[ タイムトンネル ] へ戻る



2003/5/6
『ぼくらは海へ』
那須正幹(安徳瑛絵) 偕成社文庫 1992年
小学6年生の誠史たちは誠史たちは、工事を中断され誰もいなくなった埋立地にプレハブ小屋を発見し、そこに学校と塾の合間に通うようになります。いっしょに何かするということもなくただ時間をつぶしていた誠史たちですが、あるとき廃材の山をみつけ、それを使っていかだを作ることに熱中しはじめます。

那須正幹の作品は昨年『折鶴の子どもたち』を読むまでは「ズッコケ3人組」シリーズしか知りませんでした。ノンフィクションの『折鶴の子どもたち』を別にして、初めて読む「ズッコケ」シリーズ以外の作品です。「ズッコケ」シリーズとはうってかわって、ひたすらシリアスな展開で驚きました。文章は読みやすいのに内容は重い。ラストはまさに衝撃的。
この物語に登場する少年たちはそれぞれに悩みを抱えています。誠史は小さいころ父親を亡くし母親の期待を一身に背負い、それを重く感じています。雅彰は喘息の妹がいて家族がそのことでいつも心配するのにうんざりしています。大人っぽくニヒルな邦俊の家族は幸せそうに見えて実はバラバラ。父親の転勤が多くいつも何かやりたいといらいらしている勇。父親が働かないため家庭が荒れ成績も良くない嗣郎。
途中からいかだ作りに参加する康彦と茂夫も含め、それぞれの少年たちの描き分けが見事です。それぞれの家庭の描き方もリアルで、特に誠史の母親とのやり取りには身につまされるものがあります。勉強していい大学に入ることが幸せなのか?子どものためと言いながら、実は親は自分の満足のため子どもに勉強を強いているだけではないか―。
悩みをもつ少年たちが秘密の場所を見つけそこに集まる、という設定は大石真『教室二〇五号』にも見られたのですが、ここでの展開はもっと辛いです。普通の展開ならいかだ作りをとおして少年たちの友情が育ち絆が強まるのですが、そうはならない。少年たちの心理がきれいごとでなく描かれ、単純な友情物にはなりません。
一番いかだ作りに熱心だった嗣郎が、台風からいかだを守ろうとして波にさらわれ死亡したことで、いかだ作りは皆に知れ学校や家庭から叱責されます。転校や保身からいかだ作りをやめた少年たちの中で、嗣郎を疎ましく思っていた誠史と、周りの人間と関わらないように生きてきた邦俊の二人だけが再びいかだ作りに挑みます。そして二人は完成したいかだに乗って海へと出ていきます。
このラストの衝撃!発表当時賛否両論あったということですが、安易にハッピーエンドにしないところは凄いと思います。
それにしても1980年にこんな作品が出版されていたなんて、まったく驚きです。児童書の世界の奥深さを思い知りました。




2003/5/7
『ちょんまげ手まり歌』
上野瞭(井上洋介絵) 理論社 1968年
はじめにすべてを暗示するような手まり歌の紹介があります。

 ちょんちょ、ちょんまげ
 まげ、ちょんちょ
 おなさけぶかい殿さまは
 ころりころころ、首きれぬ
 ………

「やさしい藩」があり、なさけぶかいお殿さまがいて、みんなの幸せを考えていてくれるという。
「やさしい藩」の武士池之助が妻ゆりに、娘のみよがお殿さまのおなさけで「やさしいむすめ」にしてもらえると報告するところから話が始まります。報告を聞いてよろこぶゆり。でも何か変です。「やさしいむすめ」になれなかったみよの姉たちは、お花畑へ入ったという。ありがたがるゆりが唱える言葉が「はやくみんな石になれ」です。

冒頭の歌だけでも充分こわいのに、話の最初からなにやら不気味で、その気持ち悪さのせいでゆっくり読むことが出来ずに走り読みしてしまいました。だから「やさしいむすめになる」ということの意味がわかったのはかなり読んでからでした。そのあと最初からじっくり読んで、登場人物の形容に使われている言葉に、それぞれ意味があることにあらためて気づきました。そしてぞっとしました。
しきりに使われる「やさしい」という言葉。なんてうさんくさい。じわじわ明らかになる藩の実情。歴史上この話のようなことはあったろうし、現在もあり得る話です。そう考えるとよけいこわい。

上野瞭はなんとおそろしい話を描くんだろう。『目こぼし歌こぼし』はまだ明るさがありましたが、これは薄気味悪さが漂う、本当にこわい話でした。
そしてこんな話が出版されたのがなんと1968年です。もう脱帽するしかありません。
この作品もまたかなり問題になったようです。何でも児童書の棚から追放されたこともあるとか。




