黒いキリスト教のル−ツとアメリカン・ロックの原点
あるいは,白人たちは音楽でハイになることをどこから学んだか
(『別冊宝島EX 黒人学・入門』宝島社 1993年 106-118頁/1997年4月に補筆)
1.
アフリカン・アメリカンのコミュニティの基盤は教会だと,よくいわれる。そして,そこで育まれてきた宗教音楽が,R&Bや黒いダンス・ミュージックはもちろん,ロックやポップス,ジャズにとっても主要なルーツのひとつなのだとも。
しかし,黒人教会の実像がまがりなりにもぼくらに伝わってくるようになったのは,最近のことだ。いま,アメリカ黒人の教会といえば映画『ブルース・ブラザーズ』の,ジェイムズ・ブラウンが牧師になって説教をし,ジョン・ベルーシが天啓を受けるあの場面を思い浮かべる人が少なくないだろう。また,最近来日したミュージカル『ママ,アイ・ウォント・トゥ・シング』の礼拝シーンでの,素晴らしいクワイア(聖歌隊)の歌声を思い出す人もあるかもしれない。
独特の強いビートと熱気,牧師と会衆の絶妙のコール&リスポンス(呼びかけと応答),盛装,歌や説教の合間にぱたぱた動く団扇…。『ブルース・ブラザーズ』の教会の場面は,誇張されてはいるが,まったくのデタラメではない。ゴスペル・グループの出身で,少年説教師をしたこともあるというJBの演技は,なかなかサマになっている。もちろん,礼拝に出席している人たちがあんなダンサー風のステップを踏むわけはない。しかし,礼拝の最高潮に信徒のなかから,忘我の状態になって「シャウト」という聖なる踊りをする人が出てくることがあるのは事実だ。
たとえば,アンソニー・ヘイルバットが書いたゴスペル・ミュージック入門書の決定版『ゴスペル・サウンド』では,黒いキリスト教の礼拝は,次のように描かれる。
<[・・・]見えないが,感じることができる霊が,会衆の中を動きまわる。ある呻き手は歌う。「わたしが泣くとき,いつも,その涙が天国への汽車賃になる」 別の呻き手がつづける。「語りつづけよう,どこかに神がおられると」 そして,その場に神がいることを認めて,人びとは幸せな気持ちになり始める。それぞれが自分のやり方で,ときには同時に,ときにはほかの人から一瞬遅れて会堂を包みこんでいる力に応え,そしてそうした叫び声全部が,ひとつの呻きに圧縮されていく。それから,人びとは一体になり,聖書が「烈しき風が吹き来るごとき」というとおりに,霊が降りてくる。しばしば,完全な沈黙の一瞬はとても強烈な力に満たされるため,会衆は身ぶるいをし,「ウー」,「ハー」,「イェッサー」,「主よ主よ」などといっせいに叫ぶだろう。
小さな教会の礼拝には,アカペラ(無伴奏)のモーン(呻き)がまだ残っている。しかし,大きい教会ではいまでは,ピアノ,オルガン,ドラム,ギター,タンバリンが使われる。黒人教会の歴史の初めのころには,リング・シャウトと呼ばれるリズミックな歌がうたわれた。会衆が輪になり,各自が両隣の人にあわせて踊り,歌うのだ。叫び(シャウト)という行為はいまでは,もっと個人的なものになっている。シャウトはふつうは踊りながらおこなわれるが,霊は笑うこと,歩くこと,走ること,腕を振ること,気を失うことを通じて,その降臨を知らせることもある。>(中河,三木,山田訳,ブルース・インターアクションズ刊,1993年,21頁)
2.
