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2002/7/1
『ふたりのアーサーT 予言の石』
ケビン・クロスリー=ホランド(亀井よし子訳) ソニー・マガジンズ 2002年
12世紀末のイングランド、荘園領主の次男13歳のアーサーのお話です。アーサーは騎士になるのを夢みていますが、兄のサールはことごとくアーサーにつらくあたり、父親もアーサーの希望にたいして確かな返事をしません。そんななかアーサーはマーリンという父の友人の不思議な老人から、秘密の黒曜石を贈られます。その石の中で紡がれていく物語が、現実のアーサーの身の上に微妙に関わってくるのですが…
「ぼく」というアーサーの一人称で語られるこの物語は、全部で100もの細かい章に分かれています。そのため1章が短く、ときには1ページで終る章もあります。このこまぎれの章が映画のワンカットのようで、物語がテンポよく進んでいきます。荘園の生活が現実的に描かれているため、ロマンチックな中世の騎士物語への夢が裏切られる記述もしばしば見られます。
不思議だったのは、石の中の物語が明らかにアーサー王の物語なのに、それにアーサーが気づいていないことです。この時代まだ「アーサー王物語」は、後年知られるような形になっていないようです。これは意外なことでした。イギリスでは周知の物語だと思っていたのですが、そうなるのはまだ先のことのようです。念のため原書房の『サトクリフオリジナル1 アーサー王と円卓の騎士』を読み返してみましたが、ほぼこの石(予言の石)の中の物語と一緒でした。 この予言の石のアーサー少年の顔が現実のアーサーの顔であり、石の中と同じか少しずれた出来事が、現実のアーサーの身にも起こってくるという構成はおもしろいです。あの「マーリン」の存在といい、アーサーの生い立ちについてはこの巻で明らかになったことよりもっと深い事情がありそうな気がします。そこらへんの解明とアーサーの今後の成長が、このあとの巻(全3巻)へと引き継がれていくようです。アーサー王伝説という魅力的な題材をどのように絡ませるのか、その点が興味あります。




2002/7/2
『創竜伝1 超能力四兄弟』
田中芳樹(CLAMP絵) 講談社文庫 1993年
『創竜伝』はノベルスと文庫で迷ったのですが、CLAMPの絵に惹かれて文庫にしました。CLAMPの絵もまだ昔の雰囲気です。四兄弟の名前がおもしろい。始、続、終、余。4人以上生まれたらどんな名前にするつもりだったのでしょう。
4人のなかでは長男の始さんがいい。こんな弟たちをまとめていく苦労は大変だろうと同情してしまいます。四人は竜王の転生だというのですが、こんな大きな超能力を持っていると、周りがほっておかないのは仕方ないこと。はたしてこれからどうなるのでしょうか。話に出てきた四姉妹というのも気になります。




2002/7/3
『猫道楽』
長野まゆみ 河出書房新社 2002年
猫がつく題名から『夏至祭』のようなファンタジーを期待しましたが、「猫シッター募集」という言葉に、思わず秋月こおの『王様な猫』を想像してしまいました。第1章は『王様な猫』状態でこれはちょっと、と思いましたが、章が進んで登場人物が入れ替わってくると、不思議に最初に感じた淫靡さはあまり気にならなくなりました。長野さんの描く世界はたとえ現代日本を描いていても、どこかしら現実にはないところのような感覚を持ってしまい、それであまり気にならなくなってしまうのかもしれません。でもここまで直接的に描くと、例の集英社の「襲われた」発言も無理ないのではと思ってしまいます。私としてはあまりこういう表現を使ってほしくありません。『鳩の栖』のころが懐かしいです。