2003/5/8
『てのひら島はどこにある』
佐藤さとる(林静一絵) 理論社 2003年
いたずらぼうずの太郎のお母さんが考えた「いたずら虫」をはじめとした虫の神さまの話。そのお母さんの考えたお話を、今度は太郎が自分で続きを考えていく。お話がこういうふうに広がっていくってすてきだなあ。やんちゃな太郎がかわいくってしかたない。もういちど子どもたちとこういうひとときを持てたらいいのに―とかなわぬ夢をえがいてしまいます。小さい虫の神さまたちが、どことなくコロボックルたちに似ていてかわいい。




2003/5/9
『コドモノクニ』
長野まゆみ 河出書房新社 2003年
「小鳥の時間」「子どもだっていろいろある」「子どもは急にとまれない」の3章からなる、「わたし」の小学生から中学生のころの日常のあれこれ。
作者より少し年長のわたしにとって、出てくるもの全てくすぐったいような懐かしさを覚えます。同じような思い出なのに、作者にかかるとこんなに素敵に甦るなんて。文章の力ってすごいとあらためて思ってしまいます。「わたし」のお気に入りのお話や読んでいる本がところどころに出てきますが、『ピッピ』『だれも知らない小さな国』や宮沢賢治(いかにも作者らしい)の中で、「赤い糸を吐く女の子のお話」が気になりました。この話なんだろう?




2003/5/11
『川原泉の本棚』
川原泉 白泉社 2003年
川原泉が選んだ「おすすめ本アンソロジー&ブックガイド」
川原泉の愛読書だけあって、一部読了できない作品もありましたが、さすがにおもしろかった。川原泉の読書についての思い出、取り上げた作品へのコメント、川原宅訪問記も楽しい。

『ロビイ』(アイザック=アシモフ 小尾芙佐訳)
少女グローリアと子守り用ロボットロビイとの感動の物語。さすがにロボットSFの祖です。清水玲子の「メタルと花嫁」「ナポレオン・ソロ」を思いだしました。

『おはよう寄生虫さん(抄)』(亀谷了)
題名からも分かるとおり、寄生虫の話です。実は途中までは読んだのですが、気持ち悪くなってとうとうパスしました。面白いんでしょうが、わたしにはダメでした。

『水素製造法』(かんべむさし)
あほらしくて面白くて、しかし身につまされる。高校時代物理で赤点すれすれ取ったわたしには、この主人公を笑えません。

『言葉の戦争 1』(清水義範)
そりゃあもう面白いです。清水義範ですから。アンソロジーでばかり読んでいる清水義範ですが、いつかちゃんと作品を読みたいと思っています。

『品種改良』(田中芳樹)
これももちろん面白い。田中芳樹ですから。読みやすいし。川原泉の漫画『中国の壷』の文庫版は持ってるので、田中芳樹の解説は読めますが、コミックス版は娘の友人から借りたので、4分の1スペースに田中芳樹作品に触れていた部分のことは覚えていません。

『ヤマナシの実』(日本民話 坪田譲治編)
昔話によくある展開ですが、川原さんが書いているようにこの「およめさん」がすごい。「行けや、ターンタン、もどれや、ターンタン」なにやら不気味でこわい。

『ヘリコプターの飛ばし方』(非日常研究会)
本当に非日常です。いくらなんでも自転車しか乗れないわたしには、こんな機会絶対に訪れないと思うので、斜め読み、ついには中断しました。

『大うずまき』(エドガー・アランポー 谷崎精二訳)
ポーのおなじみの作品。偶然にも川原さんおすすめの本が、うちにある偕成社文庫版だったのが、何だか嬉しかった。

『歴史新聞』(抄)(歴史新聞編集委員会編)
これは図書館にもあって、おもしろいなと思っていました。川原さんの言うように歴史の授業の副読本に最適だと思う。




映画 2003/5/11
「奇跡の丘」
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督(ビデオ) 1964年
きっかけははづきが大学の「キリスト教美術」かなんかの講義で、この映画を鑑賞したこと。本人はほとんど寝ていたそうですが、おもしろそうなのでもう一度きちんと観たいと言ってました。図書館で探したらあったので借りてきました。ふたりで鑑賞。( )内の*ははづきの補足です。

監督の名をみてびっくり。パゾリーニでした。(*はづきはビデオパッケージの監督紹介の「撲殺され他界」にびっくりしました。)
観たことはなかったけど、若いころフェリーニと並ぶ巨匠ということで、名前だけは知っていました。1964年作。へえ〜そんな昔のなんだ。

はづきとともに興味をもったのは、聖書の中の言葉しか使っていないということでした。(*講義中で先生が再三くりかえして主張していた趣向です。こういう「しばり」のなかで作られた映画というのに興味がありました。)あとイエス役の人が、これこそイエスだ、という雰囲気(どんな?)だったので。(*桜井亜美の『デジャ・ビュ』にも彼の相貌を印象深くかんじている主人公がでてきます。)なんでも出演者全員が素人ということです。後半の年取った聖母マリア役は監督の母親だそうです。せりふはなしでした。(*嘆きの表情としぐさだけ。)