もちろん,アフリカン・アメリカンのみんながみんな黒人教会へ行くというわけではない。また,黒人教会のあり方も,教派や規模,土地柄,教会員の社会的背景などによってさまざまだ。しかし,アフリカン・ディアスポラ(アフリカから新大陸への強制的移住)と,その結果として起こった文化のクレオール(混血)化,そして,奴隷制や人種隔離体制のもとでの苦難の暮らしが,黒人教会にかなりの程度共通する独特の特徴をもたらしたのもたしかだ。ただし,ここで「独特」というのは,あくまで近代西欧型のキリスト教を基準にしたときの話である。目を合州国の外に向ければ,アフリカン・アメリカンのキリスト教と似たものは,カリブや中南米,ロンドンの西インド諸島系移民のコミュニティ,さらにはアフリカにも広く見られる。世界人口の推移や,西欧社会の世俗化(宗教ばなれ)の趨勢からすれば,来世紀にはアフリカン・アメリカンの教会に代表されるエスニック派が,キリスト教の主流になりそうな気さえする。
それでは,黒いキリスト教の独特の特徴とは何か。イエスを黒人として位置づける「黒い神学」がそうだという人もあるだろう。しかし,ここではとりあえず,聖霊とエンターテインメント(娯楽)と社会変革の三つを,黒人教会の営みの際立った点を指し示すキイワードとして挙げたい。
このうち三つ目については,わりとよく紹介されてきた。奴隷の「文明化」,つまりは従順化を狙って布教された(このいい方はじつは単純化のしすぎだが)キリスト教は,しかし,有名なデンマーク・ヴィージーの暴動計画(注1)のように,黒人の反抗や変革への動きのなかで大きな役割を担うことにもなった。とりわけ1950年代〜60年代の公民権運動での,マーティン・ルーサー・キング牧師やSCLC(南部キリスト教指導者会議)の指導的役割はよく知られる。有名な「ウィー・シャル・オーヴァーカム」の歌声に象徴されるように,弾圧やテロに対峙しながら行なわれた反人種差別の座込みや行進,集会で,参加した人々の支えになったのは,黒いキリスト教だった。そのことを実感するにはたぶん,活字を読むより,CD化された公民権運動の歌やスピーチの音の記録(注2)に耳を傾けるほうが早道だろう。
いっぽう,エンターテインメントということばのほうは,誤解を受けやすい。アリサ・フランクリン,ダイナ・ワシントン,サム・クック,スライ・ストーンからジョニー・ギル,ホイットニー・ヒューストンまで,教会やゴスペル・ミュージック界で基礎訓練を受けたブラック・エンターテイナーを数えあげればきりがない。しかし,ここではそれをいいたいのではない。黒人教会の宗教的いとなみのあり方自体が,精神的高揚と,娯楽と,民族芸術と,そしてときにはショービジネスまでを渾然一体にした豊かな内容のものだといいたいのだ。
教会音楽はもちろんすごい。精妙で,複雑で,多彩で,そして非常に迫力がある。しかし礼拝のための音楽だけではなく,説教やお祈りも感情豊かで,音楽的で,「語り芸」としての高い質を誇る。説教のレコードやテープが作られ,名作はロングセラーになる。たとえば,アリサ・フランクリン(注3)の父親の故C・L・フランクリン牧師は,50年代から60年代にかけて100近くの説教の録音(LP)を残し,何百万枚ものレコードを売った。そして,その代表作はいまだに聴きつがれている。
人を救済する聖なるお説教に「芸」という形容を結びつけることに,抵抗を感じる向きもあるかもしれない。しかし,そう感じる人は,近代人特有の偏見のとりこになっている。この国の浄土宗や浄土真宗にも,いまでは失われかけているが,節談説教という浪曲から講談,落語までをつきまぜたような宗教芸能の伝統があって,以前は隆盛を誇ったものだそうだ。節談が佳境にはいると,黒人教会の説教で「エイメン」や「プレイズ・ザ・ロード」と聴衆の合いの手が入るのと同じように,「あーっ,ナマンダブ,ナンマンダブ…」と「受け念仏」が沸き起こったという。浄土宗や真宗の教団が近代化をはかり,西欧人に恥ずかしくない「理性的」な宗教になろうと教義を理論化して,そうした娯楽的で土臭い布教の営みを切り捨てるにつれて,お寺は葬式や法事のためだけに行く場所になった。
黒いキリスト教は,その種の不毛な宗教の理性化を拒んでいるように見える。その昔,シカゴのサウスサイドの大きなバプティスト教会へ,日曜の礼拝を探険に行ったことがある。案内係の女性は,東洋人の飛び入りを席に連れてゆき,にっこり笑って「エンジョイ・ユアセルフ」といってくれた。「主に喜こばしいノイズ(騒音)を送る」という黒いキリスト教のモットーを知らなかった当時のぼくは,礼拝は「楽しむ」ものだという予想外の発想に,あっけにとられたものだった。
3.
