<日曜随想>
『北陸中日新聞』'94〜'95(+『産経新聞』'96)
☆練習だと思って,ガンバって随筆してみたんすけどねえ。うーん,何か報われないっつうか,さびしい感じだったなー。メジャーでもマイナーでも,どんな媒体でもいいから,私に随筆依頼してくださいよ。歳時記風でも社会批評でも軽薄体でも,なんでもやりますよ。この”百年の孤独”をぶっとばすためならね。 ['97年4月,筆者]
[目次]
●笑いと差別
●チュプチセコルさんのこと
●レゲエは疲れる
●”主婦”の大学院生
●地震と原発の安全性
●ホイッスルブローイング
●家庭に入りたい男子学生
●マンガの読み方
●ファスト・フードができるまで
●昔のポップスなぜ売れる?
(『北陸中日新聞』1994年11月6日掲載)
私は,いわゆる「お笑い」が大好きである。落語,漫談,コントのたぐいから,パロディ小説,ギャグ・マンガ,コミック・ソング,しゃれやオチのあるジョークまで,笑えるものなら何にでもつきあう。どんな大立者でも権威者でも,腹を抱えて笑っているときには,権力や威信など形なしのくしゃくしゃ顔になる。そうした「笑いの平等化作用」のようなものも,私の性分に合っている。
しかし,そんな私に,手放しで笑ってばかりいられないぞ,と思わせるお笑いが,世間にはある。といっても,自称タレントが一部のテレビ番組でたれ流す,一山いくらの冗談やドタバタの話ではない。つまらないものは,「つまらない」と一言いって,それ以上見聞きしなければ,それですむ。
近年,私がひっかかっているのは,差別をより所にした笑いの問題である。笑いの本質は差別(優越感)なり,と断言する学者さえいるぐらい,この問題の根は深い。
笑芸の古典である落語を,例にとろう。「与太郎」という,有名な登場人物がいる。いわゆる「バカ」の道化役である。演目や落語家の演出によって描かれ方が多少違うが,与太郎がひとり愚行を演じ,観客はそれを見下しながら笑うという基本線はまず変わらない。そして,ある種の演目(たとえば『孝行糖』(注1))では,与太郎ははっきり「知恵 遅れ」の人物として描かれている。
落語だけではない。ご存じのとおり,他の笑芸でも,美醜や老若,社会的地位や各種の能力などを基準に「劣ったカテゴリーの人」を指定し,それを笑いの種にする,というのは,常套手段である。差別的なお笑いを追放しよう,などと,肩ひじはった主張をしたいのではない。ただ,「笑われる側の痛み」を気にしはじめると,そうしたタイプのギャグやジョークに,すなおに笑えなくなる。
与太郎は東京落語の道化役で,上方落語には出てこない。上方落語では,登場人物は,程度の差こそあれみんな「アホ」である(注2)。そして,「アホやなぁ」というのは, けなしことばであると同時に,共感を示すことばでもある。このほうが文化的な洗練度が高い,というのは,関西出身の私の手前味噌だろうか。
(注1)先代三遊亭金馬の名演で知られる。この噺は,親孝行だが,二十才になっても数の勘定もできず「あどけなく」見える与太郎の失敗談である。この噺の笑いのぜんぶがぜんぶ与太郎に対する「見下し」の笑いだというわけではないが,しかし,そうした笑いがあちこちに仕組まれているのも確かだ。
(注2)上方落語の桂枝雀は,笑いが対象の価値を落としめるということと深い関わりがあるのを承知したうえで,一方的な「見下し」の笑いより,お互いに「アホといいあう」設定から笑いを作り出そうとする。こうした設定は,「結局みんなアホ」いう認識の基盤になりうる。ただし,こうした設定にもまだ引っ掛かりを感じるのか,枝雀はさらに,「自分をアホだと認識して笑う」という,洗練された笑いのパタンを,より理想的なものとして提示する。
(『北陸中日新聞』1994年12月4日掲載)
先日,参議院議員の萱野茂さんが国会で,アイヌ語で質問をし,それがそのまま議事録に記載されることになった。
