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2003/1/1
『Y』
佐藤正午 角川春樹事務所 1998年
初めての佐藤正午作品。とても読みやすい文章でした。
うわさどおりケン・グリムウッド『リプレイ』と同じような設定です。でも『リプレイ』のような当事者の視点ではなく、当事者北川の手記を読まされる秋間の視点で語られるためか、最初はテンポが悪くまわりくどく感じるときもあり、今ひとつのれないでいました。手記の部分を含めだんだん事情がわかってくる過程は、謎解きのミステリーのような展開で興味深く読め、最後のほうでようやくおもしろくなってきました。
どうしても比べてしまうのですが『リプレイ』のほうが先に読んだこともあり、わたしは好きです。また、何といっても北川が妻と子供を捨てていったことは、どう考えても身勝手だと思えてなりません。『リプレイ』を読んだとき、わたしも「もういちど人生をやり直せたら、もういちどあの青春の日に帰れたら」と夢見たものです。でも我が子のことを考えたとき、この子たちにもう二度と会えなくなるのは耐えられないと痛切に思いました。『リプレイ』でもそういう場面があり、その部分に強く共感した思い出があるので、ついそちらに肩入れしてしまうのかもしれません。




2003/1/2
『空へつづく神話』
富安陽子(広瀬弦絵) 偕成社 2000年
小学生の理子(さとこ)が、突然あらわれた記憶喪失の神様ヒゲさんの身元を調べる過程を通して、郷土の風土歴史に目をひらかされていくという、単なる冒険話でないところが新鮮でした。ユーモラスな外見の神様、図書館の描写、言葉が持つ意味、学校創立秘話などが心に残ります。理子がヒゲさんと空を飛ぶ場面が楽しい。挿絵もほんわかしていていい。




2003/1/3
『さみしさの周波数』
乙一(羽住都絵) 角川スニーカー文庫 2003年
乙一最新刊。4篇からなる短編集。相変わらずあとがきがおもしろい。

「未来予報」
せつない。でも以前の作品にくらべちょっと弱い。

「手を握る泥棒の物語」
これが一番おもしろかった。作者も気に入っているらしい。

「フィルムの中の少女」
怖い。その点は上手いけど、内容はいまひとつ。

「失われた物語」
暗い。そりゃもうめいっぱい暗い。やりきれません。




2003/1/5
『夜と霧』
V.E.フランクル(霜山徳爾訳) みすず書房  1971年(新装版)
本文の前に解説が、巻末に資料写真がついています。
この解説部分を読んでいて、あまりの凄惨さにしばしば中断してしまいました。強制収容所については断片的にいろいろなメディアで知ってはいました。けれどもあらためて列記されるとその凄まじさに吐き気さえもよおします。
ところが暗い気持ちで本文を読み始めると、解説とは逆にこれほどの凄まじい状況を描きながら、なぜか透明な明るささえ感じさせられ、重苦しい気持ちからかえって解放されました。それはこの極限状態の中でさえ人間は崇高な精神を持ちうることが描かれているから。
労働で死んだように疲れ果てていても、沈み行く太陽の美しさを見るために外に出て「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」という人たち。
ふるえました。なんでだろう、どうしてだろう。こんな状況なのに、それでも感動できるのか!なんて人たち!人間って限りなく愚かで弱くて残虐だけれど、こんなに素晴らしい存在でもあるんだ。
なにをどういっていいのかわかりません。ただもう読んでよかったと心から思います。

巻頭の「出版社の序」によると「我が国の読者のためには、強制収容所についての一般的記述で客観的なものが予備的に望ましく思われたので、解説および写真によってこれを補うことにした」とあります。そこには「かかる悲惨を知る必要があるのだろうか?」ともありますが、読んでいるうちにはそういう気持ちになったことも正直あります。それほどにこの解説部分は戦慄する事実ばかりでした。
新版でこの解説を入れなかったのは、出版当時に比べ、人々の強制収容所に対する認識が広まっていることがあるのでしょう。けれどやはり収容所の理解を深めるために、この解説はあったほうがいいと思います。私の場合何となく知ってはいても、正確に知っているわけではありませんでした。特に有名なアウシュビッツの他の収容所については、名前すら知りませんでした。