合州国の黒人教会の多数派は,プロテスタント(新教)のなかでも原理主義的,聖書至上主義的なバプティストとメソディストだ。しかし,この二つに代表される主流のプロテスタント教会以外に,ホーリネス系とペンテコステ系の小さな諸教派(まとめてサンクティファイド派と呼ばれることもある)の信徒もかなりいる。そして,ずっと少数派になるが,ファーザー・ディヴァインのピース・ミッション(注4)やアフリカ正統教会,「黒いユダヤ教徒」,黒い聖母神殿といったキリスト教系「異端」の群小カルトがあり,また,呪術(フードゥー)的活動を取り入れたスピリチュアリスト(注5)の教会もある。ネーション・オヴ・イスラム(ブラック・ムスリム)(注6)も,少なくとも出発点では,上のようなキリスト教系「異端」の群小カルトのひとつだったといっていいだろう。
バプティストとメソディストが多いのは,この英国生まれの二つの教派が一八世紀以来,奴隷や自由黒人への布教に力を入れてきたからだ。1730年代から世紀の半ばにかけてニューイングランドの植民地で起こった宗教覚醒大運動,それに続く南部や西部でのリヴァイヴァル(信仰復興)運動のなかで,多くの黒人がこの二つの教会に入った。両派が「神の前に人は平等」という原則的立場から奴隷制に批判的だったことも,魅力のひとつだったかもしれない。しかし,どちらの教派も,アメリカで成長し南部白人の信徒を多く抱えるようになると,奴隷制批判を緩めることになる(結局,どちらの教派も南北戦争の前に,奴隷制の是非をめぐって南部と北部に分裂した)。
奴隷制の時代は,「神はなぜわたしたちを作られたのか?」「穀物を取り入れるためにです」「『汝姦淫を犯すなかれ』というのはどういう意味か?」「天なる父に仕え,地上のご主人に仕え,監督の言いつけに従い,何も盗むなという意味です」といった教理問答(神の教えを問答形式にしたもの)が,奴隷に与えられる時代だった。
ちなみに,こうした奴隷制との関わりを理由に,一足とびに「キリスト教性悪説」を主張する人がいるが(たとえば,中村とうよう著『大衆音楽の真実』ミュージック・マガジン刊),これはいささか短絡だ。そもそも,キリスト教一般などというものはない。どの宗教の場合にも,その聖典や教義,伝統的儀式は,ある時代,ある社会制度の枠組みのなかで,人びとの必要に応じていろんなふうに読まれ,使われてゆく。だから,南アフリカのアフリカーナー(オランダ系住民)のあいだでプロテスタンティズムが人種支配を正当化する民族主義思想に化け,第三世界諸国のカトリックのなかから大地主制や新植民地主義を批判する戦闘的な「解放の神学」が生まれることにもなる。
奴隷たちはキリスト教に改宗したが,白人のキリスト教をそのまま受け入れたわけではなかった。むしろ,「汝の隣人を愛せよ」といいながら奴隷を鞭打つ白人のキリスト教の偽善を,彼らは鋭く嗅ぎわけた。そして,キリスト教のなかから故郷アフリカの宗教観になじみやすい要素や,苛酷で不条理な自分たちの生を耐えやすく,理解しやすいものにするのに役立つ要素を拾いだし,そこにさらにアフリカ的なものを加えて,自分たちのヴァージョンのキリスト教を作った。黒人霊歌が生まれ,また「アメイジング・グレイス」のような白人の賛美歌(作者は白人の元奴隷商だったという!)は,アフリカン・アメリカン風に作り替えられた。異郷で奴隷にされている自分たちの身の上は,旧約聖書に描かれる,エジプトで捕囚になったユダヤの民と重ねあわされた。苦難の日々を生きのびるための糧として,あの世,つまり天国での自由と幸わせとが強調された。