萱野さんは,アイヌの言語と文化を後世に残そうと,努めてこられた方だ。その萱野さんがアイヌ民族の代表として国会で発言したのは,画期的な出来事だった。なにしろ,明治からでも一世紀以上も,アイヌの人たちは,発言の機会も与えらず,和人に一方的にいろんなことを押しつけられ,文化と暮らしを壊されてきたのだから。
大多数の日本人は,アイヌと和人の間の不幸な歴史を知らない。アイヌの人たちのあいだに,いっぽうで世界の先住民族と交流を深めながら,和人に壊された自分たちのことばと文化を復興しようという新しい動きがあることも知らない。
かくいう私も,それほどアイヌのことに詳しいわけではない。たまたまチュプチセコルさんという同世代のアイヌと知りあいにならなければ,今よりもっと,何も知らないままだっただろう。
チュプチセコルさんとは,共通の趣味(音楽)がきっかけで知合った。彼は京都人だ。「京都にアイヌがいるの?」と,無知だった私は,まず驚いた。本州のアイヌ人口は,今では北海道と同じくらいなのだそうだ。
チュプチセコルさんには,もちろん和名もあるが,今では意識的にアイヌ名を名乗る(注1)。独学で,アイヌの歴史を研究し,毎月,関西のアイヌにまつわる旧跡を巡るハイ キングを主宰している。また最近では,「日本映画にアイヌがどう描かれているか」を知るための,ビデオ上映会の講師も務める。活動的でおしゃべりだが,もの柔らかで詩人の目をした人だ。
この秋,私の勤める大学へ,チュプチセコルさんを呼んだ。「人権と差別」という科目で,「映画に見るアイヌ像」の話をしてもらうためだ。講義は好評だった。その晩は,大学の職員会館に泊まってもらった。
翌朝,会館前でチュプチセコルさんに落ちあうと,彼は,しきりに思い出し笑いをする。会館職員の女性に,「どちらから,いらっしゃいましたか」と話しかけられた。「ぼくは,アイヌで,京都で生まれたんです」というと,「それにしても,日本語がお上手ですね」と誉められたというのだ。「よく,日本語が上手,といわれるんだよ!」と,彼は笑い転げる。私は,一緒に笑いながら,「これは可笑しい。可笑しいけど,ほんとは笑っている場合じゃないぞ」と思った。
(注1)「チュプチセコル」とは,アイヌ語のchupーchiseーkor=月が・家を・持った,つまり「月のまわりにできる輪」のことだそうだ。
(『北陸中日新聞』1995年1月8日掲載,表題は担当の記者による)
昨年の暮れに,富山市の公会堂で開催されたレゲエのコンサートに行った。お客の平均年齢は,二十代前半といったところ。私には久しぶりの,若い観客が集まるコンサートだった。楽しかったが,大いに疲れた。
レゲエとは,カリブ海のジャマイカで生まれたポピュラー音楽だ。今では,ジャマイカ系移民が多く住む,ロンドンやニューヨークなどでも盛んだ。その日の出演アーティストも,ジャマイカではなく,アメリカから来た人たちだった(注1)。
開演直後,前座の演奏が始まると同時に,お客が総立ちになった。そうそう,今の若い人はこうなんだと思い出したが,後の祭りだった。
私もロック世代の端くれだから,音楽を聞きながら踊るのがいけないとはいわない。しかし,ものには順序がある。演奏が佳境へと進むなかで,だんだんにお客が「のり」,立ち上がって踊りだすのが,自然だろう。踊りっぱなしじゃ疲れるし,第一,総立ち状態では,背が低い人は,前の人の背に阻まれて,ステージが見えない。そういう人も,同じ入場料を払って見に来ているのだということに,どうして思い至らないのだろう。
と,オジサンはブツブツいいながらも,巨大なディスコへ来たと諦めて,二時間半,踊り通した。今の若い人たちはたしかに,リズム感がいい。非日本的な,粘っこいレゲエのリズムに,よく体がついていく。アーティストが拍手や手拍子,身振り,応答などを求めたときも,反応が早い。
しかし,コミュニケーションのすれ違いもあった。レゲエは,ラスタファリズムというジャマイカの新宗教と,深く結びついている。この宗教は,アフリカから連れて来られた奴隷を先祖にもつ,ジャマイカ人の歴史と切り離せない。ラスタ信徒は,以前のエチオピア皇帝を神とあがめ,節制と黙想をして暮らし,アフリカへの帰還や人種差別の撤廃を待ち望む。