2003/1/7
『ザ・ギバー 記憶を伝える者』
ロイス・ローリー(掛川恭子訳) 講談社 1995年
近未来、両親と妹にかこまれ幸せに暮らしていた少年ジョーナスは、12歳の儀式で「記憶をうけつぐもの」に選ばれます。先代の「記憶を受けつぐもの」は「記憶を伝えるもの=ザ・ギバー」となり彼に膨大な記憶を伝え始めますが、記憶を伝えられるうちにジョーナスはこの社会の異常さに気づき始め、ザ・ギバーとともに記憶を皆に解放しようと計画します。

最初に綴られるジョーナスの日常は、近未来の管理社会がうかがえ、一見平和な家庭に見えますが、薄気味悪さというか違和感があります。そして日常の生活の描写のなかで徐々に明らかになっていく社会のしくみを知るにつれ、最初感じた奇妙な不気味さは、こんなものまで管理されているのかという驚きと嫌悪感に変わっていきました。
特に伝えられた記憶と対比させ、社会の異常さがあきらかになっていく過程がすごい。最初に雪の記憶を伝えられた主人公の少年の無邪気な驚きと歓喜は胸を打ちます。
雪も丘も太陽もさらに色さえ知らない社会。感情も抑制され職業は与えられる(出産母という「職業」まである)「リリース」と呼ばれる不適格者への処置。完全に管理された社会。極端ではありますが、情報が規制され管理が行き届いてくると、現実にも起こり得る世界だと背筋が寒くなります。
主人公の計画がはたして成功したのかどうか、最後まで書かれてはいませんが、少なくともジョーナスの記憶は解放され人々に何らかの影響を残しただろうとは思います。それが救いではあります。




2003/1/9
『ヴァイキングの誓い』
ローズマリー・サトクリフ(金原瑞人 久慈美貴訳) ほるぷ出版 2002年
イギリスの少年ジェスティンはヴァイキングにさらわれ奴隷として売られますが、ある事件がきっかけでその主人トーモットと兄弟の誓いをし、トーモットの復讐の旅に同行、ビザンティン帝国までむかうことになります。
サトクリフの他の作品と同じように自分の居場所を求めて悩む主人公を描いていますが、主人公の一人称で語られる珍しい形式をとっています。舞台も10世紀のヨーロッパ、ロシア、黒海、コンスタンティノープルと、今までよりより広い世界になっています。トーモットとジェスティンの関係は『第九軍団のワシ』のマーカスとエスカの関係に似ています。またローマ人でありながらブリテンに居場所を見出したマーカスと、イギリス人でありながらコンスタンティンノープルに居場所を見出したジェスティンとの間にも共通のものがあるように思います。ジェスティンの「故郷とは土地でなく、同胞、血のつながり、ともに歩んでいくための絆をいうのだ」という感慨がそれを表していると思います。




2003/1/11
『夜と霧 新版』
V・E・フランクル(池田香代子訳) みすず書房 2002年
旧版に比べ読みやすい反面、どうしても少し軽く感じてしまいました。わたしの印象では、直訳風の旧版のほうが、緊張感があり美しいように思いました。若い人には新版のほうが親しみやすいのかもしれません。
この訳について旧版の訳者は巻末で、戦争体験を持つ自分はどうしても骨っぽいごつごつした文体になってしまう、と言い、「新訳者の平和な時代に生きてきた優しい心は、流麗な文章になるであろう」と述べています。訳の違いがよく分かり、新訳者への暖かい心が感じられました。
旧版との違いは訳のほか、解説と資料写真が抜け、章立てが少し変わっています。この構成はわかりやすかったのですが、解説については残しておいたほうがよかったと思います。強制収容所の実態は他のもので知り得るので、解説をはずしたのでしょうが。
訳者によると旧版との大きな違いは、旧版には「ユダヤ」という言葉が一度もでてこなかったのが、新版では加筆されたエピソードに2度出てくるということです。ここは訳者のあとがきにくわしくのっています。
本文とともに新旧ふたりの訳者の言葉が巻末に並んでいますが、どちらにも感銘をうけました。やはり、旧版新版どちらも手元においておきたい作品です。




