R&Bの骸骨が戸棚から出てきた

〜USブラック・ポップス時評・1990

(青弓社から刊行予定だった「久保田利伸本」のために書かれたが,その本の企画が流れたため未発表[*]/1990年8月脱稿)


1.なんたってまずラップ


 アメリカのブラック・ポピュラー・ミュージックは,いま,上げ潮だ。都会の二十代のブラック主導で,音楽の世代交代が進み,しかも,それがまがりなりにも黒人音楽の伝統を再興するという姿勢と結びついている。そして,いうまでもなく,その台風の目はラップだ。
 従来の「音楽」のコンセプトをいくつもの点で乱暴にひっくり返したラップが,現時点でいえばM・C・ハマーのように,ポップ・チャートをらくらくと制覇し,また,『ビルボード』誌のブラック・アルバム・セールス・ベスト100の2割近くを占める大きな存在になったのは,意外なことだ。ラップが膨れあがりながら進化し,多様化(生物学でいう適応放散)してゆくなかで,これほど黒人音楽の活性化の触媒になると,たとえば七〜八年前に,だれが予想しただろうか。そのサウンド面での貢献(功罪?)もさることながら,なによりも,ラップが若いアフリカン・アメリカンたちに,60年代のソウル運動以来ひさびさに,「自分たちの声」を与えたことの意義は,見逃せない。

 去年,広く衆目を集めた,スパイク・リーという新進黒人監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』。これは,夏のNYの黒人街の日常と,その日常から,警官による暴行殺人をきっかけに,乾き切った枯れ木が燃えだすように突然吹き出す暴動を描いた,クールで美しい眼差しの映画だ。この映画に出てくる,ラジオ・ラヒームというストリートのツッパリ兄ちゃんは,大きなラジカセを持ち歩いて,しょっちゅうラップ(パブリック・エナミーというグループの「ファイト・ザ・パワー=権力と闘え」)をかけている。「外」の者(たとえばこの映画でいえば,黒人街にあるイタリア人のピザ屋の店主や,ラヒームとラジオの音量合戦をするプエルトリコ系の若い衆たち)にとって,ラップは訳の分からない騒音にすぎないが,ラヒームにとって,ラップは声のかわり,自己主張の重要な手段なのだ。彼がかけるラップの詞は,ひと頃のいわゆる都会派のブラコン(ブラック・コンテンポラリー)の曲の作者が,書くことを考えさえしなかっただろうことばのオン・パレードだ。
 パブリック・エネミーは,機関銃のようにこうライム(韻をふんだしゃべくり)する。「権力と闘わなくちゃいけない…表現の自由というのは,自由か,それとも死かってことさ…ラップのライムは身体を跳ねさせ,心を満たし,強くする…それは変革を始めるためのアートだ…エルヴィスは多くの人にとってヒーローだろうけど,俺にとっては何でもない,あいつは単なるレイシスト(人種差別主義者),あいつやジョン・ウェインなんざ,くそくらえ…」 カモン・ゲット・ダウン,ツガッシャンカッシャンガシャグシャ,ツガ ッシャンカッシャンガシャグシャ,ツガッシャンカッシャンガシャグシャ…。
 ラヒームは,もちろん,アメリカ社会の巨大で入り組んだ権力機構についてはほとんど何も知らなかったろうし,ラップを大きな音でかけつづけるという以外に,どうやって「権力と闘え」ばいいのかもたぶん分からなかっただろう(暴動に参加するって話もあるけど,その暴動は彼が殺されたのがきっかけで起きたのだから,参加できないし…)。しかし,ブラックの若者が,こんなふうに誰はばからず自分たちの思いを託せる,社会的なことばをもったというのは,それだけでもずいぶん大したことだ。
 もちろん,パブリック・エネミーやプロフェッサー・グリフ,ブギ・ダウン・プロダクションたちのような,いわゆる社会派に撤するラッパーは,少ない。そして,ラップがブームだというのは,ラッパーたちが,昔のモータウン・サウンドの「スタァ」連と同じように,白黒の境を超えたアメリカのティーンのアイドルの座を確保したということでもある。『ドゥー・ザ・ライト・シング』の直後に,『ハウス・パーティ』という映画で当てたキッド・ン・プレイの人気からも分かるとおり,アンドロイド的な天上のスーパー・スター,マイケル・ジャクソンの治世のあとに,「隣の男の子・女の子」が,アイドルのラッピン&ダンシンMCになる時代がきたともいえる。
 ラップの雑誌の綴込みの大ポスターは,昔なつかし『平凡』『明星』のセンスだし(まぁそれにしちゃパンクといえるけど),TVのラップ番組を見ている非黒人のティーンは(ひょっとしたら黒人のティーンでもそうかもしれないけど),早口でスラングがいっぱいのライムの意味がよく分からなくてもあまり気にせずに,踊りやビート,ヴィデオ・クリップの画像の面白さを楽しんでいるしね。
 つまり,いっぽうで若い世代の,いっぽうで黒さの象徴になってる,というのが,いまのラップの面白いところだ。しかも,その二面が渾然一体になっている点が,たぶん,ミソ。たとえば,L・L・クールJやドクター・アイスのような軟派のラッパーが,ライムさばきも鮮やに,黒人のストリート・トークでセックス・アピールを強調すれば,それは自然とブラック・プライドにつながっちゃうわけだしね。
 いっぽう,1950年代のロックン・ロール熱のときもそうだったように,中産階級の白人のオトナは,「ヤバンで不道徳」なブラック・ポピュラー・ミュージックが,黒人街に隔離されているうちはたいして気にしないけど,自分たちの子弟がそれに染りはじめると,いきりたつ。もともと都市の豊かでない地区のティーン・ギャング(どんなもんか分からないという人は,とりあえず『ウェスト・サイド物語』の若者たちでも思いうかべてください)の音楽だったラップは,当然集団間のケンカなぞと馴染みやすく,じつはラッパーたち自身も,クスリ追放やアパルトヘイト反対などと並んで,「ケンカをやめよう」と繰りかえしラップで呼びかけているのだけど,「既成の秩序」の側からすれば,コンサート会場でのケンカはラップを問題にする格好の理由になる。
 というわけで,この春,ついにラップは社会問題だという記事が『ニューズウィーク』誌にのり,論議を呼んだ。つづいて五月には,2(トゥ)ライヴ・クルーというラップ・グループの曲がフロリダ州で,連邦地裁判事によってワイセツと判定され,その曲をアダルト・オンリーのステージでやった2ライヴ・クルーのラッパーと,その曲が入ったアルバムを売ったレコード店主が逮捕された。ルーク・スカイウォーカーという芸名で知られる,このグループのリーダー兼レーベル・オウナーは,即座に,あのブルース・スプリングスティーンの大有名曲をもじりのネタにした「バンド・イン・ザ・USA(合衆国で発禁にされちまった)」という曲を発売して,応戦した。ぼくは,超軟派のこのグループをあまりひいきにしていないが,この気概(と商魂),そして,フット・ワークのよさには,脱帽する。

