ブルーズ・イズ・オールライト
〜電子音楽時代のボトム・ミュージック
(『ユリイカ臨時増刊 総特集ワ−ルド・ミュ−ジック』1990年4月号 青土社 52-56頁)
1.4枚のスナップショット
「アニィ・メイズ・カフェ」というスロウ・ブルーズがある。リトル・ミルトン・キャンベルというブルーズ・シンガー/ギタリストが,4年まえに吹き込んだ黒人街の飲み屋兼食堂の讃歌だ(Disc 1)。「深夜までやってて,たいてい女性の名前がついてる。食べ物は,なぜかよそよりうまい。女将は世間のことをよく知ってて,ゆすり・たかりなどは受けつけない。カウンターの下には38口径が置いてある。そして,ジューク・ボックスにはブルーズがかかっている」 ミルトンは,どの街にもそんな店が一軒はあって,どうしても夜ふけになるとそこに足が向いてしまうと歌ったあと,「俺のホームタウンじゃ,それは,フローイング・ファウンテンという店さ」という語りをつけ加える。
いっぽうでは,ニューヨークのクィーンズやブロンクスで七〇年代にディスコのMC(司会役)が始めたラップという語り芸が,全米のブラック・コミュニティを席巻している。それは,対抗するティーンのギャング(仲間集団)間のけんかに代わる「勝負」の方法として発達したという伝説もあるが,そのライム(韻を踏んだ歌詞)に見られる性的自己顕示くらべや社会派のコメントの基調となるストリート流のスーパー・リアリズムは,戦前以来脈々と受けつがれてきたブルーズの歌の世界とたしかに重なりあっている。
白人もブルーズを欲しがる。ジャズからロカビリー,ストーンズやクラプトンからブルース・スプリングスティーンにいたるまで,英米白人のポピュラー音楽がブルーズを含む黒人音楽と血肉を分けた(分けてもらった)兄弟なのはご存じのとおりだ。また,それにあきたらず,いまではアメリカの少なからぬ数の白人が,黒人が演奏する「本物の」ブルーズを楽しむようになった。主に白人(のとくに学生や若者)向けのブルーズの興業経路ができ,シカゴやサンフランシスコ,ミシシッピなど各地で毎年大きな野外ブルーズ・フェスティヴァルが開かれ,テネシー州メンフィスのビール・ストリートが「ブルーズの誕生の地」として観光の呼び物になったりしている。ロッカーではなくブルーズマンとしてレコードを出す白人のミュージシャンもいる(Disc 2)。ついには,白人聴衆に支えられて育ったビートルズ世代のブルーズマン,ロバート・クレイが,逆に黒人市場に輸出(プロモート)されるというややこしい現象さえ起きている(Disc 3)。
そして,アフリカ。フォーク・ブルーズの伝統を体現する最後の巨人といわれるジョン・リー・フッカー(Disc 4)は,アメリカではおもに白人聴衆を相手に活動することを余儀なくされているが,彼は,一度も行ったことがない西アフリカのマリで,広く聴かれているという。ニューオルリンズのジャズ・フェスに出るため訪米した,イスラム教系のコラ・ミュージックのシンガー/ギター・プレイヤー,アリ・ファルカ・トゥーレ(Disc 5)は,「フッカーの演奏から英語を取りのぞけば,自分がやっているのとまったくよく似た音楽になる」と語る(Living Blues,No.88)。黒人音楽研究家のポール・オリヴァーは,『ブルースーアフリカ』(晶文社 1981年)でアフリカ内陸部のサヴァンナ地域がブルーズの故郷だと説いたが,この説が民族音楽学者からお墨付きをもらうまえに,ルーツとその地下茎の先に咲いた青い花とはすでに出会い,相互交流の扉が開かれてしまっているのだ。
以上の4枚のスナップ・ショットをつないだものが,ぼくにとっての,1990年の時点での「ブルーズのいま」だ。
2.コミュニティ向けブルーズのしぶとさ
