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映画 2004/2/1
「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」SEE版
ピーター・ジャクソン監督(映画館) アメリカ 2003年
観てきましたSEE版。
既にDVDで何度も繰り返し観ているのに、やっぱり大画面の迫力は格別でした。
劇場で観た時あんなにかっこよく見えたアラゴルンの帰還場面も、レゴラスの馬乗りも、DVDではそれほどではなかったのです。でもやはりこの大画面でのアラゴルンは素敵でした♪
映画はやはり映画館で観るもの、ということを再認識しました。
しかし予想以上の混み具合。日曜だったし、ちょうど毎月1日は映画の日で1000円で観られるという事情もあってか、とにかくすごい人。たしかに1000円で4時間弱の鑑賞はお得でした。
感想としては”大満足”以外にたいしてないのですが、崖から落ちたアラゴルンを起こす馬の名がプレゴであること、そのプレゴがどこから来たかがはっきりしたこと(厩舎でアラゴルンが宥めたあと、放してやるように言ってました)が新たに確認できました。
参照 2003/3/10 2003/3/15 2003/9/28 2003/10/8 2003/12/4 2004/7/6





漫画 2004/2/2
『イヴの眠り1』吉田秋生 小学館フラワーコミックス、2004年
雑誌「フラワーズ」に連載中の『YASHA』の続編。「YASHA NEXT GENERATION」という副題です。
静とルー・メイとの間に生まれた娘アリサがヒロイン。『YASHA』の登場人物がみなちょっと老けて登場。シンなんか『BANANA FISH』の時からだから、まるでおっさんになっている…。ただ本編の『イヴの眠り』は連載の2回分しかなく、分量は1冊のほぼ半分。あとの半分は『YASHA』完結後発表された後日談『魂送り(マブイウクリ)』と、ケン・クロサキとルー・メイとの出会いを描いた番外編『ハウメアの娘』です。ただ『YASHA』と本作をつなぐ役割を持つ『魂送り』は、本来『YASHA』の最終巻に収録されるべきものだという気がします。『BANANA FISH』の「光の庭」と同じ位置にある作品だと思います。
で、まだこの話で引っ張るのか?とも思うのですがやっぱりおもしろい。作者の力量でしょう。最先端の科学技術と、沖縄やハワイの聖なる”気”という正反対の世界。この対比をこれからどう見せてくれるか楽しみです。





2004/2/3
『サマータイム』
佐藤多佳子 新潮社文庫 2003年
この作品が文庫になっていたことに、うかつにも気がつきませんでした。単行本を買おうかと思っていたので小躍りしてます。しかも「四季のピアニスト上 サマータイム」「四季のピアニスト下 九月の雨」の2冊がまとまっていて、とてもお得。おまけに解説が森絵都という贅沢さ。嬉しい1冊です。
著者のデビュー作。文章はまだ硬いところがあり少しぎこちないですが、それだけにこの年代の少年少女の持つ原石のようなきらめきが、ストレートに伝わってきます。瑞々しい子ども時代への思いに胸がいっぱいになります。
各話で使われる音楽「サマータイム」「九月の雨」「マイ・フェイヴァリット・シングス」がそれぞれ効果的で、本当に聴きたくなってきます。

「サマータイム」
小学5年の進はどしゃぶりの雨のプールで、片腕で泳ぐ二つ年上の広一と出会う。一つ違いの姉佳奈も含めた3人で過ごした眩しい夏。

「五月の道しるべ」
小学生になったばかりの佳奈は、弟が自分よりいい思いをしないようにいつも見張っていた。それなのに、ふってわいた不公平な(佳奈にとって)事件に佳奈のイライラはつのる。

「九月の雨」
自動車事故により父親と左腕をうしなった広一。年のわりにクールに育った彼だが母親の恋人の出現に心が揺れる。

「ホワイト・ピアノ」
広一と喧嘩別れしたまま2年がたち中学生になった佳奈。ピアノ調律師のセンダくんとの交流で封印していた広一への思いが甦る。





2004/2/4
『満月を忘れるな!』
風野潮(おがわさとし絵) 講談社 2003年
中学生の「おれ」敏には、満月になると猫に変身してしまうという秘密があった。父親から受け継いだ体質らしいが、困ったことに次第に満月でなくても変身するようになって…。
『ビート・キッズ」の風野さんが帰ってきた!前作『いとしのドリー』は設定と展開が強引な気がしてイマイチのれなかったのですが、これには無理なくひきこまれました。敏の変身をめぐる騒動も、はらはらしながらもどぎつくないのでおもしろかった。変身の謎、父親の行方、幼馴染と美少女との間で揺れる淡い恋模様など、続きが気になります。

