逸脱・社会問題研究における公式統計の使用について
The Debate over the Use of Official Statistics in the Study of Devianace and Social Problems in Retrospect
本稿は、『奈良女子大学社会学論集』第3号(1996年3月 49-62頁)に掲載された研究ノートに、ごくわずかの加筆訂正を施したものである。なお、論文の末尾の「追記」は、これを寄稿した奈良女子大の紀要が間場寿一教授の退官記念号であったために付された。(1996年10月26日)
なお、本稿に改訂を加えた「社会問題の研究と公式統計」が、1999年3月刊の拙著『社会問題の社会学−構築主義アプローチの新展開』(世界思想社)に、第2章として収録されている。
1)本稿の目的
逸脱・社会問題(社会病理)の社会学的研究においては、デュルケム以来、公式統計に基づいて算出した「逸脱行動」の発現率をデータとして使い、そうした比率の集団間・社会的カテゴリー間の比較を通じて、逸脱行動の原因についての命題を検証するという計量的なアプローチが一つの伝統になっている(Durkheim,1960=85; Merton,1957=61; Clinard,1964; 岩井,1973; 松本,1984; Gottfredson and Hirschi,1987; Hagan,1989)。しかし、周知のとおり1960年代以降、いわゆるラベリング論(あるいは社会的反作用論)の台頭と軌を一にして、研究者にとってそれまで自明な手順の一部だった公式統計の使用について、方法論上の疑念が表明されるようになった(Kitsuse and Cicourel,1963; Douglas,1967; Atkinson,1978)。
この研究ノートの目的は、(1)こうした問題提起がきっかけとなって行われた公式統計の使用をめぐる論争を概観し、その論争がじつは二つの異なった社会学ゲームの並立という事態を示すものだったことを再確認し、そしてさらに、(2)この論争の残り火がいまだに社会問題の社会学の分野で構築主義(コンストラクショニズム)と呼ばれる研究戦略の内側にくすぶっているのを明らかにすることにある(注1)。
2)公式統計論争の端緒
1963年に、キツセとシクレルの「公式統計の使用についてのノート」が『社会問題』誌上に発表されたあと、すぐさま公式統計をめぐって活発な論議が始まったわけではなかった。この論文は、当時主流のマートン学派の研究方針を「行動の産出過程」と「比率(統計)の産出過程」の分析的な区分を怠ったものとして批判し(注2)、後者、つまり逸脱が組織的に定義される過程の研究を呼びかけるものだった。この呼びかけに応えたサドナウ(1965)やシクレル(1968)、ビトナー(1969)、ブラック(1970)、ウイルキンズ(1970)などによるエスノグラフィックな研究成果が蓄積された1970年代になってようやく、ヒンデスがその著書『社会学における公式統計の使用』(1973)でシクレルやダグラスの公式統計使用の批判に言及し、本格的に論争の幕が切って落とされた。以後、ヒンデスに対してシクレルが自著の改訂版の序文で反論を行ない(Cicourel,1976)、イギリスでは自殺統計をめぐって、アトキンソン(1973)とバグリー(1972; 1974)の間でやりとりがあり、それがオープン・ユニヴァーシティの社会学のテキスト(Cresswell,1975)に収録されて注目を集めるなど、論争は一定の広がりを見せることになった(論争の経過の詳細については Eglin,1987: 185-6参照)。
公式統計論争の主な論点の整理をするまえに、まず、その出発点となったキツセとシクレルの論文の中身をもう少し詳しく見ておこう。キツセとシクレルは、従来の逸脱の原因論を、(1)統計を用いたマ−トンらの集合レベルの分析、(2)サザ−ランドや社会心理学者の個人レベルの分析、(3)レマ−トらの逸脱的な「行動システム」の発展過程の分析の三種類に大別したのち、逸脱の定義をめぐる概念上の困難(混乱)があるために、この三つの流れの理論的統合が阻まれていると主張する。この困難は、行動の基本単位を生み出す社会行動(行動の産出過程)と、逸脱行動の比率の基本単位を生み出す組織的活動(比率の産出過程)が自覚的に区別されていないことに起因する。そのため社会学者は、前者について論じるときにじつは後者、つまり統計が作られる過程について一定の想定を暗黙裡に行っていながら、そのことに気づいていない。この想定とは、公式統計は多少の誤差はあるにせよ、基本的には逸脱行動の「客観的な」反映だというものである。
たとえばマートンは、いっぽうで「社会の機構によって利用可能なものになっている」既存の公式統計の難点や限界について警告しながら(Witmer and Kotinsky,
1956 の32頁に掲載されたマートンの発言、ただし Kitsuse and Cicourel,1963: 133 の引用による)、しかし結局は公式統計に基づく犯罪率・非行率をデータとして利用する。上のマートンの警告には、公式統計は社会学研究の目的にとって適切に組織化されたものではないかもしれないという逸脱の定義に関わるものと、統計の作成の過程で何重もの誤差(エラー)が発生しうるという指摘の二つの論点が含まれている。計量研究の方法論のターミノロジーを使っていいかえるなら、後のほうの指摘が公式統計のデータとしての信頼性に関するものであるのに対して、前のほうはその妥当性に関するものだといえる。