2002/7/6
『闇の戦い1 光の六つのしるし』
スーザン・クーパー(浅羽莢子訳) 評論社 1981年
『コーンウォールの聖杯』の続編ですが、ちょっと雰囲気が違います。『聖杯』のほうは普通の子どもたちが悪者と戦うという感じでしたが、こちらは最初から主人公の覚醒という場面があり、よりファンタジー色が強いように思います。主人公が<闇>に対する<光>の「古老」で大きな能力を持っていて同じ古老のメリマン(彼は『聖杯』にも出てきていた)に助けられながら<闇>に対抗する力を得るための「光の6つのしるし」を手に入れる話です。
最初のころの、主人公ウィルが古老として目ざめる前夜の雰囲気が好きです。何かが起きる、何かが待っている、そんなウィルの不安な様子がよくあらわれています。
ここでの季節はクリスマス。古来この日は冬至としてこれから長い冬を迎えるための行事でもあったのでしょう。作中「クリスマスから主顕祭までの12日間が闇の力が一番強くなる」というところがあり、事実この物語のクライマックスはこの12日目の<光>と<闇>の戦いです。ここらへんはキリスト教の知識があるともっとよく理解できるのでしょうが、十二夜という言葉もでてきて混乱しました。主顕祭と十二夜って同じこと?
<光>が決して優しいだけのものでなく<闇>を狩る時の恐ろしさも描いている点がいい。これからあとのシリーズが楽しみです。




2002/7/7
『あらしのよるに』『あるはれたひに』『くものきれまに』
『きりのなかで』『どしゃぶりのひに』『ふぶきのあした』

あべ弘士(木村裕一文) 講談社 1994年〜2002年
大評判のシリーズ絵本です。図書館でも常に貸し出されています。羊のメイとオオカミのガブの友情を描いたこの絵本は、最初の本からは想像できないほどの展開を見せ、どうなるのかハラハラした結果、最後は意外な結末でした。こどもが読むことを考えればこういう結末が一番いいのかもしれませんが、別の結末でもいいと思います。




2002/7/8
『ルドルフとイッパイアッテナ』『ルドルフともだちひとりだち』
『ルドルフといくねこくるねこ』

斉藤洋(杉浦範茂絵) 講談社 1987年 1988年 2002年
これも子どもたちに大人気のシリーズです。文章が読みやすく、黒ねこルドルフと仲間たちの生活を生き生きと描いています。ルドルフとイッパイアッテナのやりとりもおもしろい。子猫だったルドルフがだんだん成長していく様子が楽しく読めます。
しかし『白狐魔記』の白狐魔丸といい、このルドルフといい、著者の作品の主人公はどうしてこうもかわいいのか。
はづきメモ>第3作以外は読んだはずだと母上がいうのですが…『イッパイアッテナ』はともかくとして、彼女はときどき自分が図書館からかりてきて読んだものは、はづきも読んでいるものだと思いこんでいるので、あやしいです。『ともだちひとりだち』は初読だと思う。
で。
どふっと……ときめき心を串刺しにされてしまいました。どうしてくれるんですか。どうしろっていうんですか。白状すると白狐魔丸にも「かーわいーいー」なんていってるんです自分。ああ作家のすべてはデビュー作にある。なにかっていうと、もう、つまりは。
ルドルフかわいすぎ。
あたまが切れて、ものおぼえがよくて、度胸がすわってるくせに、天然。
く…くわっ!(←効果音/なんの効果かは知らない)
イッパイアッテナやブッチーにあきれられつつ、まだまだわかっていないようす。天然つうかまあ、お子さまなんですよね。にこにこ。でも『いくねこくるねこ』でブッチーはお父さんになったことだし、イッパイアッテナもロマンスをゲットしたようなので、次回作はルドルフの初恋あたりかしら!とさらにときめき心が大暴走。でも初恋だから実らないかも! そしてほろ苦い経験をのりこえたルドルフは、さらにたくましく成長していくのでした…感涙。なんて。
人間ではないけれども、ともかく「少年」像がかわいすぎます、斉藤洋の話。ああもう、だめだ、だれか斉藤洋かはづきかどっちかを制止してください。ルドルフの新刊がでたらきっと、どんな内容であろうと、ときめき死してしまいます。
えーっと…15年後くらいですかね? 新刊。