講談社の「YA!ENTERTAINMENTシリーズ」の1作です。同じ講談社の「ミステリーランドシリーズ」が一般ミステリ作家を執筆陣に迎え、装丁も凝って豪華に作りあげているのに比べ、こちらはもとからの児童書の執筆陣をそろえソフトカバーで値段もお手ごろ。「青い鳥文庫」よりもう少し上の読者を対象にしているようです。ミステリーランドはやや中途半端な印象を受けているのですが、こちらのシリーズは的が決まっている気がします。この作品も含め続きものが多いようです。





2004/2/6
『グリーン・ノウのお客さま』
L・M・ボストン(亀井俊介訳) 評論社 1968年
前作も登場した中国系難民のピン少年が、オールド・ノウ夫人に招かれ再びグリーン・ノウを訪れます。屋敷の裏庭で遊ぶピンは、以前動物園で見かけ強く心惹かれたゴリラのハンノーと出会います。ハンノーは動物園を逃げ出していたのです。誰にも内緒でこっそり食料を運びハンノーと心を通わせるピン。でもハンノーを捕まえようとする人々はすぐそこまでせまっていました。
ゴリラのハンノーが暮らす、コンゴのジャングルの描写からはじまる意外な幕開けです。前作でははっきり語られなかったピンの生い立ちも明かされ、自分の意志に関係なく故郷を離れざるをえなかったもの同士として、ピンがあれほどハンノーに惹かれたわけがよくわかります。それだけに最後の展開は予想していたものとはいえ、つらく悲しかった。もっとどうにかならなかったのかと、悔しさと痛ましさがつのります。動物園でのハンノーの唯一の理解者、飼育長さんが「自分に打ち明けてくれていれば」と言うのに、ピンが「ぼくがうちあけていたら、ハンノーは一生にいちども本物の3日間をあじわうことがなかったんです。」と答えるのが切ない。
ジャングルとそこに住む動物たち、グリーンノウの自然、裏庭でのピンの冒険など読んでいて心おどらされます。またおおらかでやさしいオールドノウ夫人だけでなく、人間社会もきちんと描かれていて、きれいごとだけで終わらせていないところに感心します。





2004/2/7
『グリーン・ノウの魔女』
L・M・ボストン(亀井俊介訳) 評論社 1967年
グリーン・ノウでは、オールドノウ夫人とひ孫のトーリーと養子のピンの3人が仲良く暮らしています。ところがそんな彼らの前に、屋敷をのっとろうとたくらむ魔女メラニー・デリア・パワーズが現れます。屋敷とここでの暮らしを守るため、3人は力を合わせて魔女に立ち向かいます。
この魔女ですが、一見普通の女の人で少しずうずうしいかなと思う程度です。でもしつこい。グリーン・ノウへの攻撃もうじ虫だったり、猫だったり、蛇だったり、気味が悪い。オールドノウ夫人が彼女を最初から嫌ったのは、魔女だと見抜いたというより、まず人間として無作法で許せなかったから。邪悪なものが特別な形をしているわけではない―その描き方に現実感がありました。特別な魔力を持たないオールドノウ夫人ですが、人間として一番大切なものが何かよく分かっています。夫人や子供たちがグリーン・ノウでの暮らしをこよなく愛するこころが、結局魔女を打ち負かす力のみなもとであることがすばらしい。






2004/2/8
『グリーン・ノウの石』
L・M・ボストン(亀井俊介訳) 評論社 1981年
グリーン・ノウシリーズ別巻。グリーン・ノウが最初に建てられた時代、領主の息子ロジャーはこの石で出来た家に深い愛情を持ち、家のその後の運命を知りたくて、不思議な魔法の石により、これまでのシリーズで登場した各時代のグリーン・ノウを訪ね、リネットやスーザンやトーリーと出会います。
ロジャーといっしょに読者はグリーン・ノウの歴史をたどることができます。ロジャーが住んでいたのは1120年。この時代はちょうどイギリスがノルマンに征服されたころで、ロジャーのおばあさんはサクソン人です。先日読んだ『とぶ船』にもありましたが、ここでもイギリスの歴史を垣間見ることができます。
そして今もこの家が実在して、作者ボストン夫人がこの作品の執筆当時住んでいたということに驚かされます。日本でいえば平安時代に立てられた家に住んでいたことになるわけです。石の建築と木造建築との違い、気候風土の違いとはいえ、すごいなあかなわないなあと思います。
このシリーズを読むと、グリーン・ノウのような自然にかこまれた家で、ゆったりと流れる時間に身をおいてみたくなります。