2003/1/15
『晴子情歌』上下
高村薫 新潮社 2002年
今までと雰囲気の違う、固さというか純文学っぽさを感じましたが、ずしりと読み応えのある作品でした。
漁船に乗る息子彰之に当てた母晴子の手紙と、彰之の現在及び回想部分とが交互にあらわれ、母子の人生を描きつつ、同時に大正昭和を通した日本の社会そのものが描き出されています。この晴子がちょうど私の母と同年代であること、母のふるさとが青森のこともあり、晴子の手紙に描かれた津軽の地名や言葉に懐かしさを覚えながら読んでいました。そして晴子とともに日本の近代、昭和を自分も実際に生きて歩んできたように感じさせられました。すごい迫力です。
晴子の手紙部分に比べ、私より10歳ほど年長の彰之を描く部分では、言葉が頭にすんなり入ってこないで難儀しました。難しい!と悲鳴をあげながらかなり苦労して読みました。晴子の手紙がほぼ時間どおりに進むのに対し、彰之のは現在と過去の回想部分が交錯していて、ややこしく感じられたこともあります。
この話は昭和51年の春で終わっています。今後彰之がどう描かれるのか、興味のあるところです。




2003/1/16
『グリーン・アイズ』
森忠明(狩野富貴子絵) 小峰書店 1997年
金環食のあった1958年、4年生の森忠明少年が日記帳に書いたその年の出来事。母の入院があり、自分は映画館で頭に大怪我をし、かわいがってくれた川島のおばさんが死んだ。
『ホーン岬まで』で衝撃を受けた森作品ですが、ここでも子ども時代のつらい現実を、さらっと綴っています。さびしさも切なさもやるせなさも生きていくつらさもこどもはちゃんと知っているのです。
作者あとがきによると、1977年に発表された『きみはサヨナラ族か』を読んだ一人の小学生の女の子が「大きくなったら編集者になって、一番はじめに森さんに仕事をたのもう」と思ったそうで、実際にその女の子は編集者になり、この本ができたそうです。作者冥利につきる話です。
『きみはサヨナラ族か』は残念ながら絶版で、うちの図書館にも所蔵していません。ぜひ読みたい作品です。




2003/1/16
『小さな蘭に』
森忠明 ポプラ社 1996年
蘭という作者の娘に、作者が語りかけるという形をとっています。
ここには『きみはサヨナラ族か』のモデルになった中学の美術の川原先生のことや、作者が作品に書きつづける親友有明君のことなど、「パパの大切なひとたちのこと」という副題が表すとおり、作者のさまざまな出会いがつづられています。
この中で作者は「死んだ人のことばかり書いてきたものだから、評論家に<過去の追憶にひたっている大人ではなく、今によみがえって生きつづけている子どもにたいして、作者の思いをぶつけてほしい>なんて不満をぶつけられたりして」と書いています。わたしは好きなのですが、なるほどそういう見方をする人もあるのかと思いました。
作者は寺山修司に詩と戯曲を学んだそうですが、18歳のとき書いた「四月」という詩に、寺山修司が「青春というもののむなしい実在感がある。男性的で、しかも繊細である」と選評をよせています。作者の詩をもっと読んでみたくなりました。




2003/1/17
『青い鷹』
ピーター・ディキンソン(小野章訳) 偕成社 1982年
少年神官タロンは神殿で行われた儀式で、神の声が語りかけるのを聞き、いけにえの青い鷹を連れ出してしまいました。そのことを神官長たちから咎められ、砂漠の神殿にたったひとり追いやられ青い鷹を訓練することを命じられます。そこで新しい王に出会い親しくなったタロンは、王と神官たちの争いにまきこまれていきます。

