テリン・イット・ライク・イット・イズ─黒人大衆音楽の歌の世界についての一試論
(『黒人研究』59号 黒人研究の会 1989年 19-24頁)
1.歌としてのソウル・ミュ−ジック
アメリカの大衆音楽業界誌,たとえば『ビルボ−ド』誌を見ると,アメリカ社会の文化的多元性がよく分かる。そこには,ポピュラ−,ブラック,C&W,ジャズ,インスピレ−ショナル,スピリチュアルと,区画化された市場ごとに,売り上げ順位チャ−トが別個に掲載されている。音楽的好みを共にする人たちの集合を,嗜好のコミュニティ(taste community)と呼ぶことがあるが,アメリカの大衆音楽では,日本の場合とは大きく異なり,この嗜好のコミュニティがかなりの程度,実際のコミュニティと重なりあう。生活空間の隔離が,音楽的嗜好の隔たりと対応する。人びとのコミュニティを隔てる大きな壁は,エスニシティと経済的境遇だ。アメリカには,ラテン系やフランス系を始め,数多くのマイノリティの地域的な音楽嗜好の小コミュニティがある。しかし,アメリカの大衆音楽市場の全国的な,もっともはっきりした分割線はいうまでもなく白人と黒人のあいだに引かれる。
アメリカの黒人大衆音楽は,戦前には「レイス」音楽と呼ばれたが,『ビルボ−ド』誌では戦後,その分野の売り上げ順位チャ−トをR&B(リズム・アンド・ブル−ス)チャ−トと呼ぶようになった。このチャ−トは1970年代後半にはソウル・チャ−トと改称され,さらにそのほぼ十年後にブラック・チャ−トと改称された。後の二つの呼称の変化は,保守的な業界誌が黒人大衆音楽の中身とそれをめぐる意識の大きな変化を,十年以上遅れて後追いした結果といえる。
ソウル・ミュ−ジックとは何か。それは,それ以前のR&Bと呼ばれた黒人大衆音楽とどう違うのか。ソウルと八十年代のマイケル・ジャクソンやプリンスの音楽との違いは何か。そうした問いはかなりの難問であり,また,それに純粋に音楽学的な答えを出す能力は筆者にはない。ソウルということば自体,ある音楽ジャンルを指すだけでなく,その一時期の隆盛に見あうだけの,多くの意味をもっている。たとえば,カイルの『都市の黒人ブル−ス』(注1) の七章を見れば,この語の多義性の一端に触れることができる。ソウルという語の語感に,黒人教会とその教会音楽を連想させる面があるのは確かだが,しかし,宗教音楽や宗教精神との親和性を,いわゆる六十年代ソウルに固有のものとみることはできない。八十年代になっても,教会音楽・ゴスペルと黒人大衆音楽との音楽的・人脈的つながりは深いし,ほとんど,といいたくなるほど多くの黒人ミュ−ジシャンが,自分のアルバムの裏表紙に神への感謝のことばを記しているからだ。
ソウル・ミュ−ジックは,結局,1950年代後半に始まり,1960年代中葉にポピュラリティの頂点に達した一つの歴史的な音楽運動として捉えられるべきだと,筆者は考える。この音楽運動は,ゴスペルという聖なる大衆音楽(これが大衆音楽であることは『ビルボ−ド』誌にゴスペルのチャ−トが掲載されていることでも分かる)のなかでその創造性のピ−ク時の1940〜50年代初頭に培われた音楽的要素と人材とを,当時R&Bと呼ばれた世俗の大衆音楽に持ちこむ動きだった。その運動の担い手として,1930年代〜40年代生まれの「ソウル世代」ともいうべきものを想定できる。
ソウル・ミュ−ジックは,他の大衆音楽と同じく,大衆市場を意識し,そこで「ヒット」することを目指して作られた商業音楽である。それは,クラシックやフォ−ク(日本なら邦楽)やモダン・ジャズのような,基本的には大衆市場を目指さずに作られたハイ・カルチュア的なもの,いいかえればア−ト(という十九世紀に発明された制度に支えられた「作品」)ではない。それは,気もちの高揚や踊りやカタルシスの達成といった聞き手の日常生活の中での用途を意識して作られた,演奏時間が比較的短く楽曲としての構成が比較的単純な音楽であり,そしてほとんどの場合,歌詞のある歌でもある。