とりあえずここでは,アメリカ黒人によるアメリカ黒人のための狭い意味でのブルーズ,つまり,ミルトンの「アニィ・メイズ・カフェ」の世界に話をしぼろう。様式の革新や回転のテンポが早いポピュラー音楽の領域で,ブルーズがいまだに生きていることは,奇跡のように思える。
音楽様式としてのブルーズが,黒人大衆音楽のメインストリームの一翼を担ったのは,1920年代(ちなみに1920年のメイミィ・スミスの「クレイジー・ブルーズ」が黒い大衆音楽の最初の「ヒット曲」といわれる)から1950年代初頭か,せいぜい60年代半ばまでのことだ。ブルーズの時代のあとに来たソウル・ミュージックの時代も,多くのクラシックと何冊かの鎮魂の書を残して過ぎ去り,70年代を飾ったファンクとディスコの狂熱も昔語りになった。いま,元気な黒人のティーンたちは,強靭なリズムを生む筋肉を電気仕掛けの鎧に包んだサイボーグの音楽,ラップやハウスやニュー・ジャック・スウィングで跳び跳ねている。黒人向けラジオ局のDJの多くにとって,ブルーズは単なる時代錯誤にすぎない。
なのに,何十年もずっと「滅びゆくもの」というレッテルを貼られつづけながら,ひたすらにしぶとく,ブルーズは死なない。マラコやイチバンなどの南部のレーベルを中心に,黒人向けのブルーズ・アルバムのリリースは,80年代に入ってかえって活発になってさえいる。たしかに,B・B・キング,ボビィ・ブランド,ジュニア・パーカー,リトル・ミルトン,ジョニィ・テイラーといった,ソウル・ミュージックを消化したモダン・ブルーズの花形たちが1950年代から60年代にかけて華々しく登場したあとに,彼らと肩を並べるほどの大物はほとんど出なかった。しかし,こうしたトップ・スターの活動(彼らは録音スタジオでは最新の音を意識しても,ライヴでは定番のセイム・オールド・ブルーズを目玉にしたステージをみせる)を頂点として,ファンク・リズムやシンセサイザーとも付き合い,南部のソウル・ミュージックを引き寄せて,ブルーズはゆるやかに「進化」し,40歳代,50歳代の「新人」や「返り咲き」アーティストのアルバムを続々と吐き出している。
このブルーズの生命力を,どう説明するか。短歌や俳句と同じ,定型の強さということがいえるかもしれない。あるいは,それは,若者・都会派・ミドルクラス志向という主流の黒人音楽の三つのキイ・タームに包摂されない現実を生きる,年配世代・南部居住・ブルーカラーの黒人の「ナショナリズム」の表れかもしれない。もっと端的にいえば,ブルーズは,アニィ・メイの酒場やジョーのレッド・ホット・フライド・チキンの店,金曜の晩に羽がはえる給料,寒い懐,散文的な別れ話,日曜の朝にラジオから聞こえてくるゴスペルの歓喜の声…といった(紋切型のアイテムの羅列で申し訳ない),コミュニティ黒人の一部のライフスタイルとそれに対応する生理とに,手と手袋のようにうまくはまっているから生き永らえられるのだ。
3.ダウンホーム・ブルーズの復興
南部を中心とするブルーズのちょっとした「ルネッサンス」は,1980年代はじめのZ・Z・(ズィーズィーと読む)ヒルの「ダウン・ホーム・ブルーズ」から始まった(Disc 6)。ヒルは,1940年にテキサスで生まれたヴェテランのソウル・シンガーで,チトリン・サーキット(都市ゲットーの奥の間と南部をつなぐ黒人向け興業経路,ちなみに「チトリン」とは豚の臓物料理のこと)での長年のワン・ナイター暮らしとレコード歌手としての何度もの浮き沈みのあとに,この曲が入ったブルーズとレトロ・サザン・ソウルのアルバムで,やっとその名を確立することになる。