キツセとシクレルは、測定の妥当性の問題(あるいは、彼ら自身の表現によるなら測定に使うカテゴリーの定義の問題)は信頼性の問題には解消されないと指摘した上で、行動の産出過程から比率の産出過程へ、さらには比率の産出の背景となる逸脱の社会的な定義過程の研究関心を移すことを提案する。彼らによれば、社会学者は公式統計だけでなくあらゆる統計を対象にして、そうした定義過程の研究を行うべきなのだ。「[そこで]提示される問いは、その統計の『適切性』に関するものではなく、比率を産出する社会機構の職員が行動を逸脱として同定し、分類し、記録するために使うカテゴリ−と一体になった定義に関するものである」(Kitsuse and Cicourel,1963: 136) そうした統計の産出過程で使われる逸脱行動の分類カテゴリ−と、分類の対象となる行動の形式や「症候」との間には、必ずしも一対一の対応関係があるとはかぎらない。むしろ、ある種のカテゴリ−の適用の基準はあいまいな、多種多様な行動にあてはめられるものであるだろう。だからといって、そうしたカテゴリ−を使って作り上げられた統計は「信頼性の低い」、無用のものとして棄却されるべきではない。そうした統計はそれなりに、逸脱を処理し記録して統計を生み出す組織的な活動の「有意味性の構造(relevent structure)」を映したものであり、そうしたものとして研究に値する。そして、そのような組織的過程に注目することによって、「行動の産出過程と比率の産出過程を一つの枠組みの中で探求し、両者を比較することが可能になる」(ibid.: 139)というのが、キツセとシクレルの論文の結語なのだった。
3)公式統計論争の主要な論点
さて、以下では公式統計の使用をめぐる論争の主要な論点を、エグリン(1987)の整理に依拠しながら述べる。この論争は、基本的には、二つの立場の論者のやりとりとして進行したといえる。その一つは、何らかの集合レベルの理論に依拠し、公式統計に基づく逸脱行動の発現率を使った研究を続行しながら、キツセとシクレルやダグラスなどの問題提起を、統制する必要がある外在変数を指摘したものとして取り扱う立場である。こうした立場を、ここでは、エグリンに倣って「外在派(externalist)」の調査戦略と呼ぶことにする。これと対照的なのが、キツセらの上のような提起に従って、公式統計を使う調査から逸脱や社会問題、医療といった領域での公式の意思決定過程の探求へと研究関心を転じた「内在派(internalist)」の調査戦略である。おおまかにいうなら、この立場の研究者の調査課題の設定は、シンボリック相互作用論、エスノメソドロジー、マルクス主義のいずれかの理論的系譜の枠組に依拠して行われた(注3)。
3)-A 信頼性についての疑問
キツセとシクレルの論文でも暗に指摘されたように、公式統計の使用への方法論的な問題提起は、測定の信頼性に関するものと妥当性に関するものに二つに大別できる。初めに、そのうちの信頼性に関する批判と、それに対する反論の主だった論点を見てみることにしよう。
信頼性は周知のとおり、測定の再現性に関わる概念である。いいかえれば信頼性の問題は、「(1)測定法を変えても、測定の結果に大きな差異がないか。(2)測定の対象を変えても、測定の結果に大きな差異がないか。(3)測定の結果に大きな差異がないか。要約すれば、測定の一貫性は、どの程度あるのか、という問題」(直井,1983: 26)なのである。以前の研究が無自覚に依拠して比較法による考察の素材にしてきた犯罪・非行や自殺の公式統計ははたして、時や場所が異なっても同じようにそうした現象の社会内での発生を反映するものなのか。より具体的にいえば、警察官や検死官といった公式統計の作成に携わる人たちは、いつでもどこでも一律の基準と手続きにそって各種の犯罪や非行、自殺の生起を認識し、記録し、報告しているといえるのか。
いうまでもなく、この問題をめぐって考えられる批判点の第一は、暗数の存在をめぐるものである。犯罪・非行や自殺は、公式統計に組み込まれることになるまでに、幾層ものふるいにかけられる。犯罪を例にとるなら、それについて公的機関やその他の人に通報をすることができる被害者や目撃者がいないかもしれないし、そうした人間がいたとしても、その人は通報しないかもしれない(各種の「被害者のいない犯罪」や、通報がいわゆる「セカンドレイプ」を帰結しがちな社会環境下でのレイプ事件などがその典型例だといえる)。さらに、事件が通報されたあとにも、その「事件」は公式統計に組み込まれるまでに、その通報に対処して意思決定を下す警察組織と刑事司法機構の各種の当事者による何次ものスクリーニングをくぐり抜けなければならない。その過程で、担当職員の個別的な裁量によって、あるいは組織的な対処の手続きの違いによって、無視できないサイズの暗数もしくは誤差が生じるだろう。その結果、ある種の公式統計の数値は、「氷山の一角」を表したものにすぎないかもしれない。