どうにもこうにも読みにくい作品でした。舞台は訳者あとがきによると紀元前2000年ころのエジプトらしきところ、らしい。なるほど各章の挿絵はエジプトのようです。エジプトらしく神様もたくさんいます。でも最初にこの世界の宗教観とか、どんな儀式がありどんな意味があるかを、もっと説明してほしかった。私のにぶい頭に設定がきちんとはいっていなかったので、それが気になってしまって、どうしても「何だろうこれは?」といちいち考えながら読んでしまいました。そのため素直に物語を楽しむことが出来ずに終わってしまった、という感じです。 テーマは宗教と政治という普遍的なもので、タロンが王と神官たちの権力争いに巻き込まれ、その中で神や人間について考え成長していく姿を描いています。エジプトの神々については興味もあり、好きなテーマなので、読み直したらきっとおもしろいだろうと思います。




2003/1/18
『ローワンとゼパックの黒い影』
エミリー・ロッダ(さくまゆみこ訳 佐竹美保絵) あすなろ書房 2002年
「リンの谷のローワン」シリーズ4巻目です。ローワンの母ジラーと再婚相手ジョンの結婚式の日。海の向こうの国ゼバックから飛んできた戦闘用の動物グラックに、ローワンの妹アナドがさわれてしまいます。責任を感じたローワンはリンの村のアラン、<旅の人>のジール、海沿いのマリスの民のパーレンとともに、村の<賢い女>シバの助言を頼りに、アナドの救出のためゼバックへ旅立ちます。

最初にこのシリーズで新鮮に感じたのは、男と女の差がないことでした。リンの村の長は女性ですし、冒険に行くのが女性でも誰も不思議に思いません。性別ではなく、純粋に適性で村での役割が決まっています。これが読んでいてとても気持ちいいところでした。冒険もきっとうまくいくだろうと分かっていても、最後まで目が離せない展開でおもしろく読めます。
体が弱く内気で臆病なローワンは、今までの冒険で「役立たず」から尊敬される立場になっていますが、自分がみんなと違う「半端者」だという気持ちはぬぐえないでいました。また今回ローワンと旅する仲間たちも、普段は「半端者」とされているものばかりでした。今回はリンの村の意外なルーツが明らかになり、ローワンが村のみんなと違う理由もわかります。場所が違えば「半端者」の意味も変わる。そのことに気づいたローワン。自分の弱さを自覚し、相手の気持ちを思いやれる優しいローワンを応援したくなります。




2003/1/19
『蛇行する川のほとり1』
恩田陸 中央公論新社 2002年
夏休み、高校生の毬子は憧れの美しい上級生香澄に誘われ、彼女の家に泊り込み演劇祭の舞台背景を一緒に描くことになります。もうひとりの上級生芳野も加わって3人で始まった合宿に、香澄の従弟月彦と友人暁臣が現れます。はたしてこの合宿の真意は何か。

新書サイズの薄い本です。全3巻で4ヶ月ごとに発行される予定らしい。著者は以前幻冬社から隔月刊行の『上と外』を出していましたが、出版形式はそれに似ています。
登場人物、舞台設定、たぶんおもしろいだろうと期待させる反面、どこかでみたような、またかという気もします。でも出だしの日記帳に対する主人公の感想など、まるで高校時代の自分をみるようで、ここらへんがわたしの郷愁を誘い、つい惹かれてしまうところです。
美少女が住む昔何かあったらしいお屋敷、少年たちの謎の言葉、そして主人公のかすかな記憶。何があったのか、これから何が起こるのか。思いっきり期待を高めて次回へ続く…。うーん、期待がふくらんだ分、あとがこわい。
それにしても一冊がこの分量なら、何もわざわざ3回に分けなくても、すべて書き終えて単行本かノベルスで出せばいいのにと思います。




2003/1/21
『ちょー英雄』
野梨原花南 集英社コバルト文庫 2002年
ようやく「魔王の望みを叶え、魔王を害する者」である宝珠と、魔王が出会いました。いよいよクライマックス!でもここで次回に続く、です。