つまり,黒いキリスト教は,アフリカの宗教と西欧のキリスト教の混合体(シンクレティズム)として始まったのだ。アフリカの宗教といえば,「素朴な」自然崇拝の多神教だという思いこみをもつ人も少なくないだろう。しかし,森羅万象を通じて働くひとつの「力」を認め,それをあがめるというという意味では,アフリカの宗教の多くは,じつは一神教的だった。だから,キリスト教への改宗は,それほど大きな世界観の飛躍ではなかった。偉大な霊であり「力」である神とその下位にある神々や精霊たちのセットを,唯一神エホバと天使たち,悪魔たちのセットに翻訳すればいいだけだったのだから。聖書には,奇蹟や悪魔払いや予知夢,聖霊の働きなど,アフリカの宗教観念を生かして解釈できることがらがたくさんあった。
つまり,黒人教会はある意味で,アフリカからの文化的遺産の貯水池になった。黒いキリスト教のアフリカ的要素としては,音楽とリズム,先にも触れたシャウトという踊り,全員参加型の礼拝とそこにあふれる共同体感覚,そして神の「力」の内的経験の重視,スピリット・ポゼッション(霊の憑依)などが挙げられる。しかしいっぽうで,キリスト教に改宗して変わった点もある。アフリカの世界観は宗教的なものとそうでないものとを区別しない一元論だったが,キリスト教では聖(宗教的なもの)と俗(世俗的なもの)を分ける二元論がとられる。また,アフリカではいろんな種類の神や霊が憑依すると考えられたが,黒いキリスト教では,憑依するのは唯一神(キリスト)の聖霊,ホーリー・ゴーストだけになった。そして,アフリカ的信仰のうち,黒いキリスト教に収まりきらなかったものは,まじないやフードゥ,ヴードゥなどとして,悪魔の側に位置づけられた。
興味深いことに,合州国の白人のキリスト教のほうも,黒人の宗教の影響を受けたふしがある。南部白人のことばのなまりは,じつは黒人英語の影響で生まれたという皮肉な,しかし説得力のある学説がある(ロバート・マクラム他著『英語物語』文藝春秋刊)。同じことが宗教についてもいえそうだ。あと次節で紹介する今世紀のペンテコステ派の事例などは典型的だが,そのずっと前の一八世紀から一九世紀にかけての信仰復興運動についても,黒人の影響を指摘する人がいる。この全米的な運動ののなかでは,キャンプ・ミーティング(野営伝道集会)という催しがひんぱんに開かれた。何千人もの群衆が数日にわたって野営をし,賛美歌を歌い,説教を聞き,祈り,自分の信仰の薄さを悔い改めた。そこには,黒人も白人と肩を並べて参加した。多くの人が泣き,震え,気絶し,恍惚とするといったぐあいに,キャンプ・ミーティングは感情の動きの激しいものだった。それがそうなったのは,黒人たちの昂揚した礼拝に白人たちが感染した結果であるかもしれない。
4.
さて,主流のバプティストやメソディストよりさらにアフリカ的な,熱い礼拝で知られるのが,黒人のホーリネス教会やペンテコステ教会だ。その教会員には,ブルーカラーやそれより貧しい層の人びとが多い。『ゴスペル・サウンド』によれば,メンバー間のコミュニティ的つながりはひとしお強く,また門戸が広く開かれていて,社会的に排斥されたゲイの人たちなども暖かく受け入れられるという。そういえば,コカインであやうい状態になっていたスモ−キ−・ロビンソンを教会に迎え入れ,「生まれ変わらせ」たのもホ−リネス系の女性牧師だった(注7)。こうしたサンクティファイされた(聖霊によって浄められた)教会では,楽器を多用した音楽とリズム,そして「聖霊に満たされること」,つまり憑霊状態の重要さがいっそう強調される。