歌詞があるというのは,クラシックやモダン・ジャズの多くのような「純粋」音楽に比べて,音楽としての抽象度が低いということである。歌の歌詞というものは,祝詞や声明や「君が代」のような特殊な宗教的セレモニ−音楽や,日本における「洋楽」のような輸入音楽の場合を除けば,基本的には歌い手にとっても聞き手にとっても自分たちの日常会話の儀礼化(エソロジ−でいうritualization)である。あるいは,社会学者のゴフマン流にいうなら,それは,舞台劇や劇映画,小説などと同じく,生活世界での相互作用を一定のフレイミング・ル−ルにそって変換した転調(keying)(注2) である。
2.サザン・ソウルの出生と展開
アメリカの大衆音楽には,いっぽうではマス・メディアを通じて一体性もしくはつながりを保ちながら,同時にアメリカの地理的広がりに応じて地域化する傾向がみられる。ソウル運動の場合も例外ではなく,そのなかには複数の流れがあった。本稿では,そのうちの主要なものの一つであるサザン・ソウルをとりあげ,その一部に見られる,筆者が「リアリズム」と呼ぶ傾向の輪郭を描くことを試みたい。
サザン・ソウルとは,文字どおり,アメリカ南部産のソウル・ミュ−ジックのことを指す。ただし,それは同時にサウンドや歌唱の面での一定のスタイルを指し,その意味では,ニュ−ヨ−クやロスなどの北部や西海岸の都会で録音されたそのスタイルの音楽を,このカテゴリ−に含めることもできる。サザン・ソウルは,六十年代前半に黒人大衆音楽の主流になったデトロイトのモ−タウン・サウンドを中心とする,ノ−ザン・ソウルと対になったことばでもある。ただし,サザン/ノ−ザンという呼称は,英米のそうした音楽の愛好家や研究者が生みだしたものであり,もともとはそうした音楽の聴衆や担い手が日常的に使った区分(folk categories)ではなかったようだ。
サザン・ソウルの歴史的展開を包括的に概観する文献としては,グラルニックの『スウィ−ト・ソウル・ミュ−ジック』(注3)が,いまのところほとんど唯一のものである。サザン・ソウルは,おおまかな言い方をすれば,ゴスペルとブル−スとC&W(カントリ−・アンド・ウェスタン)のハイブリッド音楽である。それが「リアリズム」と筆者が呼ぶような色あいを濃くするのは1960年代末ごろからであるようだ。
ソウル運動の始まりからサザン・ソウルへの流れを駆け足でたどると,おおよそ次のようになるだろう。ソウル・ミュ−ジックの先駆者としては,1950年代に活躍を始めたRay Charles の名がしばしば挙げられる。しかし,それ以外にも,Clyde McPhatter,The Five Royals,Roy Hamilton,Little Richard など,さまざまな歌手やグル−プをソウルの先駆者に擬することができる。こうした人たちのほとんどは三十年代生まれ(例外は1929年生まれのハミルトンだけ)で,しかも南部出身者が多い。(注4)
こうした先駆者たちのうちでも,1931年生まれの歌手兼ソングライタ−,Sam Cooke が,初期のソウル運動の最大の牽引車であったという点には,異論の余地はないだろう。クックは,The Soul Stirrers という著名なゴスペル・カルテット(小規模男声コ−ラス・グル−プ)のリ−ド歌手として五十年代前半には名声を得ており,また,同カルテットの先達 Rebert Harris のスラ−の多い独創的で華麗な唱法を自己流に作りかえて「ヨ−デリング」唱法を編みだし,同世代の歌手の中でもっともイノヴェイティヴな存在になっていた。クックの,1957年の世俗音楽への転向と,その後の黒人および白人聴衆のあいだでの成功が,多くの若いゴスペル歌手のR&Bへの転向を促すきっかけになったと回顧するソウル歌手は少なくない。