上にもかいたように、使われる台詞すべて「聖書」の「マタイによる福音書」の中の言葉だけ。だから劇的な演出もない。たんたんとただ聖書のエピソードが描かれる。説明もいっさいないので、聖書を知らないと分からない場面もたくさん。でもおもしろかった。 印象に残ったのは、冒頭、少女のアップ。にこりともしない。じっと前を見つめる。マリアらしい。その視線の先には、ある男性。ヨセフらしい。しばらくしてマリアの全身がうつる。お腹が大きい。そこへ字幕で「処女懐胎」とでる。ヨセフが身を翻らせて去っていく。離れた場所で考え込む。突然白い服のかわいい少女(どうも神の使いらしいが、天使の羽根もない。でも黒目黒髪でかわいい)が現れ「マリアのお腹の子は精霊の子だから、心配せずに結婚しろ」という。それを聞いてヨセフが戻っていく。マリアが同じところに立っている。見詰め合う二人。マリアが口の端をあげてかすかに笑う―天使のほかはふたりは一切せりふなし。でも二人の表情で見せてしまう。さいしょから緊張感があって凄く引き込まれた。全てこんな調子。(*授業ではとばした部分だと思う。すごい巧かった。)

え?と思ったのはイエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘を登るところ。イエスが背負ったのは最初のほうだけで、すぐよろけて倒れてしまう。それからは傍にいた男が背負って丘まで運んでいった。なんだイエスが自分で運んだんじゃなかったんだ。そういえば有名な受胎告知の場面もなかったっけ。(*はりつけのシーンで、『百億〜」を思いだした母娘は「なんか天が裂けるんだっけ」「大いなる手がイエスを包むんだっけ」と記憶をほりおこし。はづきはあやうく「わたしはイスカリオテのユダ! わたしは「信号」!」までぶっとんじゃうところでした。ところで磔刑はてのひらに釘をうってはいかんらしいです。というかてのひらじゃあ体重ささえられなくて裂ける、らしい。釘をうちこむところは手首の骨なんだって。)

どうも聖書の各福音書によって少しずつ違うらしい。で、気になったので「聖書」を借りてきました。(*ここらの探究心ではづきは風太におよばないのでした。)受胎告知があるのは「ルカ伝」で、イエスが自分で十字架を背負って運んだのは「ヨハネ伝」でした。なるほど。

この映画は原題が「マタイによる福音書」だということなので、本当に「マタイ伝」に忠実に作られているようです。
イエスは、結構過激なんで驚きました。律法学者をののしってました。愛を説いた優しい人ではなかったんかいな。そして聖書でもちゃんとののしってました。

映画で分からなかった場面に、イエスが樹を枯らすところがありました。(*はじめはユダが首をつることになる木かと思ったんですけど。)
どういうことかよく分からなかったので聖書をみたら、空腹だったイエスが無花果の樹をみつけそばに行ったら実がなかった。それで「いつまでも実がなるな」と言ったらしい。
ええ〜?お腹すいてたから八つ当たりしたの?
「なぜ枯れたのですか?」と驚く弟子たちに「信じて祈ればなんでもできる」ということを教えたと書いてあるけど、なんだかなあ。(*かわいそうな無花果。ところで無花果といえばとうぜん「楽園追放」のイメージもあるんですけど、あれは旧約だからここではなんの暗喩もないんでしょう。)

(*ちなみに自分は神殿から人々を追いはらったり、女に香油をかけられたりするシーンで太宰の「駆け込み訴え」も思いだしながら観ていました。)

わたしはキリスト教徒ではないので、聖書も真面目に読んだこともなく、今回はただ映画や自分の知識の中にある事柄の確認のためにひろい読みしただけです。ですから不勉強のため失礼な感想を述べてしまいましたが、不愉快に感じられた方がいたら、どうぞお許しください。

ユダの自殺も唐突でした。イエスの判決が決まったあと学者たちに銀貨を投げつけて、その足でダーっと走っていって、あれよあれよという間に服を脱いで縄を首に巻いて樹にぶら下がってしまった。(*ぶらさがったよねえ。でもなんで服脱ぐの? 喜捨の精神?)あんまりあっけないのでびっくりしたけど、これも聖書を読むとそのとおりでした。
最後は復活したイエスの元へ駆けつけた弟子たちに、イエスが「わたしはいつまでもおまえたちとともにいる」と言っておわり。感激の対面もなくあっけなく終わりました。(*そこがよかった。)
全部のエピソードが入っているわけではないでしょうが、本当に忠実に映画化したんですね。「聖書」の言葉だけを使うという試みが凄いと思いました。

(*あとでネットですこし検索しました。原著パッケージはおそらくユダが合図のためジーザスにする裏切りの接吻シーン。「友よ、そのために来たのか」。映画でもめずらしく盛りあがる好きな場面です。…いや、やっぱり盛りあがるというよりたんたんたん、たん、でしたけど。)




