| 2002/5/2 |
| 『影の王』 スーザン・クーパー(井辻朱美訳) 偕成社 2002年 |
| アメリカの少年俳優ナットが、「真夏の夜の夢」の上映のためロンドンにやってきて、そこで16世紀へタイムスリップし、シェイクスピアの指導のもと、グローブ座でパックを演じることになります。「真夏の夜の夢」は「ガラスの仮面」でマヤがパックを演じていたので、原作を読んでいませんが、何となく親しみのある劇でした。当時のロンドンの様子や人々の風習が生き生きと描かれています。そんな中で次第にシィクスピアと心を通わせるようになったナット。無事公演が終わり現代に戻ってきたナットが、今度は逆に過去の世界に郷愁を覚え、シェイクスピアを失った喪失感に傷つく姿が印象的でした。 途中までは、アトリーの『時の旅人』と比べ、軽いなと思っていたのですが、ナットの過去の傷があきらかにされ、現代に戻ったナットが仲間と謎を追いかけるところや、最後の部分で癒されてゆくところに感動しました。 「歴史は俺たちに何をさせようとしているのか」というコピーは映画「戦国自衛隊」のものですが、ナットが16世紀に送られたのは、シェイクスピアの作品をこの世に残すためだったと説明があります。そこに人智の及ばぬ<時>の力を感じてしまいます。 おもしろいと思ったことは16世紀の場面で、シェイクスピアがエリザベス1世を「グロリアーナ」といっているところと、告げ口をする人のことを「蛇の舌」と呼んでいるところ。エリザベス女王の別名がグロリアーナだということを初めて知りました。「蛇の舌」は『指輪物語』のグリマーのこと。なるほどこういう呼び方は普通のことのようです。 |
| 2002/5/3 |
| 『流血女神伝 砂の覇王7』 須賀しのぶ 集英社コバルト文庫 2002年 |
| 前回絶体絶命のカリエ、しぶとく(そりゃ主役だもの)助かりました。なつかしのルトヴィアで珍しくモテてるカリエ。そしてこれまたなつかしのミューカウレス登場。ミュカはけっこう気にいってたので、心身ともに成長した姿は嬉しかった。でもカリエがとうとうバルアンへの気持ちを自覚してしまった。たしかに彼の小姓やってた彼女が一番生き生きしていました。うーんバルアンか。いいんだけど、カリエはもっと高みへ登っていくと思っていたから、バルアンとこうなるとは意外でした。はづきはバルアンが気にいってるからいいんですが、私はカリエの相手としてちょっと彼では不満でした。でもこうして主要なキャラが出揃ってみると、男たちのうちではやはり彼かなと思います。それはそうとエドは影も形もありません。どこへ行ったのでしょう? |
| 2002/5/6 |
| 『黒い兄弟』 リザ・テツナー(酒寄進一訳) 福武書店 1988年 |
| 昔スイスの貧しい農家の少年たちが、イタリアのミラノへ売られ、煙突掃除夫の仕事をさせられていた事実に基づいたお話です。 主人公のジョルジョ少年が売られる前の村の様子、またミラノへ行くまでの道中の様子、ミラノでの苛酷な労働の様子が、それぞれとても詳しく書かれていて、当時の様子がよくわかります。少年たちのひどい境遇に、今だったら決してこんなこと許されないだろうと怒りがわいてきます。昔の日本の「女工哀史」に通じるものがあります。少年たちは「黒い兄弟」という仲間の会を作り、お互いに協力し合って困難を乗り越えようとします。町の少年たちの「狼団」とも最初の確執から次第に和解するようになります。でもジョルジョの親友アルフレッドはそんなひどい生活のなかで、とうとう病気で死んでしまいます。ジョルジョに妹ビアンカのことを頼みながら。ジョルジョも一時死にかけましたが、親切なお医者さんに救われます。そしてジョルジョは仲間と一緒にお医者さんのもとに逃亡します。それを手伝ってくれたのが「狼団」の少年たちでした。 この逃亡場面にもはらはらさせられましたが、無事逃げられてほっとしました。後年ビアンカと結婚して、故郷の村に教師として帰ってくるジョルジョを家族が喜んで迎えるところで終っています。ジョルジョひとりの幸せでなく、騒ぎになったことで子どもの売り買いが禁止されたことも書かれていて、ほんとうによかったと思います。かなり悲惨な状況もきちんと書かれていて、それが物語の迫力になっています。 |