シカゴ生まれのクック,フィラデルフィア生まれの Solomon Burke,アラバマの出だがデトロイトで活動を始めた Wilson Pickett といった歌手たちがスタイルを整えていったゴスペルの色濃い唱法は,その後むしろ北部のデトロイトやニュ−ヨ−クのR&Bよりも,南部のR&Bにより直接に受け継がれ,テネシ−州のメンフィスやナッシュヴィル,アラバマ州のマスル・ショ−ルズといった南部各地の録音スタジオ,プロデュ−サ−やミュ−ジシャン(およびNYなどのレコ−ド会社資本)と結びついて,60年代後半のソウル・ブ−ムの主流を形作ってゆく。サザン・ソウルの録音は,とりわけ初期には,白人のレコ−ド会社経営者やプロデュ−サ−,ミュ−ジシャン,作詞・作曲者の手を借りながら,ゴスペルで歌唱の訓練を受けた黒人歌手が歌うというかたちが多く,そうした白人たちを通じて,そしてもちろん南部の黒人自身の嗜好を通じて,C&Wの要素がサザン・ソウルに流れこんだ。
六十年代後半のサザン・ソウルのピ−クを飾ったのは,バ−クやピケット,Sam and Dave,Otis Redding,Joe Tex,Joe Simon,そしてすこし位置はずれるが James Brown や Etta James,Aretha Franklin といった歌手たちだった。クックとほぼ同世代のブラウン,1933年生まれのテックス以外は,いずれも1930年代後半〜40年代初めに生まれた歌手だ。グラルニックの前掲書によれば,六十年代末に「ブラック・パワ−」の時代が訪れるとともに,公民権運動の理念を映すかのようなサザン・ソウル製作過程の黒白混合体制(その象徴がメンフィスのスタックス・レ−ベルと同社の六十年代の録音の多くで演奏した白人二人黒人二人の The MG's だったということもできよう)は終焉し,サザン・ソウルが黒人たち自身の手で担われる傾向が強くなる。少なくとも時期的には,この「ブラック・パワ−期」と,サザン・ソウル・リアリズムがはっきりしはじめた時期は,大きく重なりあう。
この時期はまた,南部のソウルから「スウィ−ト」なコ−ラス・グル−プ,大編成のフィラデルフィア・サウンド,16ビ−トのファンクへ,さらにディスコ・クレイズへと,黒人大衆音楽の流行の中心が移行しはじめる時期でもあった。サザン・ソウルとブラック・パワ−が結びついた1972年の夏のワッツタックス・コンサ−ト(スッタクス・レ−ベルが中心になり七年前のワッツ暴動を回顧してロスで行われた「ソウルのウッドストック」)も,そして,Johnnie Taylor や O.V.(Overton Vertis) Wright,Otis Clay,The Soul Children,Millie Jackson,Denise LaSalle などの,筆者のいう「リアリズム」の歌曲をレパ−トリ−にもつ歌い手たち(これも上のソウル歌手たちと同世代)の優れた仕事も,黒人大衆音楽のなかでの影響力だけについて見れば,六十年代サザン・ソウルの残照だという見方もできなくはない。しかし,70年代サザン・ソウルを音楽の質という角度からみるなら,そうした評価は不当なものだ。その後,70年代後半には,サザン・ソウルは質・量ともにはっきりと下降線を描き,1980年にO.V.ライトが死に人気歌手 Al Green がゴスペルに転向したころには,ミシシッピ州ジャクソンのマラコ・レ−ベルなど,わずかな独立レコ−ド会社と南部の市場に支えられた地域性の強い音楽になってしまった。また,1982年に長い下積みを経てスタ−ダムによじ登った1940年生まれのサザン・ソウル・シンガ−,Z.Z.Hill に「ブル−スシンガ−」というラベルが貼られたことにも示されるように,近年では「ブル−ス」と「ソウル」という二つのフォ−ク・カテゴリ−の融合が進んでいる。
3.サザン・ソウルのリアリズム