こうした指摘に対して、外在派は、そうした暗数の存在は公式統計の使用を断念しなければならないほど決定的な問題ではないと反論する。公式統計による研究の目的は犯罪・非行、自殺の絶対数を知ることではなく、それを利用して計量的な分析を行うことにある。したがって、公式統計に「相対的な信頼性」があればそれで十分だといえる。となれば計量研究を続行するために必要な作業は、各種の公式統計の誤差の程度について、納得の行く見積もりを試みることである。
もちろん、内在派サイドは、暗数(および母集団)の大きさが未知である以上、公式統計の誤差の比率もまた未知だと論じることができる。しかし、外在派の立場からすれば、暗数の大きさは知り得ないにせよ、その見積もりは必ずしも不可能ではない。他の測定法によるデータと突き合わせ、いわゆる「三角測量」の手法(Ford,1975=82,下巻: 168)を使って暗数の大きさを見積もり、公式統計の信頼性を検証することはできる。こうした観点から、犯罪学の分野では1960年代後半以降、数々の自己申告調査と被害者調査が行われてきた。どちらの調査法にも公式統計とは別の限界があるとはいえ、それらはそれぞれに「犯罪についての相関係数の正確な同定」に貢献するとされる(Laub,1987)。たとえば、非行の自己申告調査の結果を用いて、次のようなやり方で、公式統計によって得られた知見を修正する理論的な推論が行われたことはよく知られている。公式統計を見るかぎりでは下層階級の非行率は高く中流階級の非行率は低かったが(周知のようにそれがマートン学派のいわゆる「アノミー理論」の経験的な根拠とされた)、自己申告調査によって得られた中流階級の非行率は、一般に公式統計のそれよりも高かった。これは、非行が各階級に遍在する証拠であり、公式統計において下層階級の非行率が高いのは、警察が非行を行った少年の社会階級によって異なる処遇をするからではないか(ちなみにこの仮説は、シクレルによる少年司法過程のエスノグラフィー的調査の結果とも一致するものである)。そうであるとするなら、外在派はそうした「警察のバイアス」を統制してより妥当な非行率の見積もりを行い、自らのデータの信頼性を高めることができる。
しかし、こうしたやり方で、ある社会のある時点での公式統計に関して誤差の程度の見積もりが可能になったとしても、信頼性に関する別の疑問が出される余地はある。公式統計は、時代や場所が異なる場合にも、同じ基準や手続きにそって作られているといえるのか。この問いは、公式統計を使った経時的分析や国際的な比較研究のアキレス腱を突くものだといえる。
たとえば、ダグラス(1967)は、19世紀の自殺統計の場合、死亡証明書発行の権限が宗教的権威から世俗の権威に移るというような制度的変化が起こると自殺率が上昇するという知見を示した。あるいは、『自殺論』で命題検証の材料になっている「カソリックはプロテスタントより自殺率が低い」とか、「農村は都市より自殺率が低い」という公式統計に基づく知見も、ダグラスが主張するように、より「統合された」コミュニティのほうが自殺の隠蔽率が高いという傾向の結果であるかもしれない。さらには、自殺率が死亡届作成の手続きによって違ってくるという経験的知見もある。また、トロント市の検死医局長が1963年に、それまでは家族のことを配慮して遺書がなければ事故または自然死として処理してきたのを、「より正確な統計を作成するように」規定を変更した。そのあと、同市の自殺率は急増することになった(Eglin,1987: 192-3)。
こうした指摘に対する外在派の反論は、ここでもやはり、批判者が提示するさまざまな「変数」の統制は可能だというものである。英国の心理学者、精神医学者、病理学者たちは、1968年以降自殺研究の分野で、こうした点について種々の試みを行ってきた。セインスベリー(1983)は、そうした試みの包括的なレビュー論文のなかで、合州国への各国からの移民グループの自殺率の順位は、彼らの母国の自殺率の順位と一致すると指摘する。合州国内では、死亡を認定し記録する手続きは基本的には斉一的だとみなされる。したがって、国ごとの手続き等の違いを統制したあとも、各国の自殺率の順位は変わらないと考えることができ、各国の公式統計による自殺率の信頼性が裏書きされるというのである。また、手続き等の差や担当者の「ミス」の影響を消去するために、公式統計の自殺件数に「死因不明」の死亡件数や「自殺が誤ってそう分類される可能性がある」ある種の事故(たとえば服毒事故)による死亡件数を加えた数値を算出し、比較することも行われてれている。こうして「隠れた」自殺が紛れこんでいる可能性があるカテゴリーと合せて計算しても、一般に、各国の自殺率の順位は変わらないという結果が得られる。これもまた外在派の論者にとっては、公式統計の相対的な信頼性を示すものである。
いっぽうで、手続きや基準の経時的な変化が及ぼす影響についても、経験的な反証が示された。たとえば、ある論者は、イングランドとウェールズの公式統計を歴史的に検討した結果、1961年の自殺の非犯罪化を含めた法制上および行政手続き上の変化は、この地域の自殺率の年次レベルでの大幅な上下動を説明しないと結論する(Jennings and Barraclough,1980、ただし Eglin,1987: 194 による)。また、公式の死亡記録の丹念な洗い直しの作業も行われ、今世紀初頭の時点と1960年代中葉とを比べても、自殺の「記録もれ(under-recording)」の率は一定だという調査結果が報告されている(Brugha and Walsh,1978、ただし Eglin,1987: 194 による)。このように、信頼性の問題に関する限り、論争の帰趨は外在派に有利なもののようにみえる。