ヒルは,85年に交通事故で物故するまで,そのやや鼻にかかったテナー・シャウトの「男性的」でラフな耳触りをほとんどわざとらしく聞こえるところまで誇張して,「ブルーズマン」という悪漢兼ヒーローの文化的役割を精一杯演じた。ウォーキング・テンポの「ダウン・ホーム・ブルーズ」のメッセージは,一言でいえば,「ほら,ブルーズはくつろげるだろ」ということにつきる。「ダウン・ホーム」という形容詞は,「南部」「田舎」への「帰郷」のイメージを喚起する。1930年代後半〜40年代生まれのソウル世代=公民権運動世代の黒人の帰る場所は,結局はゴスペルとブルーズだったのだ。
ブルーズとゴスペルという<俗>と<聖>の世界は,もともと,二つ合わさってブラック・コミュニティの宇宙を形作る相補的な性格のものだった。さらに,音楽様式の上でも歌の意味のレベルでも,この両者は入り組んだ入れ子構造になっている。ゴスペルには聖なるブルーズといえる部分があるし,ブルーズマンにも説教師の世俗版といえる面がある。六〇年代に開花したサザン・ソウルはこの二つの世界(+カントリー&ウェスタン)のアマルガムだという意味で,アメリカ黒人文化史上画期的なものだった。サザン・ソウル運動がゴスペル陣営(グリーン,キャンディ・ステイトン,ソロモン・バーク,ローラ・リー,ドン・ブライアント…)とブルーズ陣営(ヒル,クラレンス・カーター,デニス・ラサール,ジョニィ・アダムズ,エタ・ジェイムズ,アン・ピーブルズ…)にふたたび分離したといえば,退行現象のように聞こえるかもしれない。しかしそれは,逆に,ゴスペルとブルーズのソウル化だともいえる。いずれにせよ,この結果,ブルーズはますますはっきり,B・B・キングやアルバート・キング,リトル・ミルトンのような歌手兼器楽ソロ奏者(伝統的にギタリストが多く,ピアノ,ハーモニカがそれに次ぐ)優位の時代から専業歌手優位の時代へ移行し,またソウルの音楽的イディオムと融合して,核心に12小節ブルーズを残しながらも,サザン・ソウルの別称ととられてもおかしくないものになった。
4.主流のブラック・ミュージックから抜け落ちたもの
ブルーズが聴くものであると同時に踊るものであるということは,意外と知られていない。踊るといえば,十数年前の話になるけど,シカゴの黒人街のブルーズ酒場(たぶん肝っ玉母さんが経営することで知られるテレサズ・ラウンジだったと思う)で,ハウス・バンドがB・B・キングのスロウ・ナンバーを演奏しているときに,ギタリストのチョーキングたっぷりの派手なソロに合わせて,中年のカップルが一組優雅にチークをしているのを初めてみて,なるほど,この手もあるのかと感心した記憶がある。チークはさておき,4拍子の昔ながらのスロウ・ドラッグのような踊りは,ブルーズならではのものだ。マイケル・ジャクソンのステップ(あれにも伝統的な黒人のステップが下敷きにあるのだが)やブレイク・ダンス,ニュー・ジャック・スウィングの激しい動きは,若いうちはいいだろうけど,中年をすぎてやってもただ疲れるだけだろう。ゴスペルのツー・ステップっぽい踊りは忘我の境地へ向かう垂直運動だけど,ブルーズでは,そうしたトランス状態は求められない。踊りたい人は,リズム・ナンバーで,アルコールを身体の隅々に配給しながらゆっくり踊り,気ままに気持ちよくなればいい。
売れ筋の主流の黒人音楽から抜け落ちた,ブルーズならではの要素の一つは,ボーディ(猥褻)・ソングだ。その方面の権威として,たとえば,Z・Z・ヒルの没後,一時「ザ・ブルーズマン」のタイトルを受け継いだ観のあった盲目のソウル・シンガー,クラレンス・カーターを挙げることができる。スタンダード曲の「本気で愛して(ラヴ・ミー・ウィズ・ア・フィーリング)」(Disc 7)は,彼の手にかかると,「南北に開いた脚の真んなかでベストを尽くす俺」とか「こわくないよ,怪我はさせさせない,たった16インチしかないんだから」とかといった類の,上品とはお世辞にもいえないライムのオン・パレードになる。