 のっけから濃厚に,ラップの話ばかりしてしまった。もちろん,いまのブラック・ミュージックの面白さはラップに尽きはしないど,初めに書いたとおり,ここんとこ数年間のシーンのなかで,もっとも面白いのがラップだ。(ここで正直に告白しておくと,1960年代のソウル・ミュージックで「青春」してしまったことに,いまでもこだわり続けているぼくは,じつは,それほどいいラップの水先案内人ではないんだけどね。)
 さて,お話かわっていまのニホンの若い衆は,向こうのブラックたちにとってのラップにあたるような,「自分たちの声」をもっているだろうか? それをもつには,なにより もまず,言いたいことが必要だし,それから言いたいことを他者に美しく(あるいは楽しく,あるいはスリリングに)聞かせるための,ある程度の技術が必要だ。ヘイヘイ,日本の若い衆よ,あんたら,何か言いたいことあるの?
 日本のポップス/ロックの「国際化」だってって,強い円にのっかってUSやロンドンへ行って録音しても,それで言いたいことが湧いてでるってもんじゃないんだぜ。なに? どうせ音楽を聞くほうだって,心地よい,もしくは格好いいBGMとして以上に何かを聞きとりたいなんて思っちゃいないんだから,言いたいこと,つまり主張がたいしてない分,Yo, brother とか too fly とか I need you, girl とかいうたぐいの,よくわかんない・実感が湧かないけどなんとなくキマってそうな英語で埋めときゃ,それでいいんじゃないの,だって? そりゃービジネスマンの発想としては正解でござんすけど,あんた,そ んなことのために,必死こいで汗かいて音楽やってんの?
 と,ほとんど桜井哲夫の『ことばを失った若者たち』のノリになって,毒づいてしまったけど,これはあくまで一般論。特定の事例,たとえば久保田利伸氏とか,黒人の若者を題材にした山田詠美の小説をマイク真木の息子(ノーテンキって遺伝するんだね,あーこわい)主演で撮って,ニホン人がへたにブラックを意識すると単なるノータリンに見えるという教訓を与えてくれた映画『(ソウル・ミュージック)ラヴァーズ・オンリー』のために,久保田(以下敬称略で失礼)が書いて歌った音楽のこととかについて,いっているのではないので,念のため。