| 2002/5/7 |
| 『暁の天使たち』 茅田砂胡 中央公論新社 2002年 |
| 作者は「新作」というけれど、これはやっぱり『デルフィニア』です。リィとシェラだけならまだしも、あの二人も登場してくるなんて。『スカーレット・ウィザード』と『デルフィニア戦記』がこんなふうに結びつくとは、予想もしてませんでした。こうなればジャスミンとケリーをぜひもう一度登場させてほしい。 |
| 2002/5/9 |
| 『ちょー歓喜の歌』 野梨原花南 集英社コバルト文庫 2002年 |
| とうとう魔王が召還されてしまいました。スマートぶったおれてる場合じゃない。なぜサリタと名乗っているのかは、まだ分からないけど。 肉親から化け物扱いされているクラスターのつらさはわかるけど、もっと前向きに生きろよ!とどやしつけたい。でも宝珠でさえ説得できないほど、彼の心の傷は深いのでしょう。 |
| 2002/5/10 |
| 『第九軍団のワシ』 ローズマリ・サトクリフ(猪熊葉子訳) 岩波書店 1972年 |
| サトクリフの新刊『辺境のオオカミ』を買ったのを機に、もう一度「ローマン・ブリテン3部作」を読み直そうと思いました。これは第1作です。 この作品を読んではじめて、イギリス(ここではブリテンとよばれています)がローマの属国だったことがあることを知りました。ローマが世界の中心であり、ブリテンは辺境の野蛮な国でしかなかったことは、意外なことでした。でも当時のことを考えれば予想はつくはずなのに、いかに自分が世界史にうといか恥ずかしくなりました。 主人公マーカスはローマの兵士で、ブリテンの駐留軍に配属され、武勲を立てることを夢みている若者でした。しかし反乱軍(先住の氏族たち)との戦闘で重傷を負い、やむなく退役します。ブリテンにいる叔父のもとに身をよせたマーカスは、先住氏族の息子で戦闘で捕らえられ奴隷になったエスカを買い取ります。この二人が、マーカスの父が司令官をしていて、12年前北方の氏族を征伐にでたまま行方不明になった第九軍団の行方を追い、軍団の象徴である”金色のワシ”を奪回するための旅に出ます。もはや軍での居場所がなく、自分の将来の生き方を探しあぐねているマーカスにとって、この旅は父の軍団の汚名をすすぎ、”ワシ”をとりかえし、軍団を再興する目的を持った旅でした。 サトクリフの作品については、上橋菜穂子さんが講演会で「その時代の風景、草の匂いや風の色、人々の息づかいまで感じられるような描写」と絶賛していていました。本当に読んでいて、当時の状況が目に見えるようでした。そして単なる冒険談としてではなく、マーカスの精神的成長を描いている点がとてもよかったと思います。 征服した側にとって、現地のものは全てが野蛮に見え、傲慢にも見下してしまいがちです。彼らを野蛮人としてしか捉えない人物も登場します。マーカスがエスカに訪ねる場面があります。「どうして辺境の氏族たちは、おれたちローマ人がやってくるのをそんなに嫌うのだろう?ローマが与えたものはいいものだったはずなのに」と。それに対してエスカは「たしかにいいものだったが、代償が高すぎた」と答えます。その代償とは<自由>の他に昔から伝わる自分たちの精神や生き方を忘れてしまうことだと言います。そのときに彼が見せた彼らの紋様とローマの紋様の違いは、それぞれの世界の違いを象徴的にあらわしていて、この場面はとても印象に残りました。 