オニキスがクラスターに「甘えるな」と言った言葉。

「何回も傷ついて、失敗して、笑いものになって、恥ずかしい思いをして、それでもなんとか分かり合う人を作って、また別れて、そしてようやく出会って…。結局ほしいものを手に入れるには、そういうやり方しかないんじゃないか」

ほんとうにそう。それしかないなあと思う。そしてオニキスが思い描くダイヤモンドとシオラルドの出会い。なんかこの場面じーんときてしまいました。

「お互い出会うまでにどれほどの孤独を感じたのだろう。それでも彼らは出会ったのだ」

巻末の「番外・ぜんぶもとどおり」にも、笑いながらもじーん。ああそうだ彼らの平和な幸せな日々。できるなら本当に全部もとどおりにならないものか、とつい思ってしまいます。




2003/1/23
『サブリエル』
ガース・ニクス(原田勝訳) 主婦の友社 2002年
術や死霊が普通に存在する古王国。隣接するアンセルスティエールでは古王国を恐れ、壁を築き魔術や死霊の侵入を防いでいます。サブリエルは古王国で生まれ、5歳からアンセルスティエールのワイヴァイリー学院の寄宿舎で育ちます。彼女が18歳になり卒業を間近にしていたある日、父親のアブホーセンから剣と魔術の道具が届きます。アブホーセンは優れた魔術師で、ネクロンマンサー(死霊使い)でもあり、古王国で死霊を冥界に押し戻す役割を担っていました。父の身の上に何か起こったことを知ったサブリエルは、父を探しに古王国へ旅立ちます。古王国で父に仕えていた白猫モゲットや、木にされていた青年タッチストーンと知り合い、一緒に旅を続けるサブリエルにさまざまな危険が迫ります。

かなり分厚いのですが、読み始めると主人公の冒険活劇に巻き込まれ、あまり長さを感じずに読みきってしまいました。ネクロマンサーであり魔術師であるアブホーセンが人名ではなく、役職名になっているところ、冥界が第1門から最終の第9門まであることなど、設定がおもしろかった。(役職名というところは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの「クレストマンシー」に似ています)また冥界を流れる川、死霊たちが水に弱いこと、モゲットとタッチストーンののろいが海により弱まること、など随所で水が重要な鍵になっています。プロローグでサブリエルの誕生の時、父親アブホーセンが冥界まで降りていきサブリエルを取り戻しますが、サブリエルもしじゅう冥界とこの世の境を越えていきます。魔法用語というものを良く知らないので、分かりにくいところもありましたが、サブリエルの休む暇ない冒険の旅にひきずられ一気に読んでしまいました。重厚さはないけれど、勢いがありほどほどにおもしろい。
『古王国記1 サブリエル 冥界の扉』というのが正式書名。1というからには2もあるらしく、またいつか出版されるでしょう。サブリエルとタッチストーン、モゲットとの関係も、これからどうなるか興味のあるところです。




絵本 2003/1/26
『ペンキや』
梨木香歩(出久根育絵) 理論社 2002年
梨木香歩の絵本ということで驚きました。絵を書いた出久根さんは、名前は知りませんでしたが『穴』の表紙などで、絵は見覚えがあります。
内容はしんやというペンキ職人の一生を描いたもの。すべての色を含んだ「ユトリロの白」、喜び、悲しみ、世の中の濁りも美しさもはかなさも、全てふくんだ色。しんやが生涯塗りつづけたのはその「ユトリロの白」でした。しんやに頼んだらわたしの部屋は、どんな色に塗ってもらえるでしょうか。
ユトリロの名は知っていましたが詳しくは知りませんでした。「白の時代」と呼ばれる白を基調とした絵を描いていたころが、もっとも充実していた時代だったようです。そういえば白壁の家の絵を、ポスターなどで見たことがあります。




2003/1/27
『黄色い部屋の秘密』
ガストン・ルルー(日影丈吉訳) 早川文庫 1978年
この作品のトリックを、愛読していた漫画「金田一少年の事件簿」がパクっていたと知り、名前は知っていましたが未読だったので、あわてて読みました。
そのせいで廊下の場面で犯人がわかってしまいました。しかし、分かってはいても、やっぱりすごい。できれば知らないで読みたかったです。