2.クワイエト・ストーム,NJS,ブルース・リヴァイッヴァル


 先に書いたように,ぼくは,とどのつまりは,オーティス・レディングとO・V・ライトとサム・クックとアリサ・フランクリンさえあれば,無人島でも淋しくない,なんていってる苔蒸した古典的ソウル・ファンだから,70年代のいわゆるブラコン(ブラック・コンテンポラリー)以降に黒人音楽に入った人たち(たぶん久保田利伸もそう)とは,「いま」の聞き方に多少のズレはあると思う。たとえば,サウンドや曲より,ヴォーカルと歌手にこだわっちゃうしね。シンセサイザーより生のホーンのほうがあずましい[心が休まる],とか,踊れる曲もいいけど,結局はスロウ・バラードだ,なんて,口走っちゃうし…。
 と,いうような事情があって,間欠的に「あーあ,やな娑婆(しゃば)だねぇ,近ごろの黒人音楽は少しも面白くありゃしない」と愚痴ったりもするけど,最近のブラック・ミュージックの動きには,やはり,胸が騒ぐ。ラップ以外にも,クワイエト・ストーム(静かな嵐)というラジオの黒人局の番組フォーマットを通じて出てきた歌手の一群,とりわけ,アニタ・ベイカーやミキ・ハワードといった人たちのジャズっぽいヴォーカルにも(ちょっと余裕がありすぎという気もするけど)惹かれるものがあるし,ラップやゴーゴー(首都ワシントンで育ったラテン/カリブ風味の河内音頭的生バンド・ファンク)とクロスするところから出てきた若手のシンガーたちの使うリズム,ニュー・ジャック・スウィング(NJS)も,一昔まえのディスコ・リズムに比べりゃ,ずっと気もちいい。うまい歌手は多いけど,並はずれたスタイル〓個性の持ち主がほとんどいない(嬉しい例外がグレン・ジョーンズ)という不満はあるし,流行る曲といえば歌手は変わっても結局プロデューサーはあいつら(いまならジャム&ルイスかベイビィフェイス&L・A・)かよ,同じ音ばっかりじゃ食傷するぜ,みたいな文句はいうけどね。でも,フル・フォースやテイシャーンやオラン・ジョーンズのように,コンセプトをもち,ダンス&消費用だけではない音を作ろうとするシンガー兼サウンド・クリエイターたちが,ぽつぽつ出てきているのは頼もしい。
 そして,南部での,「ブルーズ・リヴァイヴァル」というスローガンのもとに,マラコやイチバンといったレーベルを中心に進んだ,ソウル&ゴスペル・ブルーズの再興。これが,単なるナツメロ・ブームで終わるのか,南部独自の音楽の新展開を作りだすことができるのかは,未知数だ。しかし,とっくの昔に滅びたはずの,濃厚に黒いブルーズ・ン・ソウルが,故Z・Z・ヒルからヴェテランのボビィ・ブランドやリトル・ミルトン,新人のマーヴィン・シーズらにリレーされて,マス・マーケットの一角にふたたび定位置を確保したのはたしかだ。

 4年前に,さる音楽誌[『ミュージック・マガジン』]にぼくが,ブラック・ポピュラー・ミュージックの展望について書いたときには,文章のトーンは,微妙にだけど,もう少し暗かった。編集者が文中から抜きだしてつけたタイトルが,「小粒だが可能性に賭けてついていく」っていうんだから,ナサケないというか,意気があがらないというか…。そのときと今と,何が変わったの? なんて話もあるから,その4年前の拙文のサワリを,ここでいくつか披露してみよう。

 まず,ソウルの時代から活躍してるヴェテランは元気だけど,若手アーティストが小粒だと,愚痴ってる。プリンスとホウィットニー・ヒューストンは別格として,五年後,十年後もバリバリやっているだろうと思える若手・新人が少ない,というのだ。ほんとは,この変転の激しいポピュラー音楽のスターダムで,十年後などという地獄じゅうの鬼を笑い死にさせかねない発言は目茶苦茶なんだけど,たしかに,いまでもプリンスは,レイ・チャールズやスティーヴィ・ワンダーと並べてもいいジニアス,当分ブラック・ミュージックを背負ってたつべき存在の一人といえると思う。そうした位置にある彼が,パフォーマーとしてはともかく,歌手としては見るべき存在ではない,というのが,ある種ブラック・ミュージックの現在を象徴してはいるね。いま,脚光を集めるのは,歌い手じゃなく,打ち込みやミキシングを含めて,音をスタディオで組み立てるサウンド・クリエイター。ジャネット・ジャクソンのヴォーカルじゃなくて,ジャム&ルイスのサウンドを聞く,いうのが,きょうびらしい聞き方だもんね。サウンド・クリエイターとして,残っていきそうな人の名前として,いまなら,ベイビィフェイス&L・A・とフル・フォースを加えられる。さらに,音づくりに歌手としての力量も兼ね備えた人たちとして,リヴァート(七〇年代にフィラデルフィア・サウンドで一世を風靡したオージェイズのリード・ヴォーカリストの子どものグループ)とかね。ホウィットニー・Hは嬉しい誤算(彼女は歌以外の要因で残るだろうと思ってたから)で消えてゆくかもしれないし,そして,歌派のアニタ・ベーカーも当分は第一線にいつづけるだろうと,いまならいえる。あるいは,ニュー・エディション関係のボビィ・ブラウンやジョニィ・ギルとか,ガイのテディ・ライリーとか,そろそろ過渡期を過ぎて,新時代の陣容が固まり始めたという感じね。
 おっと,軽く抜き書きするつもりが,長口舌になった。あとは,手短にいこう。二点目として,「発展」しすぎた黒人大衆音楽には成人病の症候がみえる,なんてことをいってる。曲やアレンジが複雑化し,歌唱のテクが向上するとともに,音楽の訴えかける力がかえって弱まり,自然で自発的な感情表出が阻害される傾向がでてきてるのじゃないか,というわけだ。それから,消費社会化を反映した中流っぽいファッションと似合う音がはびこってる,とか,電子サウンド化によってアドリヴやミュージシャンのインタープレイを含む生の音楽のインパクト(衝撃力)が消える傾向にある,とか,カリブ,ラテン,アフリカなどとの音楽的つながり(ルーツ・コネクション)よりも,ロックとのそれ(US・コネクション)のほうが強調されている,といった診断もしている。いま振りかえってみても,八〇年代中葉の総括としては,まぁ妥当なセンだ。