マーカスとエスカとの間には奴隷と主人という垣根を越える友情が芽生え、冒険の旅に出る前にマーカスはエスカを解放します。そして「友として」同行してほしいと頼み、エスカは「友として」承知します。二人の友情は旅の間にさらに深まります。このエスカや、叔父の隣人の娘のコティア、軍団の生き残りで辺境氏族として生きることを選んだグアーン、”ワシ”を奪ったエピダイ部族の人々など、マーカスをめぐる人々の描写も見事です。 困難の末<ワシ>を持ち帰ったマーカスですが、残念ながら軍団の再興はなりませんでした。でも旅を通じて彼は自分の居場所をブリテンに見出すことができました。そこに読者は深い感動を覚えるのだと思います。 |
| 2002/5/14 |
| 『怪盗道化師(ピエロ)』 はやみねかおる 講談社青い鳥文庫 2002年 |
| はやみねかおるのデビュー作。後書きによると、小学校の新米教師だった26歳のころ、子どもたちに「悪口はだめだ」ということを伝えたくて書いた、ということです。いい先生です。本格推理とは違う、少しメルヘンも入っているほのぼの物語です。 |
| 2002/5/15 |
| 『銀の枝』 ローズマリ・サトクリフ(猪熊葉子訳) 岩波書店 1994年 |
| 第2作の「銀の枝」を読む前に、歴史認識を深めようと「イギリス史」に目を通しましたが、これは失敗でした。私の頭では短時間に理解しようなど、無謀な試みでした。それでも少しは内容の理解の手助けになることもあったのですが。 ローマの渡来以前のケルト人の社会が多数の敵対的部族に分かれていたこと。ケルト人も元々の先住民族ではなく、大陸から渡ってきた征服民族であったこと。ローマ人が彼らをブリトン人と呼び、それからこの島がブリタニア(ブリテン)と呼ばれるようになったこと。ローマの支配は南部に留まり、カレドニアと呼ばれた今のスコットランドやアイルランドには及ばなかったこと。ローマの文化がローマの衰退とともに薄れていったとき、それに反比例してキリスト教がケルト人の主に下層社会に広まっていったこと。ローマンブリテンが、北のカレドニアからピクト人の、東の大陸からサクソン人の、西のアイルランドからスコット人の、それぞれの侵入に悩まされていたこと。ピクト人とスコット人はともにケルトの早期の移住者ゴイデル人の一派だったということ。 ここらへんにくると何人が何人やらごちゃごちゃしてきて、まるで分からなくなりました。サクソン人やピクト人はサトクリフの作品中によく出てくるので、その違いがいまいち分からなかったのです。二つの民族が違うというのは分かりましたが、今度はスコット人が出てきてますます混乱してしまいました。ではローマ支配下におけるローマ化したブリトン人とは、何人なのでしょうか?ケルト人の一部であったらしいことはわかりますが。混乱するばかりです。 その後衰退していったローマは紀元410年にブリテンから引き上げ、その結果前後3世半に及ぶローマの支配は終わり、ローマ文化はほとんど壊滅し、再びケルトの部族制度が復活してくるということです。そして無防備無政府状態になったブリテンにアングロ=サクソンの移住が始まり、ローマン・ブリテンからアングロ=サクソン・イングランドに移行していった、というのがその後の展開になるそうです。 読みはじめると今度はブリテン皇帝なるものが現れて、これが気になって進まなくなりました。以前は単に、ローマが置いた属州の知事が皇帝を名乗ったんだろう、と思って読んでいたのですが、はたして歴史上はどうなっていたのか、などと考えたためにやっかいなことになりました。結局この部分の記述は「イギリス史」には載ってなかったのであきらめました。 前作に比べ陰謀や毒殺がでてきたりして、少し暗いです。マーカスの子孫フラビウスが出てきますが、むしろ彼よりジャスティンの視点で話が進みます。