有名なボブ・マーリーをはじめ,多くのジャマイカの音楽家が,この宗教の思想を伝える歌を歌う。コンサートの後半に演奏した人気バンドも,そうだった。ジャー(神)による「平和な革命」を予言する歌のあと,そのバンドの歌手は観客に英語で,ラスタファリの一員として日本で伝道するようにと,呼びかけた。例によって「イエー!」と,お客は熱心,かつすばやく反応した。わかって応えているとは,とても思えない。「まあ,このへんが国際化の現段階ですか」と,皮肉居士のオジサンは独語した。
(注1)その日出演者したのは,ニューヨークのブルックリン出身のシャインヘッドとカリフォルニアから来たビッグ・マウンティン。私は前者がお目当てで,富山市公会堂へ出掛けていった。ただし,最後のすれ違いについてのエピソードは主に,ビッグ・マウンティンのステージでのこと。カリフォルニアのジェメイカンが率いるこの人種混合バンドは,ラスタファリズムと西海岸のカウンター・カルチュア気分をブレンドしたという意味で,興味深い存在だった。
(『北陸中日新聞』1995年2月5日掲載,表題は担当の記者による)
大学入試に先がけて,うちの学部の大学院の入試が,先週末に行なわれた。不況下の就職難を反映してか,私が所属する専攻の受験者数は,例年になく多かった。
最近,うちの大学にかぎらず,地方国立大学の大学院の志願者は,多様化してきているようだ。留学生,社会人,そしていわゆる「主婦」の院生も増えている。これはもちろん文部省の意向に沿った変化なのだが,こうして大学の門戸を開いていくこと自体は,悪いことではないだろう。
ただ,問題は,大学院を出ることが,その人のキャリアをワン・ステップ先へ進めるのに役立つかどうかだ。
留学生(アジアやロシアの出身者が多い)の場合,お国ごとの事情の差もあるだろうが,大学院を出たことが,帰国後の就職にプラスになることが多いようだ。社会人も,その職場で,研究経験や学位を生かすことができるだろう。しかし,「主婦」の場合は,必ずしもそうはいかない。
新たに就職しようとしても,企業は歓迎しない。性差別が比較的少なく,学位がストレートに仕事につながる職種は,大学などの研究教育職だ。しかし残念ながら,地方国立大は,研究者の養成に有利な立場にはない。他の有名大学の院へ進学・転学しないかぎり,地方国立大の大学院修了者が常勤の研究教育職につくのは,かなり難しい。
あまつさえ,教員の中にいまだに,「主婦」の大学院での勉強は,カルチャー・センターと同じような,キャリアと無関係の「勉強のための勉強」でいいと考える人がいる。先日も,とある公の席で,学識も識見も豊かなはずのある教授が,「生涯学習という観点にたつなら,研究者養成を目的とせず,家庭にいる女性などを対象にするという大学院教育もあっていい」という趣旨の発言を堂々とされた。
私は,「主婦」の大学院生を何人も知っている。みんな,夫の転勤や家事・子育てのために,いったん自分のキャリアを断念した人たちだ。若い学生に比べて研究関心も旺盛だが,それだけでなく,なんとか大学院をステップに,やりがいのある仕事につきたいと考えている。大学院に「高級なカルチャー・センター」など求めてはいない。
そういう人の役に立つには,どうすればいいのか。アドバイスをする側としては,頭の痛いところだ。いっぽうで,彼女たちが与えてくれる知的刺激は,今の大学にとってかけがえのないものだとも思うのだが…。
(『北陸中日新聞』1995年3月5日掲載)
阪神大震災以来,日本中で,自分の住む地域の防災体制は大丈夫かどうかが話題になっている。
同僚の地球物理学者によれば,北陸地域にも大きな地震がいつ訪れても不思議はないとのことだ。とすれば,行政にも私たち住民にも,十分の心構えが必要だろう。