3.R&Bの臨死体験


 こうした傾向をもっと悲観的に描写したのが,ネルソン・ジョージという黒人音楽ジャーナリストの『リズム&ブルースの死』(林田ひめじ訳 早川書房刊)だ。これは,ブラ ック・ポピュラー・ミュージックの歴史と現在を描いた本のうち,邦訳があるものとしてはベスト,というか,ほとんどワン・アンド・オンリーなので,同じ著者・訳者・版元のモータウン・サウンド本とあわせて,黒人音楽のことをもっと知りたい,という向きは,ぜひ手にしてみてほしい。
 ジョージは,「ふつうのブラック」たちの生活感覚に根ざしたクロっぽいポピュラー音楽,リズム&ブルーズは,瀕死の状態にある,と警鐘を鳴らす。なぜそうなったか,といえば,それは,ブラックたちとその音楽が,70年代以降アメリカ社会の主流に,いびつなかたちで組みこまれはじめたからだ。これは,ゲットーと呼ばれる黒人地域を取り巻く差別の壁を崩して,黒人に白人と平等の権利・機会を与えようとした1950年代〜60年代の公民権運動の,皮肉な成果といえるかもしれない。
 差別の壁が崩れたといっても,黒人地区から出ていけるのは,地位を得たり財をなしたりした比較的少数の「成功者」で,多くの黒人はブラック・コミュニティに留まりつづける。いいかえれば,黒人のあいだでの社会的格差が広まり,六〇年代に「ソウル」ということばが象徴したような一体感が崩れはじめる。クロっぽいことは,公民権運動とソウル・ミュージックの時代とは価値の±符号を取りかえて,さびれていく黒人地区(黒人大衆音楽のメッカ,ハーレムのアポロ劇場さえいったん閉鎖に追いこまれたもんね)に「とり残されて」いること,つまり社会的「不成功」の印にさえなるかもしれない。なにより,ブラック・ミュージシャンやメジャーのレコード会社に入った黒人プロデューサー・営業マンにとって,白人に受け入れられる音楽を作って売るということは,市場が十倍に膨れあがるということを意味する。
 メジャーのレコード会社と契約して,そのプロモーションの力を後盾に,R&B/ブラック市場からポップス/ロック市場へクロスオーヴァーすること。これが,70年代半ば以降,多くの黒人の音楽関係者にとっての「虹の彼方」,つまり見果てぬ夢になる。見果てぬ,というのは,この夢は,めったに結実しないからだ。
 人種の壁は,低くなったかもしれないが,なくなったわけじゃない。サウンドを「漂白」したり,ルックスを整形したり(マイケル・ジャクソン,ダイアナ・ロス,ジョージ・ベンソンのケースが有名)したからといって,みんなが,ダイアナやマイケル,スティーヴィ・ワンダー,アース・ウィンド&ファイア,ライオネル・リッチーのような「スーパー・スター」になれるわけではない。ポピュラー・ミュージシャンの場合も,USブラック全般とおなじく,クロスオーヴァーに成功した少数と,それに失敗したり,あるいはそういう路線をとらずに,リズム&ブルーズ(つまりクロい)というレッテルを貼られて,レコーディング契約の機会を狭める多くとのあいだに,大きな境遇の落差ができる。
 かりに,広い市場を狙わず,R&Bアーティストとして黒人コミュニティ向けのレコードを出そうとしても,受皿がない。1970年代には,戦後ずっとリズム&ブルーズのレコーディングの中心になってきた中小の独立レーベルや,そうしたレーベルが頼みにしてきた,小規模の小売店・メジャーに系列化されない独立の取次会社・黒人ラジオ局のDJをつなぐディストリビューション&PR網は,メジャー(CBS,WEA,MCA,RCA,ポリグラムなどなど)に押されて,みるかげもなく衰退してしまった。
 ネルソン・ジョージが「R&Bの死」と呼ぶ事態は,正統派ファンク〓リズム&ブルーズを奇想のオブラートで包んだPファンクで,クロスオーヴァーの流れに抗し,七〇年代後半に一時代を画したヒップなミュージシャンたちのリーダー,ジョージ・クリントンに歌わせれば,こうなる。        
 上品なお客向けの演奏しかやらない
 ワイルドなブリッジ(サビのところ)でキメたりしない
 リズム&ブルーズの骸骨(本質)は物置に入れてある
 歌って演奏するけど,シャウト(叫び)はしない
 もしそれをしたら,あれを人前に出してしまうことになるから
 リズム&ブルーズの骸骨は物置に入れてある

 あいつはクロスオーヴァーしたけど
 まぎれもなく橋の下の出身さ
 以前はあそこでキメてたもんだよ
 おれたち,昔よく歌った歌を歌わなくなったね
 昔よくしたことをしなくなったね

 パーティはとっくに始まってるのに
 フロアーで踊る人はいない
 昔ながらの,クラシックなリズム&ブルーズを物置から出してこようよ
 ジェームズ・ブラウンの「セックス・マシン」
 ファンカデリックが足もとへ投げだす音波
 パーティはそうやって始めるもんだよ,しらないのかい?
   (Clinton and Spradley,"R&B Skeletons(In the Closet)" in George Clinton,
    R & B Skeletons in the Closet, EMI ST-124S1, 1986)