登場人物も前作より多いです。その中のひとりローマ軍兵士のアントニウスがキリスト教を信仰しているらしい描写がありました。ローマがキリスト教を公認するのは、これより少し後になります。 当時のローマは正・副皇帝が2人ずつでの4分割統治時代であったことがわかりました。それでローマの皇帝の名が3人も出てきた訳はわかりました。ただこの作品のカロウシウスが4人の皇帝の1人であったのか、勝手にブリテン皇帝を名乗ったのかは、はっきりしません。カロウシウスは本書によると、生まれはゲルマン人とヒベルニア(アイルランド)人の混血です。彼はブリテンをローマの属州として強化し、できれば自治領をめざしていたのではないかと思えます。だからこそサクソンの侵入を拒む彼をローマも容認していたようです。ローマの支配が長引くにつれ、ローマ化されたブリテン人はローマとの混血が増えていきます。彼らにとってローマへの忠誠とブリテンへの忠誠は区別がついていないようにみえます。彼らが自分の帰属先を意識するのは、ローマがブリテンからの撤退を決めた時になるようです。この作品の最後、「ローマのためというより、ブリテンのため」戦っていたはずのフラビウスとジャスティンが、ローマ皇帝コンスタンティウスに忠誠を誓うことに、やや意外な気持ちになりましたが、そう考えると納得がいきます。 サクソン人の侵入に悩まされるブリテンで、ブリテン皇帝を名乗るカロウシウスが、サクソン人と手を組んだ大臣アレクトスに暗殺されます。アレクトスの陰謀を察知しながらも辺境に左遷されていた、百人隊長フラビウスと軍医で遠い親戚のジャスティンは軍を脱走します。追われる身の二人は反アレクトスの組織を手伝い、ケルト民族のエピカトス、剣闘士のパンダラスなどの仲間とともにローマ軍に加わります。激しい戦闘の末、ローマ軍はサクソン人とアレクトスを打ち破ります。 サトクリフの作品に共通することですが、歴史の大きな流れのなかで、登場人物一人一人を生き生きと描き、強い意志を貫いて生きる人間たちの美しさと友情を、見事に描き出しています。前作「第九軍団のワシ」よりスケールが拡大し、登場人物も多く、物語も陰謀、地下組織活動、逃亡、戦闘とドラマチックです。フラビウスとジャスティンの二人は、マーカスが持ち帰ったあの”ワシ”を偶然見つけ出し、アレクトスに対抗する寄せ集め軍団の旗印にしますが、この”ワシ”発見場面から物語は怒涛のように流れていき、読んでいてハラハラしました。主人公は二人ですが、主に行動をリードするのはフラビウス、物語の視点はジャスティンで、彼が他の登場人物に対して抱く印象がそのまま物語の伏線にもなっています。のびのび育ったやんちゃなフラビウスに比べ、体が弱く軍人になれず、そのことで父親の期待に添えなかったという負い目をもち、屈折した劣等感を持つジャスティンの視点で書かれているところがよかったです。 |
| 2002/5/18 |
| 『ともしびをかかげて』 ローズマリ・サトクリフ(猪熊葉子訳) 岩波書店 1969年 |
| ローマンブリテン第3作。前作「銀の枝」の時代より約130年あとの、ローマがブリテンを撤退してからの物語です。主人公はマーカス・フラビウス・アクイラ。『第九軍団のワシ』の主人公と同じ名をもつ子孫です。『銀の枝』のフラビウスもマーセルス・フラビウス・アクイラという似たような名前でした。混乱を避けるためか、この作品の主人公はアクイラと表記されています。 ローマがブリテンを撤退することが決まった時、アクイラは自分がローマ人ではなく、ブリトン人であることを自覚し、ブリテンに残ることを選択し、軍を脱走します。しかし家に戻ったアクイラと家族をサクソン人が襲い、父は殺され、妹はさらわれ、アクイラは重傷を負い同じ蛮族のジュート人に連れられ、奴隷として働かされます。