3)-B 妥当性についての疑問
以上のような信頼性についての議論は、公式統計は研究者が研究対象にする現象を(程度の問題はあるにせよ)「本当に」測定している、つまり、公式統計による統計には妥当性があるということを前提にしている。測定の妥当性の問題とは、「(1)測定法は、問題の概念を実際に測定しているか、そして(2)その概念は、正確に測定されているか」という二つの質問に答えることである(直井,1983: 26)。
自殺を例にとるなら、まず第一に、(a)自殺の判定に携わる各国の公的機関の担当者は、自殺というカテゴリーについてのスタンダード化された定義を共有しているのか、さらにその定義は、研究者の理論上の要請に基づく自殺の定義と一致しているのかという点が問われることになる。そして、研究者と担当者たちが基本的に同一の定義を共有していたとしても、次に、(b)そうした定義を公的機関の担当者が個々の具体的事例に適用するに際に拠り所にする操作化の手続きが問題になる。たとえば、公式機関によるフォーマルな自殺の定義が(実際多くの場合そうであるように)、「死のうとする意図をもつ人間が、自らに手を下して引き起こした死」というものだとする。しかし、そうした公式の定義を与えられただけでは、新任の検死官や鑑識医は、自殺の判定という実務について十分な指針を与えられたとはいえない。「自らに手を下す」および「死のうとする意図がある」というこの定義の要件を表示する「事実」はどんなものなのかが明らかではないからだ。公的機関の担当者は、何らかのかたちで自殺というカテゴリーの定義を操作化し、当面する事例に適用可能な具体的基準を使用できるようにならなければ、ある事例が自殺か否かの判定を下せないだろう。この操作化の手続きに関わる過程は、キツセとシクレルが指摘したとおり、外在派の研究デザインでは通常、ブラック・ボックスに入れられている。
ダグラス(1967)の自殺研究における公式統計使用の批判には、上記ような信頼性についての論点だけでなく、妥当性についての論点もあった。ダグラスは、デュルケムは『自殺論』で自殺の定義について理論的な見地から周到な議論を行ったが、しかし、彼の定義と自殺の四類型が、彼がデータとして使った各国の自殺統計の作成過程で使われていたわけではないと指摘する(注4)。マートン(1957=61)が示したアノミーへの逸脱的適応の類型と非行、犯罪や精神病の統計の関係についても同じことがいえる。キツセとシクレル(1963)が指摘するとおり、彼が理論的に導き出した四類型と、刑法の規定や精神病についての公的な分類基準との間に論理上、密接な対応関係があるとはいえない。
研究者の使うカテゴリーと行為者(この場合は犯罪・非行や自殺の判定に携わる公的機関の担当者)のカテゴリーが一致しうるものかどうかについては、さまざまな方法論上の議論がある(たとえば Ford,1975=82 や Bogen and Lynch,1993)。しかし、それについてはここではさておいて、後者、つまり公式統計に使われる逸脱行動のカテゴリーをめぐる議論には、さらに二つの論点が含まれることに注目しておきたい。内在派によれば、そうしたカテゴリーは、i)境界が可変的であり、また、ii)その内部に異質性を孕むものである。ダグラスが歴史的、人類学的知見を挙げて指摘したとおり、自殺というカテゴリーの意味づけとそれを含む死の分類体系は、場所や時代によって変わる。日本の武士の切腹やイヌイットの死の手助けなどの習俗は、西欧の自殺/殺人の区分と異なる分類体系に属するものだし、西欧社会でもこの二千年の間に、自殺は宗教的な罪、道徳的な侵犯行為、犯罪行為、理性的行為、狂気のしるし等々、時期によって意味づけを変え、また定義上の重心を移動させてきた。こうして自殺というカテゴリーの境界は可変的だが、同時に、そのカテゴリー内には、多種多様の意図(もしくは意味づけ)を帰属される行為が含まれる。宗教的エクスタシーの帰結であれ、自己懲罰であれ、苦しみからの逃避であれ、復讐であれ、政治的抗議であれ、愛他精神の発露や殉教であれ、「自死」と「意図」といった定義上の形式的要件を満たせば、ひとしなみに「自殺」というカテゴリーで括られる(注5)。
こうした公式統計におけるカテゴリーの定義(先述の問いの(a))の問題に、さらに先述の定義の操作化過程のブラックボックス化の問題(問いの(b))が積み重なる。再確認しておくなら、公的機関の担当者による逸脱の判定過程の問題は、信頼性のレベルでは当該のカテゴリーに属する行動の「実数」がどの程度まで反映されているのかというかたちで問われるが、妥当性のレベルでは、その過程で使われるカテゴリーのフォーマルな定義と操作化された定義の性格自体が問われる。「『データ』が『妥当である』のは、研究者によって明確に予想された時だけ」(Ford,1975=82,下巻: 175)だとするなら、つまり、「データは、調査に先立って、特定の検証の次元に明確に特徴づけされているときにのみ『妥当である』と言うことができる」(ibid.: 175)のだとするなら、各種の逸脱行動の理論にとって公式統計のデータとしての妥当性は、きわめて疑わしいものではないのか。