2003/5/13
『水の精霊 第1部幻の民』
横山充男 ポプラ社 2002年
幼なじみの洋輔の死。洋輔、なぜなんだ―真人は問いつづける。
1995年夏、14歳の真人は祖父の住む高知県、四万十川のほとりの町にやってくる。セゴシ一族だという祖父に導かれすごすうち、真人はセゴシの中でも特に力の強い「ふたざきの花」の力にめざめてゆく。

壮大な物語のほんのはじまりの部分です。何といっても自然の描写が素晴らしく、読んでいるだけで清涼な空気にふれているような気分になってきます。漆黒の闇、降るような星、そして「水平線をたぎらせながら昇りくる」太陽。そんな圧倒的な自然の中に、真人がしだいになじんでくる様子がわかります。こんな美しい自然が年々汚されていく。四万十川も例外ではない。それを守るのが真人の役目なのか?どんな方法で?この第1部だけでは、まだまだはっきりしません。
真人のこころを常に占めている、不可解な自殺をとげた洋輔へのやり切れぬ思いが胸にせまります。同じ「ふたざきの花」とされるみずきへの思春期の少年らしい感情もほほえましい。
まだまだ真人の両親はじめ、周りの人々との間には秘密や謎が隠されているようで、それは第2巻以降徐々にに明らかになっていくのだろうと思います。楽しみなシリーズがまた増えました。

物語の背景に宗教と政治という微妙で難しいものがありますが、それらも物足りなさはあるもののしっかり描きこまれています。この国のもうひとつの歴史を作ってきた幻の民―「セゴシ」の設定に、昔読んだ五木寛之『風の王国』を思い出しました。




2003/5/14
『永遠の出口』
森絵都 集英社 2003年
主人公紀子の小学4年生から高校3年までが、ほぼ1学年ごとに1章ずつ割り当てられ、合計9章で描かれています。
「永遠の出口」をはじめとする小学生のころの話はおもしろかったのですが、中学のころのぐれた紀子の追い詰められた心理描写は息苦しく、辛かった。
高校時代の恋を描いた第8章『恋』はいろいろとすごかった。「デートは楽しいもんじゃない」という主張には大いに賛成ですが、紀子の前向きな行動力に、恋には後ろ向きなわたしは驚きました。いやはやこれでは一歩間違えばストーカーになりかねない。でも一所懸命なんだよね。見当違いの努力を続ける紀子がいじらしい。

これまでは今を生きる中高生を描いてきた著者が、昔を振り返る形で書いているためか、いつもと少し雰囲気が違います。
著者が実際に経験したと思われる子ども時代を描いている点では、長野まゆみ『コドモノクニ』と似ていますが、端正で硬質な印象の『コドモノクニ』に比べ、この作品はもっと騒がしく生々しい現実感があります。二人の作風の違いが表れていておもしろい。どちらもとても好きです。




2003/5/15
『少年名探偵 虹北恭助の新・新冒険』
はやみねかおる 講談社ノベルス 2002年
久しぶりの虹北恭助。ところが『新・新』とついています。『新」がこの前にあるようですが、先にこちらを読んでも別に問題なし。
前回小学生だった恭助と響子はこの作品だと中学3年生に進級していますが、相変わらず放浪中の恭助は学校へは行ってません。たまに帰ってきて事件を解決するらしい。小学生から中学生になって二人の恋の進展も気になります。適度な謎解きもあって楽しかった。




2003/5/17
『海賊島事件』
上遠野浩平(金子一馬絵) 講談社ノベルス 2003年
水晶に閉じ込められた世にも美しい夜壬琥姫の死体。この密室殺人の容疑者が逃げ込んだ「海賊島」に、帝国軍の大船隊が引渡しを迫る。全面戦争を回避しようと、両者の調停役として『殺竜事件』のED、ヒースロウ・クリストフ、レーゼ・リスカッセの3人が再び活躍する。

いつも思うのですが、このシリーズのイラストが実は苦手です。すごく上手いと思うのですが、生理的に受け付けません。そのせいで読むのをためらっていたのですが、読み始めるとそんなこと気にならなくなりました。シリーズ3作目ですが、今までで一番おもしろかった。殺人事件のほうは方法はわかりませんでしたが、わりと早く見当がつきます。キリラーゼの正体も、EDが大笑いしたところでわかりました。殺人事件と並んで三代にわたる海賊一族の話が語られ、これがとても興味深くむしろこちらのほうがメインのようです。




