●ザ・ブルーズ・ロール・オン−民俗イメージの劇作法

(『現代詩手帖』97年10月号 24-29頁)

*この文章は、《ブルーズ・ピープル−「個」への声》という特集のために書かれた。この特集は、他に、ポール・オリヴァやスティーヴン・スミス、ロバート・オミアリー、三井徹、鈴木啓志、山田裕康、友部正人、五十嵐正などの諸氏の論考を収録した充実したものなので、バックナンバーをお求めになることを薦めたい。
 ブルーズの力は,声そのもののなかにある,ともいえる。優れたブルーズ・シンガーの喉は,一節で聞き手を引きつける。ジョン・リー・フッカーの重たいムーーーというモーン(うなり声)や,ハウリン・ウルフの悪魔的なハラー(おらび声),ロバート・ジョンソンのスライドする裏声のフーーやつぐんだ口のムーーのような表出は,歌詞を抜きにして,それだけで十分私たちの耳を捉える。つまり,ブルーズ・シンガーの声は,ことばの表層的な意味とは別のルートで聞き手に働きかけるのだ。さらに,ギターやハーモニカといった楽器も,きわめて「声」的なやり方で演奏される。サニーボーイ・ウィリアムソンIIのハープやB・B・キングのギターのソロは,楽器を第二の声として使った雄弁なおしゃべりだともいえる。もちろん,ブルーズの器楽は,西アフリカの先祖たちのトーキング・ドラムのように,具体的なことばを伝えはしない。しかし,音調や音色を通じて肉声のような表情を出すという手法自体は,たしかに受け継がれている。
 ふり返ってみれば,私はその昔,こうした声の力とそれを埋め込んだ音楽形式の力に惹かれて,ブルーズを聞きはじめたようだ(もちろん,あの頃の若者文化のなかにあった「本物(ルーツ)志向」というやつの影響も否定できないが)。いいかえれば,初めは,ブルーズの歌詞にはあまり関心がなかった。だいたい,ブルースの歌詞は分かりにくいのだ。シカゴのバンド・ブルーズ以降ならまだしも,戦前のものの歌詞となると,正直,お手上げだった。これは,英語圏の人間,いや,アフリカン・アメリカンの人たちにとってさえ,かなりの程度そうであるはずだ。
 カサンドラ・ウィルソンというジャズ・シンガーがいる。過去を再生産するだけの「おジャズ」の愛好サークルとは一線を画した,創造的な仕事をしつづけている人だ。そのカサンドラが,何年か前に,ロバート・ジョンソンのクラシック,「カム・オン・イン・マイ・キッチン」と「ヘル・ハウンド・オン・マイ・トレイル」を吹き込んだ(『Blue Light 'Til Dawn』Blue Note/'93)。この録音にあたって,彼女は,ミシシッピ生まれの自分の母親にいろいろ教えてもらってやっと,歌の意味をきちんと了解できたという。ブルーズの歌詞の俗語表現にはローカルなものや移ろいやすいものも少なくなく,それは,若い世代のアメリカ黒人にとってもときに難解なのだ。
 とはいえ,ブルーズが歌唱音楽である以上,その歌詞は無視できない。無視どころか,私にとっては,ブルーズの歌詞は時とともに,好きな音楽を理解するための一助という域を超えた,大切なものになってきている。気の利いたフレイズや赤面もののボーディ(ロコツ)な歌詞,身につまされる状況描写と身近につきあうすべを学んだ,というだけではない。個々の歌手の経験や個性には解消できない,ブルーズ的な世界との向き合い方というものが,たしかにあると感じるようになった。それは,私たちと世界との取り組みのなかで,土俵ぎわの徳俵のような役目を果たしてくれる。その徳俵,つまりダウン&アウトな経験を飼い慣らすための身ごなしは,現代日本の私たちにとっても,十分有用なものだと思う(少なくとも私自身は折りにふれて,そのお世話になっている)。そして,もちろん,そうしたブルーズの働きは,メタファーとユーモアと醒めた目とを武器とするその歌詞を抜きしてにはありえない。