ところで,地震と聞いて,まず心配になることの一つが,原子力発電所の存在である。北陸にはかなりの数の原発がある。直下型の大型地震が,原発事故というさらなる凶事の引き金にならないだろうか。震災下では,普通時には何でもない火事さえ,消火できなかった。ましてや,相手は原子の火だ。それが地震をきっかけに異常な挙動を示しはじめた場合,チェルノブイリのような惨事を,はたして防げるだろうか。
こんなことを考えて不安を覚えていたら,偶然,能登の志賀原発の建設に携わった技術者の方と話す機会があった(注1)。その方は,志賀原発の耐震性に強い自信をお持ちだ った。その自信の主な根拠は,地質調査をして地盤の安定性(とりわけその下に活断層がないこと)を確認したことと,原発の建物は,建設時の基準だった震度六・五を上回る揺れに耐えられる設計になっていることの二点らしかった。
こうした説明は一応,心強いもののように聞こえた。しかし,後で考えてみると,いろいろ疑問が出てくる。
専門家によれば,その場所の真下に活断層が見当たらないとしても,それだけで大型地震の危険がないとはいえないようだ。とすれば,原発の耐震性はやはり大問題だ。
阪神大震災では,従来の耐震基準を満たした,安全なはずの建物や高速道路がたくさん壊れて,「予想外」という形容が連発された。震度七級の地震を想定した場合,不安は拭えない。
原発の格納容器や建物の耐震性が十分だとしても,それだけでは安心できない。原発が,数多くの配管や配線をめぐらした複雑なシステムだからだ。その全体の模型を作って,耐震実験をしたという話は聞かない。神戸では,地下に埋設された水道や電線が地震で寸断された。原発の数多くの配管や配線が,無傷でいられるかどうか,きわめて疑問だ。
大飯原発で最近,非常用電源の入れ忘れという,信じられないミスがあった。天災にこの種の人為ミスが加われば,大惨事になりかねない。
電力会社が秘密主義を改め,たとえば上のような疑問について,安全性の証拠となるデータを示してくれたらと願う。
(注1)この方とは,私が住んでいる地域で自治体が行なおうとしている急斜面対策の防護壁工事の問題で知り合った。彼は,能登原発の建設に反対する住民運動に「いやがらせをされた」として反感を持っているらしいが,しかし,彼が今防護壁の安全性に疑念を呈してやっていることは,説明会の開催を要求する,行政や建設会社をつきあげる,この問題について考える会を作るといった具合に,まったくの住民運動なのである。自分の家の横の防護壁工事には反対しても,原発建設には疑問を持たないというのは,私にとっては不思議なことだ。彼が建築のプロとして原発の建物の安全性に自信を持っているのだとしても,科学に明るい人間なら,本文中で触れたような諸点や,放射性廃棄物の処分の目処がたっていないという事実の深刻さは,よく分かるはずだから。アメリカには,NIMBY(ノット・イン・マイ・バックヤード)ということばがある。「自分の裏庭に迷惑施設が来るのはイヤだ」という人たちをさすことばだ。この電力会社のエリート建築士は,単に自己中心的な大ニンビーなのだろうか。と揶揄しながらも,彼の地域での活動には,「もっとうまくアピールをしなければ,運動は大きくならないよ」などといいながら,思わず尻押しをしてしまう筆者なのだった。
(『北陸中日新聞』1995年4月2日掲載,表題は担当の記者による)
「ホイッスルブローイング」という英語がある。直訳すれば,警笛を鳴らす,というところか。公共機関や企業組織の中で,個人的に,あるいは組織ぐるみで悪事が行なわれているときに,良心的な組織のメンバーが,そのことをしかるべき機関に訴えることを,こう呼ぶ。
日本語でそれに当たることばは「内部告発」だ。しかし,この英語と日本語は,かなりニュアンスが違う。内部告発という語は,どこかで裏切者の暗いイメージと重なる。いっぽう,ホイッスルブローイングは,とくにアメリカでは,国や州の法律で保護される積極的な善行なのだ。