3年の後アクイラは、サクソン人の妻になり子どもを産んでいた妹に再会します。妹の助けで逃亡したアクイラは、ブリテンの王子アンブロシウスの軍に加わり、サクソン人との戦いにあけくれます。戦闘は何年も続き、部族間の統合、離反、暗殺、アクイラ自身の結婚や子どもの誕生など、さまざまな出来事をつづりながら、約20年後アンブロシウスがブリテンの王位につくところで終っています。 サクソンの侵略がこれで終ったわけではなく、やがてはブリテンは彼らに征服されてしまうのですが、サトクリフの後書きでそれには250年かかったという事実を知り、驚きました。歴史書を読んだ限りでは、すぐにもサクソン人が入り込んだという印象を受けたのですが、実際はそんなにかかったわけで、その時代にこの物語をからませたサトクリフに感心するばかりです。その場に自分もいたような気になるほど物語にひきこまれました。 前2作が1〜2年という比較的短期間の出来事だったのに比べ、ここでは約20年にわたる長い時間が流れています。そして主人公アクイラの受ける試練は一番苛酷です。奴隷にされたことや、前2作のような常にかたわらに信頼する友がいるわけでなく、孤独と絶望につつまれる彼の姿は痛々しく、読んでいて苦しくなってきました。 奴隷としての日々よりも、妹フラビアがサクソン人の妻になっていたこと、さらに一緒に逃げようというアクイラの誘いを断り、サクソン人側に残ったということがアクイラの傷を深いものにしています。そのため心を閉ざし、友人も作らず、結婚さえアンブロシウスに命じられた政略結婚で、子どもが生まれても暖かい家庭を作ることができません。彼と彼の妻ネスとの関係も複雑で、ふたりの心の葛藤だけでもひとつの物語ができるようです。ネスが彼女の父親とブリテン軍との友好関係が切れた後も、アクイラのもとに留まることで、ようやくアクイラはフラビアのことを少し理解できるようになります。戦闘のさなかでフラビアの息子を見つけ、こっそり助け出し故郷に送り返したアクイラは、そのことを皆の前で告白し窮地に立ちます。その時息子フラビアンが父と運命を分け合うために駆け寄ります。アクイラはとがめられず、息子との絆を深められ、長い間彼がとらわれていた喪失感を克服することができます。ここにきてようやくアクイラの心が癒されたのが、わがことのように嬉しかったです。同じ女性として、フラビアやネスの心情にも深く共感できる部分がありました。 タイトル「ともしびをかかげて」は非常に象徴的な言葉です。アクイラが撤退していくローマ軍を見送るため、砦で火を燃やしますが、それは「闇に対する反抗のあかし」であったといいます。また終わり近くブリテン軍の医師がアクイラに言います。「われわれはともしびをかかげて、暗闇と風のなかに光をもたらす者なのだ」と。 この場合、闇とはサクソン人をはじめとする(ローマがそう呼んだ)<蛮族>の支配を表しているようです。奴隷になったアクイラの目からみたジュート人の暮らしは、文字もなく、たしかに野蛮で文化的とはいえません。でもだからといってこれを闇といっていいものかどうか。私の読み方が浅いのかもしれませんが、この部分はすこし納得できません。それより「絶望のなかにあっても常に希望というともしびをかかげて生きてゆこう」と考えたいです。 |
| 2002/5/19 |
| 『青幻記』 一色次郎 筑摩書房 1967年 |