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 ブルーズの歌詞を,いわゆる詩として捉えると誤解を招く。サミュエル・チャーターズやポール・ギャロンなど,ブルーズの詩的な価値を強調する論者は少なくない。こう書くとただちに,この「詩的」とは何を指すかが問題になるが,ここではとりあえず,書かれたテクストを中心にして,それを印刷・発行する媒体,その作者(表現の主体),読者,批評家などが織りなす,文学という近代的な制度の一翼としての「現代詩」を念頭においている。こうした狭義の詩がブルーズから想を得たり形式を借りたりすることはあるが(たとえばラングストン・ヒューズ),ブルーズそのものは本来的には詩ではない。
 初期のブルーズ愛好家たちは,ブルーズの歌詞を,レコードを文字化したものを通じて考察してきた。しかし,ブルーズには,ポピュラー音楽と民俗音楽の二つの側面がある。つまり,ブルーズは,いっぽうでは早く(一九二〇年代)から各地で商業録音され,「レイス(つまりは黒人向け)」・レコードを通じて流通し,歌や奏法を広く伝播させた。しかし,同時に,ブルーズは,土地ごとのスタイルがあることでも分かるように,地域に密着した民俗音楽でもあった。ブルーズは,大農園の一隅や飯場,野外バーベキューやパーティーなどの催し,町の人寄り場所やローカルな酒場といったところで,ダンス音楽として,またエンターテインメントとして演奏され,その形を整え,洗練されていった。それは文字や楽譜に頼らない口承音楽であり,そしてそうした場でのブルーズの演奏にはもともと,レコードに依拠する研究家たちが想定したような固定化されたテクストがあるわけではなく,場の必要に応じて長さもヴァース(歌詞)の構成も自由自在なものだった。
 つまり,ブルーズは本来,私たちがなれ親しんできた大方のポピュラー音楽のように,3〜4分のレコード(今ならシングル盤)の収録時間の枠にあわせて構成された音楽ではない。ショウアップされないダウンホームなブルーズは,ある意味で演奏の場自体から紡ぎだされるものだった。といっても,もちろんブルーズの歌詞の大半は,その昔唱えられた珍説のように,歌いながら即興で作られるわけではない。ポール・オリヴァーが『スクリーニング・ザ・ブルーズ』(
Paul Oliver.Screening the Blues.Casell/'68)でその系譜を示してみせたように,ミュージシャンたちが共有財産として使うブルーズのヴァース(脚韻や疑似脚韻を踏むAABまたはAB形式の歌詞の一まとまり)の豊富なストックがまずある。ブルーズ・シンガーにとっての作詞とは,このストックからテーマやことばの共通性,出来事の前後関係などさまざまなモメントにそってヴァースを選んで,それをやはり共有財産化している曲群の一つにのせて,つなぎあわせていくことである。こうした作業のある部分は,演奏の場で行なわれる。もちろん,歌い手は自作のヴァースを歌うこともあるし,既存のヴァースも自分流に,あるいは演奏の場の事情に応じて改作される(たとえばその場にいる人物の名前や聴衆が知っている出来事を歌いこむとか)。もちろん,レコードでヒットして有名になったブルーズは,吹き込まれたとおりの形でカヴァーされる可能性が高い。しかし,たとえばダンスのために何十分も一つの曲でビートをキープしなければならなくなっても,つぎつぎとヴァースをつないで延ばしていけるというのが,ダウンホーム・ブルーズの基本構造なのだ。
 歌詞の「詩的」な観点からすれば,自作の(しかも個性的な)歌詞を多く作る歌手ほど優れているということになる。しかし,歌詞の独創性を評価される歌手たちも(たとえばライトニン・ホプキンスやファリー・ルイスやリトル・ウォルター),いっぽうで,昔ながらの「非創造的」な紋切型のヴァースをたくさん歌っている。問題は,慣用表現であれ自作であれ即興であれ,その歌詞がライヴの場のパフォーマンスの文脈のなかでいかに生命力を獲得するか,ということなのだ。ウィリアム・フェリスが『デルタ地域のブルーズ』(William Feris,Jr.Blues from the Delta.Studio Vista/'70)で示したように,ダウンホームなライヴの場での演奏は,踊りだけでなく,他のミュージシャンや聴衆との冗談(ジャイヴ)の応酬や漫談調のジョーク,世間話など,さまざまな非音楽的活動と絡みあう。