たとえば,有害物質を不法に投棄しようとしている企業があったとしよう。社員がそのことを訴え出ることは,その物質による被害者が出るのを防ぎ,それ以上の環境汚染を防ぐという意味で,世のため人のためになることだ。また,その告発は,結局会社のためにもなるかもしれない。投棄が進んで環境が汚染され,被害が住民に及ぶとする。そのあとに不法投棄が明るみに出たら,多額の賠償請求や世間の非難によって,会社は早い目に指摘された場合よりも,ずっと大きなダメージを受けるだろう。
アメリカでは,ホイッスルブローイングをする人を守るために,「不正の訴えを理由に,被雇用者に不利益処分をしてはならない」という法律をはじめ,種々の保護措置が設けられている(注1)。といっても,アメリカ人がみんな,身内の悪事を見逃さない熱血漢 だというわけではない。過去の調査では,職場で不法行為が行なわれているのを知って,見て見ぬふりをきめこまず,組織の内外の然るべき部局に届け出た人の割合は,三割から五割だという(注2)。この数字を読者は,高いと見るだろうか,低いと見るだろうか。
日本の組織は,企業はいうに及ばず,お役所さえもが自分たちの仕事の公共性についての認識が弱く,家族的な発想で,内輪の情報を外に出すのを嫌う。ましてや「内部告発」などもってのほかだ。
『お役所の掟』という本で官僚の世界の内情を描き,集団主義やナワバリ意識,前例主義といったマイナス面を指摘した厚生省の検疫課長(注3)が最近,「職務命令への不服 従」を理由に,クビになった。この課長がしたのは,不法行為の告発ではないが,広い意味でのホイッスルブローイングだといえる。日本の役所は,警笛を鳴らした人を保護するどころか,みせしめのために処分した。これははたして,公共の利益に適う措置だろうか。
(注1)矢野裕子「米国における『ホイッスルブローアー』の保護」『経済学』(東北大学研究年報)56巻4号 1995: 829-197 による。
(注2)T.D.Miethe and J.Rothschild,"Whistle Blowing and the Control of Organizational Misconduct,"Sociological Inquiry,64. 1994: 322-347.
(注3)宮本政於氏のこと。氏は,阪神大震災への対応のために待機しているように,という職務命令に背いて海外に講演に行ったという理由で,解雇された。当局はもちろん,この解雇は,氏の「内部告発」とは無関係だと説明しているが,『お役所の掟』(講談社 1993)によれば,同書のもとになる雑誌記事を書いたときからすでに,宮本氏に対して辞職するようにという圧力がかかっていた。
(『北陸中日新聞』1995年4月30日掲載)
桜がピンクから若緑に変わり,そろそろ大学の4年生の就職活動が活発化しはじめる時期になった。今年も円高不況のおかげで,大卒女子の採用の見通しは厳しいらしい。これは,私のいる文科系の学部にだけでなく,工学部や理学部にもあてはまることのようだ。
男女雇用機会均等法に罰則がないのをよいことに,これほど公然と性別による差別をしてしまうのだから,この国の企業の厚顔さは相当なものだ。もちろん,ひところは「女の時代」などとさんざん持ち上げておきながら,こうしたひどい事態については「客観報道」に徹するマスメディアも,共犯なのだが。
就職難のおかげで,女性の「結婚して家庭へ入りたい」という願望が強まるだろう,といううがった観測をする評論家もいる。思うような仕事につけないなら,経済力のある男性をつかまえて専業主婦したほうがマシだから,というわけだ。しかし,少なくとも私が知っている女子学生に,そんな安易な構えの者はいない。逆に,男子学生のなかには,そんなふうにもたれかかってくる「専業主婦」志向の女性がいたとしても,それを全面的に引き受けて大黒柱になるのを負担に感じる者もいる。