2002/7/13
『北風のうしろの国』
ジョージ・マクドナルド(中村利子訳) 早川文庫 1981年
訳者のあとがきに「マクドナルドの作品はあちこちにちりばめられている珠玉のような言葉から―というより、その雰囲気から、読者自身が心の地平をひろげていくといった読み方が一番ふさわしいのではないだろうか」とありました。
この『北風のうしろの国』は北風とダイアモンド少年とのやりとりや、夢の話などがあるかと思えば、少年の家庭の貧しい様子や、19世紀当時のロンドンの下町の様子など現実的な描写もあり、また少年の知り合った紳士が語るおとぎ話、少年の歌など、さまざまな要素の交じり合った不思議な雰囲気の作品でした。




2002/7/16
『さすらいのジェニー』
ポール・ギャリコ(矢川澄子訳) 大和書房 1983年
10年以上前文庫『ジェニィ』(古沢安二郎訳)を読みました。矢川さん訳の単行本が図書館にあったので借りてきました。ピーターという少年が事故にあったあとなぜか猫になってしまい、ジェニーという猫に出会い助けられ、猫として生きるすべをいろいろ教えてもらうというあらすじでしたが、二匹が船に乗って旅をして、海に落ちるところなどは忘れていました。
この矢川さんの訳の方がやわらかくとてもよかった。わたしはこちらのほうが好きです。読み直してもやはりとてもおもしろい物語でした。この作者は本当は猫なんじゃないか?と思うくらい、猫についての描写はくわしく的確です。ピーターがジェニーに訓練してもらうところなど夢中で読みました。これさえ読んでおけば、いつなんどき猫になっても大丈夫!とまで思えてきます。ピーターがまた人間にもどってもうジェニーに会えないと嘆くところで一緒に胸が痛み、でもそうではなく永遠のジェニーをみいだし、すべてのものにジェニーがやどっていることを理解したところで、同じようにほっとしました。




2002/7/17
『樒/榁』
殊能将之 講談社ノベルス 2002年
うすい!それが第一印象でした。このメフィスト賞受賞作家達による「密室本」シリーズはどれも通常のノベルスより薄いのですが、これはまた格別薄い。これで700円?袋とじだから手間ひまかかっている分、コストがかかるのでしょうか。
前半の「樒(しきみ)」は前作『鏡の中は日曜日』に登場した作家鮎井郁介の書いた「天狗の斧」という小説になっています。このときの探偵役はあの水城優臣です。
後半の「榁(むろ)」はこの「天狗の斧」の事件から16年後の同じ場所でおこった事件の話です。このときの探偵はおなじみ石動戯作さん。

なにより前半「天狗の斧」と「榁」との文体が微妙に違うのがすごい。ちゃんと別人が書いたらしくなっています。もともとデビュー作『ハサミ男』から今に至るまで、1作ごとに雰囲気の違う作品を書いていましたから、今さら驚くこともないのでしょうが。はづきなどは「1作ごとに別人格になるんじゃないかと本気で思う」とくやしそうに言っているくらいです。
そして石動さん。『美濃牛』の時は新しい名探偵登場だ!とワクワクしたのですが、次の『黒い仏』では、ええー!?前作でも探偵役は水城さんに譲ってたし、今回まあ推理したといえばいえるけど、それだって水城さんの16年前の活躍があったからで、何か冴えない。『美濃牛』の石動さんよ、もう一度。




2002/7/18
『闇の戦い2 みどりの妖婆』
スーザン・クーパー(浅羽莢子訳) 評論社 1981年
この作品では『コーンウオールの聖杯』で活躍したドル―家の3兄弟、サイモン、ジェーン、バーニーが再び登場します。ここでの季節は復活祭。メリマンの誘いで再びコーンウオールを訪れた3人は、やはりメリマンの誘いでやってきたウィルに出会います。盗まれた聖杯となくした古文書を取り戻すのが目的です。自分達だけがメリマンを手伝うつもりだった兄弟のウィルへの敵意、古老として前より成長し自分の使命を果たすことに全力をつくそうとするウィル。彼が古老であることを知らされてはいないので、兄弟がウィルを邪魔に感じる気持ちはよく分かります。ジェーンだけはウィルに何かを感じています。 村では、復活祭に作られる葉っぱの人形<みどりの妖婆>を海に投げ込むという風習があり、この儀式が物語の鍵になっています。ここで聖杯と古文書がようやくそろい、聖杯の文字が解明されます。ただそれは次の探求へのあらたな一歩にすぎず、次巻へと続いていきます。
<古老>といういわば超能力者であるメリマンやウィルとちがい、ジェーンたちはある程度の感応力は持っているようですが、基本的に普通の人間です。彼らを接触させることにより、物語に現実感が増していると思います。このシリーズはイギリスの風土の描写や、重過ぎる使命を持たされたウィルが痛ましく感じられることもありどちらかというと暗いトーンで進みますが、この兄弟たちとの子どもらしいやりとりが救いになります。
前回がクリスマス今回は復活祭。どうやら各巻に季節の行事がそれぞれ関係ありそうです。