黒人教会とゴスペル・ミュージックがなければ,現在のロック・ミュージックはなかったといっていい。ご存じのとおり,ブルーズとゴスペルがロックン・ロールとR&Bの直接のルーツなのだが,それだけではない。アーティストと聴衆がハンド・クラッピングをし,リズムにのって踊り,感情的に盛り上がり,「のってるかい」「イェーッ」といったやりとりをするなどという作法は,西欧の演奏会の伝統のどこを押しても出てこない。現代のロッカーたちは,ロックン・ロールとR&B経由で,黒人教会の説教師とゴスペル歌手の方法論を受けつぎ,実践しているのだ。そして,ゴスペル・ミュージックの強力な母体になったのが,ホーリネス系とペンテコステ系の教会だった。
ゴスペルは,霊歌や賛美歌より後に,今世紀になって生まれた宗教的なポピュラー音楽だ。白人のゴスペルもあるが,質量どちらをとっても黒いゴスペルにはおよばない。ゴスペルの父と呼ばれるトーマス・ドーシー牧師や,マヘリア・ジャクソン(注8),クララ・ウォードなどの活動基盤はバプティスト教会だった。しかし,マリオン・ウィリアムズやウィリー・メイ・フォード・スミスをはじめ,ゴスペルの大歌手には,サンクティファイド派が多い。また,教会員でなくても,たいていのアーティストがこの教派から音楽的な影響を受けている。マヘリアにしても,ニューオリンズの生家のとなりがサンクティファイド派教会で,子どものときからその礼拝音楽を耳にしていた。七〇年代半ばに人気の絶頂でゴスペル界に移ったソウル歌手,アル・グリーンも,やはりペンテコステ派の牧師になった。
テネシー州メンフィスに本部を置くチャーチ・オヴ・ゴッド・イン・クライスト(頭文字をとってCOGICと表記し,「コ−ジック」と発音することが多い)は,黒人のペンテコステ派中最大の教派だが,そのメンバーの有名ゴスペル歌手を並べれば,ゴスペル史が書ける。アリゾナ・ドレインズ,ブラインド・ウィリー・ジョンソン,シスター・ロゼッタ・サープ,アーネスティン・ワシントン,マリオン・ウィリアムズ,オニール・トゥインズ,アンドレ・クロウチ,エドウィン・ホウキンズ一家,クラーク・シスターズ,ワイナンズ一家などなど,きりがない。「5人目のビートルズ」といわれたキイボード奏者,ビリー・プレストンや,ソウル歌手で,のちに元Tレックスのマーク・ボランと結婚したグロリア・ジョーンズなども,COGICの出身だ。いまゴスペル界で人気を集めているのはファンキーなマリズムのス・クワイア(大規模聖歌隊)だが,この分野でもCOGIC派の影響力は絶大といっていい。
サンクティファイド派教会出身の歌手たちは,強烈な聖霊の力,ホ−リ−・ゴ−スト・パワ−で聴衆を虜にし,ゴスペル音楽の発展に大きく貢献してきた。しかし,少しややこしい話だが,黒いキリスト教,中でもサンクティファイド派が重視するこの「聖霊が憑く」という発想は,じつは黒人教会の発明品ではなく,キリスト教の教義にもともとあった。新約聖書によれば,キリスト没後の五旬節(ペンテコステ)の日に,弟子たちのあいだに炎のような聖霊が降りたとされる。彼らは霊に憑かれて異言(未知の国のことば)を話した。三位一体という表現があるが,これはもともと西欧のキリスト教の基本となる教義で,父(Father)なる神,子(Son)なるキリスト,そして聖霊(Holy Ghost)が,同じ一つの神の三つの違った現れだとされる。つまり,まっとうなキリスト教徒は,聖霊の存在を疑ってはいけないのだ。
5.
