| 2006/1/1 |
| 『美亜へ贈る真珠』 梶尾真治 早川文庫 2003年 |
| 「時間」をモチーフにしたSFロマンスの短編集。何篇かは以前『百光年ハネムーン』で読んでいたが、読みたかったのは「時尼に関する覚え書き」。雨女さまに教えていただいてぜひ読みたかった作品。普通の人と正反対の時間の流れを生きている<遡時人(そときびと)>という不思議な存在。その<遡時人>との恋愛。ちょっと読んでいて混乱したけど、もういちど読んでやっと理解した。 こちらのはじめての出会いが向こうにとっては最後の出会いなわけで、そんな二人の人生が同じ時を過ごせるのはほんのわずかの年月。近づき、寄り添い、また離れていくそれぞれの時間軸。とても切なく美しい話だった。「エマノン」もそうだけど、こういう話を考えつくなんてすごい。 |
| 映画 | 2006/1/2 |
| 「リベリオン」 カート・ウィマー監督(DVD) 2002年 |
| 新年最初の映画は年末に購入した「リベリオン」。時間がたつにつれますます好きになってきた作品。やっぱりおもしろかった。前に見たときよりストーリーを追わなくていい分、主人公の表情をとくと眺められた。思っていたより最初のほうから表情の変化が見られる。そして彼が感情を芽生えさせていく過程が、実に上手く表現されていることにあらためて感心した。特に夢から目覚めて太陽の昇る景色を見るところから、通勤途中に手袋をはずして素手で階段の手すりをさわるところ、職場で机の上の小物の位置を直すところまでの一連のシーンが印象的。表情と手の動きで彼の変化がわかる。そしてその彼の手は、彼とメアリーとの唯一のふれあいにも使われている。キスも抱擁もない指先がふれるだけのラブシーン。ぎこちないまるで少年のような彼の恋心。 そう、感情が芽生えたばかりの彼はまだほんの子どもなのだ。だから行動も子どもっぽい。おいおいそれじゃすぐばれるじゃないか、と本当にはらはらさせられ、まるで彼の母親のような気持ちになってきた。ほとんどギャグのようなわかりやすい行動もほほえましい。最初から最後までクリスチャン・ベールの演技に見ほれた映画だった。 |
| 2006/1/7 |
| 『サソリの神1 オラクル』 キャサリン・フィッシャー(井辻朱美訳) 原書房 2005年 |
| おもしろい。時代設定も人物設定も。ただもっと暗い重い話になると思っていたのに、案外軽い。いや内容は静かで深いはずなのだが、文体のせいか軽妙に感じられる。登場人物が通り一遍でなく背景まで深く描かれているのがよかった。 |
| 映画 | 2006/1/9 |
| 「ニュー・シネマ・パラダイス」デジタル・リマスター版 ジュゼッペ・トルナトーレ監督(映画館) 2006年 |
| 年末にはづきと行く予定だったのが、ようやく実現。ああ、やっぱりなんていい映画!!映画館で観られて幸せ。でもちょっと寝てしまったとこがあって見逃した名場面があり、自分のうかつさに頭をどつきたい思い。それと完全版を観ているのでわかったのが、流れが不自然に切られていると感じたシーンもあった。観客の年齢層はやはり普通よりちょっと上。わたしたちの次の上映回の行列が映画館の入り口まで達していたことに、この映画の人気をあらためて思い知らされた。 そして嬉しかったのは公開当時のパンフレットが復刻されていたこと。表紙はトトの顔の鉛筆画(ヨシさまにペーター佐藤さんのイラストだと教えていただいた)。パラダイス座で上映された名作映画のリストや、採録シナリオまでついていて感激。これで映画は1300円、パンフレット600円。パンフレットは公開時と値段据え置きとのこと。なんて良心的。 ラストが気になったので我が家のDVDで確認してみた。こちらではジャック・ぺランの表情がはっきりと見えた。劇場ではあの場面が真っ暗で、わずかに目が光ったので「涙」だと分かる程度。ちょっとこれは問題だと思う。 じつは今回自分の中で完全版にたいする評価が大きく変わった。今までは完全版は必要ないとまで思っていたのだけれど、今回は脳内で完全版を補完しながら観ていて、今までとちょっと違った新しい感動があったので、完全版もやはり一度は観ておいたほうがいいと思うようになった。 それは帰郷後の母親の言葉。完全版のエピソードがあるおかげでこの言葉がより生きてくる。 「お前に電話するといつも違う女性がでる。でもお前を心から愛している声を聞いたことがない。お前が誰かを愛して落ち着いてくれれば嬉しい。お前の生活はあっちよ、ここにあるのは幻」 母親の望み―サルヴァトーレが過去をふっきって人生を前向きに進み、本当に愛する人をみつけてほしい―子どもを愛する母親のこころからの願いが生かされるために、あのエピソードは必要だったのだろうなあと感じた。 それは完全版のエレナ、トトと再会した彼女に通じる。最初に完全版を観た時ははっきり言って嫌悪感しかなかった。でも女性なら自分の思い出は美しいままであってほしいはず。なのにその相手にあえて今の姿をさらしたのは、そうまでして伝えたかったものがあったのではないか。過去にとらわれて前に進めないでいる彼に「これが現実よ」と伝えたかった。それこそ体をはって母親と同じように「あなたの生活はあっち。