2002/7/22
『闇の戦い3 灰色の王』
スーザン・クーパー(浅羽莢子訳) 評論社 1981年
重い病気に罹ったウィルは回復後の静養のため、母の従姉の住むウェールズに出かけ、そこで出会った白髪の少年ブラァンといっしょに、前回解読した古文書に従い、黄金の琴を探しに行きます。その行く手には「灰色の王」が立ちふさがり、ウィルとブラァンはさまざまな困難にあいます。
季節はちょうど万聖節(この前夜がハロウィーンらしい)のころ、舞台はウェールズです。言葉も時々ウェールズ語が入ります。英語とはまた違うこの言葉の響きがウェールズの自然の描写とともに、独特の雰囲気を盛り上げています。語学力があれば原作の雰囲気をいっそう深く味わえるのでしょうが、残念です。この作品を読んでウェールズに旅する人も多いそうですが、本当に訊ねてみたくなる場所です。
冒頭病み上がりのウィルが、古老としての記憶を失っていたことには驚きました。彼の記憶は、ウェールズでブラァンの飼い犬カーヴァルに出会った時に戻ります。またウィルが使命を果たすのと並行して、ブラァンの出生の秘密も明らかにされ、これには驚かされました。彼の母親の名前にもっと注意すればよかったと思います。

この巻ではアーサー王伝説を今までよりはっきり意識させられます。巻末の訳者の「この物語の背景」によると、このシリーズが全巻を通してアーサー王伝説を背景としていて、この巻と次巻にそれが特に色濃く現れているそうです。ここでのアーサー王伝説の説明はとてもわかりやすかったです。<光>と<闇>の戦いもいよいよ大詰めです。




映画 2002/7/23
「スターウォーズ エピソード2」
ジョージ・ルーカス監督(映画館) 2002年
この間からTVで今までのシリーズ全作が放送されたので、映画を観にいく前に予習としてせっせと観ていました。考えてみると、話題になったこの映画をリアルタイムでは観たことはなく、TVでそれも第1作しか観たことなかったのです。この旧3部作はやっぱりおもしろかった。特撮技術は今とは比べ物になりませんが、私のようなトロい人間には旧シリーズの方が自分のリズムには合います。そして以前観た時はハン・ソロ役のハリソン・フォードのかっこよさにしびれましたが、今回見直した時はむしろオビ=ワンのほうに惹かれました。もちろんヨーダも「エピソード1」のクワイ=ガン・ジンも大好きです。完全におじさん好きになってます。
「エピソード2」では特撮技術は認めますが、カー(?)チェイスの場面などはあまりにもめまぐるしすぎて、目がまわりそうでした。あそこまでスピーディだと、ちょっとついていけません。ストーリーも追いきれず、あとでパンフレットを読んでなんとかわかりました。でもいまだに「ジェダイ」と「フォース」がよくわかりません。フォースがすべてのものにある「気」で、それを自由に操れるのがジェダイなのかなあと、ぼんやり思います。
アナキンがどうしてダース・ベイダーになったか、その理由を予感させるものはいくつかありましたが、その中でも母を救えなかったことが大きいと思いました。愛するものを奪ったものへのすさまじい怒りと憎悪、守れなかったことへの悔恨。そのためにより強大な力を求めてしまうのも無理はありません。そこに暗黒面がつけいる隙が存在するのだと思います。アナキンの表情にそういう危うさを感じました。