ホ−リネス運動は,もともとはこうしたキリスト教の原点にもどろうとする白人たちの運動で,一九世紀に英国起源のメソディスト派の中で生まれた。その主張の要点は「世俗的な罪に汚れた魂と肉体が神によって浄められるという霊的な体験をして初めて,人は救われる」というもののようだ。長年アフリカ起源のエクスタシックな礼拝や,霊の憑依を体験し続けてきた黒いキリスト教徒が,こうした神秘主義的な教義に魅せられないわけがない。黒人もつぎつぎこのホ−リネス運動に加わった。そしてこの運動は,奇蹟や幻視,フェイス・ヒ−リング(霊的治療)や異言といった行いを公式に教会に持ち込み,ペンテコステ伝道と呼ばれる国際的運動へと飛躍していく。そうした飛躍の中心人物が,ルイジアナ生まれの黒人の求道者,ウィリアム・ジョセフ・セイマ−だった。(注9)
アメリカ南部の熱心な白人のホーリネス派の活動に加わったセイマーは,1906年にロサンジェルスの小さな教会の牧師となり,そこで白黒混合の信徒たちとともに,礼拝で聖書の記述どおりに「聖霊を降臨させる」のに成功した。これがきっかけになって,セイマーをカリスマ的なリーダーとするペンテコステ運動が始まった。ペンテコステ派では,単なるトランス(喪神)状態ではなく,「異言」という行いが聖霊に憑かれている証拠になる。異言(グロソラリア)は,たとえば「イカモ,ハシャナ,アイヤイヤー,ハヤーナ」といったような異国語めいた意味不明のことばで(注10),それが聖霊が訪れると自然に口からほとばしり出ると信じられている。セイマーは自らの信徒の人種統合を望んだ。しかし,二十世紀初頭には非常に強固だった白人の人種主義がそれを阻んだ。教派が大きくなるとともに,教派の白人幹部はつぎつぎセイマーのもとを去り,黒人抜きの白人だけの教会を作ったのである。取り残された黒人たちのほうは,黒人だけのペンテコステ派教会を作らざるをえなくなった。(注11) 現在ペンテコステ運動はヨーロッパ各地や日本にまで広がり,プロテスタントにだけでなく,カトリック教会にまで浸透している。しかし,白人ペンテコステ派の教会史からは,黒人であるセイマーの事跡はほとんど抹消されているという。
セイマーのペンテコステ運動は,奴隷制時代からの黒いキリスト教の伝統に深く根ざしたものだったにちがいない。黒人が神学校に行くどころか,聖書を読むのも難しかったその昔(もともと奴隷の多くは読み書きを学ぶのを禁じられていた),森のなかや野原で突然神と出会い,神に命じられて宗教的指導者になった人が少なくなかった。ペンテコステ派にはいまでも,そうしたシャーマニズムに似た神秘体験を経て牧師になる人が少なくない。先に触れたアル・グリーンもそうだ。彼は1973年に,ディズニーランドでの深夜のコンサートのあと,ロスのホテルで疲れ果てて寝ているときに,聖霊に打たれたという。本人の話では(注12),朝の四時半ごろに「新しい電流が自分に流れこみ」,全人格が変わるのを感じて,飛び起きた。バスルームに飛びこむと,「サンキュー・ジーザス!」,「ハレルヤ!」,「神を讃えよ!」といった叫び声がとめどなく口をついた。スィート・ルームにいた当時の恋人のソウル歌手,ローラ・リーが静かにさせようとしたが,ほとばしり出るものは止まらなかった。グリーンは,神の「お召」に従って牧師になることを決意した。
6.
聖霊とエンターテインメントと社会変革の三題噺をする構えを見せながら,そのうちの聖霊にすこしこだわりすぎたかもしれない。それを風変わりな現象として紹介し,好奇の目にさらしたかったわけではない。黒いキリスト教のなかでの歓喜の体験は,現在,ポップスやダンス音楽のなかで水増しされてぼくらの身の回りにもある。だから,その精神的な背景を一通り紹介しておきたかったのだ。たとえば「ソウル」という音楽の呼び名ひとつをとっても,黒いキリスト教の歴史を抜きには理解できない。
礼拝やゴスペル・コンサートでの歓喜と忘我の体験は,天国での至福の前兆,つまり試供品とみなされるという。向こうへ行けばこんな幸せが待っているのなら,死ぬことなんか恐くない,というわけだ。そうした宗教体験は「幸せ(happy)」,つまりナチュラル・ハイになるための優れた身体テクノロジーに裏づけられている。不信心者たちも,その技法をあなどることはできない。