4.ローカルでなきゃユニヴァーサル(普遍的)になれない時代


 さて,ぼくの文章やクリントンの歌,ジョージの本がカヴァーする80年代半ばすぎまでの時期から数年のあいだに,ブラック・ミュージックの流れは,かなり歴然とクロく,パワフルになった。ラップのサウンドの進化や,R&Bのクラシックの音のサンプリング(引用)を通じて育ったレトロヌーヴォ(温故知新)感覚,そして,その驚異的ブームのおかげで再浮上した「クロいということはかっこいい」という意識が,このリハビリに,大いに貢献した。ジェームズ・ブラウンとクリントンのファンカデリック/パーラメントはとりわけよくサンプリングされ,それがブラウンのカム・バックにもつながった。
 『リズム&ブルースの死』の教訓の一つは,ブラック・ミュージシャンが白人サイドを意識して音を作ると,結局,クロスオーヴァーのポテンシャルさえ下がってしまうということだ。黒人のポピュラー・レコードのポップ・チャートへの進出の黄金時代は,じつは,ブラック・ミュージシャンが軒なみメジャーと契約するようになった70年代後半ではなくて,まだインディのR&Bレーベル(モータウン,アトランティック,スタックス,チェス,ピーコック…)が黒人大衆音楽の舵とりをしていた,1967年から73年にかけてだった。ディスコとクロスオーヴァー(ブラコン)の七〇年代後半になると,ブラック・ミュージシャンはかえって,ポップ・チャートで,以前より苦戦するようになる。白っぽいブラック・ミュージシャンの音楽と黒っぽいホワイト・ミュージシャンの音楽とが似たようなものだとすれば,白人の聴衆は結局は,自分たちと同じ肌の色のアーティストを選ぶだろう。クロスオーヴァーするには,長い目でみれば,意図的に「漂白」された音楽より,ブラック・コミュニティの鼓動を伝える,新鮮でクリエイティヴな(即座には白人に真似のできない)音楽のほうが,有利なのだ。
 50年代にロックン・ロールと呼ばれたリズム&ブルーズがしかり,サザン・ソウルやモータウン・サウンドがしかり,ジェームズ・ブラウンやオハイオ・プレイヤーズのファンクがしかり。そして,70年代末に登場して80年代半ばにブラック・チャートを制覇したラップについても,同じことがいえる。

 ラップを発明したのは,NYエリアのディスコのDJだ。DJは,もちろん,ミュージシャンでも歌手でもなく,踊るための音楽を選曲して流し,流れている音楽の「つなぎ」や「盛りあげ」のためにしゃべくり(ラップ)をするのが,仕事だ。このしゃべくりに革新が起こり,ハイ・スピードで,以前からあったジャイヴDJのスタイルよりずっと多くの韻を踏み,客とのコール&リスポンス(呼びかけと応答)をもりこむ,といったふうに変わり,それととともに主客が転倒して,音楽よりもラップのほうが,メイン・アトラクションになった。しゃべる役(MCと呼ばれる)とターンテーブルのまえでレコードとPA器材を操作する役(DJ)の分業がはじまり,しゃべくり役は,MC間のかけあいや唱和,ドラム・マシンのミミック,語りの内容の多様化・豊富化,さては踊りへと芸の範囲を広げてゆく。ターンテーブル・オペレイターのほうも,間奏をつなぐブレイク・ミックスや二枚のレコードの音の重ね,レコードの表面をこすって音を出すスクラッチなど,常識をくつがえす技法をつぎつぎ開発して,その技を専門化させてゆく。
 こうした歌でも演奏でもない不思議な音楽を,最初に録音したのは,ローカルな独立レーベル(エンジョイやシュガー・ヒルなど)だった。その後,メジャーのディストリビューション網を通じてラップの全国的ブームが現出することになるが,そうなっても,ラップ・アーティストたちは,デフ・ジャムやトミー・ボーイ,プロファイル,スリーピング・バッグ,ジャイヴなど,ラップ/ヒップ・ホップ文化を理解してプロモートする地元の独立レーベルを通じて,メジャーとつながるというかたちをとる。こうして,ストリートから新しく出てきたレーベルとそれに併設されたプロダクションは,ラップだけでなく,リズム&ブルーズ感覚の再興をはかる若手アーティスト(オラン・ジョーンズ,アリソン・ウィリアムズ,テイシャーンなど)の牙城にもなった。
 もちろん,この間のリズム&ブルーズ復興の流れが,ラップに尽きるわけではない。プリンス,タイム(とそこから出てきたジャム&ルイスなど)のミネソタ州派,ザップ/ロジャーなどのオハイオ州派,そしてキャメオなどのファンク/ロック/ソウルの流れや,グレン・ジョーンズ,フレディ・ジャクソン,ボー・ウィリアムズらのゴスペル系都会派シンガーたち,先にも触れたワシントンの河内音頭風ラテン・ファンクのゴーゴー,あるいは,シカゴのディスコから出てきたハウスなど,いくつもの見逃せない動きがある。しかし,やはり,ラップの熱気が最大のパワー・ハウスだった。なにしろ,1950年代のドゥー・ワップ・コーラス・グループ・ブームのように,いやそれより活発に,ほとんど浜の真砂という感じで,つぎつぎ新手のラッパーが出て来つづけているのだから。ブラック・ミュージックの今後を担う若い世代は,ラップの影響を抜きにしては語れない。そして,このラップ世代の手によって,この数年のあいだに,ニュー・ジャック・スウィングと呼ばれる,アフリカン・ポップスのポリリズムと呼応するともいわれる,新しいリズム・パタンが出てきたわけだ。