その極めつけに,こんなケースがある。私の授業に出ていた学生の一人が,猛勉強をして中国語の力をつけ,中国へ留学した。帰国し,卒業してから彼は,語学力を買われて地元のメディアに採用された。しかし,仕事が面白くないといって,数か月で辞めた。私が「君は本当は何がしたいの?」と訊ねたら,その学生は,「経済力のある女性と結婚して家庭に入って,『主夫』をやりながら自分の読みたい本を読んでいられたら,一番幸せですよね」と答えた。結局彼は,東京の大学の大学院に入った。
加賀のある大学へ非常勤に行ったときにも,レポートに「男は今の社会では差別されている」と書いた男子学生がいた。「女性は,就職と家庭のどちらかを選べるのに,男性には家庭に入るという選択肢がないから,不公平だ」というのだ(注1)。これは,たしか に正論だ。
もちろん,こんな学生はごく少数だが,しかし昔の男性はこんなことを口にするどころか,思い浮べもしなかっただろう。男女の在り方はゆっくりと,しかし確かに変わってきているようだ。仕事は男性にとって次第に魅力の薄い「義務」になり,一方で,仕事に夢を賭ける女性の数は増えている。私が企業の人事担当者なら,採用試験のときには,そうした点もおおいに考慮するのだが。
(注1)もちろん,女性が就職を男性と同じように「選ぶ」ことができるかどうかといえば,この国の就職差別の現状は先に書いたとおりだ。しかし,男性が家庭を選ぶことは,ある意味でもっと困難である。働かない,というのは男性にとって,女性の場合よりずっと大きなスティグマになるからだ。しかしもちろん,男性だからといってみんながみんな働くのに「向いて」いるわけではないから,こうした羨望のことばが出てきても不思議はない。
(『北陸中日新聞』1995年5月28日掲載/掲載時の題名不詳)
毎週数百万部売れるマンガ誌がある。コミック単行本の発行部数が,シリーズで一千万部をこえることもある。こう話すと,外国人は目を丸くする。しかし,日本のマンガが自慢できるのは,数だけではない。それは,その表現の中身の高度さと多彩さでも,世界に例をみないものなのだ。
もちろん,エンターテインメントがマンガの本流だ。しかし,いまのマンガ表現は,娯楽という狭い枠には,とてもおさまりきらない。
去年完結した宮崎駿の『風の谷のナウシカ』(アニメではなくマンガ版)は,エコロジーを思想としてつきつめようとする作品でもあったし,週刊誌に連載中の小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』は,時評の分野に踏み込んで,波乱を巻きおこした。杉浦日向子,岡崎京子,大友克洋,山本直樹,吉田秋生,しりあがり寿,畑中純…。こうした作家はそれぞれ,文学や映画といった他ジャンルに簡単に置き換えられない,マンガならではの優れた作品を書く。
要するに,マンガは現在,出版業界の米びつであるだけなく,表現ジャンルとしても重要な存在になっているのだ。それなのに,マンガを論じ,批評するということは,あまり盛んではない。たまに評論が書かれても,文芸批評の手法を借りたストーリーの分析がせいぜいで,マンガというじつはかなり複雑な表現形式の特質を踏まえた,正面きっての批評はほとんどなかった。
一冊の本が,そうした事態を変えそうだ。『マンガの読み方』(宝島社刊)という何げないタイトルの本(正確にはムック)なのだが,その内容は画期的だ。(注1)
この本には,マンガ表現の仕組みの詳細な分析を踏まえて,線やコマ,吹き出し,絵に添えられた各種記号の役割が,分かりやすく整理されている。これまで読者がなれ親しんできながら,しかし適切な呼び方がなかった表現技法に,「形喩」や「音喩」といった命名がされる。コマの構成や,コマとコマの時間的つながり,さらには原作とマンガの関係など,本書に収録された考察は重要なものばかりだ。
この本のおかげで,私たちは,線や絵のタッチ,コマ割りやコマの構成といった,マンガ表現のマンガならではの部分について,あまり苦労をせずに語ることができるようになるだろう。これは,大きな前進だ。
