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北村薫・大野隆司講演会「書くこと、描くこと」

                             2003年3月1日於さいたま市産業文化センター


舞台上でお二人が並んで座り、まず北村さんから話が始まりました。北村さんの口調は柔らかく、思ったより早口で高い声でした。口調をそのまま伝えることはできませんが、思い出す限り書いてみます。

北村
この1月から読売新聞土曜日夕刊の「子どもテーマパーク」で、毎週1回ミステリを紹介する「ミステリーの小部屋」の連載をはじめました。なぜこの仕事を受けたか。それは最近言われる「読書離れ」にあります。今大人もこどもも本を読まなくなってますが、読書とは慣れなんです。
自分のことをいうと自分は旧字もほぼ新字と変わらず読めます。別に自慢じゃなく、子どもの頃読んでいた親の本棚にあった本が旧字だったせいで、これも慣れなんです。でも自分より下の年代になるともう苦手らしい。例を挙げると、自分が編集の手伝いをした創元推理文庫の『日本探偵小説全集』の第1巻に黒岩涙香の『無惨』をぜひ入れたいと思ったんですが、迷った末に旧字じゃ読みにくいだろうと新字で入れました。だけどずっと心にひっかかっていたんです。せっかく掲載するなら原文のままのせるべきではなかったかと。でも、知り合いで一つ年下のすごく本を読む人が「あの本新字体ですか?ならよかった。旧字体苦手なんですよ」と言ったので、あっこんなに本を読む人でも旧字だと普通には読めないんだ、やっぱり新字にしてよかったんだと思いました。それほど慣れというものは大切です。
とはいっても今は本だけではなく、いっぱい興味ひくものがあります。たとえば映画。実は『たそがれ清兵衛』という映画を見たんですが、春日部ロビンソンで(おお、出た!)観た後、下の階の食品売り場で豆腐などを見てたんですが、映画でお母さんが死ぬんですね。それで子どもたちに「おかあさんがいなくて淋しくない?」と聞く場面があって、子どもたちが答えるんですよ。「お父さんがいるから淋しくない!」「淋しくない!」(ここで子どもの身振りと声色が入ります)と、もうここを思い出してダアーっと涙が(手で顔をおおいます)ヘンなおじさんですよね。(会場笑い)そんなふうに映像には映像ならではのよさがあり、感銘を受けますよね。
映像化された文学作品など見た場合、誰もが最初「思っていた声と違う、イメージが違う」って思いますよね。それは無意識のうちに本を読みながら、頭の中で自分で声や姿を想像して読んでいるからなんです。そういう作業が、これまた楽しくてそれが読書の楽しみでもあるんですが、めんどうでもあるんでしょうね。ここに同じ内容で同じ感動を与える漫画と本があったとすると、みんな漫画の方へ行っちゃいますよね。それは漫画のほうが楽だからです。どうしても本のほうが内容を理解するのにひと手間多い、それだけ苦労するんです。でもそれもこれも慣れなので、子どもたちにまず本に慣れてもらうために、週に1回の本の紹介コーナーを引き受けたというわけです。
挿絵は版画家の大野さんにお願いしています。僕ばかりしゃべっちゃって申し訳ない。大野さんどうぞ。