もちろん、公式統計の作成過程、つまり警官や検事、弁護士や検死官が実際に何をしているかを調べる内在派の研究を、こうした妥当性の問題への一つの対応として位置づけ直すこともできなくはない。アトキンソン(1978)やシクレル(1968)、サドナウ(1965)、メイナード(1984)などの一連のエスノグラフィックな調査研究の結果、公式のカテゴリーの操作化(適用)について明らかになったことを、エグリン(1987: 200-2)は次のように整理する。
公式統計の基盤となる事例の記録は、組織的なコンテクストのなかで相互行為が行われ、当該の事例をめぐる課題が担当者によって仕事として処理される過程を通じて作成される。そうした現場で、各種の逸脱行動のフォーマルな定義が操作化され、実用に供される際には、(i)犯罪・非行や自殺の類型やそれを実行する方法、それが起こる前の状況、その動機、それが行われる場所や時間や状況といったことについての常識的な知識と、(ii)組織的なコンテクストのなかで有意味なものとなる仕事上の要求の諸特性とが、操作化の背景をなす知識として使われる。ここでいう「要求の諸特性」とはたとえば、ケース処理の流れのなかで当該ケースに使える時間や資源、職務上の分業のあり方、ローカルな政治環境、当該ケースを担当する部門の性格といったことをさす。
まず(i)について、手短に例示しよう。アトキンソンの自殺の定義過程についての報告によれば、検死官はある「不自然な死」が自殺であるかどうかを判定するあたって a)遺書や前知らせとなる言動、b)死の様式、c)死の場所と死の状況、d)個人の生活史の四群に分類される「事実」を自殺の指標にするが、それらが一つ一つで個別に証拠としての意味をもつわけではない。あるいは、個々の指標がチェックリストになり、その合計がいくつになれば自殺だと判定するといった、「計量的」な判定法がとられるわけでもない。複数の証拠の組み合わせから、故人の自殺に至るライフストーリー(身の上話)、つまり故人がどういういきさつで自殺に至ったかの説明が読み取られて(つまりライフストーリーのゲシュタルト構成が行われて)はじめて、個々の指標が自殺の証拠としての意味を持ち、判定の材料となる。そうしたライフストーリーの構成は、しばしば検死官と警察官や証人などの間の協同作業であり、そして、ストーリーを構成するための要素(つまりエピソード)の選択の枠組になるのは、専門的理論ではなく文化的に共有された知識、つまり常識である。たとえば孤独な人や病苦を抱える人、精神を病んだ人は自殺しやすいという常識が自殺の判定の過程で担当者によって背景知識として参照され、自殺の具体的事例という「事実」を生み出す材料になる(注6)。
いっぽう、(2)の組織的コンテクストについては、司法取り引き過程において弁護士は取り引きの可能性との関係で「ふつうの犯罪」というカテゴリーを使うというサドナウ(1965)の知見が先駆的なものだ。しかし、それよりも、米国において、少年課がない警察署では非行の多くが街でインフォーマルに処置され記録が残らないが、少年課がある警察署では記録され、捜査が行われるといった知見(Eglin,1987: 202)のほうが例としては分かりやすいだろう。
3)-C 二つの社会学ゲーム
以上のようなエスノグラフィックな知見をどのように理解するかをめぐって、外在派と内在派の立場は、はっきりとした対照を描き出すことになる。外在派の視点からすれば、こうした知見は、新たな外在変数が存在する可能性の指摘なのである。したがって、公式統計に影響を与える文化的および組織的な要因(たとえば「常識的意味付けのバイアス」や「少年課の有無」といった新たな変数)を、計量的な調査デザインの中でどのように統制するかというかたちで、問題が立てられることになるだろう。
いっぽう、内在派の研究者は、こうした文化的および組織的「要因」を、本来的に逸脱行動の判定過程から分離不可能なものだと考える。そうした事柄は単なるバイアスの源泉ではなく、公的機関の担当職員が公式の規則にそって逸脱を同定し、その判定を理解/報告可能(accountable)なものにするために使う手段なのである。したがって、外在派がいうような変数の統制の試みは、内在派にとっては無意味なことである。内在派にとっては、公式統計の数字は、自殺という「出来事自体」と情報収集・意思決定のプロセスの両方を反映するものなのであり、この両者を分離することできない。
外在変数の統制という発想に対する、内在派サイドからの経験的知見の報告という形式での批判の、主な論点を列挙しておくことにしよう。(1)さまざまなカテゴリー(とそれに結びつけられた文化的・組織的な推論のパタン)は、逸脱行動の判定の過程でチェックリスト的に個別に使われるのではなく、全体的なやり方で使われて一定の意味の形態(ゲシュタルト)を構成する。(2)さまざまなカテゴリーは、推論の過程で、どの場合にも同じように使われるとは限らない。(たとえば、アメリカのような「差別がある」社会において「黒人」というカテゴリーは、ある場合には判決を厳しくするような推論に使われ、別の場合には判決を寛大なものにするような推論に使われるかもしれない。) (3)ローカルな(つまり範囲の限定された)組織の文化(cf.Gubrium and Holstein,1990)が逸脱をめぐる解釈過程に与える影響は、統制といった一般化された手続きにはなじまないだろう(Eglin,1987: 203-6)。