マルコムXが指摘したとおり,黒人教会はアメリカ白人の人種主義の産物であるにちがいない。白人は,黒人を「文明化」し,同時に彼らを「黒人がいるべき場所」に閉じこめておこうとした。しかし,黒人の教会とコミュニティは,同化(アシミュレーション)の手段になったと同時に,アメリカ黒人の文化と抵抗の砦にもなった。しかも,それだけでなく,「文明化」しようとした白人のほうが,文化のいろんな面でアフロ・アメリカン化されることになったのである。その事実を白人たちがすなおに認めるか,あるいは白人のペンテコステ派の人たちがしたように拒絶するかは,合州国社会の二一世紀を左右するひとつの鍵であるだろう。
(注1) 自由黒人のヴィ−ジ−が,サウスカロライナ州チャ−ルストンで1822年に奴隷制に反対して企てた反乱で,未然に鎮圧された。逮捕者は139人だったが,計画に関わった黒人は9000人以上とされ,また地元の黒人教会(アフリカン・メソディスト・チャ−チ)が重要な役割を果たしたといわれる。
(注2) たとえば,Song for Freedom-"Civil Rights Movement Songs"(Smithonian/Folkways CD SF 40032)。
(注3) 1942年,テネシー州メンフィス生まれ。父の教会のクワイアのソロ歌手として,十代前半から活躍。のちにR&B歌手になり,60年代末以来,女性ソウル歌手の第一人者として「レディ・ソウル」,「ソウルの女王」と呼ばれつづけている。映画『ブルース・ブラザーズ』に,ギタリスト,マット・マーフィの奥さん役で出演している。
(注4) 黒人のメシア(救世主)型宗教指導者の代表格。1920年代にニュ−ヨ−クの対岸,ロングアイランドに本拠を置いて社会事業を始め,まもなくハ−レムなど都会で多くの信徒を集めた。白人の支持者も多く,信徒の人種が入り交じっていたために弾圧を受けたこともある。
(注5) この教派の特徴は,礼拝に魔術的な要素をとりこみ,それによって現世利益の実現を試みることである。(Hanse A.Baker,The Black Spiritual Movement: A Religous Response to Racism.University of Tennessee Press.1984.)
(注6) カリスマ的指導者,エライジャ・ムハマッドの指導下に,シカゴを本拠地にして,都市の黒人のあいだに広がった宗教セクトで,1960年代の一時期に黒人民族主義思想家マルコムXがスポークス・パーソンを務めたことでも知られる。70年代には教義のイスラム化をめぐって分派問題が生じたりもしたが,現在では,ルイス・ファラカーンが傑出したリーダーとして若い世代の黒人の信望を集めている。
(注7) ウィリアム・”スモーキー”・ロビンソンは,1940年にデロイトで生まれ,60年代にモータウン・サウンドの立役者のひとりになった歌手/ソングライター。「マイ・ガール」をはじめ多くの名曲を書き,「ボブ・ディランと並ぶロックの詩人」という賛辞を贈る人もある。このエピソードは,彼の自伝(Smokey Robinson and David Ritz,Inside My Life.McGraw-Hill.1989)からのもの。
(注8) 1926年にニューオリンズで生まれ,72年にシカゴで死去したゴスペル歌手。1947年にアポロ・レーベルから出た「ムーヴ・オン・アップ・ア・リトル・ハイヤー」がミリオン・セラーになって地歩を確立。のちにコロンビア・レーベルに移籍してからは白人の聴衆も獲得して,「ゴスペルの女王」の称号をほしいままにした。
(注9) この項の記述は主に,Ian MacRobert,The Black Roots and White Racism of Early Pentecostalism in the USA.Macmillan Press.1988 に拠っている。
(注10) ここで挙げた例は,ビデオ『マザー(Say Amen Somebody)』(アスミック LSH020)に収録されている,シカゴのストアフロント・チャーチ(借家住まいの小教会)での「聖霊による」洗礼の場面の牧師の発話からのものである。
(注11) なお,先に触れたCOGICは,もともとミシシッピーでバプティスト教会から別れてできた新教派だったが,創設者の一人がセイマーの運動の影響を受け,ペンテコステ派の教義をとるようになった。現在は,このCOGICが黒人のペンテコステ派としては最大の教派になり,西インド諸島,イギリスやアフリカなど世界各地に教会を持つに至っている。
(注12) ビデオ『Gospel According to Al Green』(Magnum Entertainment/'84)所収のグリーンのインタビューによる。
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