このままだと北村さんばかりしゃべってしまうのではないかと、はらはらしだした頃大野さんの出番がやってきました。大野さんの話もとてもよかったです。

大野
北村さんの「ミステリーの小部屋」のさし絵をしてます。普通の仕事と違うのは、ふつうだとそのさし絵をつける文章だけを読めばいいんですが、この仕事はその中で紹介された本も読まなくちゃいけない。それを読んでその本の内容にそったさし絵にしています。そのためふつうより大変で、ひどいときはやっとさし絵を仕上げたと思ったら、もう次の原稿が北村さんからファックスで送られてきたりします。大変なものひきうけちゃったなあと思ってます。今年一杯はこの仕事を頑張らなくちゃいけません。
(ここで北村さんから「大野さんの原画をみなさんに見ていただきましょうよ。すごく綺麗なんだから。手元のコピーじゃカラーじゃないからわからない。会場に下りてみなさんに見せてあげてください。本当にすごくきれいなんです。印刷じゃこの色はとうてい出ません」と主催者側のスタッフに要請があり、あわててスタッフが3人大野さんの版画の現物(さし絵そのものではない)を会場に見せて歩きました。本当に原画はすごく色が綺麗。コピーや印刷ではわからない美しさを目の当たりにしました。)
僕の版画がこういう猫のものになったのは実は妻の入院からです。妻が入院したとき見舞いに行くのに版画を持っていったんです。見舞いですからそれまで作ってたちょっと怖いような版画(大野さんは谷中安則という版画家の影響を受け、最初はそういう作風だったそうです)じゃなくて、ほのぼのするような猫の絵にして、そこに少し駄洒落で何か元気づける言葉を添えたものを作ったんです。それで版画ですから、ついでに同室の皆さんの分も刷って行って配ったんです。それが妻もみなさんも喜んでくれて、見舞いに行くのにいつも作るようになり、この猫のキャラクターを使うようになりました。最初は妻を喜ばせるためでした。妻ひとりのために作ったものが、他の人も元気づけることになったわけです。だから僕はいつもただ一人のために作品を作ります。絵をやりたいという人にいつも言うことは、とにかくだれか一人のひとのために描きなさいということです。その人を思いその人のために全力で描くということが、上手い下手じゃなく技術のあるなしでもなく、そんな問題を越えて大切なことだと思うのです。北村さんはどうですか。

北村
うーん、そうですね。以前教師をしていたとき同僚の若い教師が生徒から「先生はどうして教師になったんですか」と聞かれて、じっと目を見て「君に会うためだよ」(気取った声色で)と答えたと言うんですが、いやそれは確かにそうで、我々は生徒一人一人のための教師であるわけなんですが


ここまでは講演会直後まだ記憶の新しい時に一気に書いたのですが、その後少し記憶があいまいなところがあって、話をどうつなげようかと考え込んでいるうちに時間が経って、肝心の記憶が段々薄れていってしまいました。焦ってじたばたしているうちに今度は体調不良のためサイトを休止しなければならなくなり、とても完成するのは無理な状態になってしまいました。
サイト再開にあたり、とりあえず憶えていることを簡単にまとめてみました。こんな中途半端なレポートになってしまいましたが、それでも少しでも雰囲気が伝わってくれればと思います。

北村さんは「とにかく本が売れない」と嘆いていました。
推理作家の集まりで大沢在昌さんが「オレ『新宿鮫』がデビュー作だと思われてる」と言えば、あの宮部みゆきさんまでもが「あたしだって『火車』がデビューだと思われてる」と言い、「ええー?!」と驚かされたということ。東野圭吾さん(と思う)が「作家を志す人に伝えるべきことは、小説の書き方なんてもんよりも、作家がいかに食えない職業であるかということなんじゃないか」としみじみ言ったとか。また宮部さんのアンソロジー(たぶん『贈る物語Terror』のこと)これなんか宮部さんを知る上で一番いい本じゃないかと思うのに、出版社も張り切ってけっこう部数を刷ったのに、これが売れないんですよ…とためいきをついてました。

それから愛猫ゆずの話。もう可愛くって可愛くって仕方がない様子が伺え、聞いていて微笑ましかったです。なにしろあの北村さんが姿が見えなくなったゆずを探して、ゆずの食器をたたきながら(食いしん坊なのでこの音で釣るのだそうです)「ゆず、ゆず〜」と呼びながら近所中をたずね歩いたというのですから。

北村さんの話は聞いているうちにどんどん本題からそれていくように思え、楽しい話なので笑いながらも「この話いったいどこに行くんだろう?」とちょっと心配になったりしました。大竹しのぶさんや岩井小百合さんという芸能人の話も出て「へー北村さんってけっこうミーハーなのかな」と思っていましたが、結局は本題の本の話に戻っていきました。一見関係ない話でも最後はちゃんと本題に戻る。その脱線の部分もいろいろバラエティに富み、笑いありしんみりした話ありで、とてもおもしろかったです。