しかし、外在派が、こうした論点自体を統計的な分析手法をさらに精緻化するための提言と捉えるという事態も、あながちありえないことではない。結局、公式統計をめぐる論争は、前提の異なる二つの調査戦略、つまりは二つの社会学ゲ−ムの間のすれ違いを内包したダイアローグだった。
ただし、キツセとシクレルの当初の公式統計批判が、必ずしもそうした前提の違いを十分に明らかにしてはいなかったことには、留意しておく必要がある。従来の逸脱・社会問題研究は行動の産出過程と比率の産出過程の区分をしておらず、また、公式統計は信頼性と妥当性が低いという彼らの指摘は、逸脱行動の原因の探求そのものを否定するものでも、外在派による測定の信頼性と妥当性の改善の試みを否定するものでもなかった。しかし、内在派にとっては先述のように、上の二種の産出過程は不可分のものなのだ。測定に使う器具と測定の対象は切り離せないというのが、内在派の方法論上の前提だからである。内在派にとっては、測定に使う器具(公式記録の作成に使われる逸脱関連のフォーマルなカテゴリーとそれを「操作化」したもの)の使用を通じて対象(逸脱行動)が構成されるのであり、その構成過程から独立してどこかに、客観的な実在として対象(逸脱行動)が存在するわけではない(注7)。
外在派が統計データを改善できると考えるのは、公的機関の担当者より自分たちのほうが、そうした客観的な実在について「よく知っている」と考えるからである。だからこそ、ブルーハとウォルシュ(1978)は、自分たちで検死官の記録を吟味して「本当の」自殺のケースを洗い出そうと試みた。しかし、内在派の立場からすればそれは、社会のネイティヴ(生活世界の住人)と張り合って再分類を行い、自分たちのヴァージョンの社会的現実を作り出しただけのことにすぎない。自己申告調査や被害者調査などによって公式統計を補い、あるいは公式統計に代わる計量データを得ようという試みも、内在派の目から見れば、測定器具と対象を切り離す「客観的」アプローチを推し進めてバイアスを排除すれば「本当の」逸脱行動を知りうるという想定に基づく逸脱行動の原因の探求だという点では、従来の公式統計を使う研究と選ぶところはない(注8)。このように別の社会学ゲームを行う外在派と内在派の間の論争には、いうまでもなく本来的な意味での解決はありえない。
4)構築主義と統計の使用
村上(1986: 60-63)はその「暗数論」のなかで、暗数を可視化しようとするエピデミオロジカル(疫学的)な試みの背後に「知の欲望」に裏打ちされた科学のまなざしを見てとった。そして、そうした「空間恐怖症的」なまなざしを共有するという意味では、実証主義的な計量研究(本稿でいう外在派におおむね対応)も、「ラベリング理論派と称されるベッカーやキツセさらにシクレルらの相互作用論アプローチ」(同じく内在派におおむね対応)も変わるところがないと論断した。たしかに、内在派もまた一種の科学主義的なまなざしの持ち主だといえなくはないが、しかし、そのまなざしの方向が外在派のそれとはっきり異なることは、以上に見てきたとおりである。内在派は、逸脱行動や社会問題という実在の可視化を目的にはせず、それが「実在」として立ち現れる過程を構成する人びとの実践にまなざしを向ける。このことを改めてはっきりさせたのは、1970年代に発展し、ラベリング論の方法論的に斬新な部分を純化させた社会問題への構築主義アプローチだった。
原因論をエポケーして(つまり括弧に入れて)、社会問題をめぐる人びとの実践を新たな研究対象に選んだ構築主義の社会問題研究(Spector and Kitsuse,1977=1990)は、統計についても基本的に内在派の立場を受け継ぎ、それがどのような経緯で作られ、社会問題をめぐる人びとの活動(いわゆる社会問題の構築過程)のなかでどのように使用されるかに注目する(Gusfield,1981; Best,1990; Takagi,1992; Orcutt and Turner,1993など)。
その一例として、飲酒運転問題を対象にしたガスフィールドの研究を見てみよう。そこでは、飲酒運転問題についての訴えかけを行う人びとが、その問題の深刻さを示すために使った「合州国には数百万人のアルコール中毒者がいる」という見積もりの出所が洗い出され、また、飲酒運転は重大な事故のもとになるという彼らの主張の根拠となった公的機関や研究者による調査の吟味を通じて、それらが統制群の不在や血液中のアルコール濃度という指標の不完全性、標本抽出過程の不備等々のために「科学的基準」から見れば非確定的なものだという指摘がなされる。ただし、ガスフィールドは、そうした調査を通じて数字が生み出され、それが社会問題の構築に使われることを批判したり、統計や調査結果の誤りを暴露しようとしたわけではない。彼の目的は、(1)部分的で限定つきの脆弱な知識(統計的なそれを含む)が公共のシステムに入ると、確実で一貫性のある科学的な事実とみなされるようになること、そして、(2)それがメディアにのり政策論議に用いられるとき、そうした「事実」にはさらに、たとえば「道徳的な悪」の創出といった(ケネス・バークがいう意味での)演劇論的な要素がつけ加わることを、社会問題の議論と公共の政策形成過程における一種の必然として示すことだった。