もっとも,こうした歌詞はじつはカーターの作ではなく,たとえば艶笑落語のように,レコード化されないまま昔から口承されてきたものなのだが。カーターが,スティーヴィ・ワンダーの向こうを張って(?),一人でシンセサイザーを駆使して全器楽パートを多重録音したブルーズ,「グランパ(じーちゃん)は凧を上げられない」(Disc 8)では,高齢カップルの性生活の話を引き合いにだして,「できるうちにしとかなくちゃ」という人生哲学が歌われる。こうした断固たる「悪趣味」の歌を歌った舌の根も乾かないうちに,ロマンティックな恋歌を歌いあげることができるのが,ポスト・ソウルの時代のブルーズマンたちなのだ。
ファッショナブルな主流の黒人音楽が取り上げないテーマには,労働や懐具合というやつもある。経済的な苦況を歌うブルーズは少なくなったが,なかにはノーラン・ストラックの「ウェルフェア・プロブレム」(Disc 9)のように,政府の経済政策を批判するものもある。いっぽう,Z・Z・ヒルがリヴァイヴァルさせた「ブルー・マンデイ」は,働くことにまつわるブルーズ(憂欝)を正統派ブルーズの手つきで表現してくれる(Disc 10)。「おまえは行っちまうし,月曜の朝ごとにやってくる二日酔は,ブラック・コーヒーを飲んでも直らない。おエラいボスが俺の名を呼ぶ声が聞こえる。憂欝な月曜の呼び声だ。このまま俺は立ち枯れてゆくんだろうな」 戦前に作られた同巧の古典,「ストーミィ・マンデイ・ブルーズ」がいまだに好んで歌われ(聴かれ)続けるのも,「月曜は嵐のようにひどいといわれるけど,火曜だっておんなしさ」という出だしの歌詞の力に負うところが少なくないだろう(Disc 11)。ラヴ・ソングの体裁を取ってはいるが,週給を貰うブルーカラーの人たちの厭戦ならぬ厭労気分が,この名曲の通奏低音になっている。
5.世にブルーズの種はつきまじ
そしてもちろん,80年代になっても,男女関係のもつれがもたらす強烈な憂欝が,ブルーズの題材の定番だ。妻へのパラノイア的嫉妬を売り物にするリトル・ジョニィ・テイラーの歌は極端な例だとしても(Disc 12),別離や孤独,虐待や搾取,浮気や三角関係など,各種の「人間模様」が呻き声とセットで,あるいは「だれか男が一階にいるけど,ひょっとしたらありゃあ,あんたの彼氏じゃないの」という間男ソングのようにコミカルに歌われつづける。いい古された話だが,憂欝をぶちまけることには,カタルシス効果がある。ゴスペルの場合,呻きを含むブルーな曲への共感を通じて日常生活のなかで抑圧されていた「苦」にまつわる感情をひきだし,それを昇華させて,そのあとで身軽になった心身をアップ・テンポの曲で跳ね跳ばせて天国へ向かう,という段取りがあるようだ。いっぽう,ブルーズの場合には,宗教的高揚のかわりに用いられる癒しへの順路は,たぶん,酒の酔いとゆるやかなリズムの快楽と踊りと(そしてうまくいけば)地上のロマンスだ(日本が誇るレゲエのDJ,ランキン・タクシー曰く「別れたら次の人!」)(Disc 13)。ブルーズは,宗教的な世界に「苦」の体験の意味を回収せずに,世俗世界の真んなかで応急の「救い」を提供する処方箋だともいえるだろう。
アメリカ黒人の生活水準は向上したという人もいるが,むしろ,階層分化が進み,一部の人が他の人たちを下層に残したままミドル化したというのが正確なところだろう。ブルーズやディープ・ソウル,ディープ・ファンク,ラップのようなタイプの音楽は,形は多少変わっても,こうしたブラック・ボトムがあるかぎり生き続ける。もっとも,当事者であるソウル/ブルーズ・シンガー,ジョニィ・テイラー(リトル・ジョニィとは別人)にいわせれば,ミドルクラスのブルーズだってありうるかもしれない。テイラーは,「いまだにブルーズと呼ばれている」という歌で,人間金ができたってトラブルはなくならない,精神分析医が大流行りじゃないか,と歌う(Disc 14)。実際,彼が所属しているマラコ・レコードは,最近では田舎風のブルーズをある程度スーツに似合うように磨き上げて売り上げをあげている。テイラーが歌うように,そしてシカゴ・ブルーズの影の立役者ウィリィ・ディクソンがかつて書いたように,人生に「苦」があるかぎり,それを昇華する技法として,一世紀近くの実績をもつブルーズへの需要はなくならないのかもしれない。