5.中流化と電子サウンド化をどう考えるか


 先に(”2”というナンバーをつけた節のおしまいで),「成人病」や中流化,電子サウンド化,ロック/ポップス化が,80年代半ばすぎの黒人大衆音楽の傾向だと書いた。ラップは,電子サウンド化を除いて,上の全部をかなりの程度ひっくりかえした。
 複雑なコード進行やハーモニー,ホーン・アレンジやオーケストラの建物を築きあげた七〇年代のソウル/ブラック・コンテンポラリーがローマ帝国だとすれば,そこへ侵入した蛮族のゲルマン人がラップだ。「高い音楽性」と呼ばれる建物は,歌と歌唱,メロディのパタンとしての曲といったコンセプトといっしょに打ち倒され,まずリズムとしゃべくりありき,という原点の近くから,新しい音の世界の建設がはじまった。
 ぼくは,歌とヴォーカルが好きなソウル・ファンだから,ラップのおかげで若い世代から力のある歌手が出なくなるだろうなどと,取りこし苦労をしたりもする。しかし,ひょっとしたら破壊&再建が,成人病(成熟と複雑化によって音楽のアピールが希薄になること)の最良の治療法なのかもしれない。すくなくとも,ラップが,リズム&ブルーズのサウンドに新しい展開の可能性を与えたのは事実だ。
 それは,多くのブラックの日常生活から遊離した,シャンペン・グラスや籐の椅子やブランドもののジャケットが似合うミドル・クラスの居間風のおしゃれなサウンドではなく,「トゥ・ブラック,トゥ・ストロング」という掛け声どおりの,黒人コミュニティのストリートに根ざしたサウンドの展開だ。そして,最近のラップやニュー・ジャックのゴー・ゴー経由のビートや,ジャマイカのレゲエのDJスタイルのラップへの浸透などにみられるように,ルーツ・コネクション(これはソウルやファンクのリズム的発展の際にもあった)が,ふたたび強まる兆しもある。
 評価がむつかしいのは,電子サウンド化だ。これは,もちろん,ブラック・ミュージックだけでなく,ポップスの分野全体に起こっている現象で,これによって,極論すれば音楽の録音・演奏にミュージシャンはいなくてもよくなった。人間の身体的能力の限界近くにたどりつく方法がワザというものだとすれば,そういう意味でのワザも無意味になった。だって,打ちこみで時間とセンスさえあれば人間ワザを超えた音だって出せるし,他人のパフォーマンスをサンプリングで自在にいただくことだってできるんだしね。
 電子サウのパフォーマンスをサンプリングで自在にいただくことだってできるんだしね。電子サウンド化の効果,というのは,いろいろある。たとえば,流行の「最先端」の音がコピィされて拡散するのが早くなった。昔は,Aというスタジオのミュージシャンの作りだす音をBというスタジオのミュージシャンがコピィしようと思えば,以前はワザやその背後にあるノリをマスターするために一定の時間が必要だったが,いまはオペレイターの耳と器械さえあれば,ほとんど即座にコピィができる。おかげで,「新しさ」は一瞬のものになり,シーンの音づくりのチャンピオンの座の回転は速くなった。
 いっぽう,こうしたサウンドの戦国乱世は,音楽の専門教育を受けておらず,楽譜を使った作曲やアレンジについての知識がなく,多人数のミュージシャンを雇ってセッションをする資金もないストリートのサウンド・クリエーターに,チャンスを与えた。電子サウンド化には,ミュージシャンの合理化,つまりは人手べらしという一面があって,それはもともとは,七〇年代末期にポップスの売り上げが落ちたのにあせった,メジャーのレコード会社の,経費削減策に対応する動きだったということもできる。しかし,電子サウンド化のおかげで,メジャーの組織のコントロールの外で音づくりをする余地が広がった。ラップは,生バンドものもあるとはいえ,基本的には電子サウンド化の流れのなかで出てきた音楽だし,プリンスにしても,自分のスタジオで打ちこみや多重録音を使って好きな音を作ることを許されたからこそ(彼はワーナーがそうしたセルフ・プロデュースを許したポップ・アーティストの第一号だった),大きくなれた。
 ただし,もちろん,打ちこみは演奏のできるプレイヤーを駆逐し,サウンドの個性を弱める。電子楽器は,オペレイターが求める音を出すが,それは,個性的な表現にはつながりにくい。なぜなら,ポピュラー音楽の演奏での個性というやつは,個々のミュージシャンの能力の身体的な限界やクセというやつに,意外と根深く結びついているものだから。しかも,レコーディング・スタジオではともかく,ライヴの場にプログラムされた電子楽器をへたにもちこむと,音楽はつまらなくなる。なによりもまず,即興性が大きく制約される。アドリヴや微妙なインタープレイがしにくくなる。それに,二〜三台のシンセ・キイボードで十人編成のバンドが出していた音を出せるとしても,ステージのみばは格段に悪くなる。ライヴの観客は,器械を観に来ているのでも,あらかじめプログラムされた音の再生を体験にきているのでもなく,あくまで演奏というイヴェントを目撃しにきているのだ。ミュージシャンを器械に置きかえて淋しくなった分,ダンサーで補うという,ラップやニュー・ジャック・スウィングのステージ戦略は,このミュージシャンの不在を穴埋めするためのものだ。
 ブラック・ミュージックの最大の武器は,身体性と即興性だ。身体で感じ身体で表現するということ,ここ・いまという瞬間を大切にし,決められたコースをなぞらず瞬間ごとに新たに音を編みあげてゆくことの快楽を,ジャズやブルースやソウルを通じて,ぼくら(英米の白人やニッポン人)は学んだ。いま,そうしたブラック・ミュージックが,へたに使えば身体性・即興性を抑えこみかねない電子楽器と四つにとり組んでいる。いまはまだまだ試行錯誤の期間だが,しかし,七〜八年まえに比べて,黒人ポピュラー音楽の打ちこみサウンドは,ずいぶん使い方がヒューマンになったと思う。また,マイケル・パウエルが手がけるアニター・ベイカーのバックのサウンドのように,生バンドの音の再評価もおこっている。希望的観測かもしれないけど,あと五年か十年のうちには,電子楽器も音づくりのなかで所を得て,もっと控えめにふるまうになり,ヴォーカルや生の感覚の生かし方がもっと重視されるようになるだろう。そもそも,アメリカでの黒人のルーツ音楽,ゴスペルでは,昔もいまも変らずライヴ感覚が大切にされているから,ブラック・ミュージックから身体性と即興性がなくなることなど,当分はないはずだ。