2003/5/17
『最後の記憶』
綾辻行人 角川書店 2003年
森吾の母は箕浦=レマート症候群、通称白髪痴呆という難病にかかり精神病院に入院している。アルツハイマー病とは似て非なる、現時点ではまったく原因不明のこの奇病が、もし自分にも遺伝していたら…。日々記憶が失われていく母。しかも新しい記憶から失われていくのなら、母の最後に残る記憶は幼いころの恐怖の体験でしかない。母の身を案じながらも、遺伝の不安と恐れに次第に追い詰められ、ついに森吾は幼馴染の唯とともに母の故郷を訪ねる。

ホラーらしいけれど作者がいうようにあまり怖くない。『囁き』シリーズに似た雰囲気ですが、あのシリーズは好きなのですがこれはいまひとつでした。自分にも遺伝しているのではという不安、母親の幼いころの恐ろしい体験、現実に起きる殺人事件、とどうも怖さが散漫な印象を受けました。後半の幻想的な部分にも違和感があります。
ただ母親を思う森吾の心情は胸を打ちました。作品の評価は別として、同じ子どもとして森吾に共感しました。アルツハイマーや白髪痴呆についての説明は、説得力がありましたが、わたしも現在軽いボケが進行中の母を見ているだけに、この母親の痴呆の描写は辛かった。そして自分もまた母や森吾の母親の立場になり得ることを考えると、これもまた辛く哀しい。
遺伝に対する不安とそのオチは、以前読んだある作家の作品に似ています。そちらの衝撃が強かったので、あまりおもしろく感じられなかったのかもしれません。




2003/5/18
『赤の神紋 第8章―Blue Ray Arrow―』
桑原水菜(藤井咲耶絵) 集英社コバルト文庫 2003年
連城はいつも何をやっているのでしょう。どうもこの男の行動がよくわかりません。なんか一人相撲とってるみたい。結局自意識過剰なんじゃないか。でもおかげで榛原に絶対忘れられないだろうから、それで満足してればいいんじゃない?それに他の人からもけっこう可愛がられてるし。あとはケイと仲良くやってよ。
なんだか投げやりな感想ですが、これでもけっこう気に入ってます、この話。それと『ガラスの仮面』と同じく劇中劇がみられるのは、とても楽しい。今回は『蜘蛛女のキス』。これは名前だけ知ってましたが、こんな話だったとは知りませんでした。たしか映画もあったので、観てみたい。




絵本 2003/5/20
『マジョモリ』
梨木香歩(早川司寿乃絵) 理論社 2003年   1979年
まじょもりとはこどもたちが使う御陵の呼び方。ある日そのまじょもりから「ご招待された」女の子つばき。そこには女のひとがいて、もうひとり「ご招待された」女の子ふたばは「ハナさん」と呼んでいます。まじょもりの奥でふたりの女の子とハナさんの楽しいパーティがはじまりました。
だれもが心の中に少女のときを持っているのかもしれない。いつもは忘れていたとしても。そんなことを感じました。淡い色調の絵とお話がぴったりあっています。
絵を描いた早川司寿乃さんは『からくりからくさ』など梨木作品の装画を手がけているそうで、そういえば見覚えのある色調と絵でした。表紙の葉っぱの絵が素敵です。




絵本 2003/5/20
『蟹塚縁起』
梨木香歩(木内達朗絵) 理論社 2003年
ある月夜とうきちの耳に聞こえてきたのは大勢の蟹の移動する音。名主の息子から助けてやったとうきちの恩に報いるため、蟹たちが名主の家に向かっている。蟹の後を追ったとうきちは、思いがけず自分の前世と今なお残る恨みを知る。
なんて幻想的な迫力ある絵!そして蟹塚を巡る不思議な話。しんと静まり返る月夜の冴え冴えした空気が伝わってきます。梨木香歩の絵本のうち、もっとも惹きつけられた作品でした。




2003/5/21
『チポリーノの冒険』
ジャンニ・ロダーリ(杉浦明平訳) 岩波少年文庫 1956年
イタリアのお話です。タマネギ坊やのチポリーノが、レモン大公の治める国で大活躍。この国では人間の代わりに野菜と果物と動物が住んでいます。チポリーノがまずしい弱い人たちと一緒にたたかって、わがまま勝手なレモン大公やトマト騎士たちをやっつけて、とうとう共和国を建設するといういわば勧善懲悪のお話です。挿絵はロシア語の訳書から転載されています。B・スチュワートの挿絵がとてもかわいい。昔のテレビ人形劇「チロリン村とくるみの木」を思い出しました。
タマネギが主人公なのは、イタリアでは貧しい大衆が大好きな食べ物だかららしいのですが、それにしてはトマトが悪役なのが不思議です。
連載物だったらしく、ひとつひとつのエピソードはまあおもしろいのですが、それがなんで最後に革命まで行ってしまうのか、どうもよく理解できませんでした。そんな理屈っぽく考えなくて、チポリーノといっしょになって楽しめばいいのかもしれませんが、楽しいけれどちょっとノリきれない、物足りない作品でした」。アニメか人形劇ならもっと楽しめたかもしれません。
野菜やくだものたちの名前がおもしろかった。ブドウ親方、サクラン坊や、ニラ山ニラ吉どん、カブ子さん、イチ子、サクラン坊や、ニラ山ニラ吉どん、ナシノ木ナシ男教授等々。訳者の苦労がしのばれます。牢屋に入れられたチポリーノの手紙を届ける、ビッコのクモの郵便配達の最期があっけなくて哀しかった。