| 長い間読みたいと思っていた作品。図書館にリクエストしてから3ヶ月以上たちます。当初文庫で探して頂いていたようですが、県内の何処にも所蔵なしで、昭和42年刊行の初版本を県立図書館から貸し出してもらいました。たぶん書庫にしまってあったのだと思いますが、ぼろぼろでした。よくぞ廃棄されずにいたと感謝します。 この作品との出会いは学生時代です。映画館で予告編「青幻記」を観たのです。そのとき観に行った映画がなんだったかは忘れましたが、この「青幻記」は強く印象に残りました。のちに本屋で文庫本を見つけいったんは手にとったのですが、買わずに棚に戻してしまいました。(本当に本は出会ったときに買っておくべきです)そのまま映画も観ないで時は過ぎていき、でも頭のどこかに「青幻記」が気にかかっていたのだと思います。20年以上たったころ『大密室』というアンソロジーの中の恩田陸『ある映画の記憶』を読み出して、胸が騒ぎ始めました。これはあのときのあの映画(予告編だけですが)のことではないか?恩田陸にそれまでよりいっそう親しみを感じるようになったのは、この作品を読んだせいです。でもそのときは「ああなつかしいな、読みたいな、映画観たいな」と思っただけでした。でも今年に入ってから「そうだ『青幻記』をまだ読んでなかった。やっぱり読みたい」と思っていた頃、またもや恩田陸の『図書室の海』の中に収められている『ある映画の記憶』に出会いました。今度こそこの出会いを大切にしようと思い、面倒なのはわかっていましたが、図書館にリクエストを出しました。やっと手にした『青幻記』を前に感無量です。 この作品の発表は昭和42年ですから、沖縄はまだ本土復帰していません。 沖永良部島に「私」が36年ぶりにやってきます。昭和初期ここで母と半年くらした「私」は、母の死後島を出て今は東京で暮らしています。母の面影を求める「私」の昔の回想と現在とが入り混じって、「私」の一人称で語られます。島の自然の美しさとともに、薄幸な母の思い出が、「私」の追憶と、島の老人の話で幻のように美しく紡ぎだされます。伝わってくるのは、ただもう母を思う心、切ないまでに慕う心。幻の母のすがたは、ただひたすらに美しい。 ただとても切ない話ではあるのですが、読むまでの期待が大きすぎたせいで、思ったほど感動できなかったのは残念でした。もっと前に読んでいれば違った感想を持ったと思います。これは映画のほうがより感動できるのではないかと思います。 映画の予告編で覚えているのは、海辺を歩く母と子の姿と、大きく岩を越えてくる波でした。この場面が映画や小説のクライマックスになっています。振り向いた岩の上。その上にあるはずの母の姿―。ぜひ映画も観てみたいです。 |
| 2002/5/22 |
| 『辺境のオオカミ』 ローズマリ・サトクリフ(猪熊葉子訳) 岩波書店 2002年 |
| ローマン・ブリテン3部作と思っていましたが、今年この『辺境のオオカミ』が出版され、実は4部作だったと驚いています。ただ前3作が1956年から59年にかけて出版されたのに、この第4作は1980年出版です。著者はあとがきで、これを書くまでいわゆる「スランプ」だったと告白しています。そのせいなのか、扱っている題材のせいなのか、前3作に比べ、読んでいて少し気持ちが入りにくく感じました。 舞台は「銀の枝」の時代から4、50年くらい後、ローマの一番北の砦です。主人公はアレクシオス・フラビウス・アクイラ。前3作に共通のアクイラ一族の青年です。彼は前任地で判断の誤りから多くの部下を死なせてしまい、その結果左遷され、ブリテンの北部の砦の警備にあたる辺境部隊に配属されます。兵士たちはローマ軍とはいえ、ブリテンの氏族出身者や他の部隊からもてあまされた者たちの集団で、「辺境のオオカミ」と呼ばれています。以前の自分の失態で苦しむアレクシオスはこの部隊で暮らすうち、しだいに部下の信頼を得、辺境氏族の族長の息子との友情を育て、失意から立ち直りはじめます。そんな時砦に、ブリテン氏族に対して興味も理解も持たない尊大な上司がやってきて、そのことが原因で氏族の反乱をよび、部隊は撤退を余儀なくさせられます。その指揮をとらなければならなくなったアレクシオスは、この行軍のなかで、部下を失い、親交のあった族長の息子と対決し、氏族の追撃に遭いながらも無事ハドリアヌス防壁までたどり着きます。