2002/7/27
『流血女神伝 砂の覇王8』
須賀しのぶ 集英社コバルト文庫 2002年
わ、わ、わ、なんという展開!よりによってあの男と?!せっかくバルアンのこと「愛してる」と自覚したのに、これじゃあ…。結局最後はエドってことになるのでしょうか。次巻こそエドの活躍を期待しましょう。




2002/7/27
『闇の戦い4 樹上の銀』
スーザン・クーパー(浅羽莢子訳) 評論社 1982年
いよいよ<光>と<闇>の戦いが最終段階を迎え、ドル―家3兄弟とウィル、ブラァンが合流します。兄弟もウィルたちの正体を知り、前より深く戦いに関わります。苦労の末ウィルとブラァンが<失せし国>から剣を持ち帰り、3兄弟、メリマンも加えた6人で<夏至の樹>に集い、<闇>のせまる中ついに樹上の銀の花を切り取り<闇>を討ち払います。<闇>が支配する一応の危機は去ったわけですが、メリマンは「我らは悪から人間を救ったが、今後は人の心の中にある悪は人の手で抑えなければならない。責任も希望も約束も、全ておまえたちの手にある」と、これからの世界を守ることが人間の務めであることを告げます。
この最終巻は登場人物も多く、話も複雑にからみあい、時代もさまざまに飛びます。そのため話がスムーズに頭の中に入ってこないで少し混乱してしまいました。でもとにかくこれで長い戦いが、一応<光>の勝利で終ったわけです。そのあとは自分たちの世界は自分たちが守るべきものなのだから、メリマンの言葉は当然だろうと思います。この世界には<光>も<闇>もどちらか一方ではなく、必ず両方とも存在するのだから、その<闇>を退けるための戦いは人間にとって永遠の課題になるのでしょう。
メリマンやアーサーがこの世界から去っていく時ブラァンも誘われますが、彼は残ることを選びます。ブラァンを誘う言葉が「北風の後ろの銀に縁取られた城に来るか?」だったのが『北風のうしろの国』を読んだ後なので印象に残りました。
そのほか「<闇>とともにサクソン人がやってきて、国を破壊つくし進み、全て失われる」というアーサー王の言葉にサトクリフの「ローマンブリテン4部作」を思い出しました。こういう認識はイギリスでは当然のものなのでしょうか。歴史と風土、風習、宗教を勉強しないと、とても完全には理解できないと思います。

訳者あとがきに、このシリーズには賛否両論あることが記されています。そのへんの判断はとてもわたしには難しいのですが、アーサー王伝説やケルト神話を取り入れていること(元の神話を正確には知りませんが)、それぞれの巻を季節の行事にあわせているところ、コーンウォールやウェールズ地方の情景描写などとてもおもしろく読みました。シリーズの中では『光の六つのしるし』が一番好きです。題名はこの『樹上の銀』がきれいな響きで惹かれます。どこかで荻原規子の『樹上のゆりかご』がこの題名からとったと読みましたが、何となく嬉しくなりました。




2002/7/28
『炎の蜃気楼35 耀変黙示録Y」』
桑原水菜 集英社コバルト文庫 2002年
今回も表紙がオイオイって感じ。高耶色っぽすぎる!そして冷酷そうな直江、それともこれは信長か?でも前回に比べ今回はほんの少しだけど希望の光が見えて、よかった。信長のおかげで影が薄くなっていた譲と高坂も登場。次回は弥勒と魔王の対決が見られるか?




2002/7/30
『お言葉ですが…E イチレツランパン破裂して』
高島俊男 文藝春秋 2002年
言葉についてのあれこれを読んでいるのは楽しい。「白髪三千丈」はなぜ「三千」でなければならないか。「荒城の月」の「植うる剣」とは何か。「背のたけ〜♪」の「背」の読みは「せい」か「せえ」か。「あがり」と「くずれ」の違いは。などなど。



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