1950年代にハヤカワは,主流の白人ポピュラ−音楽の歌詞の「虹を追いかける」夢想性・非現実性を批判し,それとは対照的なブル−スの歌詞の「リアリズム」を讃えた。(注5) ハヤカワによれば,主流のポピュラ−音楽は,聴衆をIFD病(理想→不満→絶望病)に感染させる。つまり,現実には不可能な理想を人に追い求めさせ,その結果現実に裏切られて傷つき,絶望する人を生みだしてしまう。いっぽう,「本当のジャズの歌,とりわけニグロ・ブル−ス」では,人生についての陳述はセンチメンタルではなく,現実を踏まえたものとなる傾向が強いと,彼は述べる。
本稿のテ−マであるサザン・ソウルのリアリズムは,明らかにハヤカワが指摘するようなブル−スのリアリズムの系譜につながるものである。ただし,ハヤカワの強調する「現実のストレ−トな反映」が,ブル−スとソウルのリアリズムの核心であるかどうかは,議論の余地がある。しかし,そうした点に触れるまえにまず,リアリズムの歌の実例に当たってみることにしよう。総花的に例をあげるとまとまりがつかなくなるので,ここでは,表現力という点ではサザン・ソウルで屈指の声の持ち主,O.V.ライトが,テキサスのバックビ−ト・レ−ベルのためにメンフィスで録音した二枚のアルバム,『A Nickle And Nail and The Ace of Spades』(Backbeat BBLP-70, 1972年)と『Memphis Unlimited 』(Backbeat BBLX-72,1973年)の収録曲に例を限ることにする。ライトは1939年にメンフィスで生まれ,六才のときからソロ歌手として教会で歌い,クックのフォロワ−から独自のスタイルをもつ歌手へと成長してThe Sunset Travellers などいくつもの著名ゴスペル・グル−プでリ−ド歌手をつとめ,のち1964年に世俗音楽に転向したという経歴をもつ。『ア・ニッケル…』の「I Can't Take It」,「Afflicted 」,『メンフィス…』の「The Only Thing That Saved Me」,「He's My Son (Just the Same) 」などは,管見によれば,サザン・ソウル・リアリズムの模範例ともいうべき曲である。
ライトの歌曲の多くにはかなりはっきりしたスト−リ−があり,3〜5分に凝縮されたドラマの趣がある。それは,ソウルのジャンプ・ナンバ−(踊りを意識したテンポの早い曲)で,ライムの面白さやコミカルに誇張された性的な力の誇示,踊りへの勧誘やステップの説明が歌詞の中心になりがちなのとは,対照的である。ジャンプ・ナンバ−(たとえば『ア・ニッケル…』中の「The Ace of Spades 」)の自己誇示的側面は,ボ−スティング(boasting)という口承文化現象を背景にしており,ラップと呼ばれる1970年代後半〜80年代の都会の若い世代の黒人の音楽につながる。いっぽう,同じく一人称で語られるリアリズムの曲の物語性は,ブル−ス,礼拝やゴスペルでの証し(testimony)と説教,そしてC&Wの歌作りの手法の流れを汲むものと推測できる。
『メンフィス…』所収の,Darryl Carter と James Shaw 作の「ジ・オンリ−・シング…」は次のように始まる。
Born and raised in a ghetto flat
Eatin' beans and fatback
Restless as an alley cat
Trouble was my well command
Headed down a wrong way street
Drownin' in my own defeat