有名曲のリクエストもあるだろうし,聴衆が歌い手の個人的経験の歌に耳を傾ける雰囲気になるときもあるだろう。あるいは,さまざまな曲弾きの手段を駆使して(ギターを背中で弾いたり,それに跨がって弾いたりするギミックにはチャーリー・パットン以来の伝統がある)場を盛り上げなければならないときもあるだろう。ブルーズの歌詞は,そのような演奏の文脈に臨機応変に感応できなければならない。こうした意味で,ブルーズは,詩的というよりは演劇的なものだといえる。
 レコードと,そして近代的な著作権という制度が,ブルーズのテクストの固定化をおし進めた。しかし,いまでも南部のブルーズ系の音楽のなかでは,こうした歌作りの作法が生きている。たとえば,南部で根強い人気があるボビー・ラッシュは,話題曲やスタンダード化した曲(「チキン・ヘッド」)を書いた有能なライターで,ファンク・ビートと打ち込みサウンドをブルーズに大胆に導入したことでも知られる。しかし,彼の「自作」曲には,伝統的なヴァースやシカゴ・ブルーズのスタンダード曲のパーツをつぎはぎした,悪くいえば剽窃に見えるものが少なくない。しかし,ダウンホーム・ブルーズにとっては,それはまっとうな曲作りの手法なのだ。
 こうした見地からすれば,ブルーズの真の作者は,時空にまたがる集団的活動,もしくは「ブルーズの文化」であり,そして,一つの曲という形で切り分けられているものはじつは,ブルーズのヴァースの集合的なマトリクスから選び出された一つの組合せにすぎない,ということさえできるだろう。個々の作者の独創的な表現は,聞き手に受容されたなら,このマトリクスに取り込まれそれを拡大する。そして,もっとも重要なのは,このマトリクスに含まれるヴァースの言いまわしやモチーフが,基本的には,アフリカン・アメリカンのごく日常的な話しことばを材料にしているということだ。そして,歌に登場した斬新な言いまわしやモチーフは,逆に,日常の会話で引用されて,話しことばのなかに回収される。この最後の点については,「ディープ」なソウルやラップといった,より複雑な音楽構造を持つブルーズの後輩たちについても,同じことがいえる。

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 私は,ブルーズの文化や,それを生きる人たちをつぶさにフィールド調査した専門家ではない。だから,ここからの話は,私のブルーズの歌詞への個人的な思い入れというふうに,割引きして読んでいただいたほうがいいかもしれない。
 ブルーズの歌詞を扱った議論では,セクシャリティ/ジェンダーの問題と,白人や社会システムへの抗議の問題がしばしば取り上げられる。どちらもブルーズの重要なテーマなのはたしかだし,とくに前者については,べつにフェミニスト批評に色目を使うわけではないが,ブルーズの歌詞にみられるマチズモ(男性優位主義),そして,女性ブルーズ・シンガーの歌や活動がこのマチズモに対してどういう位置関係にあるかということとの絡みで,一度きちんと考えてみなければならないと思っている。しかし,私にとってのブルーズの最大のテーマは,トラブル(厄介ごと)であり,ロスト・ラヴであり,孤独である。ステロタイプだといわれようと,ブルーズが「憂欝」を意味する以上(もちろん「あれはブルー・フィルムのブルーじゃないの」というツッコミにも一理はあるのだが),こうした「苦」の体験をブルーズがどう取り扱うのかに関心を寄せざるをえない。
 たとえば,テキサス生まれのピアニスト,マーシー・ディー・ウォルトンの録音で知られるようになった「ワン・ルーム・カントリー・シャック」という曲がある。歌詞の流れは,だいたい次のようなものだ。「どこでもない場所からさらに千マイル離れた,この一部屋しかない田舎の小屋に座っている。おれのこの世での持ち物といえば,コットン地の袋が一つだけ/毎晩,真夜中ごろに目が覚めて,眠れなくなる。コオロギと蛙だけを仲間に時を過ごしてると,風が戸口でうなる/朝早くにここから出かけよう。頭がおかしくなりそうだから。いっしょにいてくれる女をみつけるんだ。ばかでも唖でもつんぼでもかたわでもかまわない」 最後の部分は,今の私たちの基準からすればまったく差別的な言い まわしで頂けないが,ピアノとドラムだけの土臭い演奏とあいまって,この曲はブルーズが伝える孤独感の優れたサンプルになっている。