特に岩井小百合さんの話は印象的で、それまでなごやかな笑いに充ちていた会場がしーんと静まり返りました。北村さんが何年か前の新聞の切抜きを読み始めたのです。アイドルとして絶頂期にあった彼女が次第に人気も下降して、辛い出来事に見舞われ…ということをかなり早口なのに決してつっかえたりせずたんたんと読んでいきます。何のためにこの話題を取り上げているのだろうと不思議に思いながら、彼女のドラマチックな運命にいつしか同情を寄せつつ耳を傾けていました。ちょっと短編小説の朗読を聞いているような気分でした。そして読み終わった後に北村さんから「そういう辛いときに彼女がある本を(題名を忘れました)読んでいた」ということが語られ、ああつまりこのことが話したかったんだとようやく理解できました。

時間がせまってきても話し足りないのか「あっ、あとこれだけ、これだけは話したい」と、とにかくよくしゃべるしゃべる。作品の印象から最初は折り目正しい物静かな紳士だと思ってましたが、いろいろな情報からけっこうゆかいな雰囲気をもった方だとは想像していました。そしてたしかそのとおりでした。でもけっしてイメージが崩れたというわけではなく、やっぱり優しそうな暖かい雰囲気の素敵な方でした。好きな話になると止まらない、何とか自分の思いを伝えたいという熱い思いにあふれていて、なんとなく授業を受けている気分でした。実際講演会の後サインをもらうために並んでいたら、後ろのほうで「高校の授業そのまんまだったなあ」と、教え子だったらしい若い男性が話し合っていました。あんな授業を受けていたら、学校もさぞ楽しかっただろうと羨ましくなりました。

サインのために『街の灯』を持参していたのですが、会場の入り口で『水に眠る』と『月の砂漠をさばさばと』が販売されていました。『水に眠る』は文庫本で『月の砂漠をさばさばと』は文庫と単行本で既に持っているのですが、講演で「本が売れない」と嘆いておられたので、ここはひとつ奮発しようといそいで2冊とも買いました。でもサインは1冊しかダメかなあと思っていたら、順番を待っている間に係の人が「先生のご好意で、たぶん大丈夫ですよ」と言ってくれました。いよいよ憧れの北村さんが目の前に!どきどきしながら思い切って「3冊サインしていただけますか?」と頼んでみたら、「いいですよ。お名前を入れるのは1冊だけになりますが」と優しい答えです。あまり考えないで一番上に持っていた『街の灯』からサインしていただきましたが、せっかく「〜さんへ」と自分の名前をいれてもらうなら、装丁の気に入ってる『月の砂漠をさばさばと』にすればよかったと、あとで思いました。
サインしながら北村さんはひとつひとつ手に取って「この本もねえ、とっても絵が素敵なんですよねえ。色がきれいでねえ」と愛しそうにながめていました。本に対する北村さんの愛情が感じられ、とても嬉しくなりました。中には携帯のカメラで北村さんの写真を撮っている人もいて、カメラ持ってこなかったことを残念に思いました。

北村さんと並んで大野さんもサインしていて、北村さんのあと大野さんの列にも並びました。先にサインを終えた北村さんが若い人たちと親しそうにしゃべっています。写真をとりあったり、このあとの予定のことを話し合ったりしています。ひょっとしたらファンサイトの人なのでしょうか。どういう関係かはわかりませんが、北村さんと面識があり親しく話ができる人たちの存在は、まぶしいものでした。羨ましいやら妬ましいやら。いいなあ、わたしはあの中に入れないのね。ちょっぴり淋しい思いで眺めていたら、話の流れでそうなったのでしょうが突然北村さんがテツ&トモの「なんでだろう〜♪」の手の動きをしました。
北村さんの「なんでだろう〜♪」!意外なものを見てしまいました。周りの人が「こうでしょ」とやると「いやいや、こうだよ」と北村さんがまたやってみせて(会話部分は想像です)おもしろい光景でした。

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