2004/2/9
『四季 秋』
森博嗣 講談社ノベルス 2004年
真賀田四季が姿をほとんど見せない。彼女に関わった人びと、懐かしい犀川&萌絵シリーズとVシリーズの登場人物が顔を出し、萌絵と紅子さんの対面場面などもあり、読者としては嬉しかった。四季を描くというより、2組の男女の愛の物語になっている。つまりこれ恋愛小説でしょうか?
『冬』がノベルスで出る前に、『春夏秋冬』をまとめて1冊にした単行本が出ると聞きましたが、さてどっちを買うべきか迷います。





2004/2/10
『白い兎が逃げる』
有栖川有栖 光文社カッパノベルス 2003年
講談社ノベルスではないけど、4編からなる火村&有栖シリーズ。やっぱり手堅くおもしろい。ふたりの仲良しっぷりがいつもよりおとなしいのは、出版社がちがうせいかなあ。でも「サンドイッチ残しといて」と目で訴える火村は可愛かった。

「不在の証明」
作者自ら「よく使う」と言っている双子もの。ちょっとひねったアリバイ。

「地下室の処刑」
なるほどこういう動機とは、たしかに意外。

「比類のない神々しいような瞬間」
ダイイングメッセージに使われたモノを、思わず自分でも比較確認しました。本当でした。

「白い兎が逃げる」
全体の約半分がこの作品。時刻表のトリック。





映画 2004/2/12
「ラン・ローラ・ラン」
トム・ティクバ監督(ビデオ) ドイツ 1998年
ただ走る女の子ローラ。走る彼女がいい。普通女優ならもっとガリガリに近いほど痩せた腕をだすだろうけど、彼女の腕はたくましい。でも決して筋肉隆々ではなくとても感じいいたくましさなので、それがとても美しく感じられる。
お話は3バージョン。最後のバージョンでやっとハッピーエンドになる。バージョンによりローラが走る途中で出会う人々との出会い方やその後の運命が、少しずつ変ってくる。3回もあるのは長いという声があるようだけど、わたしはけっこうおもしろかった。ただ走り始めのアニメの部分だけは違和感がある。オープニングとか少し『アメリ』に感じが似ている。でもあんなにおしゃれじゃない。ここらはやっぱりフランスとドイツの違いかなと思った。
ローラが魅力的なのにくらべ彼女の恋人がまったく魅力なし。だからローラが彼のためにこれほど必死になるのがイマイチ納得できない。恋は盲目なのでしょうか。





映画 2004/2/13
「パイレーツ・オブ・カリビアン」
ダリウス・ウォルスキー監督(DVD) アメリカ 2003年
「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」が待ち遠しくて欲求不満なはづきが、それまでのこころの慰めにとジョニー・デップを観るために、ただそれだけのために借りてきたDVD。
登場シーンに歓声をあげ何度も見直す。ああ、うっとり。かわいいなあ、ジャック・スパロウ船長。特に最後のシーン、海賊の歌をフンフン歌いながら最後に「ヨーホー!」と歌ってコンパスの蓋をパチンっと閉じる瞬間の可愛らしさったらない!!これも何度も何度も見直したシーン。堪能いたしました。
参照 2003/8/6 2004/1/13





映画 2004/2/17
「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」
ピーター・ジャクソン監督(映画館) 2003年
この映画を観られたことは人生の幸せだったといえます。
前2作は鑑賞直後の感想では「やっぱり原作の方がいい、あれもこれも違うじゃない!」でした。でも時間がたつにつれ、あの原作をよくぞここまで映画化してくれたという気持ちが強まり、興奮してきたものでした。
それが今回は最初からそんな違和感は持たないですんだ。わたしの嫌いなオークの気持ち悪い描写が少なかったせいもある。物語全体のクライマックスであり、感動的なエピソードが数多かったせいもある。ここでも原作と違う点はいくらでも見つけられる。でもそれが何だというのだろう!前2作までの原作の改変、キャラクターの性格変更、そんなものこの作品で全て許せる、許せてしまう!!あれはこの作品にいたるための伏線だったのだ。
ただただこれを映画にしてくれた監督に感謝するだけです。
再鑑賞 2004/6/1 2004/7/11 2004/7/13 2005/2/7