ちなみに,この本の編者の一人は,文豪漱石の孫である。このことに因縁めいた面白さを覚えるのは,私だけだろうか。
(注1)だだし,突然変異的にこうした本が出てきたわけではなく,表現論への流れは,マンガ批評の蓄積の中から出てきたものだ。そうした動きが最近顕著になってきたことは,竹内オサム「表現論・記号論へ移行する’94年のマンガ評論−−内容主義からの脱皮は時代の必然的な動きなのか」(『COMIC BOX』99号 1995年)などでも指摘されている。スペースの都合で紹介できなかったが,本来ならば,本書に先駆けた重要な表現論の業績として,夏目房之介『手塚治虫はどこにいる』(筑摩書房 1992年)と四方田犬彦『漫画原論』(筑摩書房 1994年)の二冊に触れずにすますわけにはいかない。
(『北陸中日新聞』1995年6月26日掲載/掲載時の題名不詳)
私が,よく使う講義のマクラに,「ファスト・フードができるまで」というのがある。
たとえばフライド・チキンのお店で,食肉用の鶏が育てられ,殺され,羽根をむしられて切り分けられ,そして調理されるという過程を,忠実に記録したビデオ映像を流すとする。それを見たあとで,平気でフライド・チキンを食べられるお客は,はたしてどのくらいいるだろう。こういうと,そうした事態をリアルに想像して,顔をしかめる学生が少なくない。
私の生家は,養鶏や酪農をやっている農家だった。朝,顔を洗いに洗面所に行くと,首を切った鶏が,血抜きのために逆さに吊るされていることがあった。子ども時代の私にとって,それは,晩ご飯はトリのすき焼きだという信号だった。
人間は,肉食をする動物だ。自給自足経済の時代には,人は,自分で食べる動物を自分の手で殺していた。しかし,社会が大きくなり,複雑化すると,動物を飼って殺す人と,それを食べる人とが分かれ,両者の間にしだいにへだたりができた。今の社会では多くの人が,それこそ「虫も殺さない」顔をして,他の人に殺してもらった動物の肉を食べている。
いっぽうでは動物愛護を訴え,動物を擬人化した童話やアニメを楽しみ,ペットを可愛がる。他方で,グルメ談義に花を咲かせ,但馬牛や薩摩の黒豚,名古屋の鶏の味のよさをほめる。
現代人がこうした矛盾した存在だということを,自覚しておいたほうがよくはないか。自分たちが殺していることを自覚して食べる,というのはじつは,生の倫理に関わる大切なことなのではないか。私が,ちょっと悪趣味な「ファストフードができるまで」の話をするのは,こうしたことをいいたいからだ。
他の生き物を殺さなければ生きられないという人間の在り方を,たぶん仏教では「業」と呼ぶ。地球上にはびこり,科学技術文明を謳歌する現代人は,もう少し自分たちの業の深さを自覚したほうがよい。それが,エコロジー的なものの見方の出発点になるはずだ。
ただし,この業という発想には,危険もある。日本の仏教には,動物を殺す仕事に携わる人たちをとくに業が深いとみなし,その人たちへの差別の後押しをしてきた歴史があるからだ。他人に嫌な仕事を押しつけ,自分はそのお陰にあずかりながら,そのくせ手がきれいな人間のふりをするのを,卑怯という。「卑怯な食生活」はしたくないよね,というのが,私の悪趣味な講義のマクラのメッセージなのである。
(『産経新聞』1996年3月15日掲載)
六〇年代,七〇年代のロックやポップスが,二十代を中心とした若者のあいだで人気を集めているという。たとえば最近,七〇年代に活躍した兄妹デュオ,カ−ペンタ−ズのベストCDの売り上げが百万枚を突破して話題になった。この大ヒットの背景には,テレビ番組の主題歌に使われるといういわゆる「メディア・ミックス」の効果もあったようだが,しかし,ビ−トルズやイ−グルズ,クイ−ン,スティングといった他の往年の人気グル−プの再発盤やベスト盤も,それぞれ際立った売り上げをみせている。