2003/5/22
『スシとニンジャ』
清水義範 講談社 1992年
素朴なアメリカ青年ジム・ストーニーは、15歳の時からの憧れの国日本にやってくる。ブシやニンジャに憧れるジムの目には、行く先々で出会う現代の日本はどのようにうつったか。

実はもっとドタバタしたあくの強いコメディかと思っていたら、とてもさわやかな青春小説のようでした。当然起こる異文化の衝突もあたたかいユーモアで包まれており、とても気持ちよく読めました。ジムが今時珍しいほどの好青年で、といって決して愚かではなく、聡明な彼が人びととのふれあいの中でちゃんとブシド―精神を感じ取っているところがとても素敵でした。
作者があとがきで「ジムは私に、日本再発見のチャンスを与えてくれた」と述べていますが、わたしも同感です。笑ってるうちに心があたたかくなってくるいいお話でした。ただ、今時若い二人が親の反対で結婚できないとか、監視がついてるなんてことはいくらなんでもないだろう。これはきっともっと複雑な「陰謀」があるに違いない、と身構えていたら肩すかしをくわされました。そこがちょっと拍子抜けしましたが、この話にあまり陰湿な要素は似合わないので、やっぱりこれでよかったのだと思います。




2003/5/22
『蕎麦ときしめん』
清水義範 講談社文庫 1989年
6篇の短編を収録。名前だけは知っていて、ずっと読みたかった作品。『スシとニンジャ』の余勢をかって一気に読みました。そして爆笑しました。

「蕎麦ときしめん」
名古屋の人に申し訳ないと思いながらも笑い転げてしまいました。なんでも「日本人とユダヤ人」を下敷きにしているということですが、はるか昔に読んだので、わたしにはわかりませんでした。ここに書いてある野球のエピソード(相手チームのチャンスにはういろうが飛んでくる)を読んだときは、思わず川原泉の『メイプル戦記」を思い出しました。

「商道をゆく」
タイトルだけで司馬遼太郎のパロディだとわかりますが、文体もそっくりです。すごいなあ。

「序文」
『英語語源日本語説』という本の(この説だけでもおもしろい)初版本、改訂版、完全版、全著作集、文庫版、それぞれへの序文を集めた、なんとも心憎い構成。

「猿蟹の賦」
司馬遼太郎の文体を使ったサルカニ合戦。まったく何て発想だろう。

「三人の雀鬼」
これ誰のパロディか分からなかったのですが、題名からみて阿佐田哲也かなと思います。

「きしめんの逆襲」
冒頭の「蕎麦ときしめん」の評判を受けての作者の反論。このふたつが最初と最後にくる構成もまたおもしろい。




2003/5/23
『新本格猛虎会の冒険』
有栖川有栖他 東京創元社 2003年
『阪神タイガーズは絶対優勝するのである!』(逢坂剛)
序文なので題名をのぞけばほぼ2ページと短いのですが、これがもう熱い熱い。わたしとしては、これだけでもう読んだ価値があると嬉しくなりました。でもほんと、「誰がこんなばかばかしい企画を考えたのか」ごもっともでございます。

『五人の王と昇天する男達の謎』(北村薫)
わたしは北村さんが好きです。だからどんなに奇妙な設定であろうともギャグが寒くても、許せます。ましてやそれが阪神への愛ゆえならば。許せますとも。身内ネタあり、懐かしい選手の名前あり、北村さんの意外な(むしろこちらが地?)一面が伺える作品。

『1985年の言霊』(小森健太郎)
1985年の阪神優勝はひとえに言霊のおかげだった?!この衝撃の事実に愕然…とはしませんでしたが、よく調べたなあと感心します。

『黄昏の阪神タイガース』(エドワード・D・ホック 木村二郎訳)
この著者は知りませんが、どうやって執筆依頼したのか、それが謎です。

『虎に捧げる密室』(白峰良助)
このファン心理わかる。ジレンマやなあ。なんとなく共感してしまう。

『犯人・タイガース共犯事件』(いしいひさいち)
「がんばれタブチくん」が懐かしい。

『甲子園事件』(黒崎緑)
しゃべくり探偵コンビ、保住と和戸が甲子園球場で謎を解く。相変わらずテンポのいい会話。会話文だけで成り立たせているのは凄いと思う。
この作品が一番自然で面白かった。

『猛虎館の惨劇』(有栖川有栖)
タイガースファンが昂じるとこうなるのか。被害者には気の毒だけど自業自得。関西方面の刑事というと、どうも森下刑事を連想してしまう。

『解説―虎への供物』(佳田山大地)
解説の後に繰り広げられる自説「タイガースの優勝と津軽海峡の関係」この人も本当に好きなんだなあ。

個々の作品の出来不出来はともかく、作家たちの熱い思いに触れられたことが大きな喜びでした。頑張れ阪神タイガース!
(この作品のせいなのか、この年阪神タイガースは本当に優勝してしまうのである。こうなったら毎年これを企画してくれ〜!)