「そこへ彼女が現れて,その愛情でおれをひっくり返らせた。おれを救ったのは彼女の愛だった」と,歌は続く。これは,「生きて21才の誕生日を迎えることはないだろう」と周りの人びとから噂されたストリ−トの「ワル」の述懐である。同じアルバムの「ヒ−ズ・マイ・サン…」では,「兵役を終えて家に帰ってきて,妻が自分の兄弟の子を生んでいたことを知った」男の苦悶と「自分の息子も同然」なその男の子への愛情が歌われる。前年に出た『ニッケル…』所収の「アイ・キャント・テイク・イット」では恋人に去られる男の気もちが沈痛な声で歌われ,「A Nickle and a Nail」ではポケットに5セント貨一つと釘一本しかないという落はくぶりが歌われ,やや芝居がかった「愛の法廷」ものの「Eight Men - Four Women」では自分にとって「本当の愛」であるものが不倫として断罪される辛さが訴えられる。
二枚のアルバムを通じて,十二小節ブル−スのかたちを取る曲はないが,テンポがスロウで短調の,日常生活のなかでのブル−な体験を扱う歌曲が多い。この二枚のアルバムの歌曲にみられる,聞き手にその歌の世界は「リアル」だと感じさせる特徴を,いくつか挙げてみよう。
まず第一に,歌の世界の抽象度が低く,日常会話の世界との距離がきわめて小さいといえる。脚韻やリフレインなど,詞(歌謡詩)としての一定の構成はあるが,非日常語は少なく,Lord knows やLord have mercy,you see といった会話的表現が歌手によってつけ加えられ,あるいは,I gotta tell you, peopleといったフレイズが歌われて(「ジ・オンリ−・シング…」末尾),歌い手が聞き手に直接語りかけるという構図が強調される。アドリヴや語りのはめこみ,歌の主人公=語り手の一人称の歌手自身の名前との置き換えなどもまた,そうした構図を強める。さらに,歌の登場人物は,絵空事の存在ではなく,元「ワル」や失業した男,「女房のシリに敷かれて苦しめられている」と噂される男(「アフリクテッド」)など,それに似た存在をコミュニティ内に見つけることができる。大衆音楽は市場を意識した商業音楽であり,巨大な利潤をあげるためにはそれは,階級・エスニシティ・世代のラインをこえて,広く受け入れられなければならない。より多くの聴衆に受容されるように,歌の世界のディテ−ルの描写をできるだけ切りつめ,もしくは抽象化するのが,ハヤカワが批判の対象にした中道(middle of the road)のポピュラ−音楽の常套手段である。いっぽう,「ジ・オンリ−・シング…」のように,サザン・ソウル・リアリズムの曲は,聴衆を黒人コミュニティ内のしかも比較的年齢の高い層に絞って,歌の世界のディテ−ルを書きこむ。そのため聴衆にとって,歌の世界は「リアル」なものになる。
第二に,表出のリアリズムとでもいうべきものに注目したい。ソウルのパフォ−マンスでは,声のト−ンや強弱,表情,姿勢,仕草などの非言語的表現の諸チャンネルを通じて,豊富な感情表現が行われる。その背後には,黒人固有の日常の感情表現のスタイルがある。コチマンにならって,そうしたスタイルを,感情表現を抑制しないこと,および,感情表現の程度を自分が感じている感情の強度と釣りあわせることという,二つの文化規範(注6) に置きかえて理解することも可能だろう。教会音楽やゴスペルでは「感じること」および「共感し,応答すること」が演者と聴衆のノルマであり,モ−ンやシャウト,メリスマを始めとして,喜怒哀楽を声で表出する(表出的発声を声楽化する)さまざまな技法が開発されてきた。そしてそれは,サザン・ソウルにも継承された。たとえ歌詞が陳腐なポップ・ソウルのそれである場合でも,ゴスペルやソウルの感情表出のリアリズムは,それを「地につけ」,歌の世界に奥行を与えてしまう。
第三に,サザン・ソウルのリアリズムの歌曲では,中道のポピュラ−では避けられがちな,苦しみ(pain)の経験が素材として,正面きって取りあげられる。もちろんポップなラヴ・ソングにも,傷心の歌はある。しかし,それは「ヒット」し,都市空間のあらゆる場所で流れると想定されるため,最大公約数的口あたりの良さが求められ,感情的トラブルは裸のままでは歌曲に盛りこまれない。消費・サ−ヴィス社会化が進むにつれて,流行歌は,消費生活の最前線の「明るい」BGMとして頻繁に使われるようになり,いわば総コマ−シャル・ソング化する。その結果,ポップ・ソングから苦の経験が排除される傾向は,ますます強まるだろう。しかし,感情的トラブルは実生活に不可避的につきまとうものだし,そうした経験のカタルシスは元来,大衆芸能の重要な機能の一つだった。