6.日本のR&Bはシャネルズの世界を脱したか?


 これは,久保田利伸本のための文章だったよね。ほとんど筆者はそれを忘れて,黒人音楽の流れにばかりこだわっているという話もあるけど,しかし,ここまでの細かい論点が,まったく久保田論と関係ないかというと,そうでもない。
 まず,久保田や小比巻かおるのような人たちの音楽が可能になったのは,一に電子サウンド化,二に高い円・安いドルのおかげで,自分が好きなクロい音を,流行おくれにならないうちに,すばやく自分の音楽にとりこめるようになったおかげだといえる。ここに,三として,ニホンのミュージシャンのテクの水準の向上をつけくわえてもいいけど,しかし,先にも書いたように,打ちこみサウンド化という要素は,大きいと思うよ。ジェームズ・ブラウンが全盛の七〇年前後に,彼のバンドのノリを再現するなんて,ニホン人ミュージシャンにとっては,長い時間をかけなきゃできないことだっただろう。しかし,最新の打ちこみサウンドのヒットをコピィするのには,そんな時間はかからない。しかも,円高の今では,レコード会社が気を入れてバック・アップしてくれるなら,ミネソタのプリンスのスタジオで録音することも,ジャム&ルイスの手を借りることも,Pファンク・マスターのジョージ・クリントンにセッションを任せることもできる。これは,すばらしいといえばすばらしいことなのだけど,そうしたサウンドという衣装をたやすくまとえることを,それに見合う内容を備えているということと,とり違えてはいけない。 
 そうしたサウンドやアーバン・ブラック風のファッションは,昔,シャネルズ(のちのラッツ&スター)が顔に塗っていた,黒いドーランを思いおこさせる。黒塗りっていうのは,白人が黒人の真似をしたミンストレル・ショウという,すこし歴史を知っている黒人なら不愉快がるにちがいない芸能でやられていたことなんだけど,それはまぁいい。黒塗りのシャネルズの身体には,たいして深くドゥー・ワップやソウルが染みついていなかった,ということが問題なのだ。彼らの師匠格で,けっして黒塗りなどしなかったキング・トーンズと,比べてみるといい。

 ひとりよがりではない自分のことばをもつこと,歌いたいものをもつこと,アドリヴの能力とそれを意味あるものにする感受性とワザをもつこと。これは,けして簡単なことじゃないし,日本のポップス/ロック・シンガーで,こうしたことを成就している人は,たぶんあまり多くないだろう。もちろん,ブラックの歌にだって下らないものもあるけど,でも,シンガー/ライターの彼らの多くはプロだ。ティーンのアマチュアという感じのラップのMCたちにしても,ライムさばきに不断の訓練をつんで,売れるだけのワザを身につけている。
 ことばをめぐるワザが身につくのも道理で,彼らの場合,歌やラップと日常の会話のあいだに,当地でありがちな切れ目がない。これは,アーティスト個人のせいにばかりはできない,文化の問題で,つまりはニホンのポップスって,かなりの程度タカラヅカなのね。いつぞや,ステージでは「てめぇらノッてるかい」とかなんとかいってツッパッるヘヴィメタ・パンク・バンドが,楽屋ではきわめて礼儀正しいのを目撃して大笑いしたことがあったけど,発現形態はいろいろあるけど,ニホンのポップスは,世界を作ろうとしたらとにかく日常とは別天地,タカラヅカになってしまいがちだ。歌詞に英語を入れるというのも,そうしたシンドロームの変種。日常会話で,英語なんて使わないでしょ?
 久保田利伸は,黒人音楽のファンで,ファンとしては視野も広いし趣味も悪くはないようだ。彼の音楽や,彼がDJをするラジオの番組(ブラック党だというのなら,おねがいだから,もすこしヒップな心根でしゃべってよ!)を通じて,ブラック・ミュージック・ファンが増えているのも,たしかだろう。ミュージシャン/シンガーとしての彼に言いたいことを,一言でいってしまえば(とかいって,先に間接話法でくどくどと書いているけど),これだけ。「ノーホウェア・マン」にならないで。つまり,ブラック・コミュニティにも音の旅行者としての関わりしかなく(ラップのブラックたちにとっての意味などさらさら考えず),ニホンの現実のなかにもBGMを大きくこえるかたちで足あとを残せない,「ネヴァー・ネヴァー・ランド」の住人にならないで。まぁ,よけいなお世話だといわれりゃ,そうなんだけどね。