しかし、構築主義的な研究のなかには、内在派の枠内に必ずしも収まらない試みもある。構築主義の方法をめぐる論議の一つに「コンテクスト派」と「厳格派」の論争があるが(Holstein and Miller,1993; Best,1995)、前者の代表的論者のベストは、児童虐待や児童誘拐といった子どもをめぐる社会問題についての研究(Best,1990)のなかで、行方不明の子どもについての統計を洗い直し、暗数にまつわる検証作業を行う。彼は、「行方不明の子ども」というカテゴリーを広く定義するか狭く定義するかによってその数字が変わることを示し、この問題について訴える運動家が広い定義を取るところに、統計のレトリカルな使用を見る。この考察の姿勢自体は、上のガスフィールドの分析とさして変わらない。しかし、ベストは同時に自らの試算を使って、この問題についての運動家たちの主張は大幅に誇張されたものであると指摘して、彼らの主張を論破(discredit)しようとする(1bid.: 59)。ここで注目する必要があるのは、ベストがこうした指摘を自らの分析の単なる副産物ではなく目的の一つとして捉えており(注9)、そして、それが「コンテクスト派」の研究方針の一環として、方法についての議論の中で明示的に位置づけられているという点である(Best,1995)。
ベストは、たとえば「犯罪の増加」を訴えて対策を求める動きがあるとき、公式統計や犯罪への恐れについての世論調査に注目することは、犯罪問題について訴えかけをする人たちがそうした統計や世論調査の結果にまったく言及していない場合でさえ、研究戦略上有意義であるとする。そうした社会問題についての訴えかけ(クレイム申し立て)と統計や世論調査の結果とのギャップがあれば、それ自体が説明を要する研究課題となるというのが、彼の論点である。
その背景には、社会的事実についてのベストの次のような視点がある。「コンテクスト派の構築主義者は、あらゆるクレイム[社会問題をめぐる主張、要求、もしくは訴えかけ−筆者注]は、評価の対象になりうると主張する。クレイムは、公式の刑事司法統計や世論調査といったさまざまな証拠に基づいて申し立てられる。これらは社会的構築物、つまり、警察署や世論調査会社等々の組織的実践の産物である。厳格派の構築主義者はしばしば、あるクレイムのセット(たとえば犯罪の増加に関する統計)を別のクレイム(たとえば「街頭での犯罪」の増加についてのクレイム申し立て)を評価に用いることはできないと論じる。しかし、コンテクスト派の構築主義者は、ある程度の信頼性をもって(with reasonable confidence)、社会の状態について知ることができると想定する。彼らは、犯罪率や社会の状態についてのその他の情報が社会的に構築されたものだということを認めるが、しかし、そうした情報はクレイムの申し立てのコンテクストを(不完全に)記述するだろうと考える。たしかに、公式統計が犯罪率の増加を示しているか否かということは、街頭の犯罪についてのクレイムについてのコンテクスト派構築主義者の解釈に影響を与えるだろう」(ibid.: 347-8)
ここでいわれる「社会の状態」とは、測定器具から独立して存在するとみなされるあの「客観的な実在」である。ここで、ベストらのコンテクスト派は、内在派の伝統から外在派の認識論へと一歩を踏み出している。そしてその意味では、厳格派とコンテクスト派の対立は、公式統計をめぐる方法論争の構築主義の内側での再燃だともいえる(ただしそれは今のところ「ぼや」程度のものだが)(注10)。もちろん、ベストは前述のような統計の使用の過程の考察こそ構築主義的な研究の本題であり、公式統計やその他の統計が正確に事実を映すという客観主義者の立場への回帰はありえないと述べる。しかし、先に見たように、従来の客観主義者(つまり外在派)は決して公式統計が正確な客観的事実の反映だなどとは主張しておらず、それは客観的事実をある程度反映しており、そしてさまざまな努力によってその反映の程度を改善できると想定していたにすぎない。厳格派の側は、コンテクスト派の上のような議論が穿った蟻の穴から方法論の堤が壊れ、(ラベリング論の場合がそうだったように)客観主義の大海が押し寄せて来るのを危惧するだろう(注11)。
構築主義者は、社会調査の世界では歴然たるマイノリティである。彼らのあいだでの論議が、先に見た公式統計をめぐる論争ほど広い関心を集めることはありえないだろう。しかし最後に、先に挙げた公式統計論争との関連で構築主義の社会学的な手柄を一つ再確認しておくとするなら、それは、彼らが外在派の調査研究の営みの社会的なコンテクストについて、改めてはっきりと指摘したことである(Spector and Kitsuse,1977=90)。外在派の立場は、単なる一つの調査戦略ではなく、現代の官僚制組織やメディア報道、公共のフォーラム、科学研究の機関といったさまざまな場面でのディスコースの枠組に形式的に適合した報告を提供できる調査戦略である(注12)。私たちは、「客観的実在」があることを前提にした用語法を使うことなしに、「真剣な」社会生活を営むことはできない。そうした実在を表す数字を、まじめな顔で「お伽話」(Ford,1975=82)の世界に属するものとして語ることができるのは、私たちが社会科学のゲームのなかで話をしているときだけなのである。