2003/5/24
『ちょー薔薇色の人生』
野梨原花南(宮城とおこ絵) 集英社コバルト文庫 2003年
ついに対面した宝珠と魔王サルドニュクス。一方琥珀楡の近くでは魔法使いたちとオニキスたちが集まって、3人目のマジックマスター「底なしの密室」ガーカ・カーカカーセスが召喚されようとしていた。「一人の魔王と二人の支柱。四人の賢者と六人の人。そしてひとつの宰」―すべては彼ら次第。崩れはじめた世界の律を元に戻し、世界を救うことはできるのか。

とうとう完結。ついにサリタは戻ってこなかった。そこには魔王サルドニュクスがいるだけ。それを悟ったスマートの動揺。あの傍若無人のスマートだけにその姿がつらい。マジックマスターの「試し」を受け、皆が見せられた幸福な過去、あったかも知れない未来。でもどんなに懐かしく還りたくても、手に入れたい未来でも彼らは皆「現在」を選択した。その選択しかないだろうし、それが世界を救ったのだとしてもやはり切なく哀しかった。




2003/5/25
『鏡の国のアリス』
ルイス・キャロル(芹生一訳) 偕成社文庫 1980年
ずっと『不思議の国のアリス』だけ読んでいてこれは未読でした。今回読んではみたものの、わけがわからないうちに終わってしまいました。『不思議の国』」がウサギを追いかけて入っていったのと違い、ここではアリスが自分から「つもりっこ」(この訳何とかならないだろうか)をして鏡の国に入ってしまいます。『不思議の国』と比べ構成が整然としているということですが、肝心のチェスを知らないので筋を追っていくだけでせいいっぱいで、おもしろいと感じる余裕がありませんでした。有名なハンプティ・ダンプティやジャバウオックが出てきましたが、ジャバウオックの詩なんて、わけわからなかった。詩や言葉遊びが『不思議の国』より複雑になっている気がします。これは翻訳がすごく難しいだろうと思います。翻訳によってずいぶん感じが違うらしく、矢川澄子さんの訳もあるということですが、そちらを読んだほうがよかったかなと思いました。




2003/5/26
『少年名探偵 虹北恭助の新冒険』
はやみねかおる 講談社ノベルス 2002年
どうも先日読んだ「新・新冒険」と同時期に2冊分冊で出版されたらしい。
1冊にするには厚すぎるという担当の言葉に「2冊だと薄すぎないか」という作者の疑問がありましたが、まったくです。これなら1冊にまとめてほしかった。それに本編より外伝のほうが長くて、映画狂の若旦那に押されて恭助の影が薄いのも気になる。放浪の旅をしてるより響子の傍にいて、謎解きをしてほしい。




2003/5/27
『海賊王の帰還 暁の天使たち3』
茅田砂胡 中央公論新社 2003年
今回も始まりは過去の話。ルウがマックスと出会い、ジェームスの世話をするようになるいきさつが詳しく語られます。だから話としてはあまり進展がなく、題名に思いっきり期待を膨らませていたわたしはやきもきしました。ラスト近くようやく間に合ってやれやれです。ケリーが死んだとき、どうやってまたジャスミンと会うつもりかと不思議でしたが、そこはさすがに用意周到でした。でもこんな事態(連邦情報局が介入してくる)は想定していなかったようで、ちょっと慌てている彼がかわいい。
図書館の都合で待ちくたびれてようやく読めた第3巻。世間ではもう4巻も出ています。でも逆にあまり間を置かないで次が読める楽しみがあります。次巻のタイトルは『二人の眠り姫』一人はもちろんジャスミンですが、もう一人が分かりませんでした。でもこの3巻を読んで分かりました。なるほど「彼女」しかいません。これで役者がそろってやっと話が動いていくのでしょうか。

ここでちょっと気になったのは再生ということ。マックスの嫌悪感は共感できます。だからルウたちラー一族の存在を設定してあるのでしょうが、そんな何でもありな設定でいいのか?とちょっと複雑な気持ちです。