 ハウリン・ウルフの「日が木の上に昇った。おれにはだれも話相手がいない」という「サン・イズ・ライジング」。ブラインド・レモン・ジェファーソンの「おれは文なしで腹ぺこ,ぼろを着て汚れている」という「ブローク・アンド・ハングリー」。セントルイス・ジミー・オデンの「この病気がよくならないとすれば,お楽しみはもう終わったというわけさ。おれは,落ちぶれていくんだよ」という「ゴーイング・ダウン・スロウ」。ベシー・スミスの「落ち目になったら,だれもがあんたのことを知らないふりをする」という「ノーバディ・ノウズ・ユー・ホウェン・ユー・ダウン・アンド・アウト」。ミスター・ボーの「トラブルがお金だったら,おれは百万長者さ」という「イフ・トラブル・ワズ・マネー」・・・。こうした歌に,失恋や別離の歌,パートナーの不実に苦しむ歌を加えれば ,録音されたブルーズの何分の一かが,私のいう「苦」の歌ということになるはずだ。
 こうしたブルーズは一般に,感情移入をある程度抑制して歌われることが多い。いいかえれば,手放しの泣き節ではないのだ。その歌詞にもしばしば,「貧乏すぎて死ねないよ」とか,「水をくれといったら,おまえはガソリンを渡した」といったたぐいの,苦いユーモアが登場する。つまり,歌い手のブルーな体験を独白する(あるいは誰かに語る)という形式をとって歌われるブルーズは,そうした体験にのめりこみすぎないようにスタイル化されてもいるのだ。聞き手は(そしてたぶん歌い手も),歌われるドラマよって自分のつらい体験を呼び覚ますと同時に,その体験に適当な距離をとることができるようになり,カタルシスを得る,つまり,胸のつかえがとれるのだと思う。
 宗教学者によれば,貧・病・争が,人が宗教に頼るようになるきっかけの定番らしい。アフリカン・アメリカンのコミュニティでは,教会とゴスペルとが,こうした「苦」から人を救う宗教的な道筋として用意されている。しかし,ブルーズは神や天国や奇蹟といった超越的な道具立ての力を借りずに,世俗生活のただなかで束の間の救いを実現する。近年,中高年(ソウル世代)の主に南部の黒人のあいだで「ブルーズ還り」の傾向が顕著だが,こうしたカタルシス効果こそが,ブルーズという音楽がなくならない理由の一つであるだろう。ブルーズ的に生きるとは,人は結局一人だという事実を受け入れ,孤独とトラブルを飼い慣らすすべを身につけるということだ。はじめのほうで「世界との取り組みの徳俵」という言い方でほのめかそうとしたのは,そのことだった。六〇年代のロック世代は,そうしたブルーズの身ごなしを,自由や自立,制度への反抗,青春の蹉跌といった若者文化の文脈のなかで捉えたが,その世代もいまでは年をとり,ブルーズの暗い底の安らぎにふれる機が熟してきたといえるのではないか。
 ブルーズは,アンチ物語(ロマン)だ。それは,個別のヴァースのつらなりだから,西欧系のバラッドや日本の説教節・浪曲のようなストーリーはなく,つまり,発端も展開も,そして「めでたしめでたし」だったり悲劇的だったりする結末もない。ブルーズはただ続いてゆく。これは,私たちの生によく見合っている。とりわけ,旅を歌うブルーズのヴァースは,社会が提供する物語の結末はじつはジ・エンドではなく,つねに「その先」があると思い知らされた現代の私たちにとって,生きることの有効なメタファーであるだろう。「ハイウェイに入る鍵を手に入れたよ。さあ出かけるぞ。走って行くんだ。だって,歩いていたらのろくさいから」(ジャズ・ジラム「キイ・トゥ・ザ・ハイウェイ」)


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