///Discography///
(1) "Annie Mae's Cafe"/ Little
Milton, ANNIE MAE'S CAFE(Malaco 7419/'86)
(2) 代表的なものに,たとえば,Stevie Ray
Vaughn, TEXAS FLOOD(Epic 日本盤 ESCA 5321/original='83)がある
(3) Robert Cray Band, STRONG PERSUADER(日本フォノグラム
PHCR-4113/'86)
(4) John Lee Hooker, THE GREAT JOHN LEE HOOKER(Pヴァイン
PCD-3035)'48-54録音
(5) Ali Farka Toure 『ウェスト・アフリカン・ブルースマン』(Pヴァイン
PCD-1806/original='87)
(6) "Down Home Blues"/ Z.Z.Hill,
DOWN HOME(Malaco 7406/'81)
(7) "Love Me with a Feeling"/ Clarence
Carter, LOVE ME WITH A FEELING(Big C AG-8214/'82)
(8) "Granpa Can't Fly His Kite"/
Clarence Carter, HOOKED ON LOVE(Ichiban
ICH-1016/'87)
(9) "Welfare Problem"/ Nolan Struck,
HARD WORKING MAN(Ichiban ICH-1045/'89)
(10) "Blue Monday"/ Z.Z.Hill, Z.Z.HILL(Malaco
7022/'81)
(11) "Stormy Monday Blues"/ Bobby
"Blue" Bland, TURN ON YOUR LOVE
LIGHT(MCA MCAD2-10957)'60-64録音
(12) "Everybody Knows About My Good
Thing"/ Little Johnny Taylor 『リトル・ジョ
ニー・テイラー』(Pヴァイン PCD-2522)60年代末〜70年代初頭録音
(13) 「別れたら次の人」/ ランキン・タクシー
『火事だぁ』(Vivid Sound WAZCD-002/'89)
(14) "Still Called the Blues"/
Johnnie Taylor, THIS IS YOUR NIGHT(Malaco
7421/'84)
* この小文のタイトルは,リトル・ミルトンの "The Blues Is Alright"/ PLAYING FOR KEEPS(Malaco 4802/'84)から拝借した。
** この文章を書いたあと,中河は2冊のブルーズのガイドブックに関わった。興味をお持ちになる初心者の方もあるかもしれないので,ついでにそのタイトルを紹介しておく。
●三井徹,小出斉共編『ブルーズの世界』冨山房 1995
●200CDブルース編纂委員会編『200CDブルース』立風書房 1997
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