「金田一少年」については、前に島田荘司の『占星術殺人事件』を読んだとき、同じトリックを見つけてびっくりしましたが、発表当時の騒ぎについては知りませんでした。楽しみにしていた漫画だっただけに残念です。そういえばある時期から原作者の名が変わったのを不思議に思っていました。




2003/1/28
『ぼくが弟だったとき』
森忠明(牧野鈴子絵) 秋書房 1985年
病気で死んだ姉との日々を描いたこの作品は、私自身とても仲のよい弟がいたこともあり、著者の姉への思いが切なく胸に迫りました。




2003/1/28
『あいつのリンドバーグ・ジャケット』
森忠明(狩野富貴子絵) 教育画劇 1993年
作者と保育園時代からの友人天沼と双子のせっちゃんしいちゃんとの、4人で遊んだ楽しい日々の思い出と別れ。紙くずの海で遊んだ思い出があまりに楽しそうで、双子との別れ―こころが離れていったこと―がとても悲しく思われます。「あたしのちゃんとした名前は李○○」と言ったせっちゃんの言葉が胸に痛い。




2003/1/29
『たんぽぽ色のリボン』
安房直子(南塚直子絵) 小峰書店 1993年
ひとりぐらしのおじいさんのお店はちいさな文房具屋さん。あまり客の来なくなったお店に、ある日たんぽぽの女の子が現れます。たんぽぽ色のリボンを届けにきたのです。次の日からたんぽぽ色のリボンをつけたお店の商品は、とぶように売れていきました。

なんてかわいい、やさしい話なんだろう。頑固に昔ながらの文房具屋の品揃えにこだわっているおじいさんだけど、こどもたちが目新しいきれいなモノにひかれるのは仕方ないこと。でもたんぽぽ色のリボンのおかげで、おじいさんもお客さんもそれぞれ幸せな気持ちになれました。最後にたくさんのたんぽぽの女の子と縄跳びして空をゆくおじいさんの姿が、しあわせそう。女の子の服やぼうしやリボンの黄色が本当にきれい。黄色ってこんなにきれいな色だったかと思うほど。あたたかい気持ちになりながらも、しずかな哀しみを感じてしまうのは、これが作者の最後の作品だからでしょうか。 『花豆の煮えるまで』しか読んでいなかったのですが、この機会にもっと安房直子の作品にふれたくなりました。




2003/1/30
『風と木の歌』『銀のくじゃく』
安房直子(司修絵)実業之日本社 1981年 安房直子(赤星亮衛絵) 筑摩書房 1983年
どちらの作品集もとてもきれいな言葉で描かれた美しいメルヘン。安房さんの作り出す透明な静かな世界にここちよくひたりながら、どうしようもないかなしさに打たれてしばし佇んでしまいました。やさしくて、なつかしくて、かわいくて、こわくて、さびしくて。ああ、こんな世界があったのか。




2003/1/31
『その日が来る』
森忠明(阿部中夫絵) 国土社 1987年
表題作はじめ、「わが一族」「Uちゃん」「りぼんをつけて」「外寝人」「雲はまたくるわけじゃない」「冬のハードラー」「これをしるす」「ちぎれた地図」「月夜四郎」の10篇がおさめられています。作者も暗く哀しい話が多くなったといってますが、これが作者の特徴だと思います。でもこのなかの少年の気持ちに理屈じゃなくとても共感してしまうのです。

こどものころ「こどもだから」という一言で大人たちに相手にされなかった悔しさは、今も覚えています。「こどもらしくない」という言葉にも、とても傷つきました。森さんの作品を読むと、そのときの気持ちが甦ってきます。




2003/1/31
『ローン・レンジャーの思い出』
森忠明(藤川秀之絵) 文渓堂 1994年
これまたなつかしい名前がでてきました。テレビ映画「ローンレンジャー」はよく覚えています。大野君と広井君、まったくタイプの違うふたりの友人との男同士の付き合いはちょっぴりうらやましい。



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