私は本業の社会学とは別に,長年趣味でアメリカ黒人音楽の評論家(というか紹介屋)をしてきたが,この比較的マイナ−な分野でもやはり,同じような現象がみられる。ダイアナ・ロスやジャクソン5(マイケル・ジャクソン)やマ−ヴィン・ゲイを擁し,六〇年代から七〇年代に一世を風靡したモ−タウン・サウンドだとか,七〇年代にディスコで人気を博した都会派ソウルが,新たにかなりの数の若い聴衆を獲得しているのだ。
自分の生まれる前に作られて流行った,そして,ひょっとしたら自分の親たちが夢中になった音楽にいま,若い人たちが引かれるのはなぜだろう。
もちろん,若い人たちにとっては,それが生まれる前に流行ったよく知らない音楽だからこそ,六〇年代/七〇年代のポップスには「発見」の喜びがある。そのうえ,それは昔の大スタ−たちの音楽だから,若い人たちも物心がつくまでに何度かオリジナルを耳にしたり,カヴァ−・ヴァ−ジョンやその影響を受けた曲を聞いたりしているはずで,だから親しみやすいのだ。また,そうしたロックやポップス(あるいは私の縄張りに引き寄せていえば都会派ソウル)の第一世代の音楽には,クラシックとしての独特の生命力があるのも確かだ。とはいうものの,昔のポップスの売れ行きが好調なのは結局いま,多数の人の耳を捉える強力なポップスのム−ヴメント(動き)が存在しないからにちがいない。
一九五〇年代にロックン・ロ−ルが登場して以来,ポピュラ−音楽は「若者の音楽」になった。十代や二十代の若い人たちが世代としてひとまとまりになって,新しく発明されたり発見されたりした音楽のスタイルを支持する。そして,そうした新しい音楽を聞くことを通じて,自分が若者世代の一員だということを確認する。こうした構図は,ビ−トルズ世代と呼ばれるベビ−ブ−マ−たち(団塊の世代)によって確立され,七〇年代前半ごろまではくっきりと成立していた。そしてポップスの内容も,そのころまでは斬新かつシンプルだった。ロックやフォ−ク,ソウルやファンクはつぎつぎ実験を繰り返し,新しい音楽のパタンを生み出した。そうした創造的な試みのうち,大衆性を獲得して歴史のなかで生き残ったものが,現在のポップスの土台になった。先に「クラシックとしての独特の生命力」と書いたのは,そういう意味だ。
しかし,七〇年代半ばごろには,そうした英米ポップスの枠のなかでの新しい試みの可能性はあらかた出尽くしてしまう。とくに行き詰まりやすいのはメロディだ。人の耳に快く響く音階の組合せは,無数にあるわけではない。ところが一方で,ポップス界ではつねに,新しい音楽の動きが求められる。「音楽はたえず進歩する」と信じられているし,レコ−ド会社やミュ−ジシャンはもちろん新商品を作らなくては商売にならない。そこで,ポップス界は,カリブやアフリカ,アジアなどの「外の世界」の音楽に目を向けたり,生楽器の音を電子音に置き換えたりして,新しい音のファッションを生み出してきた。
そうした動きの最近のいちばん大きな波がラップだった。ダンス(リズム)を強調し,歌(メロディ)を否定し,電子機器で過去の名曲の演奏をコラ−ジュ(切り張り)して音作りをする。これはかなり大幅にポップスの概念を塗り替えるム−ヴメントだった。その衝撃がようやく薄れはじめたいま,それに替わる影響力をそなえた新しい動きはない。
というわけで,いまの若い人たちは,「世代としての自分たち」の音楽を持つことができない。たくさんある音楽のスタイルのなかから自分の好きなものを選び,それを共有する人たちの蛸壷的な「ファッションの共同体」に参加するというのが,典型的な今風のポップスの聴取行動だという。そして,そうした多くの蛸壷の原点の役目を果たすのが,いま売れている六〇年代/七〇年代のロックやポップスなのである。つまり,ロック世代の音楽はいまや,独自のスタンダ−ド曲を持つまでに成熟したのだ。だからといって,オジサンたちよ,単純に喜ばないでね。それはそうした音楽がとっくの昔に,あなたたちが思っていたような反抗の音楽ではなくなっているということを意味してもいるのだから。
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