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注
(1)本稿は、以前の「自殺」についての拙稿(中河,1986)の論点の一部分を、大幅に拡張し、整理して示したものである。
(2)キツセ本人の談話によれば、この論文はそのように主流のアプローチを批判するものだったため、いくつもの学術誌でレフリーに拒絶されたあと、比較的歴史が浅かった『社会問題』誌に掲載されることになったという。なお、この時期の同誌の社会学界内での位置についてはスペクター(1976)に詳しい。
(3)そのそれぞれを代表する例として、ベッカー(1963)、サドナウ(1965)とシクレル(1968)、およびテイラー(1973)ら英国の新犯罪学派を挙げることができよう。ただし、マルクス主義的な研究関心は、内在派的な視点と外在派的な視点の間を揺れ動き、ときに後者と一致してしまう傾向がある。
(4)たとえば、デュルケムは、「死が、当人自身によってなされた積極的、消極的な行為から直接、間接に生じる結果であり、しかも、当人がその結果の生じうることを予知していた場合を、すべて自殺と名づける」(1960=85: 22)と定義し、「自ら手を下す」と「死の意図」という広く見られる自殺の定義基準のうち、積極的な「意図」を「結果についての予見」に置き換える。しかしもちろん、この彼の定義が公式統計の作成過程において参照されていたわけではない。
(5)こうした多様な意味合いを腑分けして類型として同定する試みに、Baechler(1975=79)がある。
(6)アトキンソン(1978)の概略は、中河(1986)で紹介した。
(7)したがって、内在派の立場からすれば、「いじめ」というカテゴリーが登場するまで「いじめ」は存在しなかったし、世紀の変わり目ごろに少年法が誕生するまで「青少年非行」はありえなかったということになる。
(8)ただし、計量分析を行う人たちを認識論的に無反省な素朴実在論者として描き出す内在派(つまりはエスノメソドロジストや現象学的社会学者)の批判は、フォード(1975=82)のように方法論について熟慮を重ねた研究者には、必ずしも当てはまらない。また、計量研究から質的アプローチに転じさえすれば、信頼性や妥当性の問題から解放されるわけではないことは、質的調査の方法論をめぐる最近の議論(Silverman,1993)や、構築主義をめぐる方法論争(Holstein and Miller,1993)、ポストモダン・エスノグラフィーについての議論(cf.Clifford and Marcus,1986)などでも明らかである。質的調査にコミットする日本の研究者は、そろそろ真剣に方法論についての検討をはじめるべきなのではないだろうか(これはもちろん「畳の上の水練」の勧めではない)。
(9)このことは、本書の該当の章のもとになった彼の論文(Best,1988)のタイトルを見るだけで明らかである。
(10)とはいえ、厳格派とコンテクスト派の対立をそれだけののものとしてとらえれば、議論の矮小化になるだろう。厳格派の一部に見られる社会問題の一般理論化を求める傾向を批判して、社会問題の個々の事例をそのコンテクストにも目配りしながら記述・考察することの重要性を指摘したという面を、コンテクスト派の議論から読み取ることもできるからだ。ただし、そう考える場合にも、コンテクストということばの多義性には留意する必要がある。ベストたちがいうコンテクストは、単なる時系列的・歴史的なコンテクストでも、エスノメソドロジー寄りの構築主義者たちが言及するような文化的コンテクストでもなく、何らかの意味で客観的実在を映すものとしてのコンテクストであるように見える。
(11)現在、コンテクスト派と、より客観主義的な社会運動論の一部とのあいだに連携の動きが見られる以上、これはまったく根拠のない危惧とはいえない。
(12)このことによって、コンテクスト派の折衷的な立場の社会的コンテクストが説明されはしないかという問いは、あまりにも穿ったものにすぎるだろうか。
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[追記] 本稿をご覧になればお分かりになるとおり、筆者は間場先生の不肖の弟子である。それは昨日や今日に始まったことではなく、筆者は先生のゼミ(たしか神島二郎の著作を読んだと思う)に在籍していた同志社での学部時代から、同級の飯田剛史君などとは違って、決してよい学生ではなかった。そんな筆者が、ひょんな経緯からアメリカで社会学に真剣な興味を持つようになり、向こうで書いた修論を携えて日本の大学院を受験しようとした際、先生が貴重な御時間を割いて指導と助言とをして下さったことは忘れられない。あの時、あの親身で懇切な御教示がなかったら、その後筆者はどんな道を歩んだか分からない。この場を借りて、改めて先生の学恩に対してお礼を申し上げるとともに、制度上の一区切りをお迎えになった先生が、これからもますますお元気で御活躍なさることを心よりお祈り申し上げたい。
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