2004/2/18
『荒野の太陽』
アンドレ・ドーテル(天沢退二郎訳 マリ林絵) 福音館 1988年
夏休みに叔父さんの家に預けられることになった高校生のジョナスは、そこへ行く途中の町で偶然みつけた叔父さんの車にもぐりこみ眠ってしまう。目が覚めると車はまったく違うおんぼろになり、まわりは見知らぬはてしない荒野だった…。ここはいったいどこなのか?ジョナスは無事叔父さんの家にたどりつけるのか?

昨年夏に一度読んだときは、もうまるでわけがわからず悲鳴をあげた作品です。最初てっきりジョナスが異世界に迷い込んで冒険する話だと思っていましたが、じつはそうではなかったわけで、でもではその謎を解明する推理ものかというとそうでもなく、登場人物もなんだかへんてこな人ばかりで、文章も象徴的かと思えば急に現実的になり、終盤突然視点がジョナスから謎の少女シュザンナに移ったり、とにかくとまどうばかりでちっともこの話の内容が頭にはいってこなくて困りました。

作者は1900年フランスのアルデンヌ地方のアティーニに生まれています。ここがどこなのか地図で調べてみましたがこの地名は載っていませんでした。シャンパーニュ・アルデンヌ地方にアルデンヌという県はあります。フランスの北部で隣はもうベルギーです。この隣接したベルギーの地名にアルデンヌ高原という場所があるので、たぶんここらへんだと推測するしかありません。このアルデンヌ県にアルチュ―ル・ランボーの生まれたシャルルヴィルという町があります。作者は「早くから同郷の詩人ランボーの研究家としても名があり」(『現代フランス幻想小説』白水社)ということなので、この地方であることは確かだと思われます。
大学卒業後哲学の教師を長年続けながら、最初詩集を発表、作家活動に入っていきます。
ドーテルの作品の中で一番有名なのは1955年フェミナ賞を受賞した『けっしてたどりつけない国』(邦題『遥かなる旅路』三笠書房1958年刊)ですが、残念ながらこの本を所蔵している図書館が県内になかったので、読むことができませんでした。でも『フランスの子どもの本』(私市保彦 白水社)の中に触れている箇所があり、それによるとかぎりない探索が物語の主題になっているそうです。その他の作品『バラをさかせた手』(榊原晃三訳 文研出版)『見えない村』(弓削三男訳 白水社『現代フランス幻想小説』に収録)を読み、『新潮世界文学辞典』の記載事項とつきあわせてこの作者の作風がようやく少しわかってきました。

彼の作品の多くは、故郷に似た森や自然を舞台に、そこでさまよいながら真実や愛情を求めていく人間のすがたを描いている、というものらしい。つまり「探すこと」これがどの作品にもつうじるテーマではないか?
「探す」=「知ること」と置き換えてもいいかもしれません。作者が哲学教師であることを考えると、とてもスムーズに納得できます。ここはどこで自分は誰なのか。どうあるべきなのか。「知りたい」そう強く願うことは人間の本能のようなものです。そして一度知ったらおしまいになるのではなく、生きている限り「知りたい」と願いつづける。
突然見知らぬ土地に一人ぼっちで放り出されて、「ここはどこだ?自分はどこにいるのだろう?」と、ジョナスは「知りたい」と強く望み探索が始ります。最後にはジョナスは元の場所に戻れるのですが(というより行方不明のジョナスを探しあてて父親が迎えにくる)、いわば現実の冒険(元いた場所を探して戻る)を描くのと平行して、思春期の少年の心の探索行と成長を描いた作品なのだと思いました。
作者の作品は舞台が森、山岳地方など自然の中であることから、どこか神秘的、幻想的な雰囲気をもっているようです。この作品も最初は本当に異世界ファンタジーだと思ったほど、不思議な雰囲気に満ちていました。しかしとにかく難しい作品でした。こういう小説は初めてだったので、本当にどう感想をまとめていいか困りました。
参照 2003/7/17