皇帝から自分の次の配属の選択をまかされたアレクシオスは、再び「辺境のオオカミ」の部隊を選び取ります。 軍隊のなかでの出来事に終始するため、今までの作品とは少し雰囲気が違い、そのぶん主人公の心情に深く入り込めずに終りました。描写はいつものように詳しく、、軍隊の様子や戦闘の様子がよくわかります。族長の息子クーノリクスと敵対し、殺さなければならなかったアレクシオスの苦悩が、軍の指揮官としての使命と個人の心情に引き裂かれる悲劇となって、やりきれなさを覚えます。 挫折と困難のなかから、主人公がどのように自分の生きる場所、意味を見出していくかを描いているのが、サトクリフの作品の特徴ですが、この作品ではそのほかに、組織の一員として、また統率者として成長していく主人公を描いている点で、新しさを感じます。組織と個人という難しい問題を扱っているのは、たいへん意欲的で素晴らしいと思いますが、私としてはやはり前の作品のほうに、より心惹かれてしまいました。 |
| 2002/5/23 |
| 『ビートのディシプリン SIDE1』 上遠野浩平 メディアワークス電撃文庫 2002年 |
| 題名に「ブギーポップ」がついていなかったので、違う話だと思っていました。たしかにブギーポップは登場しませんが、今までに登場した脇役たちがたくさん出てきました。『イマジネーター』の仁、『ペパーミント』の十助、『エンブリオ』のフォルテッシモとイナズマ、『ハートレスレッド』の朱巳、『ホーリィ&ゴースト』のリセット、そのほか、パールや話題だけのユージーン、モ・マーダーなど。 この作品の主人公は統和機構の合成人間ビート。題名はこのビートの試練、ディシプリンというわけです。このビートが一所懸命で頑張ってる姿がいい。頑張れ!と声援を送りたくなります。仁と十助が一緒にいて、仁は「提案者」と名乗り、何か計画しているみたいです。能力のある浅倉朝子、朱巳につかえるラウンダバウト、などが初登場。名前がたくさんでてきて誰が誰だったか正確に思い出すには時間がかかりました。もういちどシリーズの最初から読んで、事件を時間通りに整理して、登場人物をまとめたい、と思ってはいるのですが。でも著者の他の作品に比べやはりこのシリーズはおもしろい。 |
| 2002/5/24 |
| 『暗いところで待ち合わせ』 乙一 幻冬舎文庫 1996年 |
| 視力を失って独り暮らしをしている女性ミチルの家に、警察に追われている男性アキヒロが逃げ込みます。最初は気づかなかったミチルですが、彼の存在に気づいた後も、知らぬ振りを続けます。二人は微妙にふれあいながらも、あくまで言葉をかわすことなく、奇妙な共同生活が続いていきます。 この二人の主人公の他人との関わり方の不器用さ、臆病さはよく分かります。深く関わらなければ、傷つくこともない。ならばいっそ孤独の中に安住していよう。私もそう思っていた時期があります。ふたりが新しい生き方を始める第一歩を、お互い支えあって進もうとするラストがよかった。 心あたたまるいい話で、少しサスペンス風の味付けで謎解きもあり、グロさに諦めた『暗黒童話』とは、がらりと趣が変わります。作者は『暗黒童話』の後書きで自分のことを「ホラーよりの作家として扱っている出版社もあれば、せつなくて少しいい話を書く作家として扱っているところもある」と言っています。乙一の作品を読む時は、そのへんを気をつけなければならないようです。 |
| 2002/5/25 |
| 『剣の歌』 ローズマリ・サトクリフ(山本史郎訳) 原書房 2002年 |