社会学者のシェフの所論(注7)を借りていえば,大衆芸能は,観客に自己が抑圧した感情経験の距離をおいた追体験をさせる装置である。ドラマという構築物を鑑賞するとき,観客は,まずドラマの主人公への感情移入を通じて自分が抑圧した「苦しい」感情経験を間接的な(審美的な距離をおいた)かたちで引きだし,つぎにその経験にケリをつけるような心理的/生理的反応を通じて,カタルシスを達成する。悲しみは泣くことで,当惑や不安は笑いで,強い怒りは発汗しながらそれをぶちまけることで「発散」し,「苦しい」感情経験に終止符がうたれる。ゴスペルやブル−スでこの癒しの儀礼の主な対象になるのは,悲しみと抑うつ(これはシェフの説くところによれば悲しみと怒りの混合物)である。たとえば,ライトの「アイ・キャント・テイク・イット」は,愛の対象喪失のドラマである。ゆっくりしたゴスペル・ブル−スのこの曲で,ライトが,彼女が呼んだタクシ−のクラクション,ドアの脇に積まれた荷物,昨夜のケンカ…とドラマを進め,「オ−オ−オ−オ−,がまんできない」とメリスマを利かせて歌うとき,聴衆もまた,自分のなかに沈殿している対象喪失体験の名残を引き出され,ブル−になるだろう。しかし,それは歌のクライマックスに辿りつき,カタルシスを経てハッピ−になるためのブル−さであり,ある意味では,爽快なダンス曲やロマンティックなラヴ・ソングへの順路でもある。ともすれば苦のない世界になりがちな中道のポピュラ−音楽に比べて,苦を組みこんだサザン・ソウルの歌の世界のほうが,よりリアルであることはいうまでもない。
4.コミュニティの美学─結びにかえて
以上の議論からも分かるように,筆者は,サザン・ソウル・リアリズムということばを,ドラマの創作・演出の一方法という意味で用いている。ブル−ス研究家で民族音楽学者のティトン(注8) や音楽社会学者のフリス(注9) は,ハヤカワの議論や社会主義リアリズムの立場からの虚偽意識論を批判し,大衆音楽の歌詞のドラマ(フィクション)としての性格を強調した。大衆音楽の歌の世界は,どれだけ「客観的現実を反映」しているかではなく,そのドラマ構成の手法がどのようにして人びとの気もちの高揚やカタルシスの達成に効果的かを基準にして考察されるべきである。サザン・ソウル・リアリズムは,生活世界と直結し,身体性に直接的に訴えかけることによって,大人の,その多くが労働者階級のコミュニティ黒人の歌への深い感情移入を可能にした。その聴衆の最初のコホ−トは,サム・クック・ファンで彼より五才年下とすれば,1970年ごろには三十代半ばで,公民権運動の同時代人としてある種の民族意識の高揚を体験した人たちである。
サザン・ソウル・リアリズムの意義を検討するにあたっては,文化的ヘゲモニ−の問題について考る必要があるだろう。コミュニティ黒人の家族や男女間の関係は,アメリカ社会主流のそれに比べて,平等主義的で柔軟だとしばしば指摘される。60年代までの家族社会学は,それを「家族解体」のような社会病理として,もしくは,アフリカ起源の母系制の名残,つまり伝承文化として捉えるのが常だった。しかし,最近では,黒人家族の多様性を歴史的現実に即して見据えたうえで,その平等主義と柔軟さをむしろ,女性の力の向上とともに,主流の家族(男女)関係が向かう形態の先駆けとみる社会学者も出てきている。(注10)