映画 2004/2/18
「ナインス・ゲート」
ロマン・ポランスキー監督(DVD) 1999年
『王の帰還』2回目を観にいくまでのこれもつなぎの一本。なぜかこれもジョニー・デップ主演。
オープニングとエンディングの映像はおもしろい。話は最初のころの謎を追いかける部分はおもしろかったけど、もっと暗い怖い破滅的な最後になると思っていたのに、案外あっさりしていた。悪魔?の女性の目が怖かった。ジョニー・デップは眼鏡もよく似合う♪
はづきメモ>吉野朔実『弟の家には本棚がない』『こんな映画が、』で紹介されてた「本」の映画。ジョニー・デップ主演。1回めでなんだこういう映画なのかよと脱力し、2回めからはじっくり愉しめる話でないかと思います。映像が重厚でうつくしいため、話がちょっと待てよな方向へ転がってしまっても鑑賞に耐えうると思いますが、やっぱり謎の濡れ場はどこまでも謎でした。車でキスからはじまったのに、どうやって城が燃えさかってるまんまえの草のうえで騎乗位にまでもつれこんだのかなあ、とぽかーん。





2004/2/26
『新版 シルマリルの物語』
J・R・R・トールキン(田中明子訳) 評論社 2003年 
映画『王の帰還』を初めて観たのが2月17日。その後日を置かず映画館に通いつめる日々が続きました。とうとうたまらなくて原作を読み直すことにしたのですが、今回はひとつ「指輪世界」の時代の古い順から読んでいくことにしました。で、最初はやはりこれ、すべてのはじまり『シルマリル』です。
二年前に読んだときは旧版でした。新版は昨年出版され購入はしたものの積読だったので、ちょうどいい機会です。旧版との大きな違いは、上下巻だったのが1冊になって版型も少し大きくなったこと。その分厚く重くなっていますが、読みながら巻末の語句解説を参考にするには、このほうが都合がいいです。文字の字体も少し変って、文字間隔も広く読みやすくなっています。その他人名地名などの表記も少し変っていることと、今回新しく原書の第2版の序文とトールキンの手紙が掲載されています。
肝心の内容ですが、恥ずかしいことに忘れているところがとても多くて、ほとんど初読のようでした。一番悲惨だったフーリン一族のことは覚えていましたが、この話に限らず全体が決してハッピーエンドな話じゃないので、読んでて楽しくはなりません。トールキンは「性悪説」支持者だったに違いないとひそかに思っています。
今回はフセンをつけながら読み進めました。前回間違って理解していたところが出てくるわ、出てくるわ。何を読んでいたのだろう自分、と茫然としています。かといって今回これで全て理解できたかというととんでもない。読んでるそばから忘れてしまうありさまで、いまだにヴァラールの名前が全部覚えられません。ヴァラールに限らず一人でいくつも名前持ってるし、地名だって一つじゃない。お願いだから統一名を併記してください、と悲鳴をあげたくなります。
そしてこれほど感想が書きにくい本もない。第一あらすじをどう説明すればいいのか…。つまりこれはただひたすら中つ国の歴史の神話部分なわけで、いってみれば「聖書」や「古事記」みたいなものです。独自の創世神話をもたないイギリスのために、トールキンが考え出した神話なんですが、もともとエルフ語を考え出したトールキンがその言語を使ってみたくて書いた、とも言われているそうです。すごいことしますね、トールキン。
それでも読めばやっぱりおもしろいです。そして一度では決して分からない。(わたしだけかな?いや絶対みんなそうだと思う)2度、3度読んでいく覚悟が必要です。
それにしてもここで描かれるエルフたちは「指輪」のエルフたちに比べてすごく人間的です。「指輪」のエルフたちはもうその種族としての黄昏時にあり、浮世ばなれした美しい高貴なイメージで描かれていますが、ここでのエルフたちは高慢、怒り、妬み、憎悪、復讐、と負の感情を爆発させ、やすやすと悪の誘惑にのせられもします。同族間で殺し合いさえするのです。
人間にいたってはエルフの味方となったエダインの3種族のほかは(この種族がアラゴルンの遠いご先祖)全て冥王の支配下にあったということですから、もともと人間は悪に堕ちやすい存在として描かれているように感じました。
この悲劇のそもそもの原因を作ったのはフェアノールですが、問題はそれより彼の父フィンウェの再婚にあるのではと思われるところがあります。これもまたエルフたちがものすごく人間的だなあと感じるゆえんです。
きっとまた何年かしたらいろいろ忘れて再読したくなる。『指輪物語』と同じように、これもそういう作品です。
参照 2002/2/14



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