| サトクリフ・オリジナルの6巻目。「ヴァイキングの物語」という副題がついています。サトクリフの遺作ということです。時代はこれまでの「ローマンブリテン」シリーズより後の9世紀、ノルマン人の侵攻を受けるブリテンが舞台です。またここで、あの時代のサクソン人たちはどうなったのだろう、という疑問がでてきましたが、今度は世界史にまで手を広げずに作品に集中して読みました。 ノルウェーからスコットランドの入植地へやってきた少年ビャルニの5年間。ヴァイキング同士の戦いもあれば、ピクト人との戦闘もあり、キリスト教や北欧神話の信仰との間でゆれる心、ケルトの娘との出会い、など様々な冒険のあと入植地へもどるまでを描いています。 ローマンブリテンものに慣れた目には、新鮮さと戸惑いを感じました。けっこう戦闘場面が多いのですが、その迫力はさすがです。ただ全体的に静かな筆致だったローマンブリテンものより、躍動感がある分ややにぎやかな感じを受けました。訳者の違いもあるでしょうが、やっぱり「ローマンブリテン」シリーズの方が好きです。 印象に残ったのは、ケルトの娘アンガラドがイルカの模様のある指輪を、代々親から受け継いだものとして見せたことです。これはアクイラ家の指輪に違いありません。あのシリーズとのつながりが感じられて、嬉しかった。 |
| 2002/5/27 |
| 『トニーノの歌う魔法』 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(野口絵美訳) 徳間書店 2002年 |
| おもしろい!一気に読みました。著者の作品の中で一番好きだったのは『魔女集会通り26番地』(=『魔女と暮らせば』)ですが、これはそれに負けない位おもしろいです。 舞台はイタリアのカプロ―ナ。魔法の呪文で平和を保っているこの小国には、モンターナ家とペトロッキ家という二つの名家が互いに反目しています。悪の魔法使いにより魔法の力が弱められ、国の危機を迎えているのに、両家とも相手を非難するばかり。そんな時両家の子どもたちがそれぞれさらわれて、ついに両家は盛大な魔法合戦を演じます。 登場人物がとても多いのですが、それぞれの個性が書き分けられ、みんな生き生きと歌い騒ぎます。両家入り乱れての魔法合戦は大騒ぎで、この大騒ぎが最後にきちんと終結する筋運びが、いつもながら見事です。相変わらずクレストマンシーは「ほんとに大魔法使いなの?」というほど、ピリっとしませんが、最後はちゃんときめてくれます。さらわれた両家の子どもたちトニーノとアンジェリカは、家族の中では出来が悪いとしょげている二人ですが、実際は強い力を持っており、これもキャットやクリストファーなど、他の作品の主人公と共通します。「ロミオとジュリエット」を思わせる恋物語あり、人形にされたトニーノたちの脱出劇あり、ハラハラ、ドキドキ、ワクワク…とにかくにぎやかで楽しい作品です。 |
| 2002/5/28 |
| 『末枯れの花守り』 菅浩江 角川文庫 2002年 |
| むせかえるような花の香りに囲まれて、異界を垣間見たような妖しげな気分になりました。「朝顔」「曼珠沙華」「寒牡丹」「山百合」「老松」の5編。それぞれの花に託された女心は、どれも少しずつ誰もが持っているもの。だからあまりに思いつめると、美しい異界の姫君を呼び寄せてしまうかもしれない。そんな怖さを感じました。 『鬼女の都』でも感じた妖しい独特の世界に、今度も酔わされました。能や歌舞伎にこの機会に触れて見たいと思いました。 |
| 2002/5/31 |
| 『炎の蜃気楼34 耀変黙示録X』 桑原水菜 集英社コバルト文庫 2002年 |
| まず表紙にびっくり。高耶さんの首につながれた鎖を三つ編と見間違えて、一瞬この女の子は誰?と思ってしまいました。そして直江も警備会社の服装なんかしてどうしたの? 内容はああもう大変。苦しい選択をした直江。それに苦しむ高耶さん。一人大満足の信長、まさしく天魔の貫禄。高耶さんと直江の「最上」は、この天魔を越えられるのか。 |