中道のポピュラ−・ソングは,男性優位(家父長制)を背景にした核家族とロマンティック・ラヴを,その歌世界の枠組としてきた。サム・クックは,ゴスペルから世俗音楽に転向したとき,まずはそうしたポップ・ソングの歌い手として登場し,白人のあいだでも人気を博した。しかし,そのフォロワ−たちが築きあげたソウル運動は,公民権運動やブラック・ナショナリズムの波と平行するかたちで,自分たちのコミュニティの美学と価値観を反映させる方向へ進んだ。その到達点の一つが,サザン・ソウル・リアリズムである。中道・中庸のポピュラ−・ソングに,じつは,多くの民族集団とサブカルチュアに属する聴衆を主流の白いアメリカの価値観へ引きよせるという機能があるとすれば,リアリズムの歌は,コミュニティの人びとの生活世界に即するという姿勢をとることで,主流グル−プの文化的ヘゲモニ−を遮る働きをする。(注11)
大衆音楽は,程度の差はあれ生活世界と連動しており,そのために両義的なものとなる。それは,常識と社会秩序を再生産する保守的な面をもつとともに,生活世界での経験の「開かれた可能性」(注12)を反映したイノヴェ−ティヴな側面をもつ。サザン・ソウル運動のポピュリスティックな展開は,そうした革新,つまり世界の認識の仕方を塗りかえることに,その見かけよりはずっと深く関わっていたに違いない。
(注1) チャ−ルズ・カイル,相倉久人訳『都市の黒人ブル−ス』音楽之友社 1968。
(注2) Erving Goffman, Frame Analysis, Harper & Row, 1974.
(注3) Peter Guralnick, Sweet Soul Music: Rhythm and Blues and Southern Dream of Freedom, Harper & Row, 1986.
(注4) 以下,生年,出生地等のデ−タは,Mike Clifford et al., The Illustrated Encyclopedia of Black Music, London: Salamander,1982,および,各種の雑誌記事,レコ−ドのライナ−・ノ−ツ類による。
(注5) S.I.Hayakawa, "Popular Songs vs. the Facts of Life," Etc. 12, 1955, pp.83-95.
(注6) Thomas Kochman, Black and White Styles in Con-flict, The University of Chicago Press, 1981, p.111.
(注7) Thomas J. Scheff, Cathar sis in Healing, Ritual, and Drama,University of California Press, 1979.
(注8) Jeff Todd Titon, Early Downhome Blues, Univer-sity of Illinois Press, 1977.
(注9) Simon Frith, "Why Do Songs Have Words?," MusicFor Pleasure: Essays in Sociology of Pops,Cambridge: Polity Press,1988.
(注10) Randall Collins,Sociology of Marriage and Family(2nd.ed.),Chicago: Nelson-Hall, 1988.
(注11) ソウルと社会的なヘゲモニ−について論じるとき,ミリィ・ジャクソンやデニス・ラサ−ルの歌に示されるように,エスニシティだけでなく性(ジェンダー)についても考える必要があるが,後者については稿を改めることにしたい。
(注12) 豊泉周治「日常世界と主体性−シュッツにおける経験の『開かれた可能性』」『社会学評論』147号,1986,68-81頁。
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