2003/5/28
『女神の花嫁 前編』
須賀しのぶ(船戸明里絵) 集英社コバルト文庫 2003年
ザカリア女神を信奉するザカール人の村。初代から数えて999代目の長老の子ラクリゼは、代々男であるはずなのに女だった。男として育てられ誰よりも男らしくあろうと努力しながら、己の存在意義に苦悩するラクリゼの前に、外の世界から一人の少年サルベーンが現れる。ザカールの血を引くゆえに他国では迫害され、ザカールでもまたよそ者として扱われるサルベーン。ふたつの孤独な魂は運命に導かれるように惹かれ合う。
「流血女神伝」の外伝です。『天気晴朗なれど波高し』は番外編なので買ってまで読もうとは思いませんでした。でもこれはラクリゼとサルベーンが登場する、本編と関連の深い話。読まずにはいられません。そしてやはりおもしろかった。ラクリゼとサルベーンがこんなに深い絆で結ばれていたとは驚きです。でもここでの彼らと本編の彼らの関係は、まったくた違ったものになっています。これほど惹かれ合う彼らが道を分かつようになるまでには、どんなことがあったのか?後編が楽しみです。
最初ラクリゼとカリエをダブルヒロインにする予定だったそうですが、実現していればどんな展開になっていたことか。




2003/5/29
『The End of the World』
那須正幹 ポプラ社 2003年
1984年刊『六年目のクラス会』から4編選んで収録。表題作をずっと読みたかったのでうれしい再刊です。児童書というより良質の短編小説を読んだ気分。

「The End of the World」
この世界の終わりに、それでもなお力を振り絞って少女に会いに行こうとする少年の姿が胸にせまる。そしてこれが20年も前に書かれていたことが又凄いと思う。

「まぼろしの町」 
よくあるタイムパラドックスものといえば言えるけど、幼いころへの思いは郷愁を誘う。

「約束」 
読んでいるうち語り手の意外な正体が分かってくる。予想はしていても痛い話。

「ガラスのライオン」 
子供のときわからなくて、大人になってはじめて意味がわかることもある。




2003/5/29
『六年目のクラス会』
那須正幹(挿画・山口鈴) ポプラ社 1984年
著者が同人誌などに発表した作品のうち、特に愛着ある10作品を収録。どの作品も新しい児童文学を模索していた著者の意欲作。那須さんの凄さがよく分かる短編集です。
出来れば『The End of the World』に全部収録してほしかった。

「The End of the World」
「ガラスのライオン」
「まぼろしの町」
「六年目のクラス会」(初出の原題は「約束」)
以上は『The End of the World』にも収録。

「白い種子」
めずらしい古代をあつかった異色作。新しい異文化の伝来と古い閉鎖集団の掟との葛藤。村の掟には上野瞭の『ちょんまげ手まり歌』に通じるものがあります。

「お民の幽霊」 
おもしろくて最後にしんみり、まるで時代小説の人情話。

「田中さんのおよめさん」
SFか怪談か?シュールでこわい話。

「めだかはめだからしく」
子供社会の力関係と大人社会の労働争議が平行して語られる。

「たたら番子唄」
最下層のたたら職人弥五郎と職人頭の娘サヨの悲恋。

あと1作は題名をメモるのを忘れました。山を舞台にしたちょっと変った話でした。




2003/5/31
「魚住くんシリーズ」
榎戸尤利(茶屋町勝呂絵) 光風社出版クリスタル文庫 2000〜2002年
最初に気になったのは表紙イラストでした。テーンズ系文庫のイラストには読む前からうんざりするようなシロモノがあるのですが、その中でこれは断然光っていました。気になりながらもこのBLというジャンルのせいで、今まで手にとることをためらっていました。
でも読んでみると「こういうBLが読みたかったのだ」と嬉しくなりました。むしろこういう話なら何もBLという形にしなくてもいいのにとさえ思います。それでも、無理してBLに仕立ててようとしている椹野道流の「奇談シリーズ」のような、とってつけたような気恥ずかしさはありません。BLと聞くと敬遠する人が多いでしょうが、もったいないと思います。
深刻な内容なのにたんたんと綴られる文章は、時にはユーモラスで痛快です。心に大きな傷を負った人々が元気に前向きに生きていこうとする姿は、読んでいてもさわやかで気持ちいい。辛いことが多くても、でもこんな友人たちに囲まれていればくじけず生きていけそうです。みないい意味で常識にとらわれない人たちだから。最初のころは見られなかった魚住の笑顔で最後は終わるのが、本当によかった。

『夏の塩』
登場人物の紹介的な第1巻。魚住と久留米はじめ脇キャラたちがみな魅力的。

『プラスティックとふたつのキス』
女子社員安藤るみ子の処世術に納得。自分らしさを出した彼女が痛快。

『メッセージ』
シリーズ中もっとも泣けた作品。少女さちののあまりにつらい運命。魚住のとった行動の痛ましさ。

『過敏症』
突然の恋敵の出現により、ようやく深まる二人の仲。マリの意外な過去が驚き。

『リムレスの空』
PTSDを発症しながらも研究のためにアメリカへ発つ魚住。居場所を求め強く生きようとする人びと。魚住の幸せそうな笑顔がまぶしい。



戻る