ここにあるのは幻」ということを。 そしてアルフレードの言葉も生きてくる。 「人生は映画とは違う。もっと困難なものだ」「自分のすることを愛せ。子どものとき、映写室を愛したように」 ラスト、あのフィルムを観ながらサルヴァトーレの耳にはあの言葉が聞こえていたのだと思う。フィルムを見る前のちょっと硬い表情が驚きと感動に変わっていく、あの表情がより深い意味を持ってくる。 それに比べると劇場版はあまりにもきれいごとすぎるかもしれない。人生はそれこそアルフレードの言うようにもっと醜いどろどろしたもののはず。 それでも観るならやはり劇場版を観たい。いくら必要だとわかっていてもあのエピソードは映像では見たくない。だから完全版で脳内補完しつつ観るのは劇場版、というのが今のところわたしたちにとって一番納得のいく鑑賞方法ということになる。 また完全版はサルヴァトーレの人生を中心にしており、劇場版は彼のエピソードを削った結果、彼個人というよりアルフレードをはじめあの映画館を囲む村の人すべて、ひいてはあの時代そのものを描いたものになっている。だから男性に完全版の支持者が多いのも、自分の人生を重ねてみるからで、女性はどちらかというと初恋は美しいままとっておいてほしいと思うから、劇場版のほうにより惹かれるのではないかと思う。 |
| 2006/1/12 |
| 『サソリの神2 アルコン』 キャサリン・フィッシャー(井辻朱美訳) 原書房 2005年 |
| 俄然おもしろく目が離せない展開になった。前巻で少し軽いと思われた文体が、冒険色が強くなったこの巻の雰囲気に合う。そしてありきたりな悪役だと思っていたアルジェリンとハーミアのふたりが、意外にも存在感を持ってきた。このふたりの関係がなんだか悲恋っぽくて、思わず肩入れしたくなる。悪役が魅力的だと物語がおもしろくなるものだなあ。 |
| 2006/1/13 |
| 『テラビシアにかける橋』 キャサリン・パターソン(岡本浜江訳) 偕成社 1980年 |
| 以前読んだときも感じたのだが、とても辛い展開で読むのがきつかった。でもひとりの少年の成長する姿が丁寧に描かれた、とても心に残る作品だった。 テラビシアとは、主人公たちが名づけた誰にも立ち入らせない自分たちだけの秘密の遊び場所のこと。子どものころこういう秘密基地に憧れたことを思い出す。 「男の子だから」「女の子だから」という枠で子どもを縛ってしまうことは、今も昔もあまりかわりない。ピアノ弾いたり絵を描いているより、サッカーなどスポーツやってるほうが、「男らしい男の子」と思われ、親も無意識にそういうことを期待する。しかもジェシーの暮らしている地域や家庭では、なおさらそういう個性は理解されにくいものだった。だからレスリーとの出会いで自分らしさを正直に出せる機会を得られて、ジェシーのために喜んでいたのに…。 それなのに、まさかこんな展開になるなんて予想もしていなかった。ジェシーの成長には必要だったのかもしれないけど何もここまで描かなくても、と思ってしまったほど。でもたとえ少年期であっても「死」というものは容赦なく存在するわけで、そこはどうしても避けて通れないものだったのだろう。またレスリーの死を知ったときから、ジェシーの両親がジェシーに気遣いをみせていたのが嬉しかった。周囲の子どもたち大人たちも一面的な描き方でなく、それぞれの背景も書き込んであるのがよかった。 |
| 2006/1/15 |
| 『ふくろ小路一番地』 イーヴ・ガーネット(石井桃子訳) 岩波少年文庫 1957年 |
| 楽しい話!なんてかわいこどもたち。下層階級の生活を描いた始めての児童文学ということだが、後に批判された偽善的匂いもわたしは感じなかった。そういわればそうかなと言う程度。それより作者の見る目の温かさのほうを感じた。今では描かれない(というより描いたら絵空事になってしまうだろう)作品だからこそ、今このときに読めてよかったと思う。 |
| 2006/1/17 |
| 『野ばと村の長ぐつぼうや』 スピリドン・ワンゲリ(松谷さやか訳 スズキ・コージ画) 福音館 1985年 |
| なんだかへんてこな話。シュールな絵がお話にぴったり。長ぐつぼうやの身長が小さいので一寸法師のようなものかと思ったらそうでもないらしい。 |
| 2006/1/23 |
| 『暁の円卓9 希望の歳月』 ラルフ・イーザウ(酒寄進一訳) 長崎書店 2005年 |
| ようやく終わった。ああ、やっぱりという展開。しかし最後の落ちはどうもよくわからん。なんだかSFっぽくなってしまった。あのうざったかったデーヴィッドの心の声の記述がほとんどなかったのはよかった。しかしメリハリのない作品になってしまったなあ。最初のおもしろさはどこへ行ってしまったのだろう。 |
| 2006/1/24 |
| 『サソリの神3 スカラベ』 キャサリン・フィッシャー(井辻朱美訳) 原書房 2005年 |
| ちょっと長すぎたかな。すごくおもしろいんだけど舞台があちこちに飛ぶので忙しい。アンジェリンがあんなにハーミアに執着しているとは。ちょっと狂気じみていて気の毒になってきた。ああ神は偉大だけど残酷。 |