7.大人のためのR&B,三枚のサンプル


 最後に,ラヴ・ソング。ぼくが,最近ブラック・ポピュラー・ミュージックは上潮だぜ,と信じるきっかけになった,アルバムのうち三枚をサンプルとして挙げて,この長話をしめくくりたい。
 まず,去年の,プリンスがプロデュースして自分のレーベルから出した,メイヴィス・ステイプルズのアルバム,『時はとまらない』(Mavis Staples; Time Waits for No One. Paisley Park 9-25798 1)。メイヴィスは,ファミリィ・グループ,ステイプルズ・シンガーズのリード・ヴォーカリストとして長いこと歌ってきた女性で,ゴスペルの世界で鍛えたその声は,使いこんだレザーのように表面はちょっとささくれているけど,あくまでしなやか,どこまでもタフ(丈夫)。クロさが分かる,というのは,ぼくにいわせれば,たとえばメイヴィスのヴォーカルと,ティナ・ターナーのヴォーカルの格の違いが分かるってことね。じつは,プリンスは,メイヴィスと体質があうと思われる南部のソウル系のプロデューサーをいくつかの曲で起用しているのだけど,プリンス自身が手がけた曲のほうが,感動的だ。映画やバイオでハーフのふりをして(ほんとうは彼の両親はどちらもブラック),ロックぽい部分を強調してきたあのプリンスが,ゴスペル系のヴェテラン・シンガーの生理を驚くほどたしかに押さえている。押さえたうえで,メイヴィスに,いかにもプリンスらしい趣向の衣装を仕立てる。「ジャガー」というジャンプ・ナンバーでのことだ。四十台の,三十数年間神を讃える歌を歌ってきた女性シンガーから,猫科の猛獣のように狩りをする女を引きだす。もちろん,こういう演劇的仕かけには,それに応えられる演者の身体がなきゃだめね。そう,もちろんポピュラー・ミュージックとは演劇で,それをプリンスほど知りぬいている人も少ないだろう。
 つぎはラップで,やはり昨年の,ドクター・アイスの『マイク狩り男』(Doctor Ice; The Mic Stalker. Jive 1249-1-J)。これは,フル・フォースという,才能豊かなニューヨークのファンク・バンド/音づくり集団の製作になるもので,ねばっこいビートとライムさばきに,かぶいたというか,ヒップなユーモアのスパイスがべた一面にかかっている。「アイス先生,ステージへ,手術が始まります」というオープニングのアナウンス,医師を僭称する子供っぽい「ごっこ」が,セックス・アピールに転換される機微からして,あざとく面白い。歌もの(ブライター・サイド・オヴ・ダークネスの1973年の「ラヴ・ジョーンズ」)のわざとらのサッカリン味,五〇年代のリトル・ウィリィ・ジョンのR&B「フィーヴァー」のファンキィな本歌とりや,ドクター・アイスが変身したドレッド・ドック(もちろんラスタファリの髪型ドレッドロックのもじり)のジャマイカン・スタイルのDJと,とにかく引き出しが多い。
 曲のあいだの贋のインタヴューで,インタヴュアーがドクター・アイスに訊ねる。「ドクター・アイス,あなたが子どもたちにとって,良くない手本になっているというのは,ほんとうですか? あなたは,ロコツな歌詞をたくさん歌ったり,盛大にスウェアリング(罵りのことば)をいったりするそうですが。」 アイス博士が応えて曰く。「おれは,生まれてからいっぺんも,マザーファッキング・カース(母ちゃんとお○○○な汚いことば)なんか,口にしたことはないよ。」 人を食ったやつだぜ,まったく。
 最後に,最近出た,グレン・ジョーンズの『すべてを君に』(Glenn Jones; All for You. Jive 1181)。これは,ただ,歌がひたすら巧みなゴスペル出身の都会派歌手による,非常によくできたラヴ・ソングのアルバムだというだけ。前途有望な音の職人,テディ・ライリーが製作に手を貸しているけど,そんなことはどうでもいい。「そばにいて」,「ぼくがすき?」,「もいちど,やりなおそう」。何十万もの歌のなかで繰りかえされたことばが,いまだに意味をもつとしたら,それは,そうしたことばが何億回も人と人のあいだで繰りかえされて,なおかつ,すりへらずに意味をもっているのと同じ理由からだろう。てれずに,フィーリングをこめて,駄々っ子じゃなく一人のオトナとして,「そばにいて」といえる。それが,ラヴ・ソングを歌えるということ。もちろん,グレンはそれができる。美しく。ぼくが,このうえ,この才能あふれる歌手に望むことは,たった一つだけ。いつかそのうちに,でいいから,自分の流儀でブルーズ(心の痛みの歌)を歌ってほしい。ちょうど,サム・クックが,その短いキャリアのなかで吹きこんだアルバム一枚分強のブルーズと同じように,それはきっと,人生のふさぎ虫にとりつかれた人たちにとって,貴重な共有財産となるはずなのだ。
(おしまい)

[*] 青弓社の名誉のために,この本の企画は流れたけど,ちゃんと原稿料はいただいたことを申し添えます。(こんなに良心的な出版社って少ないよ。)
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