思います。同じ年ごろの女の子(のお化け)なのに、「あかんべえ」をするだけで影が薄かったお梅ちゃんが、最後に亡者やお化けさんたち全員を井戸へ誘導していく所は、力強く迫力があり、このためにこの子がいて、だから「あかんべえ」が題名なのかと感心しました。 三途の川で会った人のことが、きっと何か関係があると思っていましたが、話が進むにつれてころっと忘れてしまい、後でやられたと思いました。 お化けを見ることが出来る人と出来ない人。その違いがその人がこころに闇をもっているかいないかにある、というところは納得できました。七兵衛のように苦労してきても、まっとうに真っ正直に、不器用なくらい真っ直ぐに生きてきた人には、お化けは見えない。でもこの世はそんな真っ直ぐな人たちだけで成り立っているのではなく、こころに闇をもっていてもそれに打ち勝つ人々がいてこそ、正義や秩序が保たれている。そんなことを感じました。 ただ浅田屋と白子屋など、あまりにたくさんの人が出てくるのは、少しごちゃごちゃしているかなと思いました。また料理がとてもおいしそうなのに、いつもめちゃめちゃにされてまともに食べてもらえないのは、太一郎ではないですが、なんだかつらいと思いました。




2002/4/29
『怪盗クィーンはサーカスがお好き』
はやみねかおる 講談社青い鳥文庫 2002年
夢水清志郎の好敵手・怪盗クィーンとありますが、はて夢水シリーズに出てきたかな?と記憶があいまいです。上越警部や雑誌編集者の伊藤真里は記憶にあるのですが。挿絵は夢水シリーズの人の絵のほうが好きです。 クィーンと相棒のジョーカー、人工知能のRDとのやりとりはおもしろい。 サーカスというのはなぜか郷愁を誘う。楽しいのだけれどどことなく淋しくて。



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